第4話 クソジジイ



 トランク二つ分の荷物を急いで詰め込んだエイダは、フロントに立ち寄った。しばらくヘイヴン本宅に滞在することを伝え、エイダ宛の連絡の転送を頼んでおく。

 そのまままっすぐヘイヴン家に戻ったエイダを、執事のラルゴが出迎えた。


「滞在頂くお部屋は、お二階になります」

 

 荷物を持ち上げたラルゴの後ろを歩きながら、エイダはさりげなく邸宅に視線を巡らせた。

 ヘイヴン本宅も他の屋敷と、そう大きく変わりはない。一階はパブリックスペースで、二階は客室。エイダの立ち入りが許されるのも二階まで。三階が家族の居所となっている。

 二階に上がり奥まった部屋に通される。中に入って部屋を見回したエイダは驚いた。滞在していたホテルと比べても遜色がない部屋。淡いベージュとラベンダーのシンプルな内装は、ホテルの部屋よりもエイダの好みだった。


「続きの書斎の備品と書架は、ご自由にお使いください。浴室のご準備はご自身でお願いします。清掃は毎日十時にお声がけさせていただきます」

「ありがとうございます」

「食事は八時、十二時、七時にご用意させていただきます」

「食事は一階の食堂に行けばいいですか?」

「それについては……」

「今日の夕飯は食堂だが、その後はこの部屋だ」


 ラルゴの声に割り込んだレナルドの声に振り返ると、部屋の入り口の扉に不機嫌そうなレナルドが寄りかかっている。


「レディの部屋への訪問としては、礼儀が足りないんじゃない?」


 腰に手を当てて眉を顰めて見せると、レナルドは適当に扉をノックして部屋へと入ってきた。そのままエイダの前に仁王立ちする。


「エイダ・クラソン。ジャスパーの手記を受け取ったら、返却が完了するまでこの部屋から出るのも入るのも禁止だ」

「手記の持ち出しも、手記を置いて部屋を開けるのも禁止ってことね」


 随分と厳重だ。重々しく頷いてじっと見つめるレナルドに、エイダは軽く頷いて了承を返した。

 鋭く見据えていたレナルドは、悔しそうに顔をしかめる。厳しい条件にエイダが怯むのを期待していたようだが、あいにくそんなにやわじゃない。それにこれほど厳しく管理する手記は、それに見合うだけの価値と重要性を孕んでいるはず。むしろ期待にやる気が高まると言うものだ。


「追い返したいなら、こんなに快適なお部屋を用意すべきじゃなかったわね」

「……客人にそんな真似をするのは、ヘイヴン家の品位に関わる」

「初対面で挨拶もなしに怒鳴るのは、品位に関わらないの?」


 グッと詰まったレナルドにくすくす笑いながら、エイダは話題を変えてあげた。


「何かあったときはどうすればいいかしら?」

「……この紐をひけ」


 レナルドがベッドの横の飾り紐を顎でしゃくった。


「黄色の紐でラルゴを呼べるが、手記の読破中は入室はできない。手記を読み終わったり手助けが必要なときは青の紐を引け。不本意だが僕の呼び出しベルだ。手記がお前の手元にあるうちは、食事は僕とこの部屋で摂ることになる」

「別に一人でもいいわよ?」

「僕だってそうしたいが、感想会を兼ねている。そういう決まりなんだ」

「気が重いわね」

「全くだ」


 レナルドが条件を受け入れた時に、大騒ぎした理由の一端はこれかとエイダは肩をすくめた。

 お世辞にも楽しい食事相手とは言えないが、手記の読了者で次期当主だと思えば、エイダにとっては有意義と言えなくもない。レナルドにとってはなんのメリットもないだろうけど。


「他にも知っておくべきことはあるかしら?」

「……手記を受け取ったら読了までは中止はできない。辞退するなら今のうちだ」

「ご忠告ありがとう。それでいつから始めるのかしら? 私はすぐにでも構わないけど」

「……明日の夜からになる」

「わかったわ。準備しておくわね」


 渋い顔をしてため息を吐き出したレナルドは、そのまま肩を落として部屋を出ていく。


「エイダ様、この部屋の鍵になります。お手元に手記があるうちは、外から鍵をかけますのでこの鍵でも出入りはできません。それでは夕食にはお迎えに伺いますので、それまではお寛ぎください」

「ありがとうございます」


 丁寧な礼をとりラルゴも退室していく。エイダは細く息を吐いて、整えられたベッドへ身を投げ出した。

 紗のかかる天蓋の寝台は設えはシンプルでも、質の良さが伺える。客間の中でも最上の部屋だろうことは容易に想像できた。


(……それも新聞記者としてではなく、クラソン家の一員だから、ね)


 きっとクラソン家だからと、気を遣って用意された部屋。ちくりとプライドの傷つく痛みを、エイダは寝返りで誤魔化さず真正面から受け止めた。

 何度味わっても慣れることのない、じわりと痛みを伴う広がる悔しさ。グッと奥歯を噛み締めて、エイダは目元を覆った。


(証明して見せるわ)


 エイダ・クラソン、個人としての価値を。必ず。今感じている痛みには慣れなくていい。いつだってちゃんと痛いから、やってみせると奮い立てるのだ。痛みに鈍くなる日が来たら、それはクラソンの家名に負けたとき。


『お前の書いた記事、悪くなかったぞ』


 不意にレナルドの声が蘇る。無愛想な真顔で真っ直ぐに渡された言葉を思い出して、ふっと少しだけ心が軽くなった。

 エイダは気合を入れるように、転がしていた身体を勢いよく起こす。


「当たり前でしょ? 私が書いた記事なんだから」


 奇妙な条件に食えない当主。でも必ず何かはもぎ取ってやる。悲惨な乗り物酔いにも耐えきっと、やっとここまで辿り着いたのだから。

 トランクの荷物を整理しながら、気合を入れて身支度を整え始める。


「お食事の用意ができました」


 まずは無事に手記を読めるよう、今日の晩餐を乗り越えること。装いを改め終わった鏡の中の自分に頷き、エイダは立ち上がった。


※※※※※


「クラソンご当主はお元気でおられるのかね?」


 エイダはカトラリーを持つ手を止めて、貼り付けた笑みの額に青筋を浮かべた。

 ヘイヴン宅のディナーは財を誇る特権階級では珍しく、溢れるほどの料理をこれでもかと並べるのではなく、食べ切れる量の料理の食材と質にこだわりを見せていた。このディナーを質素と揶揄するものがいたら、たちまち成金と嘲笑の的になるだろう。

 合理主義のエイダ的にも好ましいディナー。思わず笑みが浮かぶ美食を前に、エイダは内心で思わず呟いた。


(クソジジイ……!)


 最初は単なる社交辞令的な会話かとも思った。共通の話題を探る上の、ほんのさわりの会話。だが時間が経つにつれて、そうではないと理解した。むしろこれはわざとだ。

 目の前の好々爺と見せている老紳士は、エイダの反応を楽しむようにクラソン家の家名を延々と出してくる。

 会話にはあまり加わる気配を見せないレナルドと目が合うと、「ほらな?」と言わんばかりの表情を浮かべている。助ける気はなさそうだ。


『……ヘイヴン当主を甘くみると後悔するぞ』


 ホテルへ向かう道すがら、レナルドがエイダに忠告した言葉が蘇る。明らかにレナルドは、自分に矛先が向かないよう口をつぐんでいる。ヘイヴン当主は老紳士の皮を被った、とんだ狸親父だった。


「……はい。病気も怪我もなく、当分は引退はしないと兄を困らせているようです」

「それはむしろ僥倖だろう。エイダ嬢の父君の文化財指定法案で、価値はあっても時代の速度に取り残される文化が、救われ保護されるのだから」

「そう、ですね……」


 あの文化財指定法案、通ったんだ。

 慎重に言葉を選びつつ、引き攣らないように浮かべた笑みをビリーに向ける。


(嫌がらせ、でもなさそうなのよね……)


 最初はクラソンの家名に、過敏に反応してしまうエイダに対しての揶揄、もしくは嫌がらせかとも思った。

 何度逸らそうとしても、さりげなく戻されるクラソン家の話題。クラソン家の内情を探っているのかと疑ったが、そんなわけでもないだろう。何せ自立を目指して家を出て、新聞記者をしているエイダより、ビリーのほうがずっとクラソン家の事業に詳しい。

 そんなエイダから引き出せる情報がないことくらい、目の前の油断のならない狸ジジイが気が付かないわけがない。それなのにどうしてこれほど、エイダの口からクラソン家を引き出そうとするのか。

 時々見極めるように注がれる鋭い視線は、嫌がらせなんかではない。明確な目的があってそうしているのだと分かる。なおさら厄介だった。その真意が掴めない。

 社交界に取材活動。同年代の者より上流社会を、処世術でうまく渡ってきた自負があった。それでも歴戦の老獪の古狸には、全く歯が立たない。

 結局意図を探ることも叶わず、エイダは初戦に続き完全なる敗北を認めざる得なかった。



 

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