第3話 奇妙な条件



 応接室に通されて、当主のビリーと向かい合う。

 その隣にレナルドも当然のように座っていることに、エイダは内心舌打ちした。


(次期当主でも、今は当主じゃないでしょ……どっかいっててよ……)


 今もクラソンの家名を無意識に出した羞恥が、トゲのように刺さっている。それを的確に指摘してきた相手の顔は、正直見たくなかった。それでなくても皮肉めいた物言いが、気に触る相手なのだ。鑑賞に耐える美形でも、普通にご遠慮してほしかった。

 手際よく紅茶を遇され、テキパキと茶菓子が設置されていく。執事と侍女が礼をとって静かに下がると、紅茶を一口飲んだビリーがエイダに笑みを向けた。


「改めてヘイヴン家当主、ビリー・ヘイヴンだ」

「面談に応じていただき感謝いたします。タルム新聞のエイダ・クラソンです」


 にっこりと頷いたビリーが隣を振り返る。


「そして、私の孫の……」

「レナルド・ヘイヴンだ」


 尊大に腕と足を組んで、ふんぞり返るレナルド。その態度に呆れ、思わず凝視するとレナルドと視線が合った。ふふんと鼻を鳴らされ、エイダは思わず瞳を険しくする。

 本当に第一印象から、休むことなく心象をマイナスにしてくる。強敵だと気を張っていた当主より、その孫のレナルドの方が手に余る。

 その様子を楽しげに見ていたビリーが、カップを置くと口調を変えた。


「さて、エイダ嬢」

「は、はい……!」

「訪問の目的は、ソムヌスの森の調査依頼だったね」


 ごくりと唾を飲み込み頷いたエイダに、ビリーにニコリと笑みを浮かべた。


「率直に言うと許可できない」

「…………っ!!」


 穏やかながらキッパリと言い切られ、エイダは咄嗟に取繕えなかった。そもそもヘイヴン家当主との面談が、許されること自体が稀。


「まさか、許可されるとでも思ってたのか? 図々しい」


 図星をさされてエイダは、奥歯を噛み締めレナルドを睨みつける。実はちょっと期待してしまっていた。高名な学者でさえ会えない当主本人から、訪問を許可されたのだ。勝算はあると思っていた。


「まったく……エイダ嬢は自分自身の何を根拠に、許可されると思えたんだ? 後学のために聞いておきたいね。まさかクラソン家の息女だから大丈夫だと?」


 期待が失望に変わり、心の許容量が少なくなっていたエイダは、せせら笑うようなレナルドに我慢の限界を迎えた。玄関先では耐えられた爆発を、今は堪えられない。

 バンッとテーブルを両手で叩き、身を乗り出すようにしてレナルドに噛みついた。


「さっきから何なの! 礼儀知らずはそっちでしょ!? 許可してくださったのは何年もお手紙で、熱意を伝えていたからよ! これまで担当した記事も添えてね! 記者として認めてくださったから……」

「いや、エイダ嬢。申し訳ないが訪問を許可したのは、クラソン家の息女だからだ」

「あ……」


 ソファーから腰を浮かせてレナルドに、食ってかかっていたエイダは穏やかなビリーの声に、力を失って座り込んだ。

 怒りは一瞬で空白になり、空白になった場所に侵食してくる感情。それが惨めさだと自覚すると、視界が込み上げてきたもので熱く揺らいだ。


『自分自身の何を根拠に許可されると思えるのか』


 ついさっきレナルドに言われたばかりの皮肉が、心に深く突き刺さる。

 熱意を伝え続ける手紙も、必死でもぎ取り自分なりに形にしてきた仕事も、クラソンの家名の前では何の価値もない。

 はっきりビリーに突きつけられたエイダは、唇を噛み締め無言で俯き、応接室には沈黙が落ちた。

 そんな中ビリーだけが、ゆっくりとカップを傾け喉を潤す。


「あー……」


 沈黙の気まずさに真っ先に耐えられなくなったのは、意外なことにレナルドだった。

 言葉を探してレナルドが彷徨わせた声に、エイダが少し顔を上げると、バツが悪そうな気遣わしげな表情が見えた。


(何なの……?)


 散々急所を狙って攻撃をしていたくせに、いざ本格的にエイダがダメージを受けたと見ると、レナルドはひどく気まずげだ。

 エイダの視線に気づいて、顔を逸らすと組んだ手の指をそわそわと組み替える。


(もしかしてこの人って……)


 新聞記者として、幾人と向き合い取材したきたエイダ。歓迎されてもされなくても対峙するのが仕事だった。加えて旧家の令嬢。社交と取材で積んできた経験が、レナルドの態度の違和感を嗅ぎ取る。レナルドを手に余ると判断したのは、早計だったかもしれない、と。

 レナルドの鋭い言葉も強い口調も、非常に気に触る。でもそれは単に追い返したいがためのもの。おそらく傷つける意図はないただの威嚇。本気で落ち込んだエイダを見て、そうまでして追い返したいはずなのに、そわそわと動揺している。彼はむしろお人好しの類。逆に、


「そういうわけで、。ソムヌスの森への立ち入りは許可できない。ただし、可能性を提示することはできる。聞く気はあるかい?」


 この空気のなか平然とお茶を啜り、何事もなかったように穏やかに話す当主こそが、本当に手強い真に攻略すべき相手。

 初手から相手を見誤る失態を犯したエイダは、悔しそうにビリーに向き直った。


※※※※※


 ビリーが提示してきた三つの条件は、奇妙なものだった。

 

 一つ、ヘイヴン家直系先祖で、戦神・セスの副官だった、ジャスパー・ヘイヴンの手記を読破すること。

 それも一度にではなく、ヘイヴン側の裁量で渡される分を確認。その後次期当主に内定しているレナルドと、読破分の感想を述べ合うというもの。

 一見奇妙なこの条件は、ヘイヴン家当主選定の試験の一つだという。レナルドが感想を確認するのは、この試験の経験者だから。


 二つ、当然、ジャスパーの手記は門外不出。そのため一つ目の条件を受け入れる場合、ヘイヴン本邸にとどまるというもの。

 その間はホテルに帰れないばかりか、外出にはヘイヴン家の者の同行が必須。これは情報を外部に、漏らさないための配慮だと言われた。

 ヘイヴン側の都合だからと、ホテルの料金はヘイヴン家が負担するらしい。

 そしておかしなことに、そうまで外部への流出を警戒する情報は、手記を読破し本邸を出た後はエイダの裁量に任せるという。


 三つ、上記の条件を全て達成したからといって、ソムヌスの森への立ち入りを許可するものではない。

 提示された条件の中で、ある意味ごく普通の条件。でもこの提示は墓所は森にあると、確信させるものでもある。頑なに立ち入りを拒むのに、なぜそれを明かすのか。真っ当に見える条件に疑問が浮かんだ。


「三つ一緒に考えると、より違和感があるのよねぇ……」


 全部を合わせて考えると、まるでエイダはソムヌスの森はおろかジャスパーの手記も、公開しないと確信しているように感じるのだ。


「……今からでも遅くない。首都に帰れよ」


 独り言に返事を返してきた運転席のレナルドに、エイダは挑発するように胸を反らす。


「帰るわけないでしょ? ソムヌスの森には入れなくても、ジャスパー・ヘイヴンの手記なのよ?」

「…………」


 無言でチラリと睨んできたレナルドに、エイダは鼻息も荒く身を乗り出した。

 エイダはビリーの条件を飲んだ。奇妙だろうが飲まない選択肢は微塵もない。隠された歴史の一端を掴めるのは確実なのだから。

 条件を提示したビリーに猛反発し、受け入れたエイダを散々止めだてしたレナルドが、無言で眉根を寄せる。さっきまで大騒ぎしてもう疲れちゃっているのかもしれない。

 レナルドの表情に思わず笑みが浮かぶ。癪に障るが悪い奴ではないと、もう分かっている。少なくともビリーよりは御しやすい。


「それで? 何か言いたいことがあるんでしょ?」


 二つ目の条件のために、ホテルに荷物を取りに行く運転手を買って出たレナルド。言いたいことがなければ、次期当主の彼がわざわざ運転などするはずがない。水を向けてやったエイダに、レナルドはますます顔を顰めた。


「……勘は悪くないのに、なんで受け入れたんだ?」


 渋面のレナルドにエイダは首を傾げる。


「お祖父様は何か企んでいる。そうじゃなければ、手記を条件に出すはずがない……」

「そうかもね」


 ニコニコと穏やかな老紳士。小娘相手に少しの手加減もしない、食えない当主。


「そうだとして、私に不利益はないわ。むしろお釣りが来るもの」

 

 何かを企んでいたとして、その企みが何であれ、エイダが手に入れる利の方が遥かに大きい。にっこりと笑って見せたエイダに、レナルドはため息をついた。


「……ヘイヴン当主を甘くみると後悔するぞ」

「ご忠告ありがとう。次期ヘイヴン当主様」


 ホテル入り口に車を止めて振り返ったレナルドに、エイダはヒラヒラと手を振って車を降りる。歩き出したエイダを顰めっ面で見送っていたレナルドは、思い出したように声を上げた。


「ああ、そうだ。エイダ・クラソン」

「何?」


 振り返ったエイダを、レナルドが真っ直ぐ見つめた。

 

「お前の書いた記事、悪くなかったぞ」


 エイダはゆっくりと目を見開いて、無愛想な真顔を見つめた。


「……ふふっ、ありがと」


 やっぱりお人好しだ。エイダはくすくすと笑いながら、部屋へと荷物を取りに歩き出した。

 

 

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