第2話 ヘイヴン家本邸



 姿見の前で入念に装いをチェックし、


「よし! シンプルかつ上品ね!」


 エイダは鏡の中の自分に合格点を出した。敢えてのパンツスーツ。でも名門一族当主との面談に失礼にならないよう、最上級の仕立てのオーダーメイドスーツだ。足りない華やかさはスカーフや装飾品で補った。

 クラソン一族より、新聞記者、エイダ・クラソンと見てほしい。派手すぎず、質素すぎず。面談の成否を左右する第一印象として、これ以上ないほどベストに思えた。

 何度もチェックした鞄の中身をもう一度確認して、エイダは少し早めに部屋を出る。フロントに声をかけると、予約していた自動車はもう準備ができて待機してくれていた。


「ヘイヴン家本宅までお願いします」


 運転手の手を借りて車に乗り込むと、エイダは緊張に表情を固くしたまま運転手を促した。

 

「かしこまりました。お迎えはいかがいたしますか?」

「迎えは……大丈夫です」


 どのくらい時間がもらえるか。時間を気にして集中を欠くくらいなら迎えはいらない。今日は絶対に失敗できない日なのだから。自分自身を鼓舞するように顔を上げたエイダに、運転手は了承の頷きを返すと車を走らせた。

 ぽっぽっと軽快なエンジンを立てながら、ヘイヴンの中心街を抜けていく。日差しよけの幌の隙間からの風に、帽子が飛ばされないようエイダはしっかりと押さえる。

 中心街を抜け街のどこからでも見える尖塔を右手に農業区画も過ぎると、やがて左右を木立に囲まれた森林が見えてきた。


「もうこの辺からヘイヴン家の私有地です」

 

 運転手の声に外を見ると東側の道路沿いは高い石塀に囲われ、さらにその上に鉄柵まで突き出している。

 石壁沿いにしばらく進むと、警備小屋と鉄扉を守る警備員に出迎えられた。車が鉄扉の前に静かに停車すると、警備員が運転手へと近づいてくる。


「ご用件は?」

「ヘイヴン家当主との面談のお約束をされている、エイダ・クラソン様です」

「お話は伺っております。エイダ様、失礼ですが印章の提示をお願いいたします」


 エイダはカバンを開けて、返信されてきた手紙を差し出した。警備員は手紙の印章を確かめると振り返って手を上げる。ゆっくりと開かれる鉄扉を、警備員に見送られながら木立に囲まれた道を進み始めた。

 平坦だった道は、ここから本宅まで緩やかな登り坂だ。木立の合間にうるさくなった車のエンジン音が響いた。


「警備が思った以上に、厳重……」


 訪問の予定を聞いていても、印章の提示を求めるほどに。独り言のようなエイダの呟きに、運転手は苦笑をこぼした。


「戦神の墓所を探そうと、ソムヌスの森へは不法侵入が絶えないそうで。どうしても慎重になるのでしょう」

「不法侵入……やっぱりソムヌスの森が可能性が高いのね……」

「ははっ、あるとしたらそこしかないでしょう。とは言えここももう、ソムヌスの森ですけどね」

「まあ、それはそうですけど……」


 運転手の言葉に今度はエイダが苦笑した。

 地図の表記もこの一帯をソムヌスの森としている。広大なソムヌスの森の高台の一角に、ヘイヴン家本宅はポツンと一軒だけ建っているのだ。

 本宅に至る手前。人の手入れがなされているこの森一帯も、正確にはソムヌスの森だが認識としては名もなき森。ソムヌスの森と言えば、実質的にヘイヴン家本宅が隣接している立ち入り禁止のエリアを誰もが指した。


「……ああ、見えてきました」


 ゆっくりと勾配を増す登り坂に、エンジンが苦しそうな唸りをあげ始めた頃、ヘイヴン本宅がようやく見えてくる。鉄扉の前で停止すると運転手の手を借り、荷物を抱えてエイダは車を降りた。


「では私はこれで」


 ホテルの車を見送ると、エイダは改めてヘイヴン本宅に向かい合った。外周を巡らせていた石壁と鉄柵は、本宅でさらに高さを増している。


(不法侵入者がすぐに見つかるわけね……)


 まるで難攻不落の要塞のような有様に、エイダは唇を引き結んだ。

 外周の壁をなんとか乗り越えても、本宅前のこの石壁。どうにかよじ登ったとしてお目当てのソムヌスの森の前には、ヘイヴン家本宅も立ちはだかっている。無許可での侵入はどう見ても無謀だった。

 実は一度思い余って突撃しようと考えたことがあった。今は踏みとどまった過去の自分を褒めたい。そんなことをしなくて本当に良かった。普通に捕まる。

 エイダは警備員に手紙の印章を見せ、いよいよ邸宅に一歩踏み出した。緊張と同時に血の湧くような好奇心にも似た気持ちに、自然と頬も高揚する。ソムヌスの森はもうすぐ目の前。そこに自分は入ることができるかもしれない。そこにはきっと。

 新聞記者として、戦神を歴史に頂く一国民としての興奮が湧き上がる。エイダは礼儀正しく玄関前に立つ、執事と思しき中年男性へと歩み寄った。


「初めまして、エイダ・クラソンです。本日はご当主様と面談のお約束で参りました」

「ようこそおいでくださいました。エイダ様。お待ち……」


 穏やかな執事の挨拶の声が、乱暴に開け放たれた玄関扉の音に途切れる。驚いて顔を上げたエイダは、険しく眉根を寄せて青い瞳に侮蔑を浮かべた青年と目が合う。シャープな美貌に一瞬見惚れたエイダは、


「今すぐ帰れ!」


 叩きつけるように浴びせられた声に、笑みを浮かべたまま固まった。


「坊っちゃま! 当主様のお客様ですよ!」

「お祖父様がなんと言おうと、次期当主の権限で僕は許可しない」


 止め立てする執事の声にも次期当主らしい男は、腕を組んだ仁王立ちでエイダを睨みつけたままだった。不機嫌さを隠しもしない薄い唇が、滑らかに罵詈雑言を垂れ流し始める。


「礼儀知らずなハイエナを、僕は邸宅に招きれる気はサラサラない。分かったら今すぐ帰って、馬鹿げた恋占いの記事でも書いていろ」


 冷ややかに眇めた軽蔑の眼差しと、同じくらい冷たい声。虫を払うように手が振られ、固まっていたエイダの額にぴくりと青筋が浮かんだ。


(礼儀知らずはあんたの方でしょ!)


 エイダは引き攣った笑みのまま、飛び出しそうな言葉をなんとか飲み込み、長身の神経質そうな男に向き合った。


「……お話が伝わっておりませんでしたか? 私はご当主様より許可を得て、本日こちらに伺いましたの」

「だから? 頭だけでなく、耳まで悪いのか? 今すぐ帰れと言っているのが聞こえないのか?」


 尊大に言い放つ男にエイダは、全身から忍耐をかき集めた。大丈夫、キレたりしない。女だからと居丈高な物言いで、怯ませようとする威嚇に今更驚いたりしない。記者として何人もそんな輩を相手に戦ってきたのだから。こんなことで台無しにしたりしない。

 エイダはなんとか笑顔を張り付かせたまま口を開いた。


「私はタルム新聞の記者として伺った、エイダ・です。ご当主様から聞いておりません?」


 爆発寸前の怒りを堪えて、家名に力を入れて名乗ったエイダを、男はますます鼻で嘲笑った。

 

「ハッ! クラソンの家名を誇らしげに名乗って記者、ね。だが僕はレナルド・だ。クラソンの権力でのゴリ押しが、通じる相手かよく見極めたらどうだ?」


 エイダは羞恥にカッと頬を染めた。無意識に家名に頼ろうとした情けなさに唇を噛み締める。親の七光りじゃない、自分の価値を示すためにここにいるというのに。エイダ・クラソン、冷静になれ。

 全身を焼くような羞恥を飲み込むように、エイダは大きく息を吸い込んだ。静かに息を吐き出すと、ぐっと顔を上げる。

 

「……失礼しました。本日私はタルム新聞の記者として訪問いたしました。クラソン家とは一切の関係なく、またその意図もございません。私は数年に渡りご当主様へ面談を要請し、この度正式な許可をいただいて訪問しております。何卒ご当主様のビリー・ヘイヴン様へお目通りを」


 爛々と瞳を怒りで燃やしつつ、必死に爆発を堪えながらのエイダの言葉に、レナルドは意外そうに片眉を跳ね上げた。そのまま閉じていた唇がゆっくりと開くのを見つめながら、エイダは次なる攻撃に身構える。


「そこまでにしなさい。レナルド」


 緊迫した空気を断ち切るような穏やかな声に、全員が玄関を振り返る。こちらに歩み寄ってくる老紳士に、エイダは目を見開いた。


「お祖父様……」


 ぐっと悔しそうに俯いたレナルドを、チラリと見やりゆっくりと歩くヘイヴン当主、ビリー・ヘイヴンは穏やかな笑みを浮かべた。

 

「エイダ・クラソン嬢、出迎えに不手際があって申し訳ない。孫が失礼したね」

「いえ……」


 エイダは慌てて礼をとりながら、ドキドキと緊張に震える胸をいくらか落ち着かせて顔を上げる。目が合ったビリーが、小さく笑うのに、ホッとしながらエイダは唾を飲み込んだ。普通だ。普通の上品なおじいちゃんだ。

 公に滅多に姿を現さない、辣腕のヘイヴン一族の長の普通さに思わずエイダは気が抜けた。そんなエイダを横目で眺め、ニコニコする祖父を見やったレナルドは、深いため息をついたがエイダはそれに気づけなかった。


 

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