戦神、この地に眠る

宵の月

第1話 栄誉を求めて



 エイデルバ連邦共和国の首都から、鉄道で二日。

 共和国最北部の国境に程近い街「ヘイヴン」に向かう列車の個室で、エイダ・クラソンは口元に袋を当てていた。祈るように窓の外を見つめる顔色は、真っ青だった。


「……死にそう」

 

 ポツリと呟いた個室の扉に叩音が響き、入ってきた巡回の鉄道員はエイダの様子にギョッと顔色を変える。


「ク、クラソン様! 大丈夫ですか!?」

「……大、丈夫です……」


 口元に当てた袋は手放せないまま、エイダはなんとか声を絞り出すと、コートのポケットを弄り切符を差し出す。


「すぐに医務員を連れて参りますので!」


 差し出した切符には目もくれず、乗り物酔いで死人のようなエイダに鉄道員はオロオロと取り縋る。

 

「いえ……もうすぐヘイヴンですよね。本当に大丈夫なので……」

「ですがクラソン家のご令嬢を、このままには……」


 鉄道員の呟きに、眉根を寄せて唇を噛み締めた。エイダは顔を上げると、鉄道員を睨むようにして向き直る。


「本当に大丈夫です! 放っておいていただけます?」


 キッパリとした強い口調に、鉄道員はひくりと口を閉じた。エイダの機嫌を察して、取りなすように笑みを浮かべる。


「で、では何かありましたら、すぐにお声掛けください」


 慌てて個室を出ていく鉄道員を睨みつけながら、エイダは口元に当てた袋を握りしめた。


「……見てなさい! 新聞記者の名にかけて、絶対見つけてみせるんだから……!!」


 歴史書に類を見ない偉業を刻みつけた、伝説の英傑戦神・セス。燦然と輝く偉大な戦歴と戦功は、今もなお人々を魅了して止まない。

 歌劇に演劇、小説に詩に絵。あらゆる芸術と創作の題材となり続ける、かの戦神の墓所を見つけることができたなら、もうエイダをクラソン文化財団の令嬢という出自だけで見る者はいなくなるはずだ。


(必ず見つけ出すわ! もう二度と女だからとか、クラソン家だからなんて言わせない!!)


 ヘイヴン家当主に手紙を書き続けて数年。ようやく当主との面談にこぎつけた。

 新聞記者でも考古学者でも、一切を拒み続ける戦神の副官の直系子孫・ヘイヴン家当主との面談の機会。今間違いなく自分が、墓所発見者という功績の最も近くにいるはず。


「このチャンスを絶対にモノにして見せるわ……!」


 力強く決意を呟いたエイダは、込み上げてきた吐き気に慌てて袋に顔を突っ込んだ。あらゆるものを吐き出してもまだ、止まらない嘔吐感。


「……着いたらまずは水分ね」


 吐きすぎて干からびそう。げっそりとした涙目で、エイダは袋の中に呟きを落とした。


「やっと……ついた……」


 大地に降り立っても、まだ揺れている気がする。ふらつきながら帰りのことはなるべく考えないように、エイダはヘイヴンの街並みに視線を巡らせた。駅を背後に思わず感嘆のため息が漏れる。

 整然と整えられた石畳と街路。活気に溢れて忙しなく行き交う人々。首都と主要都市でしか見かけない自動車も、ヘイヴンでは当然のように走っている。

 特異な歴史を辿った街らしく、伝統的な古い建築と近代的な建物が不思議な調和を持って混在していた。同じ国に属する街なのに異国めいて新鮮に感じる街並みは、観光地としても人気なのも納得だ。


「でもとりあえず今は、休みたい……」


 魅力的な街並みを散策するのは、あらゆるものを吐き出したきった今は到底無理。

 エイダは迎えにきていたホテルのポーターと合流すると、予約していたホテルへとよろよろと歩き出した。


※※※※※


 泥のように一晩眠り、空っぽの胃にたらふく食べ物を詰め込むと、ようやくエイダは元気を取り戻した。


「よし! 観光しましょ!」

 

 ヘイブン家当主との約束の日までの三日間を、エイダはメモ帳とペンを携え取材を兼ねた観光に費やした。

「ヘイヴン」は君主制の時代から共和制に移り変わる歴史の中で、唯一君主制の時代から街の名称が変わっていない街だった。

 多くの歴史がそうであるように、君主制が末期を迎えた戦神の生きた時代は、歴史の汚点とも言える転換を目前に控えた暗黒期だった。

 先の見えない暗闇の時代だったからこそ、傑出した偉業が一際燦然と輝く足跡を、より鮮やかに見せるのかもしれない。

 目を覆いたくなるような愚かさを消し去るかのように、多くの都市が名称を変えた。そうすることで新たに生まれ変わろうとするように。


「さすが、戦神が生涯を生きた街だわ……」


 あちこちで戦神にまつわる石碑や、縁の地を見かける。賑やかに行き交う人々。馬車と自動車の雑踏にエイダは足取りも軽く、気の赴くまま巡り歩く。記念石碑の文言を書き写し、街並みをスケッチしながらエイダは瞳を輝かせた。

 英雄が生まれ没したとされるヘイヴンには、戦神の縁の遺物が多く残され、路上の人形劇も戦神・セスの物語を紡いでいる。

 エイダは休息がてらに足を止め、飲み物を片手に吟遊詩人が歌い上げる戦神の物語に耳を傾けた。


『その身の丈は六フィート(百九十センチ)、鋼の如き頑強な体躯に大剣を握った偉丈夫は、一太刀のうちにの兵を打ち滅ぼした。かの二太刀の終わりには、大地は血の雨で濡れそぼる。祖国のために戦場を、嵐の如く駆け抜けて、ついにはの軍をたった一人で討ち果たす。祖国と故郷を守護してみせた、戦場の英雄は今もその名を轟かす。戦神その名をセスという。セスという』


 なかなかの美声で聞かせた吟遊詩人に、エイダは苦笑を浮かべながらチップを投げ入れ、来た道とは別のルートでホテルへと戻り始める。


「あれはちょっと盛りすぎよね……」


 戦神の武功は常人離れしていた。信頼できる文献の記録でも、驚異的な戦功を誇っている。でも流石に一太刀で二千人はない。戦場における圧倒的な強さが、人々の心を捉えているにしても大袈裟すぎて笑ってしまう。


「リアリティだって大事なのに」

 

 くすくすと笑いながら歩いていたエイダは、ヘイヴンの中心街で足を止めた。

 一際歴史を感じさせる石造りの建物は、元は君主制時代の領主の屋敷だったという。今のオーナーはヘイヴン一族で、北部一の地方銀行として機能している。

 街の名と同じラストネームを持つヘイヴン一族。彼らは戦神・セスの副官だった、ジャスパー・メリドの直系子孫にあたる。彼らの存在がこの街ヘイヴンに特異な編纂をたどらせた。

 戦神・セスが積み上げた武功に、当時の王は神殿を保証人として莫大な褒賞で報いた。子供がいなかったセスは、最後を看取ったとされるジャスパー・メリドに全てを委ね、ヘイヴンで没したと言われている。

 ジャスパーは相続時にラストネームを、メリドからヘイヴンに改めた。遺された財でこの地の発展に代々尽力してきたという。

 戦神の没後すぐに王朝自体は絶えたが、次代の王も神殿の保証を受けた遺産に手は出せず、ジャスパーとその子孫達の辣腕が今のヘイヴンの礎を築いた。

 王国がいくつかの国に分断され、連邦となり共和制へ緩やかに移行する段階になっても、首都から遠く離れたヘイヴンはヘイヴン一族が実権を握り繁栄を続け、完全に共和国となった今でもこの街の実質的な支配者はヘイヴン一族が担っている。


「いよいよ、明日……!」

 

 重厚な歴史の重さを感じさせるヘイヴン中央銀行を、挑むように見据えエイダは小さく呟いた。

 いくつもの歴史の欠片を握るはずのヘイヴン家は、戦神の没後三百年経った今も固く口を閉ざしている。囁かれる名誉にも不名誉にも、ただ沈黙を返すばかりだ。

 明日、エイダはヘイヴン家当主と相見える。初めて明かされるかもしれない、歴史の真実。できることならば、戦神の墓所を見つけ出したい。旧王国領土中をただの戦神ファンから、歴史学者まで隈なく探し回っても、未だ見つからない英雄の墓所。

 あるとするならば、英雄が没したヘイヴンのはずだ。中でも一度たりとも立ち入りが許されたことのない、ヘイヴン一族当主本宅が隣接する「ソムヌスの森」が最も可能性が高い。もう未探索地はそこしか残されていないから。


「絶対にたどり着いてみせる」


 誰もが知る英雄の、誰もが見つけられなかった墓所の発見。その栄誉を掴めたなら、誰の口でも塞げるはず。女だからと侮られることも、常にまとわりついてくる出自に対する色眼鏡も、みんなまとめて跳ね除けられる。一人の新聞記者エイダ・クラソンの功績として認めざる得なくなる。

 目前に迫った今後の人生を左右する大勝負に、ブルリと身を震わせたエイダは止めていた足を力強く踏み出した。颯爽と前を見据えるエイダの瞳は闘志に燃えて、街を朱に染める夕日にキラキラと輝いていた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る