0-2.桃と妖怪と鬼と

 生まれて初めて見た。 ’’殺し’’を。

 生半可なものではない。 私と同じ人間であることが信じられない。

 殺人鬼──その言葉すら生温く思えた。

 分かった気がする。どうしてこの国が、それを徹底するのかが。

 ——隔離。




     *




「……さん。……いどうさん。……冥道くらいどうさん」

「ハッ! ここはどこ私は誰!」

 起き上がって、視界にはじめに飛び込んできたのは、桃色長髪の女性だった。前髪はかきあげ、全体的にフワッとした髪質。

 ニヤニヤとした目元に、口角は少し上がっていている。 

 しばらく見つめ合った後、女性が口を開いた。

「大丈夫そうですね。フフ、それではサヨナラ」

「……え」

 目をまばたに、桃髪の女性は消えていた。

 天井の蛍光灯は点滅し、緑色の薄汚れた壁を照らしていた。

 私の寝ている白いベッドは、黄ばみ汚れ、カビのような強烈な臭いを発している。

「……ここ、どこ?」




 しばらくボーっとした後、ふと、辺りを見回す。

「私の……?」

 そこは薄汚れた薄暗い部屋ではなかった。

 紛れもない、私の部屋。

 自分の敷布団の上で、寝ていた。

「ぜんぶ、夢か……」

 空を高速で飛んだのも、天使と会ったのも、さっきの女性も、薄暗い部屋も。


 枕元のデジタル目覚まし時計が指す時刻は──

「午前8時15分‼️」

 あと5分でホームルーム。

「終わったわ寝よ‼️」

 不可解なほど高速に巡らせた思考で、私は再びベッドに身体からだを沈めた。




 目をまたたいた次の瞬間には、私はまた、薄暗い部屋にいた。

「……また、夢……?」

 夢の続きだろうか。それにしても頭が痛い。


 起き上がり、改めて薄暗い部屋を見回してみると、私が寝ているベッド以外にもたくさんの同じベッドが並んでいた。まるで病室、もしくは──。

 とにかく、ここにいると妙に気持ちが悪い。カビのような悪臭のせいだろうか。

「……早く、覚めたい……」

 これが夢ならば。

「……早く。……あれ?」

 ふと、私は初めて部屋の奥にあるドアの存在に気がついた。

 ドアノブのついた鉄のドア。

 見ているだけその重さは伺え、 ”簡単に出入りするのを防ぐため”にも思えた。

「……あ!」

 その時、その重々しいドアが、ゴゴゴと音を立てて開き始めた。

 私はすぐにベッドから降り、どこかに隠れようとあたふたとした。

 心が恐怖で埋め尽くされていた。

 怖い怖い怖い怖い。

 夢なら早く覚めてほしい、そんな思いでいっぱいだった。


 ドアを開けた者は、隠れ場のない部屋の中で私の姿をすぐに捉える。

 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ‼️

 私の本能と、全細胞がそう叫んでいた。

「……いや、やだ──‼️ あ、あぁ、ああああ────‼️」

 もはや正気を失い、発狂しかける私を、それは何も言わずに見つめていた。

 その落ち着きに対して、私は言葉にならぬ声を荒げ続け、できるだけ遠ざかろうと、部屋の隅に逃げる。

 いつぶりだろう、こんなに気持ちが暴走するのは。

「──なにしてんだ?」

 口を開いたのは、少女だった。

 だが、恐ろしくて仕方がない私は、壁の隅に向かって叫び続けている。

「大丈夫か? 私、ただの妖怪なんだが」

 まだ、叫び続けている。

「怖い? ごめんな、見つけたのがこんな妖怪で」

 ずっと、ずっと叫び続ける。

「悪かった、一旦出ていくから、落ち着いたら出てきてくれ」

 まだまだ、叫び続ける。

「あぁ、早く逃げないと死ぬぞ。……それじゃぁな」

 ドアはゴゴゴと音を立て、最後にはガシャンと閉まる音を周囲に響かせた




 気がついたら、また、自分の部屋にいた。

 ようやく夢が覚めたか。

 全く、とんでもない悪夢だった。


「……8時20分、か」

 先ほどから5分しか経っていないようだ。

 まぁ、もう、どうでもいい。

 また眠ってしまおうと、私は再び身体からだを布団に委ねようとしたが――。

「…‥寝たら、どうなるんだろう」

 また、あの夢を見るのだろうか。

 思い出すだけで心臓が握り潰されるような、怖い怖い夢。


 それが夢だったら、幸せだった。

 突如、静かなアパートの一室に、インターホンの音が鳴り響いた。

「……‼️」

 あの感情が、再来する。

「……いや──‼️」

 ──直後、玄関のドアは蹴破られ、鬼のような怒号が室内に響き渡った。


「──天使はドコダァ!!!」

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