第6話 スパイの養成

 そんな連鎖反応が、ロボット工学三原則にも影響していることになる。

 これは、連鎖反応とは少し違っているが、無限に続くものという発想の中で、

「合わせ鏡」

 というものがある。これを考えた時、頭に浮かんでくる発想としては。マトリョーシカ人形の発想があった。

「合わせ鏡というのは、自分の前後に鏡を置いた場合。正面の鏡には自分姿が映っているのだが、その自分の後ろには、後ろの鏡が映っている。そこには、後ろの鏡に映った後ろ向きの自分がいて、さらに、その反対側には正面の鏡が映っている。その正面の鏡には、また正面を見ている、最初よりもかなり小さな自分がいるのだが、つまりは、どんどん小さくなっている自分の存在を感じるのであり、限りなく小さくなっていくと、消えてなくなるのだろうか?」

 という考えに則ったものである。

 矛盾だらけの話なのだが、こういう話ほど、正面から素直に感じた方が、理解できるのかも知れないと思う人は少ないのだろうか?

 合わせ鏡のように、どんどん被写体が小さくなっていくと、

「最後は、亡くなってしまうのだろうか?」

 という発想になるのだが、この発想を解決してくれるのが、数学であった。

 そもそも、数学の考え方が、合わせ鏡の経穴方法を先に考えていて、数学がその裏付けになったとも考えられなくもないが、結論からいうと、

「なくなってしまうということはない」

 ということである。

 例えば、どんどん大きさが半分になっていくとしようか? その場合、

「2で割る」

 ということになる。

「2で割って、ゼロになるものって、何があるんだろうか?」

 と考える。

 普通の整数で割れば、ゼロになることは絶対にない。

「限りなく、ゼロに近い」

 という数字にはなるだろう。

 しかし。ゼロになることはないのだ。

「では、ゼロから2を割ればどうなるのだろうか?」

 これが一番難しい。

 なぜかというと、

「割って出た答えに、割られる数を掛けると、割った時の数になる」

 という理屈で考えれば、答えがゼロになるという理屈も生まれるだろう。

 しかし、数学というのは、そういう簡単に行くものではない。

「なぜなら、割る数と、答えが同じである場合、割られる数は1でなければいけない」

 ということになるからだ。

 この考え方は、答え合わせのために使う計算の理屈であり、そこに矛盾があるのだ。

 しかも、何もないものから、あるもので割るという考え方がそもそも、矛盾でしかないのだ。

 そう考えると、

「限りなく、ゼロに近くなるが、ゼロになることは絶対にない」

 といえるのではないだろうか?

 数学で証明できるものがすべてだとは言えないかも知れないが、証明できるに越したことはない。

 ただ、数学でも証明できないものもあり、その発想が、メビウスの輪であったり、異次元世界という別の世界を考えさせるようになった。

 今では、

「マルチバース理論」

 であったり、

「パラレルワールド」

 などの発想があるので、どこまでが、証明できているのかということを、ハッキリさせられるのか、難しいところである。

 そういう数学の理論が、連鎖反応というものに、結びついてくるとも考えられるのではないだろうか?

 そんな合わせ鏡のことを考えていると、

「連鎖反応が永遠に続くものなのだろうか?」

 という発想にかぶっているように思えた。

 そもそも、連鎖反応のことを考えているから、合わせ鏡の発想が出てきたのかも知れないが、ちょうど、思いついたというのであればm都合がよすぎるのではないだろうか?

 この発想はまるで、禅問答のようで、

「タマゴが先かニワトリが先か?」

 というようなもので、完全な堂々巡りである。

 これも合わせ鏡の発想と一緒で、どこまでいっても結論は出ない。

「もういい加減、考えるのを辞めよう」

 と思ったとしても、それは結論が出ているわけではない。

 だから、それ以上のことを考えてしまおうとすると、そこに、変な連鎖が生まれてしまう。

 たまに負の連鎖も生まれるが、それは、

「負のスパイラル」

 という言葉で一緒くたにしてしまいそうになるが、果たしてどうなのだろうか?

 負の連鎖と負のスパイラルとでは、同じ意味だと考えてもいいのだろうか?

 きりもみをしながら、奈落の底に落ちていくのが、負のスパイラルであるわけなので、負の連鎖も、きりもみを必要とするものなのか、考えさせられるのだ。

 きりもみをするということは、ある意味、

「浮上のきっかけにもなることであり、スパイラルと、一般的なきりもみとが違っているのではないか?」

 と考えるのは、おかしなことであろうか?

 今の時代のこの街において、スパイが暗躍するには、実は都合がいいのかも知れない。

 会社というのは、ある意味、風通しがよくなったと言えばいいのか、コンプライアンスの問題で、自由な発想が多くなった。

 今までの上司の考え方のままでいる人間には厳しいかも知れないが、上司によっての理不尽な考え方が改善されてくるのはいいことだろう。

「上司が残っている」

 という理由でさせられるサービス残業。

 付き合いたくもないのに、上司が主催した飲み会への付き合い。

 さらには、

「俺の酒が飲めないのか?」

 ということは、十分すぎるくらいのパワハラである。

 しかし、逆の側からみると、

「これほど厄介なことはない。今まで、ちょっとした場を盛り上げるためのジョークとして言っていた言葉が、コンプライアンス違反だ」

 と言われる。

 部下が、別に何とも思っていなくてもそれは変わらない。

 要するに、相手がどう思うかは関係ない。口に出したり、行動に移した時点で、アウトなのだ。

 だから、今は、部下には自由であるが、上司にとっては実に厳しい。それでも、部内を一つにまとめていかないと仕事にならないのだから、かなりの難しさだといえるだろう。

 そういう意味で、今は部下と上司は、

「部内で一体だ」

 とは言い難い。

 下手をすれば、上司は部下を、部下は上司をバカにしているといってもいいだろう。

 そんな世の中で、最近のスパイは、若い連中が多い。

「若い方が動きやすいし、フットワークが軽い」

 と言われるのはそういうことからであろう。

 しかも、

「いかにも仕事ができない。お荷物なやつだ」

 と思われる人間の方が怪しかったりする。

 会社の人間に対して、自ら、カモフラージュをする必要もないくらいである。

 会社側としても、

「スパイが入り込んでいる」

 と気づいても、まさか、仕事もできない若い連中が……、なんて思うこともないだろう。

 それを思えば、スパイがたくさん入り込んでいるのは、逆にそれぞれでカモフラージュになって、まるで保護色に包まれているようではないか?

 そんなスパイ連中は、

「自分たちの他にもスパイがいる」

 ということは、普段から、張り詰めた意識でまわりを見ているから、すぐに分かるというものだ。

 もちろん、それぞれに隠密が一番で、他にスパイがいたからといって、別に意識をする必要もない。

 それは、ここに入った時から言われていた。

「他の同業者がいたとしても、完全に無視をするんだ。変に関わってて、もしやつらがヘマをしてお前たちにそのとばっちりがかかってしまっては、元も子もない。それくらいなら、完全に無視をして、自分の仕事にだけ邁進すればいい」

 と言われた。

「じゃあ、もし、他のスパイを見つければ?」

 と聞かれれば。

「こっちに報告する必要もない」

 ということであった。

 実は、命令者には、何でも分かっていることであった。他のどこからどのようなスパイが来ているという情報も分かっていた。なぜならスパイ養成のための教育組織は横で繋がっていて、元締めのような男がちゃんといる。その元締めが、組織をまとめているので、どの企業にそれだけのスパイが入り込んでいるのかは分かっている。

 あまり多すぎて身動きが取れなくなると厄介だが、今のところ、そんなことはない。むしろちょうどいいくらいだった。

 ソフト会社の方では、すぐにはスパイが入り込んでいるなど、想像もしていなかったようだ。

「この建物も、装備も完璧だ」

 と思っていて、その思い上がりが盲点だったようだ。

 当然サイバー攻撃や、ハッカーの対策は万全であったし、会社内のセキュリティもある程度しっかりしていた。

 しかし、まさか、人による諜報活動のような、昔のやり方で来るとは思っていなかったわけではないだろうが、逆に可能性が限りなく低すぎて、安心していたに違いない。それくらであれば、ゼロの方が、どこかに違和感があれば、気づくという意味では、まだよかったかも知れない。

 そういう意味で、

「合わせ鏡」

 の例ではないが、どんどん小さくなっていき、ゼロになることのないまま、消滅もできずに縮んでいくものに、存在価値はないということの証明のようではないか?

「限りなく、ゼロに近いもの」

 というのは、余計な存在であり、まるで石ころと同じではないだろうか?

 存在は気配のようなもので感じるのだが、あまりにも小さすぎて、その姿を見ることはできない。かといって相手に、違和感を与える、違和感があるために、どうしても警戒心が強くなって、先に進むことができなくなってしまう。

 だが、スパイにとって、その違和感はありがたかった。

「そこに罠がある」

 ということが分からずに、突っ込んでしまって、赤外線レーザーに当たって、黒焦げになって死んでしまえば、スパイもその存在を完全否定されることから、ただの犬死でしかない。

 スパイというのは、そんな存在なのだ。

「成功してなんぼ。失敗は許されない。成功以外の選択肢がない、特攻隊のような存在なのだ」

 ということであった。

 スパイというものが、どういうものであるか、彼らは、その潜在能力が、隠れていることで、一般企業への就職は敵わなかった。

 しかし、スパイ養成というのは、平和な時代から結構あった。そして、その時代から、

「今のような混沌とした時代がやってくる」

 という予言者のような人がいて、その言葉通りに、今のような混沌とした世の中がやってきた。

「いよいよお前たちのここで特訓した力を発揮できる時だ」

 と、言って、今までは日陰で暮らしてきた彼らに一気に日のあたる場所を提供したのだ。

 彼らは、相手をしてもらえなかった世の中への恨みを、培われ、そして復讐の鬼と化して、スパイ活動を続けている。彼らとすれば、

「俺たちは、スパイをするために、生まれてきたのだ」

 という洗脳を受けて、今輝いているのである。

 今暗躍しているスパイの養成所というのは、実は、この街にあったわけではなかった、ここにきている連中は、別の街で、訓練を受けたわけだが、そのうちの一つが、鈴村の住んでいた街に存在していた。

 鈴村の住んでいる街は、都会であったが、いまだに大きな問題を抱えているところであった。

 それは、

「貧富の差が激しい」

 ということだったのだ。

 そのため、さすがに部落というところまではなかったが、住民の感覚の中に、まだ、部落であったり、村八分のような意識は根付いていた、特にこの街は、比較的平均年齢が他に比べると結構高い、それでも目立たないのは、年配連中は、密かに集まって、行動をするにも、おとなしくしていたからだった。

 彼らの中には、ホームレスになっていたり、ホームレスを監視するという、定年退職後の仕事だったりが結構人数的にもいるのだった。

 それでも目立たないのは、

「彼らが目立たないようにしか、行動していない」

 からだったのだ。

「まるで忍者のような集団」

 ということで、彼らのことを影では、

「忍軍」

 と呼んでいた。

 本当であれば、何とか忍軍というような呼び方をするのだろうが、

「目立たない」

 ということが、至上命令なので、呼び名も、ただの、

「忍軍」

 ということになったのだった。

 この街には、警察のごく一部にしか知られていない組織があるようだ。その組織のことは、警察内部でも、最高機密事項とされており、

「マルボウ」

 と呼ばれる、暴力団取り締まり関係の係官も知らないという。

 警察でも、知っているのは、国家公兄員会に繋がりのある人で、署長すら知らないというほどの機密であった。

 もっといえば、警察組織の中に、警察からの組織とは独立した、国家公安委員会から直接に命令を受ける部署があったのだ。

 警察内部に存在しているのは、カモフラージュのためだった。

 彼らの行動は、あくまでも極秘裏に行われた。だから、警察機構から見ても、

「怪しい集団」

 にしか見えなかったに違いない。

 だが、そんな状態において、密かに裏で暗躍している存在があることは、警察でも掴んでいたようだ。

 だが、それが敵か味方なのか分からない。一切の情報が流れてこないからだ。

 この警察署のモットーとして、

「自分の部署以外のところを気にしてはいけない。特に、正体の分からないものには近づいてはいけない」

 という不思議な鉄則があった。

 過去にそれを破って、密かに調べようとした刑事がいたが、彼は危うく命を落としかけ、何とか助かったのだが、その状況を上司に説明したのだという。

 彼は、自分の正義感に酔っていたので、上司が、さらにここから捜査の指揮を執ってくれるものだと思っていたが、何とm彼の方が、他の署に飛ばされたのであった。

「何で、この私が?」

 と上司に聞くと、

「お前はこの署の鉄則を知らないわけではあるまい? 殺されなかっただけでもありがたいと思わないといけない」

 と言われ、中途半端な気持ちで転勤していった。

 そう、正義感などというものは、ここではいらないのだ。

「命あってのものだね」

 というではないか。

 無謀なことをすれば、命を落とす。それがこの街の掟であった。

 ただ、その掟も、彼らを守るという意味で徹底されていることなのだ。そんなことを知らない刑事たちの中から、転勤させられた正義感に燃えるやつも出てくるだろう。そのうち命を落とす警官が出なければいいがと、上層部は思っているのだった。

 暗躍していることを、それとなく分かっている人は少なくはないだろうが、一般市民にそれを確かめるすべはない。

「警察は動かないのだから、安心していていいんじゃないか?」

 という、比較的、楽天的な人もいるが、

「こんな得体の知れない街から、早くどこかに移りたい」

 と思っている人もいるが、そうは、住宅事情や、仕事の関係で、うまくいくはずもなかった。

 それでも、暗躍している連中が、自分たちに直接、問題を起こすようなことはないと思っているから、逆に、

「下手に動かない方がいい」

 と思っていることだろう。

 昔だったら、

「何とか組の流れをくむ事務所が」

 などと言って、危ない街では、繁華街の裏路地あたりに、鉄砲の弾丸の痕が残っているなどというところも珍しくないという話も聞いたこともあるが、そんな物騒な話を最近はあまり聞かなくなった。

「会社でコンプライアンスが厳しいように、やくざも行動するには、難しい時代になったのではないか?」

 とも言われているが、果たしてどうなのだろう?

 とにかく、最近怖いのは、テロ関係と、詐欺関係である。

 テロというのは、例の、宗教団体による、帝都の大量虐殺や、それから5年後くらいに起こった、アメリカでの、

「同時多発テロ」

 などから、

「テロの脅威」

 は叫ばれ出した。

 詐欺というのは、それこそ、おじいちゃん、おばあちゃんに、子供や孫を名乗って、振り込みさせるという、

「オレオレ詐欺」

 などが横行している。

 さらに、ネットなどで、架空請求が起こりそうなサイトを見た人を狙って、電話を掛けて、お金を振り込ませたりという、実に悪質な手口が増えてきた。

 そういえば、

「オレオレ詐欺ではないが、老人をターゲットにした詐欺は、昔もあったな」

 と、前述の複数の食品会社を狙った凶悪犯の未解決事件と、ほぼ同じくらいの時期に、その事件があったのを聞いたことがある。

 この食品会社を狙った犯罪の話をしていた時に、年配の人が思い出したように話してくれたのだった。

「その事件というのは、商事会社を名乗る団体で、女の人を、一人暮らしをしているおじいさんのところに送り込んで、優しくしてあげて、相手を油断させて、その人の遺言を、その女性が財産を受け取るように書かせるように仕向けるというやり方で、老人の残り少ない人生の夢と希望を打ち砕くという意味での凶悪事件として、問題になったおだ」

 最終結末は憶えていないが、衝撃的だったのは、その社長にマスゴミが取材と称して、大挙として押し寄せて、もみくちゃになっているところに、ある男が乱入して、殺傷したということが起こったからだった。

 当然、生放送で速報のような扱いで放送されているところだったので、殺人の場面が放送されてしまったということで、大いにショッキングなことだった。

 もし、それがなかったら、

「ただの卑劣な詐欺事件」

 というだけで、数十年も経ってから、こんなに話題になることもなかったであろう。

 ただ、商事会社のやっていることは、これほど卑劣なことはなかった。

 詐欺犯罪史上、殺傷事件に発展しなくても、詐欺だけで、かなり印象深い事件だったことに間違いはないだろう。

 そんな詐欺事件と、今の詐欺とは種類が違う。

 昔の事件の時は、どうやら、若い女性の色仕掛けというのもあったようだが、今の詐欺は、お金緒受け取りにアルバイト感覚でする連中を使ってみたりと、受け取りにいくのも、大学生だったりして、チンピラというわけでもない。詐欺だと分かっていても、金欲しさでやるのだから。何ともモラルなどあったものではない。

 とにかく、あの事件は、まず、

「疑うことを知らない、そして普段から、寂しいという孤独を感じていて、一番金を持っている一番弱いと思われていた人たちの、人情を狙った」

 という点で、実に悪質だった。

「あんなことをさせられていた、営業というのか、あの人たちに罪の意識はなかったのかしらね?」

 と一人がいうと、

「いやいや、会社の方針には逆らえなかったんじゃない? だから、社長に列挙として取材に行ったわけだし、その場での修羅場になったんじゃないのかしら?」

 と一人がいうと、

「でも、社長が雲隠れをしていて、居場所を誰かが見つけたから、一挙に押し寄せたのであって、雲隠れしていたということ自体が、怪しいわけだから、暴漢も襲うことになったんじゃないのかな?」

 と、さらにもう一人がいった。

 そのすべての話が正しいとは言えないかも知れないが、この三人の話を聞いていると、確かに見えてくるものもあった。

 営業がどのように考えていたかは、その人でないと分からないが、少なくとも、会社ぐるみの詐欺であり、社長が裏で糸を引いていたことに間違いない、そして、その社長は、

「殺されても、仕方のない人間だった」

 ということなのであろう。

 気の毒なのは。被害者たちである。

 なまじ貯えがあったことで、騙されて、信じていた相手に裏切られる形で、死んでいかなければならないわけだからである、

 加害者側からすれば、

「どうせ死んでいくんだから、財産を持っていたって、しょうがないじゃないか?」

 といいたいのかも知れないが、人情を踏みにじる行為は、人として許されることではなく、その話を聞いた人皆が、顔を歪めて、不快に感じることであろう。

 それを思うと、やったことが、どれほど社会に影響を与えるかということが見えてくるのだ。

 そういう意味で、完全に自分たちのことだけしか考えていないことの典型的な犯罪であった。

 犯罪というのは、元々、そういうものであるが、そんな中にも、

「相手を殺さないと、自分も殺されていた」

 などという、仕方もない犯罪などもあった。

 そういう場合は、かなり情状が酌量されるというもので、この場合、殺されることなく裁判が行われたとすれば、まず間違いなく、情状酌量の余地はないという判断に違いないだろう。

 そんな事件が起こったのを思い出していると、一つ、不思議に感じるのであった。

「SNSどころか、パソコンも携帯電話もない、今から思えば、原始時代のような、昭和末期に、よく、あれだけ、ターゲットを絞ることができたものだ」

 というものであった。

 一度に、何人にも、色仕掛けで女をあてがうようにして、荒稼ぎをしていたのだから、いくら、

「孤独な老人が多かった」

 とはいえ、詐欺が成功するような相手を、そんなに簡単にリサーチなどできないだろうと思われる。

 そこで考えたのが、

「探偵というよりも、スパイに近いくらいに情報通であり、しかも、諜報に長けた人が、結構いたのではないか?」

 という考えであり、そして、もう一つは、

「ここの営業のように、血も涙もない、感情を持っていないような人間を要請する」

 というようなところが存在していたとしても、無理もないということであった。

 つまりは、今であれば、産業スパイの養成所のようなものの存在が、リアルに考えられるが、

「当時もあったのではないか?」

 ということである。

 表に出てくることは少なかったが、水面下では、ずっと活動をしていて、

「彼らの活動なくして、今のこの世の発展はない」

 という意味で、彼らの存在は、ある意味、

「必要悪」

 として、陰で暗躍していたのではないか?

 と考えられるのではないだろうか?

 そんな陰で暗躍している団体が、今、表に出てこようとしている。普段は必要悪なのかも知れないが、それは、陰で暗躍している時、表に出てこようとしている時というのは、よほど、彼らが悪として君臨する世の中の前兆なのではないだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る