第3話 連鎖の範囲

 そんな不思議な時間が過ぎると、そのおじさんのことが、今度は忘れられなくなった。意識をすることはなくなったのだが、心の奥のどこかに潜んでいるのだ。その男の正体など分かるわけはないのだが、間違いなくその男が存在したのだという意識はあるし、屋上に行かなくなったというのも、無理もないことであった。

 そのうちに、世の中の問題が、いよいよ、この会社にも、波となって押し寄せてきたのだろうか? 問題がちょくちょく起こり出した。

 今までのような営業ではものが売れなくなり、下手をすると、

「帳合替え」

 などということを言ってくる得意先もあった。

「そんな、今までのお付き合いじゃないですか?」

 といっても、

「こっちだってね。慈善事業じゃないんだ。そのことを、末端の客から思い知らされているのは、我々小売りなんだからね。本当に、並べているだけの我々としても、困っているんだ」

 ということであった。

 しかし、まだ、商品がある間はマシだった。

 店頭に並んでいる食品など、値段はどんどん上がっていくが、そのせいで売れずに売れ残ってしまっている。

「どれだけの在庫を廃棄処分にしたか。生鮮食品や日配などは、ほとんど売れずに全滅ですよ。本当だったら、補填してほしいくらいだよ」

 というではないか。

 もちろん、店のバイヤーのいうことはよく分かる。一般消費者が相手であれば、問屋が小売りに営業を掛けるようなわけにはいかない。特に、メーカーか代陳保障のようなものもなく、しつこくすれば、客は寄ってこない。

 いくらうまく説得しようとしても、実際に、物が高いのだから、説得材料がまったくない。

「夕方の八時近くになっても、陳列台にいっぱい並んでいる生鮮食品など、普通ならありえない。タイムサービスで売り切れるくらいが一番いいのに」

 というのであるが、実際には。何も売れない。

 この半年で、ほとんどの商品が、三割以上の値上げ。

「昨今の政治事情により、心苦しくも値上げさせていただきます」

 と書いたとしても、客からすれば、

「心苦しいのはこっちだよ。足元を見て」

 ということになる。

 買い物に来る、主婦連中は、中途半端に政治のことは、一般常識としてくらいは知っているだろう。ネット情報だったりするからだ。

 だが、ネット情報だからと言って、必ずしも合っているわけではない。中には、ウソではないのかも知れないが、かなり偏った情報もある。

 そもそも、地上波の民放の放送局などは、それぞれに主張があり、それに沿った報道を行うので、放送局ごとに、細かい情報が違う。特に、考え方やイデオロギーなどは、完全にその会社の考え方だったりするのだ。

 つまり、右寄り、左寄りなどと言った、

「右翼左翼」

 の考え方だったり、与党、野党の党派だったり、同じ党内での派閥だったりと、同じ報道をしているのに、コメンテイターの話も違っている。

 特に、コメンテイターというのは、曲の方針に合う人をあらかじめリサーチして、アポを取っているのか、それとも、コメンテイターの方で合わせているのか、どっちなんだろう?

「そりゃあ、どっちもさ。コメンテイターによっては、一つの局からしかお呼びがかからない人もいれば、いろいろな放送局に顔を出す人もいる。前者は、放送局によって都合のいい人であって、後者は、そうではなく、局の方針に合わせられるから、いろいろな放送局からお呼びがかかるのさ。いや、正論に対しての反論という形で呼んでいる場合もあるな。正論のコメンテイターの意見を生かすための、当て馬のような形で使うというやり方だよな」

 という話を聞いたことがあった。

 その人は、また面白い話をしていて、結構テレビに関してはいろいろ自称だが、博識だといっていた。

「最近のテレビって、昼は結構ワイドショーが多いじゃないか? 昔だったら、奥様劇場のような、昼メロだったりが、正午から、2時くらいまでやっていたはずなんだ。しかもだよ、そこに出てくるコメンテイターや、MCまでが、昔のお笑いタレントだったりするんだよな。一体どういう時代になったっていうんだろうな?」

 というではないか。

 確かにそうだ。昼間の時間、どのチャンネルを見ても、ほとんどがワイドショーで、しかも、内容は真面目な話をしているではないか。

 それなのに、MCにしても、コメンテイターにしても、毎回同じ、お笑いタレントだったり、中には、

「真昼間から、地上波で出していいのか?」

 と思えるような人が出てきて、気分が悪くて、チャンネルを変えたりしていた。

 そもそも、そんな連中に何を語らせるというのか?

 笑わせることが生業の連中ではないか。そんな連中は、誰にでもできるような、一般論を語って、何が面白いというのか、一体いつから、お笑いタレントを、コメンテイターやMCに使うようになったというのか、何が怖いといって、そんな連中が出ている昼のワイドショーを、疑問も感じずに普通に見ていた自分がいたということだ。

 人に言われて初めて気づくなど、それが情けない。

 言われてみれば……、などというのは、よほど奇抜なことであれば、騙されていたとしても、許すことができる。

 しかし、この場合は、ちょっと考えれば、何かおかしいということはすぐに分かって当たり前のことなのに、そのことに気づかなかったということは、

「俺も結局、人に流されて生きているということか?」

 といって、

「その他大勢」

 と同じであることに、屈辱を感じているのだった。

 それを考えると、逆に、自分の本当の性格が、

「人と同じでは嫌だ」

 ということだったのに、気づかせてくれたのが、そんなコメンテイターの連中だったというのは、実に皮肉なことだった。

 本当は見たくもないくせに、見てしまうというのは、そういうところに理由があるのかも知れない。

 これを一種の

「天邪鬼だ」

 といってもいいのかも知れない。

 天邪鬼というのは、鬼と書かれているが、本当に鬼なのだろうか? まわりと違うことをするのが、天邪鬼だと思っているが、諸説あるようで、一般的に言われているものと同じではないという話もある。

 ただ、鈴村は、天邪鬼と言われるのが好きだった。どうせなら、

「もっと、天邪鬼と言われたい」

 と思っている。

 それだけ、天邪鬼というのが、自分にあっているということであり、それだけ、他人と感性も考え方も違うということである。

「人と同じことをしていては、まわりから抜け出すことはできない」

 つまり、人と同じでは嫌だというのは、人より優れているということではなく、自分があくまでも、人の群れに紛れるのが嫌だということだ。それは、目立たないということに酷似はしているが、

「似て非なるものだ」

 といえるのではないだろうか。

「最近のワイドショーは、売れなくなった芸人の掃きだめかよ」

 などという辛辣な悪口を言っている人もいるが、普通に見ていて、

「その通りだよな」

 という人が多いだろう。

 中には、芸人としての血が騒いでか、少しでも、反対意見を言おうものなら、ネットで叩かれ、下手をすると、謝罪問題に発展しかねない。そうならないように、芸人が、コメンテイターとして出演している時は、実におとなしいことしか言わないのだ。

 それはそれでまたしても、面白くない。

「芸人なんだから、それらしい、コメントを言えよ」

 と思っても、ネットで叩かれると、放送局から読んでもらえないということに発展すれば、どうしようもない。

 放送局側とすれば、その芸人に考え方が、自分のところに似ているからといって雇っている人もいるかも知れない。そういう人は、ある程度局が守ってくれることもあるだろう。

 しかし、実際にネットで炎上して、謝罪問題になれば、手のひらを返したように、

「今回は我が方の、コメンテイターが失言をいたしまして、誠に申し訳ありません」

 ということで謝罪をしたうえで、すべての責任を、コメンテイターに押し付けて、トカゲのしっぽ切りで、終わらせるということも、往々にしてあるだろう。

 マスゴミというところは、そういうところなのだ。

 特に、放送事故などは一番恐れている。そういう意味で、いつも無難なコメントをするタレントが、一番重宝されるのだろう。

 特にパンデミックの時は、マスゴミという言葉が定着し、実際に、皆、

「マスコミではなく、マスゴミだ」

 といっている人も多いだろう。

 パソコンの返還で、実際に、ますごみと打って返還すれば、すぐに、マスゴミと変換できるくらいに定着している言葉であった。

 そう、今の世の中を作ったのは、マスゴミの責任が一番である。

 その時々で一番悪い連中はそれぞれに存在しているのだが、次の戦犯はというと、必ず出てくるのが、マスゴミであった。その次に、政府の順番であるが、それだけマスコミという仕事はシビアであり、その影響力は、政府の比ではないということだ。

 政府は、その時々によって政権は変わるが、マスゴミは、倒産や合併でもしない限り、半永久的に続いている。大きな放送局など、ずっと昭和の昔から変わっていないではないか。

 そう、いわゆるキー局と呼ばれるもので、新聞社や、放送局のキー局は、本当に永遠だといってもいい。

 ということは、その根源が悪であれば、

「悪は不変で不滅である」

 ということになる。

 ここまでくれば、もうコメンテイターどころの騒ぎではない。昔の悪い風習が今も残っているとすれば、マスゴミの責任は大きいということである。

 そもそも、先の戦争、いわゆる大東亜戦争だってそうではないか。

 政府や軍が、戦争を推し進め、シナ事変の前後から、すでに、治安維持法などという、名前はきれいごとに聞こえるが、要するに、

「反政府勢力や、戦争遂行、さらには天皇制に逆らう人間、そして何よりも、共産主義の連中を撲滅するという意味で作られた法律であり、下手をすれば、国民を縛る法律だ」

 といえるものであった。

 すでにこの頃から、生活は困窮を極めていた。東北地方の不作に、昭和大恐慌が重なって、ハイパーインフレを引き起こす。

 物資がない上に、中国との戦争で、経済制裁を負わされ、首を絞められていく。そうなると生き残るために、南方の資源地帯を攻略する。それが、そもそもの大東亜戦争の発端だった。

 南方の資源地帯といって、そこは、フランスであったり、アメリカ、イギリス、オランダの植民地ではないか、日本がほしかった油田はインドネシアにあるが、そこは、オランダ領である。

 要するに欧米は、日本を侵略というが、それは、元々侵略して手に入れた土地に、日本が入ってこないようにするための、詭弁でしかない。

 それを、侵略とは、どういう言い方なのだろう。

「アジアを開放するために戦っていた日本兵のどこが悪いというのか?」

 要するに、歴史を知らないだけである。

 そんな時代において、マスゴミは煽ってくるのである。

 何を煽るのかというと、

「戦争の正当性」

 である。

 今の日本という国がインフレに悩まされ、食料も物資の入ってこないのは、欧米による経済制裁の問題である、

 そもそも、アジアの国は、欧米の侵略によって、植民地化されてきたではないか。日本が資源を求めて、南方に出ていくのは、アジアを欧米から解放するということであり、さらに、国が貧しくなったのも、世界恐慌の中で行われた、

「富める国同士の経済協調」

 といってもいい、いわゆる、

「ブロック経済」

 によって、はじき出された、日本やドイツ、イタリアなどが、同盟を結んだことで、欧米に対抗するという形において、

「戦争も辞さない」

 という風潮が少し民衆に出てくると、それをさらに煽ったのだ。

 歴史を知らない人たちは、

「日本政府が、無謀にも欧米に対しての開戦に踏み込んだ」

 という風に思っているかも知れないが、実際には、政府も軍も、戦争には消極的だったのだ。

 特に政府は、何とか、外交交渉をという形になっていたものを、マスゴミに騙された国民が、戦争を叫び出すので、政府や軍も、そのあたりを考え始めたというのが、真相ではないだろうか。

 その証拠に、戦争前夜まで、外交交渉が行われ、何度も会議を開いて、戦争にならないように努力を重ねてきた。そのあたりが今の政府と違ったところで、かつての日本は、確かに情報統制をやったり、戦争中には、特高警察であったりが、戦争反対の人間を非国民扱いにしたりしていたが、その善悪の発想は、今の人間からは、どこまでできるのかということである。

 当時の教育がそういう教育を受けてきた人間からすれば、

「この戦争は、正義の戦争だ」

 とほとんどの人が思っていたのだから、戦争反対者を非国民と見るのも当然である。

 実際に、今言われているほと、この戦争が悪だったという証拠はどこにもないではないか?

 あくまでも、

「勝者の理論」

 という、極東国際軍事裁判によって、A級戦犯という形となり、七人が処刑されることになったのだが、これこそ、

「勝てば官軍」

 で、一方的な見せしめに近い裁判だったわけである。

 ちなみに、この

「A級戦犯」

 という言葉であるが、これを、

「A級」

 という言葉に騙されて、

「最高級のバツだ」

 と思っている人が多いかも知れないが、それは間違いである。

 そもそもは、ナチス・ドイツの犯罪を裁くという意味で、A級、つまり、

「平和に対する罪」

 そして、B級として、通常の戦争犯罪。

 さらに、C級としては、人道に対する罪というのは、決められたのだ。

 つまりは、級という言葉がついているので、罪の軽重で決まっているように思われるが実際にはそうではないのだ。

 とにかく、ドイツの裁判が、ニュルンベルクにて最初に行われたので、その形式に則って、極東裁判も同じやり方になったというだけのことであった。

 だから、基本的に、A級戦犯という呼称が用いられたのは、ニュルンベルク裁判と、極東国際軍事裁判の2回に限ってだけのことである。

 マスゴミというのは、時代を作るだけの力が存在する。つまり、

「ペンは剣より強し」

 ということであろうか?

 ただ、大東亜戦争において、日本が、勝ち続けているというのは、確かに最初の頃は、連戦連勝という状態で、山本五十六連合艦隊司令長官が予言した通り、

「最初の半年は存分に暴れてみせましょう。しかし、それが一年、二年ともなると、その先はまったく自信が持てません」

 と言ってのけたというが、まさにその通りになってしまったというのは、皮肉なことであり、本来の計画通り、

「ある程度、相手に打撃を与え、戦争継続の意思をくじくだけの状態にしておいて、講和を持ち掛け、一番いい条件で和平を結ぶ」

 ということができたにも関わらず、結果として、うまく行かなかったのは、

「勝ち続けてしまったことで、驕りが出て、やめることができなくなってしまった」

 ということである。

 そこには、マスゴミの、必要以上の煽りがあったというのも事実であり、またしても、マスゴミの責任が大いにあるということではないだろうか。

 それは今のマスゴミにも言えることで、戦争状態にある今の状況の国の、攻めている方を一方的に、

「平和に対する敵だ」

 といって煽り、攻められている方を、

「可哀そうな侵略を受けている」

 といって、擁護する。

 正直、攻められている国の、ダイトウリョウが、テレビ演説をしに日本の国会で演説をするという時に、何と、日本の国会議員がスタンディングオベーションをしたというではないか。戦争をしている国、いくら攻められている国とはいえ、その国の国家元首に対して、まるで英雄扱いだ。

 そんなものを見せられれば、攻められている方の国が正義だと言われているようなものである。

 少なくとも、戦争が起こるにはそれだけの理由があるわけで、一方が攻め込まれたから、そっちが正義だというのは、あまりにも浅はかな考えではないだろうか? それを信じる日本国民も日本国民で、やはり、どこかに、マスゴミによる扇動があったに違いない。

 何と言っても、そのダイトウリョウというのは、アメリカで演説をした時、日本のかつての作戦をネタにして、アメリカに訴えていた。その舌の根も乾かぬうちに、日本の国会出演だ。それを英雄扱いなど、ありえないだろう。

 それこそ、今の国会議員全員が、

「非国民だ」

 と言われても仕方のないことだといえるのではないだろうか?

 それを思うと、どこまでが、そして、何が正しいのか、分からなくなってくる。それだけ、マスゴミの責任は重大なのではないだろうか?

 少なくとも、国民は、

「マスゴミには騙されないようにしないといけない」

 という自覚をもって、もっと冷静にニュースなども見る必要があるのではないだろうか?

 そうしないと、どこに連れていかれるか分からないということになってしまうのではないか。

 そういう意味で、歴史を勉強するというのは必要なことで、それをしないと、実際に判断を求められた時、どう判断していいのか困ることになるだろう。それも、自分で納得できる判断である。

 もしそれが正しいにしても、間違っているにしても、自信をもって判断したのだという意識がないと、いつ、考えがブレてしまうか分からないし、マスゴミにいいように洗脳されて、それこそ、間違った方に誘導されかねないということになる。

 そういう意味で、今の時代は自由に何でも判断できるだけに、一人一人が自信を持った判断ができなければいけないといえるのではないだろうか?

 さて、そんな世の中で、今日本を取り巻く世界情勢が、怪しくなってきている。物資が入ってこない。インフレになってきている。そんな状態で、国内はというと、ジリジリと、悪い方に向かってきている。

 そもそも、伝染病によるパンデミックによって、飲食店などの会社や店は、どんどん廃業に追い込まれ、個人事業主の人たちも、立ち行かなくなってきていたりする。エンターテイナーと呼ばれる人たちもそうだろう。

 そして、会社も立ち行かなくなってきて、倒産の数も増えてきている。実に厄介な時代になってきた。

 そこに輪をかけての、今回の軍事侵攻に始まった戦争が、世界で、インフレを引き起こし、経済も打撃を受けることになる。パンデミックがきっかけを作って、戦争が、ダメ押しというところであろうか?

 そうなってくると、歴史は少しずつ変わっていく。

 日本の経済は次第に落ち込んでいっているが、鈴村の会社も、次第に怪しくなってくる。

 ただ、まだ、そこまでひどい状況になってきているわけではなかったはずなのだが、雲行きが怪しくなってきたというのは、実際の不況が迫ってきていることに直接関係のないことであった。

 というのも、まず最初にその兆しのようなものがあったのは、一つの不倫騒動からであった。

 会社の営業部と、管理部の中間管理職の間で、不倫が行われていたということである。

「会社内での不倫なんて。今に始まったことではないだろう?」

 といえばそうなのだが、確かに最初は、それほど大きな問題でもなかった。

「営業部の男性と、管理部の女性が不倫をしているんだって」

 というウワサが流れたのは、ある日、管理部の主任クラスの人が、うわさになっている二人が、高級ホテルから腕を組んで出てくるのを目撃したのが最初だったのだ。

 完全な偶然であり、すぐに二人はタクシーに乗り込んだことで、実際に腕を組んで歩いていた時間というと、微々たるものだったのだが、その瞬間を目撃できたのは、偶然と言わずに何というかということであった。

 ただ、この二人、実は普段から、会社では、あまり馬が合っていないように見えた。それを考えると、

「会社での態度は、不倫を隠すための、カモフラージュだったのではないか?」

 と考えると、これは、最初からのやらせのようなものであり、やり方としては、あまりいい行動ではないと思われることだろう。

 そんな態度を上司が取っていると思うと、果たして部下はついてくるだろうか?

 確かに、このウワサは、あくまでもウワサの域を出ない。

 見た人も、ちらっと見ただけで、

「本当にそこまで親しい間柄だったのか?」

 と聞かれると、何とも言えないと答えることだろう。

 この場合、逆に普段の会社での態度が裏目に出ていたとも考えられる。

「あの二人、普段はいがみ合っているのに」

 と感じた目撃者としては、余計に、そのイメージの強さから、そこまで親しくなかったものを、

「怪しい」

 と思ったことで、見誤ったとも、言えなくもないだろう。

 人間の思い込みというのは、そういうところがあるもので、その考え方が、どこまで功を奏するかというのは、一歩間違えれば、裏目に出るということだった。

 そのことがあってから、会社では、不倫について、何か不穏な感じを受けるようになり、人によっては、

「会社内で、不倫が横行しているかも知れない」

 という目で、見る人が多くなってきた。

 そのうちに、

「誰と誰が怪しい」

 といって見ていくうちに、出るわ出るわ、いくつも変なウワサがどんどん出てきたのだった。

 そのほとんどは、根も葉もないものであるのは間違いないようだったが、中には芯をついているものもあった。

 これも一種の連鎖反応だといっていいのか、不倫の発覚が多くなってきたのだった。

 見る目が変わってきたというのが、本当のところであるが、発覚という意味でいくと、これも一種の連鎖反応である。

「世の中で、事件や事故というのは、連鎖反応を起こすとよく言われているが、これも同じ連鎖反応だと見てもいいのだろうか?」

 と、鈴村は考えるようになった。

 ただ、不倫というのは、

「倫理上の問題」

 であって、犯罪ではない。

 お互い、利害関係にある人が話し合って、最善の状態に落着すれば、それで一件落着だといっていいのだろうが、人のうわさによるものは、遺恨を残したりする。

 しかし、逆に言えば、

「人のウワサも、七十五日」

 というではないか。

 ものによっては、簡単に世間は忘れてくれるというもので、そういう意味では、

「現金なものだ」

 といえるのではないだろうか?

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