童貞が聞きたくなかったセリフを聞いた話
まらはる
大学生、サークル活動、変哲のない日常
「彼氏と一泊二日の温泉旅行行ってきたんだ~」
「へぇ~いいねゥッ」
ちょいと強めの好意を向けてた女性からの夏休みの報告に対して、ほぼ平静を保てた俺を褒めたい。語尾は乱れた。
我が演劇サークルは大学祭での公演へ向けて準備中であった。
そこそこの規模と活動を誇るサークルのため気合いが入っており、夏休みでも練習やらミーティングやらがある。
とはいえホワイトなサークルでもあるため、各人事情を考慮して普段よりも参加具合は緩いものであるが。
しかし俺は、休み明けに大学祭公演の脚本コンペに参加する予定なので、その辺の事前打ち合わせのためなるべく出るようにしていた。
一応俺も役者として舞台に何度か立っているが端役ばかりだ。
その現状に満足できず、個人的に多少の執筆経験もあるので脚本でなら輝けるかもと考えていた。
そして今、ミーティングは終わった昼食時。
一緒に参加していたミサキと、大学近くの定食屋に来ていた。
あちこちの学部からそこそこな人数が集まっている我がサークルにおいて、ミサキと俺は同じ学部のため、よく話をする。
休みの前でも講義の終わりのタイミングが合えば今みたくそのまま一緒に食べに行ったり、近場でよその団体の公演があれば一緒に見に行く程度の仲だ。
その程度の仲だった。……それ以上はなかったのである。
軽い前置きに、うっかりこの夏にどこかへ行ったかとか聞かなければよかったのである。
「タツくんはどこか行ったの?」
「ぉ俺はコミケにね、参加してきたぜ。一般のだけどさ、その一回行ってみたかったかったから、バイトで金貯めてさ」
「コミケって、え、コミックマーケット!? 東京まで行ったんだ、すごい! 大変だったでしょ? 人いっぱいとか熱いとか聞くし」
「まぁーすごい環境だった。ペットボトル3本凍らせてったけど、帰りにはすっからかんだよ、はっはっは」
こちらも返しにどこへ行ったか、流れで答えたが、答えたくなかった。
だって空しすぎない?
コミケではSNSで文字でしかやり取りして無かった人と会えたし、好きな本を委託店より安くたくさんの種類手に入ったし、企業ブースの気合いの入れ方面白かったし、レイヤーさんもいろんな意味でクオリティ高くて写真いっぱい撮ったし、良いところで楽しかったですよ?
でもさ、空しすぎない?
彼氏と温泉旅行行った話と比べるとさ。
比べるもんじゃないとわかってはいるけど、比べちゃうよ。
俺はこの夏、何をしていたんだ?
喉と言うか食道と言うか、その辺にある内臓一帯に変な力が入って締まりそうになる。
なので頑張って気持ちを切り替えて誤魔化しつつ、一応の本題に移行する。
「あー、で、飯食べながらだけど脚本、どうだった?」
「タツくんが書いたんだよね!? アレ、全部。正直すごいと思ったよ!」
「お、おう……」
コンペに出す予定の脚本はほぼ完成していた。
今日のミーティングでは部長や副部長など、幹部らの目通しのため、脚本を書いた者は提出したのだ。
電子データでも出しているが、脚本コンペ参加者は自ら物理でも1冊印刷して出すのが伝統的な決まりだ。
秋の大学祭の公演に向け、練習はもちろん配役や道具もいろいろ準備で時間はいくらでも要るので、演じる脚本は休み明けと同時に決まる。
そして書いたものはミサキにも読んでもらって、意見を貰おうと考えていた。
誰から見てもお察しの通り口実であった。下心。
ミサキに読んでもらう必要はなかった。いや意見は欲しかったが、読んでもらうのはミサキでなくともよかった。
というかもっと言うと既に他の仲のいい野郎の友人何人かに読んでもらって、そこそこ修正した後である。
ついでに女性のサークルメンバーはほかにもいるが、先んじて読んでもらうのを頼んだ相手は彼女だけである。
まぁでも一人くらい女性の意見も聞いた方がいいよな、となんかよく分らない言い訳を自分にもしていた。
……なんだろうな。
ここまでの経緯を反芻するだけでツラいんだけど、なんでだろうな。
「タツくんが脚本コンペ参加するって聞いたときは、特に何にもだったけど、実際書いたの読むとすごいもんだなーって」
「お、おう」
そこから?と言いたい気持ちは抑えられなくもない。
いろいろごっちゃりしたものが胸の中でぐるぐるしているが、とりあえず今一番の気持ちとしては中身の意見を聞きたい。
「だってこの量、書くの大変だよ? そりゃ文字打つだけならキーボード押しっぱでしばらく放っておけばできるけどさ。30分の演劇台本……20枚オーバーにまっとうに起承転結をまとめるの、誰でもできることじゃないよ」
「そ、そういうもんか……?」
俺にはわからない。
モノを書くということに対する世間一般的な認識という意味でも、今の自分の心情が彼女の言葉をちょっと飲み込めてないという意味でも。
うーーーーん、全然違うことに頭が回ってる。半分上の空。
「実は私もちょっと書いてみようと思ってたんだよね」
「え、それ、そっちもすごいじゃん」
「あ、違う違う。ホントに思っただけ。なんか書こうかなーて思ってたけど、うまくまとまらなくてさ。気づいたら締め切り過ぎてて、じゃあいいやって」
「あぁ、そう言われると、そうか。普通はそういうもんか」
自分で文字を書いて物語を作る。
そのハードルの高さは、彼女の例を見ると分かりやすい。
締め切りがなければ、書こうとも思わない。
締め切りがあれば、いつの間にか過ぎている。
前期に受けたある講義を思い出す。
博物館へ行って自主的にレポートを書いて出せば成績に加点される、歴史系の講義があった。期末のテストがゼロ点でもオーケー、とまではならないものの、レポート分の点数は合算され多少の失点はカバーできるし、評価も上がる。
成績に関わるとあれば、レポートを出す学生もいたが、しかし案外ちゃんとしたものを出したのは少数派だったらしい。
必須でない、自主的な文書作成は、案外精神的ハードルが高いのであろう。
「意外と書こうって気持ちと時間、確保できないもんだよねー。プライベートもあるし」
「ん……お、おう」
プライベート、という単語に反応しそうになった。が、とどまった。変なリアクションはしてしまったが、言及だけは避けた。
絶妙な言葉のチョイスに深読みしてダメージを受けそうになったが、思考を切り替えて事なきを得た。得てない。
一瞬よぎった想像と違い、家族や友人との時間という意味の可能性も考えたが、勝手にそのニュアンスを察して結局眉をピクリとさせてしまった。
ミサキがミステリの探偵役みたいな洞察力があれば見逃さなかったろうが、そんなことないので気づかれなかった。
「これでも俺、普段からアニメや漫画の二次創作とか、TRPGシナリオとか、ちょくいちょく文字書いてるから……高校でも一本だけ脚本書いたことあるんだ」
「そっか、経験者なんだ、すごい! 結構普段から書いてるんだーすごいねー!」
すごいしか言えないのか、とも言いづらい。
残念ながら、心が弱いので、好きな女性からであればふんわりとした中身のない誉め言葉にも嬉しくなってしまう。
ほんのちょっと直前に彼氏持ちだと分かったとしても。
「んで、中身はどうだった?」
益体のない会話を止めつつ、訊ねる。
ある意味本命の目論見は瓦解しているが、なんであれ読者の意見は貴重だ。
「30分の内容でも、壮大な話ができるんだねー。コンビニから始まって普通に現代の話かと思ったら、宇宙まで行くんだもん」
「お、そうか……ちょっと会話一辺倒で、場面もほとんど変わらないからどうかなと思っていたが」
「んー確かに会話の量多い、といえばそうかな。小説の地の文っぽい。舞台だし、もう少し短いやり取りを増やしてもいいんじゃない?」
「ページ数は増えそうだけど……いや、テンポよくすれば逆にまとまるか?」
今日のさっき提出はしたが、改稿は可能である。
加えて、そもそも練習が始まってからもメンバーとの相談次第で台本を書き換えることは多々あるとすでに言い含められる。
「あとは、そう、ラストの宇宙船。作ってたのが最初にコンビニに来たおじさんってのは分かったけど、でも伏線とかなくない? ちょっと唐突だった」
「いや、それはほら、ここのおじさんとバイトくんの会話と……あとほら、こっちは本人出てきてないけど、ニュースの場面で」
「ふーん……んー、ちょっと弱いかなー。あっ、私の個人の意見だし、実際舞台でやると分かりやすいかもだけど」
「いや、参考にするわ。もうちょい露骨にしてみる。この辺のやり取りは見てる人にちゃんと覚えておいてもらって、ラストで気持ちよくなってほしい部分だから」
人間冷静に振舞うだけなら、案外できるものである。
俺はコミュニケーション能力が低い方だと思っていたが、心乱れていてもこうやってまじめな話を淡々と進めるなら、相応のやり取りはできるらしい。
でも、言ってしまえばこんなものチャットAIみたいなもので、しょうもない当意即妙してるだけである。
会話の内容は正直全然頭に入ってきてない。
……だってさぁ!!
……でもさぁ!!
改めて正直に気持ち言わせてもらうとさ、キッツイんだわ!!!!
一泊二日の温泉旅行って、ほぼ直喩の暗喩じゃん!?
ここまで避けて濁して目をそらしてきたけど、そういうことじゃん!?
いやもう言っちゃうけど、実質「ヤッてきました」って報告するのと同じじゃん?
むしろ恋人同士で温泉旅行行って
「いや~なんか今日疲れちゃったから~、なんもしないで寝るわ」
ってまずならないじゃん?
仮に百歩譲って温泉旅行自体では何もなかったとしてもだよ、温泉旅行行く時点で前提としてそういう関係じゃん?
誤解や勘違いの余地もないやつじゃん?
とここまでのこと、パッと考えてしまうわけじゃん!?
いわゆる
いや、敗北者にすらなれていない。
――独り相撲、四股踏み地削り、蟻地獄。
一句読んでしまった。
流れでいきなりふと思ったけど、男女の友情を信じている人の何割かは、相手がこんなことになってると気づいてないだけなんだろうな。
相手が余計な性欲を見せてこないから互いに友情!ってなってると思い込んでるだけで、それって自分が恋愛感情抱いてないから相手もそうだっていう勝手な理想の押し付けだよね。世渡り上手だったり、紳士的な振る舞いが板についてるだけで、本心どんな中身かなんてわからないんだから、安易に友情!とか言わないほうがいいと思うよ。
などとミサキが友情と思っていると仮定してしまったが、更に思考を一転、実は今までの態度で十分バレていた可能性もある。
「あー、なんか仲良くしてくれるけど、絶対下心あるよね……」
と思っていたのかもしれない。そのうえでやんわりと丁寧に親交してくれていたわけだ。
サークルも学部も同じなら、避ける方が不自然だろう。
表面上は良好な関係なのだから。
一般的な当然の人間関係、の枠に置いておいたのかもしれない。
別に気のある人間相手でなくても、飯を食ったり、演劇見に行ったりとか、普通のことなのだろう。
でもさー、いや、我ながら見苦しいとは思うけどさー、勘違いするよ。したんですもの。
向こうも好意がちょっとはあると思うじゃん。期待するじゃん。ちょっとずつ仲良くなろうと画策するじゃん。
全部無駄。滑稽。道化。
酒に逃げたい。
「……とはいえ、全体のプロットとか世界観は面白いし、ひとまずこのままでも良いところ行くんじゃないかな。他の人がどれだけのもの出すかわかんないから断言はできないけど……タツくん?」
「ん? なんだ」
「聞いてる? 相槌もリアクションもないから」
「あー、大丈夫。さっきの話からちょっともうひとひねり、インパクトあるワンアイデア込めれないか考えてた」
「うーん、びっくり箱的なアイデアは結局びっくり箱って枠にしかならないから、作品自体の評価とは別になると思うよ」
「それもそうか……大筋は変えずに、言われたところだけひとまず変えてみるか」
「とりあえず、それでいいんじゃないかな。でもやってみたいアイデアがあれば、挑戦するのもアリだろうけどね」
「難しいところだが、考える余地と方向性がまとまってきた、助かるよ」
どうやら話がいい感じにまとまっているらしい。
気づくとご飯もほとんど食べ終えている。
だが、どんな話をして何を食べたか、一瞬前くらいなのに思い出せない。
「今日はありがとうな。付き合わせちまって」
「いいよ、ご飯おごってもらったし、こっちこそありがとね」
へー、俺おごったんだ。確かに会計のシーンが飛んでいて、ちらっと財布見たら千円札が余分に減っている。キングクリムゾン。
店を出て、まだ続く夏の熱気を浴びながらあいさつを交わす。
「それじゃあね、って駅まで一緒か」
「いや、俺は本屋あたりぶらついてから帰るよ。買いたい新刊あるし」
「そう。じゃあまたね」
「おう、また」
駅の方へ歩いてく彼女を少し見送って、別に行きたくもなかった本屋へ向かう。
さて、何を話したかふんわりとしか覚えてないが、何が起きたかははっきり覚えている。
「……俺に恋人はできるのだろうか」
思えば中学高校と同じようなことだらけだった。
まともに告白する前に、別の人がいるのを知ったり、完全に脈がないことを察してしまうばかりだった覚えがある。
駆け引きとか、それ以前の話で、おかげでまともな恋愛自体をしたことがない。
いっそアニメやゲームの女の子にでもぞっこんになれば楽だろうが、そういうタイプのオタクでもない。
一方で現実の人間関係にちゃんと興味はあるつもりだが、時間や金のリソースを無為にオタク活動で浪費して、人とのかかわりをうまく築けていない。
中途半端に生きているだけの存在だ。
そんな生き物が、人並みに恋をしたければ、今からリソースの配分をごっそり変えなければいけないのだろうか。
それでホントに上手くいくのか。なんの保証もない。
……むなしい。
行くつもりのない本屋だったが、なんか買い損ねている本でも探すか、いっそ気になってるけど読んでない漫画をまとめて全巻大人買いするか。そんな衝動。
「あ、せんぱーい! まだ帰ってなかったんですね! ラッキー」
進行方向に見知った顔があると思ったら、声を投げてきた。
さっきの定食屋もこれから行く本屋も、大学の近くであることには変わらない。
適当にうろついていると、知り合いとも遭遇しやすい。
「えっと、お前も今日のミーティング参加してたっけか。熱心だな」
「いやー、先輩に会いたくてですねー。夏休みだと、機会がないですし。あ、脚本書けたんですね、すごいです」
サークルの後輩の少女だった。大学生で少女と評するのもあれだが、周りと比べると少し幼い雰囲気がある。
この子も、俺が演技と脚本どっちもすると言ったら、なんか感心してくれて、ちょいちょい話すようになった。
分かりやすく可愛い演技が得意で達者なので、ゆくゆくはそういう役を当てるだろうな、とは思っている。
「嬉しいこと言ってくれる。なんだ、何か話したいことでもあったのか?」
「そうなんですよ、聞いてください! あ、そこの喫茶店でいいですか?」
先述のとおり、ロクでもない人種を自覚しているが、それでも人並みの付き合いとを意識して頑張っては来た。
大学のサークルでも、積極的に活動に貢献していれば、後輩にこれぐらい慕われることもあるだろう。
悪くない気分である。
よく考えれば、別に俺は忌み嫌われるような犯罪者や落伍者でもないのだ。
勉強もサークル活動もバイトもそこそこに、致命的な失敗することなく生きている。
法律の許す範囲で、幸せを求める権利くらいある。
うっかり新しい恋でも始まりそうな予感だって、薄っすらと香ってくる。
腹は膨れていたが、おかげで気取ってブラックのコーヒーを飲む余裕くらいはできてきた。切り替え上等。
店に入り、後輩と俺、それぞれ注文した飲み物が運ばれてきたあたりで、本題に入ろうとする。
なんだかんだで気の合う後輩なのだ。耳寄りな面白い話か、演劇関係の相談か何かだろう。
「それで、話したいことがあるんだよな?」
「はい! この前、彼氏の家に泊まりに行った時の話なんですけど――!!」
大学祭公演において、俺は脚本コンペの辞退を申し出て、他人の脚本の端役に徹することに決めた。
童貞が聞きたくなかったセリフを聞いた話 まらはる @MaraharuS
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