2:彼ら《ふたり》の物語

 僕たちが家の玄関に出ると、豪華な馬車が道の向こうからやってくるのが見えた。


 無駄に金かかってそうな金ぴかの馬車は、子供の僕の目から見ても趣味が悪い。きらきらした天使だの鳥だの蝶々だのをくっつければ、文字通りだっていうのに。


「兄さん」


 エンが僕の脇を肘でつつく。どうやら心だけでなく顔にまで出ていたみたいだ。とりあえず頰をつねってみると、エンが噴き出した。非常に心外だ。ムッとしてしまう僕に、弟は呆れた目を向けてくる。


「しっかりしてよ」

「わかってるって、僕を信じろ」

「目を釣り上げながら言わないでよ。 ……ほら、来たよ笑顔笑顔」


 言われるままに、僕は唇を持ち上げてみせる。なんとなく不恰好な感じではあったけど、エンは笑いながら指を前に突き出す。それで少し気が楽になって、僕はやっと普通に笑うことができた。



 そんなやりとりの間に、金ぴか悪趣味な馬車が僕たちの暮らしている家の前で止まる。金ぴか馬車の扉を御者が開き、中から出て来たのはどこからどう見ても光り輝く金ぴかのカカシ。


「おお、エルンスト! わざわざの出迎えとは、そんなに私に会いたかったのかな?」


 大げさに言って両手を広げるカカシ。僕は笑顔が引きつるのを感じた。これはアレか。胸に飛び込んでこいとでも言いたのかバカが。……なんてこのカカシには言えない。思いっきり言いたいんだけど……そこまで僕も浅慮せんりょじゃない。


 僕は一歩前に踏み出すと、カカシの胸に飛び……こまずに、折り目正しく頭を下げた。いくら相手がカカシでも、僕にも礼儀を守るだけの心はある。


「ようこそお越しくださいました、領主さま。お忙しい中、このような場所にまで足を運んでくださるとは、想像もしていなかったので驚いています」


 頭を上げてからの笑顔もしっかり忘れない。まあでもよく聞けば、言っている内容は『忙しいのになんで来たの?』なのだけども。面倒くさい。ものすごい面倒臭いけど仕方ない。


 まさか僕がそんなことを考えるとは思わないカカシは、一気に笑顔になると広げた両腕で僕を捕獲する。ぎゅーっとされた僕は、一瞬頭の中にお花畑を見た。


「いや、いや! そんなに驚いてくれたかエルンストよ! 私もお前を驚かそうと思って、こっそりやって来たのだよ。確かに忙しいが、お前に会うためならこの程度大したことではない。だが、『領主さま』は頂けないな! いつものように呼んではくれないのかね?」


 長い。しかも『こっそり』ではないし。カカシの腕の中で、僕はげんなりした。いつものことだけど、このカカシは僕の話を聞いているんだろうか。正確に捉えるどころか、マイナス要素も全部プラスに変換されていくのが恐ろしすぎる。


 そして、関係ないけどバラ臭い。ド派手な衣装にはたっぷりと香水がまぶさているんだろう。別にバラの香りは嫌いじゃなかったけれど、この強い臭いのせいで嫌いになりそうだった。


 だけど、そんなことを考えていても、このカカシは解放してくれない。僕はこっそりため息をつくと、心にもないことを要求通り言葉にした。


「はい、わかりました。……父上」

「それでこそ私のエルンスト。さあ、父に顔をよく見せておくれ」


 そう言ってカカシ——オルフェ家当主である僕たちの父は、人好きのする黒い目を細めて笑った。



 ——一応、断っておくと。

 色々言っているものの、父は決して悪人というわけじゃない。ただ、なんと言ったらいいか、色々と緩すぎる。それは僕たちが、数多い妾の子に過ぎないということでもわかるはずだ。


 それでも、父は決して悪人ではない。正妻の子が不慮の事故で次々と亡くなった時も、普通の親のように悲しんでいたし……なにより、僕のことを可愛がってくれている。


 その点だけでも、悪人ではないということはわかると思う。だけど僕は、たった一つの理由から、どうしてもこの父が好きになれなかった。


 その『理由』。たぶんそれはが口にしていいことじゃない。

 だけど、どうしても納得いかないんだ。理不尽だと、そう思っても僕は何もできない。



 しばらく時間は流れて、僕たちは父と家の中で向き合っていた。


「エルンスト、お前に土産を持って来たんだよ。どれでも好きなものを選びなさい」


 そう言って父は、従者に命じて様々なものを家に運び入れさせた。次々と運び込まれる品物は、どこから現れたのか。うず高く積まれていくそれらに、僕は驚くを通り越して呆れ果てた。


 そもそも僕とエンが暮らしているこの家は、屋敷から離れた森の近くにある。そんな場所に山のように色んなもの——としか言いようのない大量の品を持ってくるとは、愛されている証拠なんだろうか?


 僕が呆然としていると、部屋の端っこからエンが視線を送ってくる。どうやら、『とりあえず何か選べ』と言いたいらしい。……確かにそうしないと、家が物で埋まってしまいそうだった。


「ええと、じゃあその辺の……」


 僕はその辺の山に手を突っ込んで、最初に指に触れたものを引っこ抜いた。まるでくじ引きみたいだ。呆れながらも適当に掴んだものを手に乗せてみると、それは小さな飾り物だった。


「なにこれ。金色の枝に……銀色の葉っぱ?」


 それは言葉通り、繊細な金色の枝と小さな銀色の葉を模ったものだった。手のひらに収まってしまう大きさのそれを見つめていると、上機嫌の父が顔を覗き込んでくる。


「お、それが気に入ったのかい? エルンスト」

「え……あ、はい」


 適当に答えてしまった。とにかくこの状況をなんとかしたくて、僕は何度も深くうなずく。その様子をまた前向きに捉えたんだろう。父は満面の笑顔になって、僕の頭を撫でる。


「そうかそうか、お前はそういうものが好きなんだね。ならば今度から、そういう感じのものを用意しよう。……まあ、お祝いとしては、少々地味だが……エルンストが気に入っていることが一番だからねぇ」

「はい、ありがとうござ……」


 いや、ちょっと待て。聞き捨てならない言葉が耳に入り、僕は言葉を飲み込んだ。父に目を向ければ、普段以上に機嫌が良さそうだ。僕は一度目を閉じ深呼吸する。何か、会話に妙な単語が入り込んでいたような気がしたけど。


「……父上、あの、嫡子って?」


 ためらいながらも尋ねる。嫌な感じがしたが、そのままにしておくのも無理だった。僕が表情を硬くしているのに気づかず、父は心底嬉しそうに僕の頭をもう一度撫でる。


「そうだよエルンスト。やっと、。今回はそのお祝いをしようと思ってね。こうして色々持って来たわけだよ!」


 機嫌よくしゃべり続ける父の声が、遠く聞こえる。僕は手にした飾り物を握りしめ、耳にした言葉の意味を考えていた。


 僕が、嫡子。それは、とても『良いこと』だった。妾の子に過ぎない——しかもその母も失っている僕にとって、父が告げたことは喜ばしいことのはずだ。


 だけど僕は、うつむくことしかできなかった。幸せな現実を前に、うろたえているんだろうか。そう考えてみたけれど、心をごまかすことがどうしても出来なかった。


「父上、僕が嫡子になるなら……エンは?」


 僕は顔を上げ、目の前の父に問いかけた。予想外の言葉だったんだろう。父は表情を消して、僕を見下ろした。まるで、何か良くないものを見るような黒い瞳。不吉なほど無感情なそれに息を呑むと、父は何事もなかったように笑顔になった。


「エルンスト、何を言っているんだ?」

「え……?」

?」


 父は変わらず笑っている。しかしその瞳は冷たく、異様なものを含んでいた。僕は悟る。気づきたくないのに気づいてしまった。父の手が強く肩を掴む。痛い——それが、とても怖い。


「いいね、エルンスト。嫡子はお前だけ……片割れなんて、オルフェにはいらないんだよ」


 僕は、頷くことしか出来なかった。もしここで否定したら、僕までも葬られてしまいそうで。それがエンに対する不義理だとはわかっていても、僕は逆らうことが出来ない。


(怖いんだね)


 そうだよ。僕は怖い。エンを犠牲にしているとわかっているのに、僕はそれに甘んじてしまっている。エンが大切で、かけがえのないものなのに、何一つ変えられない。


 僕はどうしようもなく怖がりで、どうしようもない卑怯者だった。


 強く握りしめた手のひらに、冷たい枝葉が突き刺さる。痛かった。それでも僕は、後ろを振り返れない。人形のように笑って、僕に与えられた役割をこなすだけ。


 後ろでエンが笑っていても、泣いていたとしても——僕は大切な弟に、触れることもできない。


(苦しいね)


 苦しい、なんて言えなった。そんな資格は僕にはない。選ばれた僕は、すでにエルではない。

 僕が『エルンスト』である限り、僕はエンを失うしかないのだろう。だけど僕は、エンを失って生きる未来なんて望んでいなかった。


「笑ってよ、エル」


 ……望むはずなんて、なかったのに。どうしてこんなに、僕は『ひとり』なんだろう——?

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