3:得られぬ後悔など『無意味』だと

 オレとエル。オレたちは双子の兄弟だ。けれどエルは嫡子で、オレは余分な塵芥ちりあくただった。


 そもそもオレたちの母は、オルフェの領主の妾に過ぎなかった。だが、正妻の子が次々と亡くなった結果——それもおかしな話ではあるが——父のお気に入りであるエルが嫡子として選ばれることとなったのだ。


 しかし、そこで問題になったのはオレの存在だった。オルフェ家には妙な因習があり、双子は不吉なものとされている、らしい。だから仮にも嫡子が双子では非常に都合が悪かった。


 オレからすればどうでもいい話だが、古い家というのは奇妙なものに縛られる。つまり結論だけ言えば、オレは亡き者にされるところだった。それをエルが止めた。片割れを殺すなら、自分も同じように殺せと、父を脅したらしい。


 繰り返すが、オレからすればどうでもいい話だ。エルの言葉でオレは生かされた。しかしそれだけに過ぎない。生かされる代わりにオレは、オルフェの家で飼い殺しにされるだけの『塵芥』に成り果てたのだから。


 ここまで言えば、理解してもらえるだろうか。オレがエルを——片割れを憎んでいる、その理由の一端を。



「……エルンスト」


 オレが声をかけると、そいつは緩やかに振り返った。やつが父から与えられた執務室は、いつも完璧に整えられている。埃一つ残らない窓枠をぼんやりと眺めれば、片割れはにこやかに笑う。


「君が訪ねてくるなんて珍しいこともあるものだね。エンジュ、どういう風の吹き回しかな?」

「雑談をしに来たんだ。茶でも出しやがれ」

「雑談? 相談の間違いじゃないのかい」

「……どうせオレが何話したって通らないんだろう。だったら全て雑談だろうが」


 苦々しく言い放って、オレは執務室のソファに腰を下ろした。嫡子ともなると、調度品も上等なものばかりだ。忌々しいほど座り心地にいいソファに舌打ちしていると、エルが向かいに腰を下ろす。


「機嫌が悪いね。とりあえず落ち着きなよ……茶菓子は何がいいかな」

「いらね。茶も要らん。下手に『若さま』に何かさせたとあっては、オレが消されかねんしな」

「そんなことは僕がさせないさ。……それで、今回はどうしたんだい?」


 穏やかな笑みに蹴りを入れたくなるのは、オレが浅ましいからだろう。どう捉えても、エルの言葉に悪意は存在しない。しかしだからこそ、オレはこいつが大嫌いだった。


「なら、単刀直入に言う。エルンスト、てめえ金耀樹きんようじゅを切るつもりか」

「ああ、そのことかい」


 余裕を崩さない片割れに、オレは極限まで眉を寄せた。ほとんど瓜二つと言っていい顔をしているくせに、オレとは何もかも違うその表情。それもオレにとっては嫌悪の対象でしかない。それなのにこいつは、オレの感情に気づきもしないのだ。


 手を組み合わせ、エルはオレをまっすぐに見た。深い色をした黒い瞳が、灰色の髪の下でも穏やかな光を放っている。オレは気づけば顔を歪めていた。だが、片割れは笑みを浮かべ続ける。


「確かにそういう話もあるよ。あの樹はこの地域に長らく存在してきたけれど、もう枯れ果ている。だから、一思いに切ってあの辺りまで街を広げようと言う話が出ているんだ」

「まだ決定事項ではないと言うことか?」

「今の時点ではね。だが、ほぼ決定と言っていいかもしれない。あとは父上が……領主がどう判断を下すかだけど」


 領主の決断など、言うまでもなくわかりきっていた。領主はこいつの言いなりだ。こいつが是と言えば、そうするに決まっている。オレはエルを真正面から睨みつけた。けれど同じ顔をした男は、何も感じていないように笑顔を崩さない。


「エン。……相変わらず、あの樹にこだわっているんだね」

「それが悪いってのか。お前と違ってオレには、こだわれるものさえほとんどないってのに」

「それは僕も同じさ。だけど、エン。……


 オレとこいつは、元は一つだったはずだ。だが今となっては、この男がオレと同じものだと思うことはできない。エルは笑う。それはこいつにとって仮面なのだと、オレはとっくに気づいているのに。


「エン、君は形のないものに心を寄せすぎる。もっとそばにあるものに目を向けるべきだ」

「オレに向かって説教かよ……! っ、……いい加減にしてくれ。オレはお前とは違うんだよ。オレのそばには何もない。オレは生かされているだけの……お前の余分に過ぎないんだから」


 諦めとともに吐き出した言葉は、思った以上に胸に堪えた。理解していても、いまだに受け入れがたいその現実。しかしエルは、変わらぬ笑顔のまま——自らの手をオレの手に重ねた。


「ねえ、エン。信じてはくれないだろうけど……君には済まないと思っているんだよ」


 まただ。オレを見つめたまま、エルは静かに語りかけてくる。その瞳は穏やかなのに、決して何も映り込まない。鏡像のような双子。だが、決してオレたちは同じものではない。


「……オレは、お前のために生きてるわけじゃない」

「わかっているよ。エン、君は君だ。だが今の君は、僕の存在なくしては生きられないんだ。済まないって言うのは、それに対してだよ……わかるだろう?」


 わかっている。オレが生きていられるのは、こいつがいるからだ。わかっている、わかっていないはずはない。しかし——それをこいつの口から告げられるのは、激しい苦痛だった。


「どの口が……そういう風にしたのはお前自身だろう……⁈」

「全ては君のためだ、エン。……僕は君に生きていて欲しい。そのためならなんだってするさ。たとえ君が理解してくれなくても、君に……恨まれ憎まれたとしても。だって僕にとって君は」

「もういい! お前とは話していたくない……! 気が狂いそうだ!」


 手を振り払い、オレは立ち上がった。エル。こいつと対話なんて、そもそも不可能な話だった。こいつは都合のいいようにしかオレを見ない。オレを定義しない。


 オレはこいつのもので、こいつはいつでもオレのためと言い続けるのだから。そんな相手にどうしてオレは、気づけば理解を求めてしまうのだろう——?


「エン」

 背を向けたオレに、エルは変わらぬ声音で呼びかけた。穏やかな眼差しがこちらに向けられている。そうわかるような声なのに、片割れが口にしたのは、あまりにも残酷な言葉だった。


「あの樹は処分するよ。……だってそうしないと、いつまでも君は気づかなからね」


 オレは扉を叩きつけるように閉ざした。だがそれでも、エルの声は消せない。


 気づかない。そうだ気づかないのだろうオレは。だからずっと、あの声を断ち切ることもできず囚われ続けている——

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