第9話

「チッ」

 ルマリエの何度目かの舌打ち。

(まただめだったかな?)

 定時を過ぎて数時間、ルマリエは一人で認証システムの検証作業を進めていた。

 このだだっ広い評価室には、もう自分とルマリエの二人しかいない。

 自分は検証作業は行えず、ルマリエの作業が終わり次第、それを承認するためだけに、ここにいる。

 いや、待つ間に部長への状況報告と、他の部門との業務調整と、新入社員の研修報告書の確認と、他の業務を行ってはいる。

 ただ、それがルマリエの気が散る原因にならない様に、可能な限り息を殺している。

 だから部屋は非常に静かで、舌打ち程度の音が、銅鑼を叩いた様に木霊する。

 その度に、背中を冷たい汗が伝って行く。


 天環進航社の要望に応えるには、確認したい装置類の準備が必要だ。

 理想的なのは、開発途中の試作品として、顧客に製品を納入してしまう方がいい。

 それならば、客先で好きにいじってもらえば良く、こちらがわざわざ場所や装置を用意する必要も無く、ソフトウェアだけ、送っておけばいい。

 会社のエントランスに迎えに行ったり、昼食を案内したりと、気を遣う必要も無くなる。

(まあ、不具合があれば、客先に呼び出されるのだが。)

 残念ながら、セレスティアのプロジェクトでは、完成品の納入まで、タカミナツスターク社に試作機を置くことになっている。天環進航社には試作機を納入していない為、それは出来ない。

 なので、今回は社内の試作機を使用することになる。

 試作と言っても、一通り宇宙船として組立てられていて、推進器も予備用のだが、取付けられていている。

 机に広げられた開発機材に比べて、遥かに「出来ています」感を演出出来るのもいい。

 因みに、普段の開発は、机の上に開発対象の装置とパソコン、ログを取得する為の機材を置いて行っている。

 他のシステムからの入力は、パソコンのシミュレーターから擬似的に信号を送って、再現している。また出力は、ログを解析して、仕様通りかを確認して、良し悪しを判断している。

 流石にその様な環境では、顧客を満足させるのは難しいだろう。

 試作機を使うには、そのシステムを最新のソフトに更新しておく必要がある。

 今回、顧客が見たい操艦関連のシステムは、既に試作機に最新の物が書き込まれている。ただ、認証システムのソフトを更新しないと、正常に使用出来ないという制限がある状態だ。

 このソフトを書き込む手続きの一つが、ルマリエが行っている検証作業だ。

 試作機に新たにソフトを書き込む場合、一定の基準に従った検証を済ませないとならない。

 試作機でも一応宇宙船のため、万が一にも事故を起こさない様にするためだ。


 元々認証システムのソフトは、更新にかかわる項目なら、数人で手分けすれば定時内には終わる見込みだった。

 ところが、昼過ぎに作業を開始したところで、早速問題が起きた。予定されていた変更が入っていないことが判明したのだ。

 急いで実装担当の部門に問い合わせたのだが、何故か連絡がつかない。別拠点なので、直接乗込むこともできず、せめて事情が分かる者でもいいからと方々を探し回った。

 二時間を経過したところで連絡が取れたのだが、一切悪びれもない相手に、何故かこちらが頭を下げて急いで新たなソフトを作成してもらった。

(まあ、音声通話のみだから、実際には下げていないが。)

 すぐさま検証作業を開始したが、次の問題が出て来た。

 まあ、これは事前に分かっていて、定時移行に作業出来る人員がいないという事だった。

 今日中に終わらせないと、週明けまでにソフトを試作機に書き込む事が出来ない。

 事前にあちこちに頭を下げて、作業出来る人員を集めたのだが、週末と言う事もあり、「定時まで」という条件が付いていた。

 当初の予定なら、それで十分なのだが、肝心のソフトウェアの準備が遅れた事で、無駄に時間を浪費したため、定時を過ぎる見込みになった。

 しかもこの時、天環進航社の担当者とも、連絡が取れなくなっていた。

 本来は天環進航社の要望に対して、こちら開発側が対応出来るかを確認してから、先方に応答すべきなのだが、今回は受注担当者が何も確認せずにに受けてしまった。

 万が一、変更内容に誤り等があれば、週明けに間に合わない可能性もあったので、話を聞いた直後に、受注担当者に予定の延期を連絡してもらうことになっていた。

(まあ、受注担当とは、ちょっと揉めたが。

 そもそも、こちらの都合を一切聞かずに、顧客の要望を了承するからなのに。)

 ただ、しばらくして、受注担当から回答が来たのだが、先方の担当部門は、殆どが退社してしまったらしい、との事だった。

 どうやら先方の部門に、新入社員が配属されたとかで、歓迎会があるらしく、殆ど午後は業務することもなく、退社したらしい。

「定時後にやれよ!」と、叫ぶ者もいたが、別会社なので一切伝わらない。

 これ、流石に帰る直前に、次の営業日に委託先へ出張する予定を決めるとか、あり得ないだろう。

 受注担当者が、もっと早くに今回の依頼を知っていたにもかかわらず、こちらに連絡していなかったに違いない。

 問い詰め様と思ったら、そいつも顧客に誘われていたらしく、帰ったらしい。

(じゃあ、直接伝えろよ。)

 と、思うのだが、退社後は仕事は出来ない決まりなので、強くは言えない……。

 諦めて、検証作業を最優先で進める事になったが、当然定時内では終わらず、ルマリエ以外は、申し訳無さそうにしつつも、帰ってしまった。

 本来は自分も作業出来れば負担軽減出来ると思うのだが、自分は承認者のため、作業が出来なかった。

 「承認者は、作業者とは別に選定すること」と言う社内規定に、厳格に従っている検証機材により、操作の一切が受け付けられなかった。

「チッ」

(また、舌打ち。後何回だろう。)

 静かに、舌打ちだけするのはやめて欲しい。

「今ので、終わりです。」

(ん?舌打ちが?)

 一瞬心の声が漏れていたかヒヤッとする。

「検証項目、全部終わりました。」

(ああ、そういうこと。)

 安心するが、変な汗が出た気がする。

 幸いルマリエは、続けて詳細な説明を始めたので、こちの動揺は伝わっていないと思う。

「不具合で、入れない機能がありますが、正常パスなら一通りの機能が使えるので、操艦システムの起動は大丈夫です。異常終了時の復帰処理も大丈夫そうなので、アップデート要件は満たせています。」

(え?なら、舌打ちは何?)

 とは聞けないので、想定外の事象が無いか、と言う聞き方をしておく。 

「不具合は1件、認証の更新時のなので、今回は無視で良いですね。

 あとは、対応を見送ったところは、軒並み入ってないですね。

 ホント、あいつら気が利かない……。」

 まあ、それなら問題無いだろう。承認システム上で「承認」ボタンをクリックする。

 これで夜間のうちに自動で、最新のソフトが試作機に書込まれることになっている。

 ようやく緊張がほぐれた瞬間だった。



 それが、十数分前。

 もうすぐ主任でも残業が禁止されている時間帯になる。片づけもそこそこに、ルマリエを帰宅させようとしていたところに、事件が起きたのだった。

 二人とも無事だったこともあり、再び疲れがどっと出てきた……。

 立っているのも辛くなってきたので、ルマリエの隣に座り込むと、

「もう、このままここで寝てしまいたい。」 

 と、声が漏れてしまった。

 すると、突然部屋中が震える様な音量で声が響いた。

『バカなことを言ってないで、さっさと避難してください。』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る