第7話

 床も壁も天井も白一色の広い部屋の片隅に、一人、横たわっている者がいる。

 周囲には、倒れた机と椅子、パソコンや機材類。

 倒れた人物は、意識ははっきりしているものの、立ち上がる様子も無く、床に頬を付けたまま、動こうとしない。

 そして、大きなため息を一つ。

 どうやら、床の感触を堪能している様だった。



(ああ、冷たくて気持ちいい。)

 恐らく、今は非常事態だと思う。

 遠くから床を通じて振動が伝わって来ているし、そもそも大の大人が床に倒れ込む程の衝撃があった。

 もう少しで顔面を強打するかと思ったが、何とか腕を着いて、それを防ぐことが出来た。

 そう言えば、昨年の冬に部長が、雪で滑って手首を骨折したと言っていた。確か50歳は過ぎていたはず。

 対する自分は今年で45歳だったか。大して美形でもない顔を守るために、両手の犠牲は覚悟したものの、今の所何とか無事に動いている。最近の運動不足の事を考えると、まだまだ自分も捨てたものじゃない、と思う。

 他に身体で痛む所も、多分ない。我ながら大したものだ。

 それなのに、動けない。

 床の感触が良すぎて。

 倒れたのを切っ掛けに、溜まった疲れが、どっと出て来てしまった。


 そもそも、昨晩は妙な夢のせいで十分に休めなかった。早めにベッドに入っていれば良かったのに、少しでも仕事を進めようと悪あがきをしたのが問題だった。

 机でうたた寝をしてしまい、項垂れた拍子に額を強く打って目が覚めた。

 その後は、ちゃんと眠ろうとベッドに倒れ込んだのだが、歯磨きをしていない事と、枕の臭いが気になって眠れなくなった。

 年齢を考えると、多少の加齢臭も仕方が無いと思っていたが、いつの間に、こんな耐え難いレベルになったのだろうか。

 結局寝付いたのは、二時間程たったころだろうか?

 その間に二度もトイレに行きたくなり、その時には朝まで起きて様と思った程だった。が、そうしようとした途端、いつの間にか寝付いてしまっていた。

 朝は朝で、目覚しアラームが鳴っては5分延長するのを、数回繰り返さなければ、起きられなかった。


 お陰で午前中の会議は、半分程寝ていた様な気がする。カフェイン200mg配合をうたうエナジードリンクを、一気飲みしてから挑んだのだが。

 大勢が出席する、しかも自分が議題に関わらない、聞いているだけの会議だったのが、幸いした。名指しで出席依頼されたのに、一度も発言を求められなかったし、呼ばれた目的の案件は、次回に延期となった。

 最初の議題、「今の開発日程だと、製品の出荷開始までに必要な評価が終わらない」という趣旨の開発部門からの訴えに、プロジェクトマネージャーが一つ一つの部門毎に事情を聞いて行くのに、2時間も費やしていた。

 7部門から30人程の人員を集めて2時間、何の解決の糸口も見えない打合せだった。

 そんな状況、ウチだって同じなのに。

 削れる作業をひたすら省略して、締め切り後に回しても、問題にならない作業を後回しにして、ギリギリ間に合うか、という中で進めている。

 文句だけ言って、対策をプロマネに丸投げしていないで、少しは自分達で出来るプランを提案すればいいのに。

 そんな事を考えながら、議論にも参加しないで、寝てしまっていた。

 

 午後は午後で、問題が発生した。

 現在、タカミナツスターク社は、株式会社天環進航と言う企業から受注した、宇宙船「セレスティア」の開発を行っている。

 天環進航社は、新たな人類の生活拠点として、近隣惑星の開拓を目指して各国から出資を受けて運営されている企業だ。

 近隣惑星への移動を、各種の技術者やその家族、ペットまでもが快適に過ごしながら行える様に、生活に必要な施設を丸ごと宇宙船に内蔵して運ぶ計画を立てている。ほとんど小型のスペースコロニーに、推進装置を付けて移動するような計画だ。

 残念ながら、その宇宙船は弊社ごときでは受注できていない。

 セレスティアは、その護衛、兼有事の際の避難用として、随伴する計画の宇宙船だ。

 この案件、度々問題が発生していて、かつ、多くの部門が他のプロジェクトと並行して対応している。しかも、他のプロジェクトとの共通点が殆ど無く、新規開発を余儀なくされている。

 午前中の打合せの原因でもあり、ここ数ヶ月、会社の食堂ではこの案件の愚痴を聞かない日など無い。

 自分達の部門は、セレスティアに搭載される装置類のソフトウェア開発を担当している。

 セレスティアの自動航行や生活環境を管理する装置や、センサー等の周囲の情報を表示する装置、船内への入場と操船システムの起動時の認証を管理する装置、等だ。

 特に厄介なのが、認証管理システムだ。

 セレスティアは、素人でも何とか扱えるユーザーインターフェースにする、と言う趣旨で要求仕様が作られている。

 何を想定しているのかは知らないが、「関係者が全員不在で、随伴する宇宙船からの避難民だけになっても、操船出来る様にすること」等と言う、妙な要求があるためだ。

 しかも、度々の変更要求があり、認証管理システムだけは、今日まで起動すら確認出来ていなかった。

 他の関連システムがある程度完成しているのに。他のシステム、実は完成していても、多くの不具合が残っている。認証管理システムが完成しないと、機能に制限がかかり、検証が出来ないためだ。

 開発用に、認証をスキップして機能が使える様にする、特殊なモードが用意されているはずなのだが、検証のためには、正規の認証が必須らしい。

(と言う名目なだけで、本当は不具合なんだろうけど。)

 そんな状況の中、天環進航社の担当者様から、操船周りのシステムについて、週明けに現物を確認したいとの連絡が入ったのだ。


 そもそものスケジュールでは、先週末には一通りのシステムの起動が確認出来る予定だった。

 認証管理システム関連も、一度は一月前には完成していた。

 それが、丁度その頃に仕様変更の依頼が来た。影響範囲も大きく、認証管理システムだけでなく、他の部門の担当システムも含めて、検証に遅れが出ると言う内容だった。

 先方にもそのことは伝えられたのだが、「スケジュールは延びてもいい」が、「でも出来るだけ早く」と、押し切られてしまった。

 仕方が無いので、操船システムの起動に影響するところの実装完了が今週中、この部分の結合検証を2週間後までに実施、検証と同時並行で残りの作り込みをして、全ての検証も終わるのは更に一月後、と言う計画を立てた。

 全体の完成はかなり先にはなるが、2週間後には最低限の、セレスティアの操船に関わる辺りは、使える様なるという計画で納得してもらった。

 なのに何を勘違いしたのか、検証が終わって無いの状況の今、突然見せろと言ってきた。

 「検証が終わってい無い」は、「不具合で使え無い機能がある」という意味だ。不具合次第では、見せられない事態もありえるのだが、「実装は終わっているなら、イレギュラーな使い方をしなければ、使えるんでしょ?」程度の理解らしい。

 お陰で、今日の午後は、「お客様に見せても問題ないか」を確認するのに、全力を尽くす事になった。

(本当に疲れた……。)

 まあ、確認作業をしてくれたのは、部下なのだが。

 ようやく確認が終わったのが、もうすぐ終電と言う時間。明日は週末だし、帰ってゆっくりしようと思ってところで、妙な揺れに襲われた。

 インフラにも影響が出ているだろう。

「もう、このままここで寝てしまいたい。」 

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