最終話 お星様のところまで
ある青年騎士の話だ。
彼は大変裕福な貿易商の家に生まれた。
恵まれた環境だと周囲からは羨ましがられたものだが、そんなに甘いものでもなかった。
「――お前に財産は残さん。自分の力で稼げ」
小さい頃から、その教えを叩きこまれて育った。
青年は自分に商売は向いていないと早々に悟ったため、騎士になろうと決めた。
向いていないと感じたのは、商売勘や、交渉能力に自信がなかったからではない。
単純に、商売というものに興味が持てなかったのだ。
彼は幼い頃盗賊に襲われかけたことがある。
たまたま近くにいた護衛が優秀で、命を落とすことはなかったのだが、どうなってもおかしくない状況だった。
彼は幼い自分を助けてくれた護衛に、深く感謝した。
自分も彼のように、困っている誰かを助けられる人間になりたい――強くそう思った。
それで騎士になろうと決めた。
初め父は、息子のその選択を「愚かだ」と叱った。
しかしすこし時間がたつと……騎士団にコネを作っておけば、商売で有利なことがあるかもしれない……そんなふうに考えを変えたようだ。
そこで父は自分の人脈を使って、息子を騎士団のエリートコースに乗せた。
――彼は父のこの行為を喜んだか?
喜びはしなかったが、拒絶もしなかった。
彼も商売人の息子である。『清濁併せ吞む』生き方は、骨の髄まで染みついている。
せっかく騎士団に入れたのだから、出世できるチャンスがあるなら、迷わず掴みたい。そのためなら父のコネも利用させてもらう。
当たり前の話だが、出世コースに乗ったあとは、血反吐を吐く思いで努力をした。
楽をして上がれば、周囲から向けられる視線は、自然と厳しいものになる。
だから人一倍頑張らなければならない。
要は、その立場に相応しい実力があればいいのだ。上り方などどうでもいい。上ったあと、何を成すかが大切。
彼はいつもそんな調子だった。
朗らかで抜けているように見えるが、実際は、誰より冷静で、自分に厳しい。
商家で育ったために、人を見抜く目を持っていたが、その聡さを相手に悟らせないくらいに、彼は上手(うわて)だった。
嫌われ者の一家が経営するパン屋に通い始めたのは、単純に便利だったから。
あそこは空いているし、値段も安い。非常に合理的な理由で、あの店を選んだ。
パン屋の長女を見た時、『うわ、腹黒そうだなー』とまず思った。実家関係でよく見たタイプだ。相手に決して本心を見せない、強情さを感じる。
けれどパン自体は美味いから、爽やかな態度で通した。仲良くなる気はないが、パンだけが目当てで店に行く。
ところが気持ちに変化が訪れる。
――ある日、彼女が窓辺で、赤茶ネズミにリボンを結んでいる場面を見たのだ。
目がとても優しくて、驚いた。あんなふうに慈しむ目をする人なのか。
それで彼女に対する見方が変わった。
不思議なもので、騎士が彼女を前とは違った目で見始めると、娘のほうもなんとなく態度が変わってきた。
――彼女の瞳が、赤茶ネズミを見ていたあの瞬間に似た、温かな何かを湛えながら、こちらを見返してくる。
ある日、騎士は真摯に思いを告げた。
それで彼女は……ああ、あの時の彼女の反応は、一生、誰にも言うまい。あんなに照れて可愛らしくなるなんて、ほかの誰にも教えたくない。
ふたりは結婚の約束をした。
その後、騎士団で出世させてくれた恩もあるので、実家に許可を取りに行った。
結果は散々。これはまぁ予想の範囲内ではあったので、驚きはしなかった。
実家の援助をすべて失ったとしても、影響がないくらいしっかりした地位を確立するには、あと二年はかかる。
将来彼女に楽もさせたいし、せっかく出世コースに乗れたので、それを無駄にしたくない。
彼女にもう少し待っていてくれるか尋ねると、もちろんだと快諾してくれた。
しかし辛抱するのもあとわずかのことだろう。
彼はとても優秀だった。最初はコネを使って上がったけれど、それを抜きにしても、かなりのスピードで出世している。地位もしっかりと固まりつつある。
もうすぐ堂々と、彼女を迎えに行ける。
* * *
パン焼き娘コンテストが開催されてから、少し日がたった、ある夜のこと。
お城でお妃教育を受けていたREDが、ドカンとストレスを爆発させて、自室から逃亡した。
慌てて追いかけるメイドたちを振り切り、城の壁と天井を、床みたいに歩けるよう変えてしまい、ネズミ姿になって縦横無尽に逃げ回る。こうなったらメイドではREDを追うことができない。
しまいには尖塔の上に出て、REDはだらしなく瓦の上に寝そべった。
夜空を見上げてしめしめとほくそ笑んでいると、そこへ王様がやって来た。
どうしてだろう……上手く隠れたつもりでも、王様にはいつだってすぐに見つかっちゃうんだ。
REDはバツが悪いように感じて、上半身を起こし、ネズミのモコモコ足をもじもじと動かした。
王様は出会ったあの日と同じ、ありふれた灰色ネズミの姿で、REDの隣に並んだ。
「つらい?」
気遣うようなその声を聞いたら、REDは泣きそうになってしまった。
それで少し喉をつまらせながら、小さな声で、つっかえつっかえ答えた。
「我慢はできるけど、時々……爆発しちゃうんだ。明日から、ちゃんとやる」
つらいっていうのとも違う。ただ言葉のとおり、爆発しちゃうだけで。
今まで好き勝手に生きてきたから、誰かに合わせるのが苦手なのだ。
だけど放り出したくないし、頑張ろうとすると空回りして、時々こうなっちゃう。
王様が呆れてなければいいけど……REDは心配になってきた。
王様はそれ以上追及することもなく、さらりと話題を変えた。
「――お城の壁と天井、歩けるようにしたんだね。面白い発想だ。この上なく、独創的だよ」
淡々としているようでいて、心からの賞賛を込めたその言葉に、REDは気持ちがウキウキしてきた。元気に王様のほうを振り返り、興奮したように説明する。
「でしょー? あのね、お菓子の入っている箱を見ててね、思いついたの。あれって立体なんだけど、ほぐしていくと一枚の紙になるんだよね。山折り、谷折り……で、組み立てたものが、立体になってる。平面から立体へ――逆に、立体から平面へ――それを空間にも応用できないかな? って思ったんだ。上手くいった」
王様は柔らかく瞳を細めてその話を聞いていたのだが、やがて小首を傾げてこんな提案をした。
「ストレスが溜まっているなら、このまま追いかけっこでもする? ネズミの姿でしたら、きっと楽しいよ」
「お、いいね!」
二匹は城の中に舞い戻り、全速力で駆け回った。
REDは走りながら、ケラケラ笑う。王様はREDが笑っているのを見て、幸せそうに微笑んだ。
十分に遊んでから、厨房から菓子をくすねて、ふたたび屋根の上へ戻った。
夜空に星が瞬いている。
キラキラ、キラキラ――……
REDは屋根の上であぐらをかき、夢見るようにうっとりと呟きを漏らした。
「あの空の向こう、お星様のところまで、魔法で行けないかな」
王様はREDの隣に腰かけて、静かな声で問う。
「行きたいの? とても遠いよ」
REDはしばし考え込んでから、
「……いや。ここで遊んでるほうが、楽しいな。ここなら、好きな人も隣にいるしさ」
二匹はネズミ姿のまま寝っ転がった。足を組んで、腕を頭の下に回すという、人間らしい仕草で。
不意にREDが瞳をきらめかせて、王様にお願いごとをした。
「ねえ、食べものしりとりしよ」
「いいよ」
「じゃあ――串焼き」
「き……」
楽しげに王様が応じる。
星空の下で、ふたりのしりとりはしばらくのあいだ続いた。
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