12.から騒ぎ


 初めてREDに会った時、とても驚いた。


 まさか自分以外に、縮小変化のできる魔法使いがいようとは。


 単調な鳴き声を上げるネズミとすれ違ったあと、屋根の上で遭遇した、小生意気な赤茶ネズミ。


 スラスラと言葉を話すREDを見て、普通のネズミだと思うはずもない。


 通常では不可能な縮小変化……これだけの魔法の才能があると、きっと孤独だっただろうなと王様は思った。能力が突き抜けすぎていると、理解できる人間が誰もいない。


 たぶん……REDと自分には似たところがある。人生のどこかで、同じような経験をしているはずだ。周囲と馴染みたいのに、どうしても浮いてしまう。


 根っこの部分が似ているからこそ、今のふたりの違いが気になった。


 彼女はエネルギーに満ちている……どこで差が出たのだろうか。


 ――以前の自分は、国をより良く変えるため、使命に燃えて魔法を使っていた。


 やるべきことはたくさんあった。民の笑顔を守るために、身を粉にして働いた。


 そうこうするうち成果が出始め、国はとても豊かに、そして平和になった……かに思えた。


 しかし物事というものは、上手くいっているように見える時ほど危うい。


 豊かになった地方都市が、もっと多くのものが欲しいと、近隣と争いを始めたのだ。


 王様は『良い行いも、やりすぎると災いを生む』と悟り、それからは何もしないことに決めた。


 幸い部下たちが優秀であったので、王様の魔力を使わずとも、なんとか平和は保たれた。


 そんなことがあり……たぶん心の中で何かが欠けてしまったのだ。


 それは目標や、やりがいといった、生きるための原動力みたいなもの。


 それからの生活は、ただ時間を浪費しているような感じだった。単調で退屈な日々。


 ――そしてREDと出会った。


 REDはただ美味しいものを食べるため、面白おかしく生きるため、空回りじゃないかってくらい全力で生きていた。


 とても陽気なRED。ネズミの姿をしていても、彼女が心から楽しんでいるのがこちらにも伝わってくる。


 瞳をキラキラと輝かせ、歌い、踊り、跳ね、笑う。


 ネズミヒゲをヒクヒクさせて、時に口が悪くなり、悪態をついたりもして。


 目が離せなかった。


 次の日も声が聞きたくなって、彼女に会いに行った。それなのに気配がひどく遠い。


 なんだかそれがものすごく苦しくなって。


 焦った。


 会えると思っていたのに、会えない……たったそれだけのことが耐えられなくて。こんな衝動を覚えたのは、生まれて初めてのことだった。


 どうしても我慢できずに、彼女の気配を追って、空間をねじ曲げる瞬間移動を試みた。


 そう……封印していた、あの禁術だ。カエルが大量発生したり、砂嵐が発生したりと、周囲に大きな影響が出るので、長いあいだ使わないようにしていたのに。


 後先考えずに、ただ彼女に会いたい――そんな自分に驚いた。


 雨期が始まったばかりの西南地方に一瞬で移動し、白い鳥に変身する。


 羽を動かし、空を舞った。上空から見おろすと、絨毯から降りたばかりのREDが見えた。


 赤毛の女の子――長い髪が少し外側に跳ねていて――ああ、想像していたとおりの姿だ。


 風のように軽やか。


 瞳はキラキラ輝き、可愛らしい。


 彼女は魔法を使って、筋肉質な青年の姿に変化した。


 おそらく青年の姿をしているほうが、商売上、都合が良いのだろう。REDは便利屋をやっているので、力仕事などを頼まれることもあるはずだ。こっそり魔法で解決するにしても、依頼人を戸惑わせないために、男の姿で引き受けたほうがスムーズにいく。


 しかし、詰めが甘い。


 この近くには、REDと王様のほかに、もうひとりいた。


 ――物陰に隠れている、地元の青年。


 彼は目を凝らして、REDのほうをじっと眺めている。謎の便利屋REDの正体が気になり、確認しに来たのだろうか。


 REDは意外とおっちょこちょいだ。魔法で女から男へ変身する場面を、あの青年に見られてしまった。RED本人はまったくそのことに気づいていない。


 結局、あの覗き見していた彼は、今回の依頼人だった。


「魔法使いって、自分より小さなものに化けられる?」


 犬探しが完了し、REDが帰ろうとすると、青年が尋ねた。


 彼は先ほど、可愛いらしい女の子が、目の前の大きな男に変化するのを見ている。しかしどちらが『元』なのか分からなかったようだ。


 だから先の質問をした。それに対しREDが『自分より小さいものには化けられないよ』と答えたので、青年は喜んでいる。『それじゃあ、一番初めに見た、あの可愛い女の子が君の本当の姿なんだね!』彼はそう思っているに違いなかった。


 興奮した彼がREDの手を握り、口説こうとしたので、王様は腹が立ってとっさに魔法を使った。


 青年の犬をけしかけて妨害する。


 その結果、REDが慌てて逃げ出したのを確認してから、王様もその場を去った。鳥の姿に化けているから、さっと飛び去れて便利だな……なんて考えながら。


 その後、空間をねじ曲げたことの副作用が出た。REDを探して王都から西南地方に瞬間移動したせいだ。その影響で、王都に大雨が降った時は焦った。


 ……まさか自分が、感情に振り回されて、こんな失敗を犯すなんて。


 REDが青年に手を握られているのを見た瞬間、確かに自分は腹を立てていた。


 これまで生きてきて、あんなふうに心乱されたことがあっただろうか。


 誰かのことで頭がいっぱいになって、振り回されて、どうしても会いたくなって――こんなに強い感情が心のどこかにあったなんて、自分でも知らなかった。




   * * *




 舞踏会に招待したから、人の姿をしたREDと踊れるかと期待していたのに、彼女は現れなかった。


 すごくがっかりしたけれど、REDの姉に話があったので、ダンスを踊ることにした。


 少し話しただけで、REDの姉がかなり腹黒いことが分かった。


 この姉を『優しい女神』と思えるREDって、純粋だと思う。女神様はこんなふうに黒い笑みは浮かべないぞ……。


 REDの姉に、


「町の人たちがひどい態度を取ってきたことを、どう感じている?」


 と尋ねてみた。魔法使いの妹を恨んでいるのか、知っておきたかったのだ。


 REDの姉は美しい。きっと妹が魔法使いでさえなかったら、大勢の人に囲まれて、面白おかしく生きてきたはずである。


 彼女は静かに答えた。


「根拠のない迷信を信じて、人を差別するなど愚かなことです。あってはならない。ですが……自分の人生は、これでよかったと思っています」


「どうして?」


「馬鹿発見器をタダで手に入れたようなものですからね」


「馬鹿発見器……」


 ずいぶん過激な発言だ。


 REDの姉が発言の意味を説明してくれる。


「謙遜はやめますが、私はこの容姿なもので、妹のことがなかったら、周囲から相当チヤホヤされていたと思うのです。私は調子に乗りやすいところがあるし、持ち上げられたらいい気になって、考えの浅い薄っぺらい人間になっていたのではないかしら。それでつまらない男性に引っかかっていたかも。……そうならなくて本当によかった。妹には感謝しています」


 つまらない男性……このひねくれた物言いに、王様は呆れを通り越して、感心してしまった。


「君はなかなか口が悪いね」


 性格が悪いね、と言わなかったのは大人の気遣いだ。


 パン屋の娘は瞳をキラリと意地悪く輝かせ、小首を傾げてみせた。


「あら、舞踏会にご招待くださったあなたは、ただの実業家ですよね? 同じ平民同士でしたら、自由に心の中をさらけ出してもいいかと思いましたの。ただ、そう――たとえばあなたが『王族』だったとしたら、いくらツラの皮が厚い私でも、さすがに言葉を選ぶかもしれませんが」


 王様はなるほど、と思った。あえて『王族』と口にしたということは、こちらの正体はしっかり見抜いているらしい。


 賢い娘だ。


「色々話してくれたのは、何か狙いがあってのことなのかな」


 ふたりは込み入った会話を交わしながらも、ステップは間違えない。軽やかに舞うふたりを、会場の皆がうっとりと見つめている。


 しかし実際は、お似合いに見えるふたりなのに、これっぽっちも艶っぽい雰囲気にはなっていないのだった。


「……妹に近づくのは、どういうつもりなのかと」


 REDの姉がぽつりと呟く。王様は素直に答えた。


「僕は彼女を気に入っている」


「それは……魔法使いとして、あの子が優秀だから?」


「ん? どういう意味?」


「国のために利用できるとか、そういう――」


「ああ、違う。そういうんじゃない」


「本当に?」


「僕はほかの誰かに助けてもらう必要がないからね。どんなに大きな魔法であっても、すべて自分ひとりの力で成功させられる」


「なるほど」


 娘の瞳の色が濃くなる。


 獲物を見つけた時の鷹の目だと、王様は思った。


「僕はREDとずっと一緒にいたいんだ」


「けれどあの子を落とすのは難しいですわよ。なんせお子ちゃまなので」


「そうだね……」


 じっくり関係を深めていくのも楽しいが、時間をかけているあいだに、横から誰かにかっさらわれては元も子もない。


 王様が思わず遠い目になると、心の揺らぎにつけ込むように、娘が悪だくみを持ちかけてきた。


「こういうのはどうでしょう? あなた様がパンのコンテストを開いて――……」


 娘はパン屋の評判を取り戻そうとしているらしく、腹黒い計画を語り始めた。


 王様は面白いと思った。


 ただ縁談を纏めるだけではなく、ついでにパン屋の宣伝もしておこうという、たくましさ、がめつさ。『一挙両得』を狙った、商売人らしいプランだ。


「粉挽きをREDが魔法でやっているのは分かったけれど、それでそんなに味が変わるものなの?」


「そりゃ変わりますわ。――まぁでも、うちのパンが美味しいのは、やっぱり焼き手の技術ですね。私もそこそこの腕ですが、父はもっとすごいです。ですからパンが美味しいのはREDの手柄というわけでもないのですが、要は説得力の問題でしょう? 主催者であるあなた様がその場でゴリ押しすれば、なんだって押し通せます」


 それもそうだなと王様も納得した。


 そして最後に一点、気になっていたことを尋ねてみることに。


「――ねえ、君の腹黒さって、パン屋の常連客である騎士殿は知っているのかな」


 娘が初めてうろたえたように見えた。


 しかし彼女はすぐに、その感情の乱れを、取り澄ました顔の下に隠してしまった。


「彼は、嫌われ者の一家が作るパンを買いに来てしまうような、うっかりさんですよ? そして通い始めてからは、私どもの悪い評判を知っても、態度を変えずにいてくださった、立派な方でもあります。私は彼といると、親切で、おおらかな人間でいられるのです。善良で素直な娘――彼は私のことを、そういう人間だと思ってくれている。そして大切にしてくださる」


「本質は違うのだと、彼に打ち明ける気は?」


「彼と一緒にいる時、私は自分を偽ることなく、善良でいられます。だからあえて、余計なことをばらす必要はありませんわ」


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