おまけ 騎士のプロポーズ大作戦
騎士団にある、仮眠室でのこと。
緩やかに眠りから醒めつつあった騎士は、枕元でトタタ……と何かが動く気配を感じ取った。
その後、トン、と胸の上に重みがかかる。
……休憩は終わりだと、誰かが起しに来たのか?
乗っかった何かは林檎一個分くらいの重量だが、どことなくぬくぬくして、変な感じがする。
騎士がそっと目を開けると、そこには……。
「よぉ、ちょっと話があるんだけど」
自分の胸の上にちょこんと腰を落としている、赤茶ネズミ。しかも喋った……?
「君は……もしかして、RED?」
これは夢か? 半信半疑で尋ねると、赤茶ネズミは目をまん丸くしてヒゲをひくつかせる。
「そうだよ。あら――お姉ちゃんから私のこと、聞いてた?」
「ああ……うん、ネズミに化けられるとは聞いていたけど……でも実際対面してみると、人智を超えているな……すごい。……ところで君、お妃教育中で、城にいるはずじゃなかったっけ?」
「えと、なんちゅーか、これはあの……ちょっと散歩ぉ?」
REDが視線を泳がせる。バツが悪そうな様子を見るに、サボって抜け出して来たのか?
そっと起き上がりながら、REDを手のひらに乗せ、掛け布団の上に置く。
REDは二本足で立ち上がり、くりくりした目をこちらに向けて口を開いた。
「まぁ、私のことはどうだっていいじゃん? それよりさ、時間がないから、さっそく用件を言うね。あのさー、私、あなたに謝りたかったわけ」
「なんでかな」
謝罪されるような覚えはまるでない。
あと、年頃の娘が(今はネズミ姿だけれど)、こんなふうに気軽に男の寝所に忍び込んではいけないと思う。仮眠室だから構わないとは、言えない。
「うん、ちょっと、私さー、あなたのことを一方的にあなどっていたんだよ。見た感じ頼りなく感じられて、姉を任せるにはちょっとなーって。でも王様とか姉とか両親とか、色んな人からあなたの話を聞いて、ちゃんとした人だって気づけたの。私は見る目がなかったんだなって。なんかごめんね」
「……ふぅん」
なんだろう……素直に謝ってくれているのに、騎士の持つ第六感が、何かまずいことになりそうだと告げている。
表向きは柔和な態度を崩さずに、騎士は最大限の注意を払って、目の前のネズミを見つめた。
相手をそこまで緊張させているとは知らず、REDが呑気に続ける。
「で、何かお詫びができないかと、必死で考えてさー、ついに答えに辿り着いたわけよ」
辿り着いちゃったんだ……一生辿り着かなきゃよかったのに。
騎士は動揺して、口元を手で押さえる。
「あのね、RED――お詫びなんてしなくていいんだよ。言葉で謝ってくれただけで十分だ。僕らはこれから家族になるんだし、過去のことは水に流そうじゃないか」
そう提案してみるが、聞いちゃくれない。
「そういうわけにはいかねえって。もうちょっとで騎士殿は、私のお義兄様になるんだからさー。私はお義兄様に喜んでもらいたいのよ」
「は? いやあの、余計なことはしなくていいから」
「そりゃあんた、私だって『余計なこと』なんかする気はないよー。暇じゃないんだからさ」
REDがププッと吹き出しながら、騎士の手の甲をタシタシ……とネズミ足で叩いてくる。
……おい、何がおかしいんだ、ネズミ。
「プロポーズ大作戦、私が派手に盛り上げるから。大船に乗ったつもりでいてちょ」
プロポーズ大作戦だって? ゾッと鳥肌を立てた騎士が早口で止める。
「いや、お構いなく! プロポーズはもう終わってるから」
「でも指輪、あげてないっしょ?」
REDが腕組みしてこちらを見上げてくる。騎士は本格的に頭痛がしてきた。
「それはまだだけど、ちゃんとこれから考えるつもりで」
「だめだめ、呑気なことを言っていると、まずいことになるぜ!」
「まずいこと?」
「最近、姉ちゃんモテモテだからね。どっかの誰かにかっさらわれちゃうかもしれないぞ」
「え……モテモテなんだ?」
将来の義兄が身を乗り出してきたので、REDはしめしめという顔になった。
「このところ、風向きが変わって、パン屋が混んできたのさー。それで店に来た人はさ、お姉ちゃんを見て、『うわ、すっごく綺麗な人だ!』てなるじゃない? 『世間に見つかっちゃった』ってやつだね。――だけど安心して? 私はあなたを応援していくから。ほら、つらい時を支えてくれた人が、本当の味方って言うじゃん? 私はそういう人を一番大事にしていくべき、って思うわけ」
「……そりゃどうも」
くそう、なんかちょっと嬉しいと思ってしまったぞ!
騎士はREDと話していると、自分が段々とお馬鹿になり下がっていくような気がしてならなかった。
「一週間後の夕暮れ時、東の丘でプロポーズして。私、一世一代の大魔法を使って、ドカン! と花火打ち上げるからさー」
「ええ?」
彼の端正な顔立ちが、珍しく困り顔になる。
「そういう派手なの嫌だな……ほんと、気持ちだけありがたくいただいておくから――」
「みなまで言うな、楽しみにしているがいい」
REDはシシ、と含み笑いをしてから、ピョンと身を翻した。
そして今の今まで掛け布団の上にいたのがまるで幻だったかのように、一瞬でその場から姿を消してしまった。
* * *
REDはその足で実家に向かった。
姉は最近忙しそうなので、一週間後の予定を、あらかじめ空けておいてもらうためだ。
――お義兄様、ナイスアシストでしょー? と騎士に心の中で手柄アピールしていたら、さっそく人生の落とし穴にはまるRED。
ネズミ姿で、背丈ほどあるマグカップを抱えて、大好物のミルクティーを飲んでいると……。
姉がテーブルの上に頬杖を突きながら、にっこり笑みを浮かべて言う。
「ねぇRED、何か隠しごとをしているでしょう?」
REDはギクリとして、マグカップを押し倒しそうになってしまった。
慌てて踏ん張りながら、
「え、な、何? 隠しごとなんて、生まれてこのかた、したことないけど?」
「ふぅん、そう? お妃教育で忙しいはずが、なぜかこうして、実家でまったりしているし? しかも一週間後の予定は空けとかなきゃとか、良いことがありそうだとか、変なことを言い出すし? それって何かあるのかなー、って」
「な、ないけど? 何もないけど?」
慌てて口元のミルクティーを拭う。ネズミ足で拭ったのが口の中に入ったせいか、一瞬、苦味を感じた。
あれ……?
「気づいた? 紅茶がちょっと苦いことに」
「え、何これ……」
「変な味がするのは、自白剤が入っているせいよ。REDが隠しごとをしているようだから、飲みものに混ぜたの」
ふふ、と笑う姉。REDは震え上がった。
「お、お姉ちゃん……!」
「さぁ、あなたはなんでも喋りたくなーる……隠しごとは何? 言ってごらんなさい?」
女神のように美しい笑みを向けられ、頭がくらくらしてきたREDは、騎士のプロポーズ大作戦を洗いざらいぶちまけてしまった。
すべてを白状したあと、テーブにうつ伏せ状態で伸びていると、姉がツン、とREDのネズミ足をつついた。
「ふふ、自白剤なんて嘘に決まっているじゃない。このあいだ胃の調子が悪いって言っていたから、胃薬を混ぜただけ」
うわーん、やられたぁ! REDは思わずネズミのお手々で顔を覆ってしまった。
ごめんよ、未来のお義兄ちゃーん! 姉にプロポーズ大作戦の詳細、バラしてもうたあー!
* * *
さて、一週間後の昼下がり。
パン屋は本日も大繁盛だ。
長女は次々に客をさばきながらも、どこか上の空の様子である。
今夜、正式にプロポーズされる……。
以前彼から「結婚してください」と言われた時は、互いに想いを打ち明けて、感情が大きく揺れ、とても緊張した。あの時は、嬉しさと緊張がちょうど半々くらいの感じだった。
それが二度目の今夜は、とびきりロマンチックにプロポーズされるらしい。指輪も用意してくれて、花火も上がるとか。
だとすると……完璧な夜になるよう、さりげなくこちらも協力しなければ。
特別素敵な思い出になるように、万が一にも失敗しないように、私も頑張る。
こちらは計画などまるで知らないフリをして、その上で、彼を上手に手助けしないと。
どうしましょう、できるかしら……嬉しさをはるかに上回る、とんでもない緊張。
絶対に失敗できないというプレッシャーのせいで、パン屋の娘はガチガチになっていた。
まだしっかりとプランが固まっていないのに、騎士が店に入って来るのが見えた。
え、早すぎない? 娘は焦った。花火を見るというから、夕方になったら迎えに来てくれるものと思っていたのだけれど……。
動転した娘は、反射的に彼から視線をそらしてしまう。
そして目の前にいた若い男性客ににっこり微笑みながら、
「今日はいい天気ですね」
なんて話しかけてしまった。
話しかけられた男性客は舞い上がり、言葉を返そうとして――いきなり騎士があいだに割って入って来たので、びっくりした。
騎士は娘の手を握りながら、店の奥にいたパン屋の夫人に告げる。
「すみません、お嬢さんをお借りします」
夫人はその瞳を悪戯っぽくきらめかせ、「ごゆっくり」と手を振って、若いふたりを送り出した。
* * *
ふたりは手をつないだまま、しばらくのあいだ無言で通りを歩いた。
どこか緊張して、ぎこちない空気。
騎士が足を止め、彼女のほうを振り返る。
「強引に連れ出してごめん……怒っている?」
「怒ってなんかいないわ」
娘はそう答えるのが精一杯だ。
いつもは余裕たっぷり、笑顔の下に本心を隠すのが得意だというのに、どういうわけか彼の前にいると、上手く振舞えない。
顔が赤らみ、声はか細く震える。
騎士は肩の力を抜いて、そんな彼女を愛おしげに見つめた。
「そういえば僕たち、ちゃんとしたデートをしたことがなかったね。その、よかったら……これから町を散歩しませんか?」
つないでいた手の拘束が少しゆるみ、優しく包み込むようにつなぎ方が変わる。
それに気づいた娘は、じっと彼の目を見返した。
そうして娘は頬を染め、
「はい、喜んで」
と答えると、幸せそうな笑みを浮かべたのだった。
それからの時間はあまりに楽しくて、あっという間に過ぎ去った。
娘はいつになく明るい笑い声を上げ、踊るように歩いた。
アイスクリームを食べたり、髪飾りを選んでもらったり……それはなんてことない町歩きだったけれど、こんなに楽しかったことってないわ、と娘は考えていた。
彼は色々話してくれた――家のこと、友人のこと、好きなパンについて。
娘も色々話した――彼女の場合は主にREDの話題になってしまったのだが、彼は彼女が話すことならなんだって、楽しそうに聞いてくれる。
いつも大人びている彼女がこんなふうにはしゃぐのは、とても珍しいことだった。
いつだって彼女は、自分を抑え込んで生きてきたから。
彼女はずっと『見守る立場』だった。妹のREDのことを心配するのが先で、自分のことはいつも後回し。
妹を守らなくちゃ。私はお姉ちゃんなんだから。しっかりしなくちゃ。
だから騎士がこのデートで、彼女がよろければ支え、彼女のことだけを見てくれたのは、ものすごく新鮮で、くすぐったい気持ちにさせられた。
プロポーズ作戦はやめたのね……彼女はデートの途中で気づいた。REDが計画をバラしてしまったことを、彼は知ったのだろう。
昨日までは夜も眠れないほどで、あんなに意気込んでいたというのに、プロポーズ作戦が中止になったと分かっても、がっかりしていない自分がいる。
だって……指輪や花火より、こんなふうに当たり前のデートをするほうが、ずっと素敵じゃない?
結婚というのはただの形式で、本当に大事なことは、こんなふうに互いが互いを慈しんで、楽しく時を重ねていくことなのだろう。
永遠に続けばいいと思うような時間ほど、早く過ぎる。
ふと気づけば日も暮れかけ、あたりは薄暗くなっていた。
彼が店先まで送ってくれた。この扉の前――ここが初めて、彼と出会った場所だ。
ここからすべてが始まった。
騎士が改まった態度で膝を折り、目の前で跪く。
ふと気づけば、彼の手のひらには、赤いビロードのリングケースが載せられていた。
「今日のように、あなたが僕の隣でずっと笑顔でいられるよう、生涯、努力をすることを誓います。愛しています――結婚してください」
娘は涙をこらえながら、晴れやかな笑みを浮かべた。
「ええ、喜んで! 私もあなたを愛しています」
娘の華奢な指に、綺麗な指輪がはめられた。
その瞬間、ひゅう――……と白い光が空を駆け上がって行った。
闇夜の中、尾を引き、天空に向かって真っ直ぐに伸びて行く。
ドーン!
太鼓を叩くような破裂音が響き、夜空に大輪の花が咲いた。
騎士は立ち上がり、若いふたりは手を取り合って、その美しい光を言葉もなく見上げた。
花火が打ちあがったのは、お城の方角。
一発目を皮切りに、次々と豪勢に、たくさんの花火が上がり、夜空に弾ける。
ひとつの幸せが、別の幸せを連れて来るかのように、切れ目なく、光の欠片を振りまきながら。
各家庭から人々が見物のため、通りに出て来た。
皆驚いたような顔をして、すぐに笑顔になる。
……これは王様とRED、ふたりの合作だな。騎士は小さく息を吐いた。
先日のことだ。
REDの暴走に困り果てた騎士は、少し申し訳ない気はしたものの、思い切って王様に相談してみた。
「派手なプロポーズをするつもりはないと、REDに言ったのですが、聞いてもらえなくて」
すると王様は、
「当日はREDを外に出さないようにするね」
と約束してくれたので、彼も安心することができた。
そんなことがあったので、花火は本来『なし』のはずだった。
……結局王様も、好きな人には弱いということだろうか。
あの完璧超人が、ちょっと抜けているあの赤茶ネズミに振り回されているのかと思うと、なんとなく感慨深いものがあった。
「見て、薄桃色の花火!」
愛する人が隣で笑っている。
騎士は心の中でREDと王様に感謝し、善良な彼らと家族になれることを、素直に喜ばしく思った。
* * *
妃候補はパン屋の娘(終)
妃候補はパン屋の娘 山田露子☆10/10ヴェール小説3巻発売 @yamada_tsuyuko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます