11.パン焼き娘コンテスト


 舞踏会で顔を合わせた王様とパン屋の娘は、どんな話をしたのだろうか?


 その数日後、王様が、


「――この国で一番パン作りが上手い娘を、僕の妃にする」


 と言い出した。


 ……これはもしかすると、舞踏会でふたりのあいだに何かあったのかもしれない。


 けれどお城の人たちは詳細を何も知らずにいた。舞踏会でふたりが会ったことさえも。


 王様に指示されたとおり、『パン焼き娘コンテスト』を開催するため、部下たちは準備に追われ……。


 そしてとうとう、コンテストの日がやって来た。




   * * *




 お城の前に、パンを持った娘たちの行列ができている。


 これは一次審査を受ける者たちの列だ。一次の審査員を務めるのは、お城の料理人で、参加者を誘導している。


 けれど貴族の娘たちは、


「この私に一次審査を受けろ、ですって? 無礼(ぶれい)ですわ!」


 と腹を立てて、当然のようにルールを無視した。一次審査会場を素通りして、勝手に奥へと進む。


 平民の娘たちは我儘を言うことなく、真面目に一次審査を受けた。そして審査に通った者だけが奥に進んだ。


 こうして公正に審査を勝ち抜いた平民の娘と、審査を受けずにズルをして入り込んだ貴族の娘――計三十名の参加者たちが大広間に集合した。


 部屋の隅には娘たちの親や、お城の関係者も多く集まり、遠巻きにこの戦いを見守っている。


 そして観客の中に、ローブを身に纏った赤髪の娘の姿もあった。




   * * *




 奥の立派な扉が開き、王様が広間に入って来た。


「――さぁ、それではコンテストを始めようか」


 彼がそう告げると、広間にざわめきが走った。


 近頃は表に出て来なかった王様が、こうして人々の前に姿を現したのは、久しぶりのことだ。観客たちは王様を遠目に眺め、ソワソワしている。


 プラチナブロンドの髪に、陽光が反射した海を思わせる深い青の瞳。優美な彼がぐるりと辺りを見渡せば、王様を熱心に見つめていた娘たちは、大半がポウッとのぼせあがり、持っているパンを落としそうになる。


 皆がモジモジと恥ずかしがるなか、一番初めに、高慢ちきな娘がズイ――と前に進み出て来た。彼女は上品に焼き上がったパンを、審査用のテーブルに載せる。


 王様は近くに控えていた大臣に目配せして、ある人物を連れて来させた。


 横手の扉から広間に入って来たのは、白衣を着た丸顔の男だ。


 高慢ちき娘は、この場に出て来たのが実家で雇っているシェフだと気づき、目を丸くした。けれど動揺を見せたのは、ほんの一瞬のことだった。


 娘はすぐに背筋を伸ばし、シェフを睨みつけてやった。


 ――余計なことを言うんじゃないわよ、分かっているでしょうね! 視線だけでも迫力は十分だ。この無言の脅しが効き、シェフは震え上がっている。


 王様が落ち着いた声音で娘に尋ねた。


「このパンをどうやって作ったのか、説明してくれ」


 高慢ちきな娘は『あれをこうして、ああして』と、得意げに説明を始めた。その点、抜かりはない。事前にシェフから作り方を聞いておき、ちゃんと暗記してきたのだから。娘は焼き上げる時に苦労したところまでも、スラスラと語った。


 王様は小さく頷き、


「なるほど、面白い。もっと詳しく知りたいので、作った場面を再現してもらおうかな」


 と言った。これに娘は目を丸くした。


「え?」


「ああ、君は何もしなくていい。君の記憶に訊くから」


 そう告げてから、手をひと振り。


 すると。


 高慢ちきな娘はくるりと目を回したあと、数時間前に自らが取った行動を、この場で再現し始めた。


「ほら、グズ、さっさとパンを焼きなさいよ! あたしの代わりにあんたが焼いたって、誰かにひとことでも漏らしてごらん――お前のお腹の贅肉を切り落として、それをシチューに入れて、煮込んでやるわよ!」


 高慢ちきな娘は焦った。


 ――ああ、やだ、どうして勝手に口が動くのかしら!


 すると近くにいたシェフのほうも、数時間前の自分の言動を再現してしまう。


「ああ、おやめくださいませ、お嬢様! お嬢様の代わりに、わたしくめがパンを焼きますから! だからどうか、ぶたないで! ひどいことをしないで!」


 王様がサッと手を振ると、魔法が解けて、ふたりはピタリと口を閉じる。


 王様は底冷えするような瞳を娘に向けた。


「私の前で嘘は通じない。――さぁ、ほかの者たちも。同じ目に遭いたくなければ、ズルをした者たちは、今のうちに去るがいい」


 ――こうして参加者の九割以上が、背を丸めてトボトボと帰って行った。


 別の者に作らせて、自分でパンを焼いていないのだから当然だ。


 さて、気を取り直して。


 二番手に名乗りを上げたのは、ドジなことで有名な娘だった。


 彼女は黒焦げのパンを得意気に差し出してきた。彼女も貴族の娘であり、一次審査を受けていない。


 王様は小さく息を吐き、


「それは君が自分で食べてみなさい。……そもそもこれは食べものなのか?」


 と冷たく言い放った。


 ずっと親に甘やかされて育った娘は、他人から賞賛以外の台詞を初めて言われたため、びっくりしてしまった。


 そして黒炭みたいな失敗作を見おろし、『こんなもの、自分では食べたくないわ』と思ったので、それを抱えてすごすごと帰って行った。


 次にお金持ちの娘が進み出た。


「わたくしは自分で焼きました」


 確かにそうだろう、王様はそれを見て思った。高級食材を惜しげもなく使ったパンだ。肉の塊に、魚卵、フルーツ、金粉など……ゴテゴテしていて、おどろおどろしい。


 王様はナイフでそれを削ぎ切ると、近くで寝そべっていた犬のほうに差し出した。


 すると犬でも食べなかった。


「帰れ」


 王様が短く告げると、娘はいきり立った。


「ひどうございます! 高級な食材をこれでもかと入れたパン、不味いわけがございません」


 自分で食べてから言え、という台詞を口にしかけた王様であったが、ふと思いついて、こんなことを言い出した。


「そなたは『高級なものを惜しげもなく入れれば、最高のはず』だと申すのだな。――ではこの最高級のマントを着て、隅のほうで見学していなさい。コンテストが終わるまで我慢できたなら、私もこのパンを食べてやろう」


 言い終わると同時に、王様は手をひと振りし、娘の肩に赤いマントをかけた。


 高級な宝石をこれでもかと贅沢に縫い込んだそのマントは大層重く、それを肩にかけられた娘は、岩を背負わされているような気分だった。立っているだけなのに、すぐに脂汗をかき始める。


 娘はちっとも我慢することができずに、すぐに帰って行った。


 さて、そうこうするうちに、参加者は最後のひとりになった。


 観客たちはそれを見てどよめいた。


 ――あれは、町一番の嫌われ者じゃないか! 悪魔のパン屋の娘!


 パン屋の娘が持って来たのは、なんてこともない、普通のパンである。


 王様はそれを指で千切り、口に運んで味わった。


 やがて彼の顔に淡い笑みが浮かぶ。


「――気に入った。そなたのパンが、一番美味しい」


 娘は気取らぬ仕草で軽く膝を折った。


「ありがとうございます」


「このパンは本当にそなたの作か?」


 念のための確認――というように王様が尋ねると、娘は顔を上げ、悪戯っぽく微笑んでみせた。


「王様に申し上げなければならないことがございます。実はこのパン、焼き上げたのは確かにわたくしですが、パン作りのある部分を担当したのは、別の娘なのでございます。――その場合、優勝者はわたくしとその娘、どちらになりますでしょうか」


「より重要な役割を果たしたほうだ」


 先ほどは、他者に手伝ってもらった挑戦者たちを、冷たく送り返した王様であったが、今回はそうしないようだ。


 しかしこの場の異様な空気に呑まれて、誰もそのおかしな点に気づくことはなかった。


「確かに、さようでございますね。――では、優勝者はわたくしではなく、魔法を使って小麦粉を挽いてくれた、わたくしの妹になるかと思います。このパンの味、かなめは粉にございます。ですから妃になる権利を、妹に譲ります」


 パン屋の娘はそう言ってから、くるりと背後を振り返った。


 視線の先にいるのは、壁際に張りついて成り行きを見守っていた、赤毛の娘。


 ――REDはこの展開に驚きすぎて、息を『ひっ』と吸ったまま固まってしまった。


 視線を巡らせると、王様の深い青の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめていることに気づく。


 コンテストのあいだ中、ずっと冷淡だった王様の瞳が、優しく笑んだように変化しているのを、観客たちは茫然として眺めていた。


 まるで時間が止まったみたいだった。


 しんと静まり返った会場を、コツ、コツ……と足音を立てて、王様が横切って来る。


 REDは彼が近づいてくるのを、信じられない気持ちで眺めていた。


 こんなの聞いてない、聞いてない……! 目がぐるぐる回る。


 先日の舞踏会で、REDは姉と王様が仲良くダンスをする場面を見た。


 REDはネズミの姿で高窓にちょこんと腰かけ、眼下で寄り添うふたりを眺めていた。


 踊る姉は妖精女王のように美しかった。


 王様は評判どおり……いや、評判以上に素敵だった。


 だからふたりはとてもお似合いだと思ったのだ。


 REDはどこか寂しいような気持ちで、お似合いのふたりを、暗がりから見つめていた。自分は決してスポットライトの真ん中に立つことはないのだと考えながら。


 それなのに……。


 目の前まで来た王様が跪き、REDの左手をそっと取って、彼女の薬指に赤いリボンをまいた。器用な手つきだった。そうして乞うように彼女を見上げる。


「――結婚してくださいますか」


 REDは結ばれたリボンをじっと見おろした。


 これって、いつも『ネズミのRED』が首に巻いていた、赤いリボンみたいだ。


 じゃあ……もしかして気づいていたの? REDの正体……。


 そうっと王様の顔を盗み見ると、ネズミの姿で一緒に笑いあった、あの優しい瞳が真っ直ぐこちらに向いている。


 REDの瞳がじんわりと熱くなった。


 家族以外からこんなふうに、慈しむように見つめられたことはない。


 そして自分も誰かを見つめ返して、こんなふうに、胸が高鳴ったことはない。


 だから小さな声で返事をした。


「……はい、陛下」


 それを聞いて、王様がホッとしたように笑った。


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