4.ヘドロ棒の悪魔
「陛下はさ、平民の魔法使いが、町中の人から嫌われているのを知っている?」
REDが尋ねる。
王様は気重そうに頷いた。
「十五年くらい前に広まった迷信のせいだよね……平民の魔法使いは魔力を制御できずに、人に危害を加えてしまう、という」
「そう、それ――魔法使いがすべて危険というわけじゃなくて、あの迷信は『平民の魔法使い』限定の悪口なんだよな」
それを聞き、王様が『悪質なデマだな』とため息を吐く。
「魔法使いは王族に多く生まれるけれど、王族の魔法使いについては何も言われていないよね」
魔法使いになれるかどうかは『血筋』で決まると言われている。歴史上、王族からは優秀な魔法使いが数多く誕生していて、その反対に、平民から魔法使いが生まれることはほとんどなかった。ここまでは根拠のある事実だ。
そして問題になるのは、この部分――平民から魔法使いが誕生した場合、問題を抱えていて、魔法で人を殺してしまったという記録か残っている――それが十五年ほど前に広まった噂だ。
この噂を聞いた町の人たちは、『真実だ』と信じた。『平民の魔法使いは人を襲うから、近づくと危険だ』と。
なぜ信じたかというと、皆が言っていたからだ。
皆が言っているのだから、嘘なはずがない――多くの人が当たり前のようにそう考えた。
「あの迷信、広まるスピードが早すぎて、おかしかっただろ? 俺は昔、あのデマを広めたやつが誰なのか気になってさ、調べたことがあるのさ」
REDはジャガイモが入った木箱の上で足を組み、ネズミのモコモコあんよをプラプラ揺すりながらそう言った。
王様はREDの話に驚き、目を丸くした。
「そうなの? 誰が広めたか、分かった?」
「分かった」
REDはネズミヒゲを指でしごきながら答える。
王様は『すごい調査能力だな』と感心した。
「教えてよ、RED」
「あのな」
REDは体を隣に座る王様のほうに向け、あぐらをかくと、少し前のめりになった。
「今から十五年ほど前――それはあのデマが広まるよりも前のことだが、平民の魔法使いが魔力の暴発で死んでしまうという、不幸な事故が起こった。その魔法使いは教会を焼いてしまい、自身もそれに巻き込まれた。亡くなったのは本人のみで、ほかに死人は出なかったんだけど、教会が丸々焼けてしまったもんで、人々に強い印象を残した」
それが起きた際、王様はまだ子供だったが、話は聞いたことがある。
「確かにそんな事故があった……けれど、『平民の魔法使いが人を襲う』という迷信がはやったのは、だいぶあとだよね? 内容も、タイミングも、ズレている」
「そう」頷くRED。「その不幸な事故を利用して、自分の利益のために、変な噂を広めたやつがいるってことさ」
王様はハッとして、目の前の赤茶ネズミを見つめた。
「それって大問題じゃないか……!」
「人間はいいやつのほうが多いけど、たまにずるくて汚いやつもいるんだ。悲しいけどな」
そう語るREDの瞳はどこか冷めている。すべてをありのまま受け入れて、自分の中ではすでに気持ちの整理がついている……そんな顔つきだった。
「RED……」
「調査の結果、あの迷信は、とある織物商人のもとから広がったことが分かった。織物商人の息子が、店にやって来た噂好きの主婦にこのネタを流したことがきっかけで、それはどんどん広がって行った――一日目に数人に語ったのが、翌日には百人に広まり、翌々日には町の半分以上の人が知っていた」
「織物商人の息子は、なぜそんなことをしたのだろう?」
王様は不思議に思った。一体なんの得があってそんなことを?
「当時、そいつには好きな女の子がいたんだよ」
半目になるRED。馬鹿馬鹿しい……ネズミフェイスにそんな感情が浮かぶ。
「でも相手からはあまり好かれてなかったみたいだ。その子にはほかに好きな男がいてさ、それは中流家庭育ちの青年だった。そしてその青年は魔法が使えた」
「平民の魔法使い、か」
「そう。魔法を使える彼に、女の子は夢中だった。性格も良くて、素敵な男の人だったみたい……だけど織物商人の息子は負けを認めなかった。あいつのどこがいいんだ、貧乏人だし、ただたまたま魔法が使えただけじゃないか、全然すごくない――そんなふうに恋敵を憎んだ。憎らしい、憎らしい、なんとかして足を引っ張ってやりたい、って」
「まさか、そんな馬鹿げた理由で、あのデマを広めたっていうのか?」
「呆れちゃうよね」
REDが悲しげな顔つきになる。ネズミヒゲがしょんぼりと垂れた。
「タイミングも悪くてさ――そのデマが広まり始めた時に、別の場所でまた火災が起きたんだよ。ある宿屋のキッチンから火が出て、火は大きくなる前に消し止めることができた。でも宿屋の息子が魔法使いでさ――事実がねじ曲がって、『また平民の魔法使いがやらかしたぞ!』ってなっちまったわけ」
人々はひそひそ声でこんな噂話をした。
――やっぱりあの、『平民の魔法使いは危ない』って話は本当みたい。
――やだわぁ、教会に続いて、今度は宿屋を燃やしたんだって?
――ある程度の年齢になると、人に危害を加えたくなるらしいよ。
――勝手にひとりで死んでくれればいいのに、周囲を巻き込むだなんて、迷惑ねぇ。
「織物商人の息子の思うとおりになったわけだ――そのデマのせいで、平民の魔法使いの評判が下がった」
王様が暗い顔で言う。
REDが答えた。
「そいつのずるいところはさ、おとしめる対象を『魔法使い全員』としなかった点だな。ほら、王族には優秀な魔法使いが多いだろう? そこを含めてけなしちゃうと、不敬罪(ふけいざい)になっちゃうじゃない? だから『王族は大丈夫なんだけど、平民の魔法使いが危険なんだ』という内容にしたんだな」
王様は真剣な顔でREDを見つめた。
「織物商人の息子は法的に罰(ばつ)を受けるべきだと思う。REDはそう思わない?」
問われたREDは肩をすくめてみせた。口の端が少し上がっている。
「あのさ――『呪い』って実は、全然効果ないのよ、知ってた?」
話が急に変わった気がして、王様は呆気に取られる。
「え? 急に何?」
「織物商人の息子は嫉妬から、平民の魔法使いを恨んだ。悪口を言いふらして、『嫌がらせ』の呪いをかけた――でもね、呪いって全然相手に効かないんだよ」
「どうして?」
「考えてみて? 陛下がさぁ、誰かに憎しみを向けられて、呪われたとしたら、それを素直に受け取る? どうぞ呪ってください、って」
「いいや。絶対に受け取らない」
「でしょう? 受け取られなかった呪いは、行き場がなくなって、呪った本人に全部返るわけ」
「でも呪われていてることに、気づかなかったら? うっかり無意識に受け取っちゃうかも」
「いいや、うっかり無意識に受け取るなんてことはない。絶対ない――これは断言できるぜ」
REDがあまりに自信満々に言うので、王様は不思議と『確かにそうかも』と納得できた。
「その織物商人の息子は、何も悪いことをしていない相手を呪ったからさぁ……すごい呪い返しがきたんだよ。幸運が全部逃げてしまって、超悲惨でさ……もうみじめなもんよ。今とんでもないことになっている」
とんでもないこと……? なんかすごそうだな。
「じゃあ、その織物商人の息子は、好きな子を手に入れられなかった?」
ずるいことをした人間が得をするなんて、あんまりだと思ったから、王様は祈るような気持ちでREDを見つめた。
すると赤茶ネズミがにやりと笑った。
「そうさ、もちろん! その娘さんは、平民の魔法使いさんと結婚したそうだよ。ただ……王都は住みづらいっていうんで、西のほうに引っ越して行ったってさ。そっちまではデマが広まらなかったから、幸せに暮らしているよ」
「そうか、よかった」
「まぁとにかくだ――それがきっかけで、平民の魔法使いは皆から嫌われ始めたんだよな。織物商人の息子は、狙っていた相手には呪いを送れなかったのに、関係ない場所に悪いものを残した」
「ほかの平民の魔法使いには、いい迷惑だったね」
「だけどさ、魔法使いだと周囲にバレなければ、それで平和に暮らしていけるじゃない? 人前で魔法を使わず、誰にも言わなければ、なんとかやっていけるんだから」
たとえば炎を出す魔法が使えたとしても、それが『かまどに火をともす』程度の力ならば、他人が近くにいる時は火打石を使えばいいので、本人さえ気をつけていれば、周囲にバレようがない。だから平民の魔法使い全員が、人から嫌われているわけではない。
とはいえ……REDは考えを巡らせる。
魔力が大きすぎると、隠しきれない場合もある。
それはたとえば、とあるパン屋に生を受けた、赤毛の子供のようなケースである。
* * *
上り坂の左手にある、一軒のパン屋さん。
十数年前まで、そこは人気の店だった。
無骨(ぶこつ)で大柄な店主の焼くパンは、香ばしくてフワフワで、バターたっぷり、頬っぺたが落ちそうな美味しさ。
陽気な妻は、親切な会話で客を楽しませる。
まだ子供だけれど、金色の髪をした可愛らしい長女。その子がお店に顔を出すと、客は笑顔になる。
そして長女の二歳下、十に満たない、赤い髪のやんちゃな末っ子。
赤毛の子供が魔法使いだと周囲にバレてしまったのは、地震がきっかけだったらしい。
地震が発生した時、末っ子は学校にいた。
突然の大きな横揺れにより、学校の石壁がグラリと波打ち、崩れ始めた。
「わぁ……!」
怯えながら頭を抱える子供たち――けれどいつまでたっても、上から何も降って来ない。
ん……あれ?
おそるおそる手をどけて、顔を上げる。
そして信じられない光景を目撃した。
石の塊がいくつも空中で静止していたのだ。まるで石の周辺だけ、時間が止まっているかのようだった。
壁の近くにいた子供たち十名以上は、石が空中で静止しているおかげで、命拾いをした。
けれど「よかったね」では済まされない。
子供たちの顔に浮かんだのは、『感謝』ではなく『恐怖』だった。
「おい――この中に魔法使いがいるぞ! 魔法で石を操っているやつがいる!」
ワンパクな鍛冶屋(かじや)の息子が叫ぶ。
それをきっかけにして、皆が狂ったように視線を動かした。そのうちに、せわしなく動いていた視線が一カ所に集まっていく。
赤毛の子供が両手を突き上げている――……あれは、パン屋の子供?
皆が顔色を変えた。
「なんだよ……あいつ魔法使いだったのか?」
「今まで俺たちを騙していたのか? 魔法使いだってこと、ひとことも言わなかったじゃないか!」
「普通の人間のフリをしていたんだ! 嘘つきめ!」
しまった……! パン屋の子供は顔をしかめた。
数年前に爆発的に広がった、平民の魔法使いに対する憎悪――パン屋の子供も幼いながらに、それを深刻に捉えていた。
平和に暮らしていきたいから、うっかり魔法を使ってしまわぬよう、いつもは十分に気をつけていたのに。
緊急事態で、無意識に体が動いてしまった。
……だけど、どうすればよかったのだろう? 自分なら皆を助けられるのに、魔法使いだとバレたくないから、見て見ぬフリをすればよかったのか?
そうは思えない――自分は正しいことをした。
赤毛の子供は両手を動かし、宙に浮いている石たちを、ゆっくりと床に下ろした。誰も傷つけないよう、慎重に。
そして背筋を伸ばし、覚悟を決めて、皆をぐるりと見回した。
次の瞬間、辺りは阿鼻叫喚(あびきょうかん)のすさまじい騒ぎに。
「悪魔だ――こいつが魔法で石を崩して、僕らを殺そうとしたんだ!」
その叩きつけるような甲高い声が忘れられない。
「それでだな……その日を境に、パン屋を訪れる客はいなくなった」
淡々とした口調でREDが悲しい話を語り終えたので、王様は悲しそうな顔になる。
「そんなことがあったのか……では、あのパン屋の人たちは、末っ子が魔法使いだと周囲にバレて、嫌われてしまったのか」
REDはパンのカスを鼻先から払いのけながら、『いやいや』と首を横に振ってみせた。
「まあそう焦るない。それはそうなんだが、それだけでもない。――さっき俺たちに焼きたてパンをくれた、金髪の綺麗な娘がいただろう?」
「うん」
娘がREDに優しく微笑みかけていたのを、王様は思い出しながら頷く。
REDは腕組みしながら難しい顔で目を閉じた。
「実はあの娘が『ヘドロ棒の悪魔』と呼ばれ、皆から激しく嫌われるようになったのは、別の事件のせいなんだ」
……ヘドロ棒の悪魔……。
王様は思わず半目になった。
こんなにもワクワクしない言葉を聞いたのは、生まれて初めてだ。
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