3.パン屋の常連さん


 REDに案内され、パン屋の店先に並んで立つ。


 店の扉は格子状にガラスが嵌め込んであるデザインで、外から店の中を覗くことができた。


 REDは前足をガラスにくっつけて、鼻先も押しつけちゃっている。


 王様はネズミ耳をピクピク動かしながら、呆れたように隣を見た。


 ……ちょっと自由すぎないか、RED? 店主に気づかれて、追いかけ回されたりしないよな?


 ネズミを歓迎する飲食店があるとは思えないので、ヒヤリとしてしまう。


 ところで今、店内にはひとりだけ客がいて、それは騎士の制服を身にまとった青年だった。二十歳くらいだろうか。


「あ、まじぃな……今、客が来てるわぁ」


 REDが苛立った様子でガラス部分に鼻先をコツコツ当てる。キツツキみたいな動きだ。


 その行為が注意を引いたのだろう……パン屋の娘がこちらを見た。そしてすぐに細長いパンを抱えて店から出て来た。


「――来たのね、RED!」


 その笑顔はキラキラと輝いて、とても綺麗だった。


「焼きたてのパンがあるのよ、食べる?」


 優しい声で尋ねられ、REDは前足をモジモジと動かしながら、コクコク頷いている。ヒゲがヒクヒク動いていて、口元はニマニマ。


 それでなぜかREDが王様の横腹を肘でクイクイ突き、『どうよ、これ?』みたいにアピールしてくる。


 そのはしゃぎぶりに、王様はくすりと笑みを漏らした。


 REDは娘から長パンを受け取ると、それを頭の上に捧げ持ち、ピョンピョンとその場で飛び跳ねて感謝の意を表した。


 娘がそれを見てくすくす笑う。


「じゃあね、RED」


 娘がバイバイしたのを合図に、REDはパンを捧げ持ったまま、二足でスタコラ走り出した。王様もあとを追う。


 店の裏手に直行し、二匹は向かい合った。


「ここの娘さんと知り合いなんだね」


 王様が尋ねると、REDは含み笑いとともに、流し目をくれてきた。


「あ、気になっちゃうー? もう、やだー。まったく美人さんに目がないんだから、陛下はぁ。この、このー」


 なんだこれ。なんか急に『陛下』呼びしてきたぞ。そのあだ名をつけたことは一応覚えていたんだな。


 あと、どうでもいいけれど、この場面で『陛下』呼びされると、いやらしいお偉いさんみたいなニュアンスで聞こえてしまい、ちょっと嫌だ。


「君が店先でぐいぐいアピールするから、ネズミ捕りに放り込まれたらどうしようかと心配になっただけだよ」


「ばーか、そんなお間抜けするか、っての。この店の娘とは仲良しなわけよ。ほかの店じゃこうはいかねえから、食いものにありつくのなんて意外と簡単じゃん――とか舐めてかかっちゃだめだからな」


「はいはい」


 ちゃんと心得たもので、王様はいちいち逆らわない。


「じゃ、パン半分こな」


 REDが「そっち持て」と言うので、王様も直立二足になって、パンの端っこを前足で掴んだ。反対側はREDが掴んでいる。


「互いに引っ張り合いっこすれば、ちょうど半分のところで切れるはずだ」


 到底そうは思えなかったが、REDが「ぐぎぎ……!」と歯をくいしばって引っ張り始めたので、仕方なく王様もそれにならった。


 しかしパンは思ったよりもずっと硬かった。REDの両手がスポーンとすっぽ抜ける。


 REDは全力で後ろ向きに力を入れていたので、そのままゴロンゴロンとでんぐり返ししながら、向こうのほうに転がって行った。


 王様はパンが地面に落ちてしまわないよう、慌ててパンの下に潜り込んで支えるのに忙しくて、REDを助けてやることができなかった。


 後転はやがて止まり、ベシャリと潰れた憐れな赤茶ネズミの姿が……。


 REDはしばらくしてから、腹についた土を払いながら立ち上がる。


 計画が上手くいかなかったREDは、無言でそっぽを向きながらトテトテ戻って来た。


 ……なんだこれ、気まずい……王様はそっと瞳を伏せた。自信満々だったやつが犯したお間抜け失態は、見ていて居たたまれないものがある。


 可哀想に思った王様はこっそり魔法の力を使い、パンの真ん中に切れ目を入れてやった。真っ直ぐに切ってしまうと魔法を使ったことがバレるので、ギザギザになるようにしたから、無駄に高度な術を使ってしまったが。


 そうしておいてから、素知らぬ顔で声をかける。


「なぁRED、今ので半分に切れたみたいだぞ」


「えっ……あ、ああ、そう? だろう? ちょっと、さっきのは……手が滑っただけだからさ」


 REDは機嫌を直し、半分こになったパンの片割れを掴むと、ジャガイモが入った木箱の上に飛び乗った。


 王様もそれにならって隣に座る。


「うほー、いい匂い」


 REDはパンの表面に鼻を押しつけ、クンクンしている。


 パンは砂糖漬けのドライフルーツを練り込んだもので、表面には星型の模様がつけてあり、作りがずいぶん凝っている。小さな女の子なら、食べる前に星模様を見て「可愛い!」と喜んだだろう。


「最近、硬いパンにはまっててさー。あえて硬めに焼いてもらってんの」


 REDはそう言いながら、パンの真ん中に頭を突っ込んで食べ始める。


 王様もパンをかじってみた。


 うわ……美味しい……。


 生地自体がもう抜群に美味い。お城の料理人が焼いたものなど、これと比べたら足元にも及ばない。


 しかし不思議である。どうして先ほど店内を覗いた際、客がほとんどいなかったのだろう? 年若い騎士、たったひとりしかいなかったようだが……。


 この味ならば、もっと店が繁盛していてもよさそうなものなのに。


「どうしてあの店はあんなに空(す)いているの?」


 王様の問いに反応して、REDが顔を上げた。


 パンの真ん中をくり抜いて、顔を突っ込むようにして食べ進めていたために、REDが起き上がると、『頭部が丸々パン』という異形(いぎょう)の生きものに変わっていた。パンの頭部にネズミの胴体を持つ、悲しき怪物がそこに……。


 怖っ……!


 王様が固まっていると、REDは内側からパンを食い進め、側面に穴を開けてそこからひょっこり顔を出した。


 これにより『パンの頭』から『パンの帽子』に変わったので、だいぶマシな見た目になった。


 ――パン帽子をかぶったネズミが、ユラユラ重そうに頭を揺らしながら口を開く。


「どうしてあの店があんなに空いているかって? それはな、陛下――涙なしでは語れない、深い事情があんのさ」


 こうしてREDは、あの美しいパン屋の娘が、いかにして町一番の嫌われ者になったのかを、語り始めた。


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