0-41 二百年前の事件
あれから、約三日が経った。試験が終わってから、茶寓さんは俺に自宅待機を命じた。怪我の治療も兼ねているらしい。
俺は大人しく、十九インチの低画質テレビを見て過ごしている。時々音声が途切れ途切れになるので、早くも『買い変えたい』と思い始めている。
肝心の合否は、まだ言い渡されていない。起きた瞬間から就寝時間まで、心臓はせわしなく動いている。ふとした時に、『不合格だったらどうしよう』などと悶々と考え込んでしまう。
肩を叩かれ、声をかけられた。振り向くと――総団長ではなく――登山仲間が見舞いに来てくれていた。ちなみに、玄関の扉は破壊されたままなので、誰でも入れる状態だ。
二人は、すでに完全復活している。パペ住宅街の人たちも、ヒノテアスープを飲んで健康を取り戻していると伝えられた。
今日までこの身に怒っていたことは、すべて夢の中ではなかった。未だに信じられないのも噓ではないが、もう悪夢だとは思い込んでいない。
俺は確かに、この世界で生きているのだ。これから何度も自覚するし、生き延びようと試行錯誤するだろう。
「さて、無事に帰還したからのう。約束通り、わたしの家族の話でもするぞい」と、オンニさんは微笑んだ。
最後のキャンプでの約束を、果たす時が来た。俺の隣に座り、窓の先に広がる空を見る。雲一つない快晴で、散歩日和だ。
「今日は、三月三十日か。ちょうど二百年前に、わたしは家族を失った。娘と娘婿と、孫じゃよ。一瞬だった。アイツに殺された」と、彼は深淵に放り込まれた表情をする。
俺は、理由とか過程とかを全部吹き飛ばし、思い当たる犯人の名前を言った。
「ナイトメアですか?」
「の、手下じゃな。強いシニミだった。すべての羽を持って行かれるほどにな。未だに生きているだろう」と、背中を見ながら答えた。
彼は、孫の顔を見れなかったことを、ずっと後悔していると吐露する。
「わたしの婚約者は、獣人族……半分が獣で半分が人間である、獣人族じゃった。もう寿命を迎えている。今は、天からわたしを見守ってくれているだろうな」
「妖精族って、他の種族と結婚しても、子孫は純妖精のままなんだよな?」と、スタンさんが質問する。老人はゆっくりと頷く。
彼の娘の結婚相手は、人間だった。ユーフォリー家は、一度も人間とは婚約したことが無かった。彼の孫は、例にならって純妖精だったのだろうか。いや、覆して人間の血も流れてたかもしれない。
どちらにせよ、輝かしい未来が待っていた。そんな歴史的瞬間に、立ち会えるはずだった。
「なのに、この世へ出る前に死んだ」
二百年前ということは、人間の年齢にするとオンニさんは、四十五歳で祖父になった。俺たちからしたら早すぎる気がするが、妖精族にとっては普通なのかもしれない。
彼は、家族のことをずっと想っている。シニミによる犠牲者を増やさないために、単独で危険地帯を調査している。
彼の他にも、同じような志を持っている人がいるだろう。たとえソフィスタではなくとも、誰かのために働く人たちが。
「末成くん。ジジイがおせっかいを焼いても良いかえ?」と言われたので、頷いた。老人はお礼を言って、話し始めた。
「付き合う人を決めたら、その人を良く知るのが大事じゃぞ。好きな食べ物、嫌いな人、特技、趣味……何でも良い。お互いに無関心だと、関係が続く訳ない。たとえ、家族でもな。何度も言うが、わたしは君に会えて嬉しかった」
ここには地球とは違って、俺の迷いを振り払ってくれる人がいる。オンニさんは薄く光る緑色の目で、俺に視線を合わせる。慈しみを宿していて、安心を与えてくれる。
「君の戦いは、魂に勇気を湧かせる。そして、誰かを笑顔に出来る。スタンくんのようにな」
「おうよ。俺たちは、アンタに救われたんだ。もうパペ住宅街は、末成さんのことを馬鹿にできねぇよ!」
出会いと別れが突然にも来る。誰にも予測出来ないのが、人の繋がりなのだ。試行錯誤した運命の末にある天命のように、自分が思ってもいない結末を導く可能性がある存在。
俺たちはあの日、運命を変えた。それに伴うようにして、天命も変わった。だから、こうして今も生きている。
「どうじゃった? あの修行は、君の道を作れる糧となったかのう?」
「えぇ。俺は強くなったと、胸を張って言えます」
「そうか。この二週間でとても
そう言ったオンニさんは、右手を差し出した。腕を伸ばして握手すると、彼のぬくもりが伝わった。
スタンさんとも握手をして、お互いに笑顔が零れた。彼は地元に戻る。また別の依頼を出すかもしれないから、引き受けてくれと言われた。
「末成さんなら、いつでも歓迎するぜ!」
「時の気まぐれの中で、また会えると良いな。さらばじゃ」
妖精が住民の裾を引っ張って、一瞬で姿を消した。もうこの部屋には、俺しかいない。
けれど、心は寒くなかった。
テーブルの上に、目を向けた。山頂にて茶寓さんが撮影した写真が、綺麗に飾ってある。朝焼けを背景にした、笑顔の俺たちが映っている。
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