覚醒編

0-37 煌めく双星の下で

 スタンさんが時間稼ぎしている内に木陰まで行き、オンニさんを隠すようにして降ろした。木に寄りかかるように座る彼は、静かに浅く呼吸している。


「末成くん、わたしはもう戦えんよ。けれど、妖精族は意外としぶとい生き物じゃ。そう簡単に命は落とさん。少し休んだら、動けるようになる」と言った彼に、心の底から安堵した。

 彼は、全身に墨を食らっている。毒も回っているので、長時間放置する訳にはいかない。


「……テレスコメモリーの、中にいる人よ」と、彼は呟いてそっと歪な望遠鏡を握りしめた。魔力が少しずつ、中へ入っていく。


「見るがいい、末成くんはアネモネすらも含んだぞい。もう、立ち直っている証拠じゃよ。だが、彼一人だと状況が変わらん。だから、もう一度共闘してみると良いぞい」

「はい。もう迷いません。マルカを倒すためなら、どんなモノでもテレスコメモリーの中に入れます。この顔で、奴に打ち勝ってみせます」

「それでこそお前さんじゃな。こうやって誰かに想いを託すのも、悪くないの。わたしとスタンくんの願いを背負って戦うのは、ちょいとプレッシャーになるかもしれん。けれど、テレスコメモリーとなら乗り越えられるぞい、ワハハ!」


 笑った老人は、ゆっくりと目を閉じた。


「後は頼んだぞい。起きた時には、晴天が見れると信じてな……」


 俺は武器を握り締め、立ち上がった。茶寓さんの所に帰ると、約束した。スタンさんたちの健康を守るために、依頼を引き受けた。オンニさんの魔力と想いを、受け継いだ。


 どうか、俺たちの想いが貴方に届きますように。


 歪な望遠鏡を上に掲げ、二つの星と重ね合わせた。暗雲の中で輝いているのは、心を貫いた者であると言わねばならなかったから。


 戻った際には、敵が依頼人を殺そうとしていた。一気に怒りの沸点が、頭の頂点に集中した。無我夢中で、テレスコメモリーをマルカの頭を目がけてブン投げた。


 パペ住宅街の代表から託された意志を受け取り、再びシニミとの死闘が繰り広げられる。


「結局は貴様か。天羅の杖を、返してもらう」

「これはお前のでも、ナイトメアのでもねぇ。俺の武器だ!」

「クソド底辺が!」


 墨のソウル――― 漆酷槍メタリック・スピア


 怒鳴り散らしたマルカは矢ではなく、両手用の槍を作り始めた。刺されたら一溜りも無いのは、一目瞭然である。

 奴は俺の内蔵を貫通させようと、距離を縮めようとしてきた。後ろへ逃げながら、シニミを観察する。今は槍を持っているので、無暗に墨をぶつけても意味が無い。


 だが本当にダメージを受けないのなら、何故直前で消失する必要がある?


「貴様が俺を倒せる訳が無い!」と叫んだマルカは、槍を全力で一振りした。


 そこから墨の塊が数個出て来て、こちらへ飛んで来る。ベシャベシャと地面が汚れて行くが、俺はまだ逃げ続けている。


 どうにかして墨を当てようと、マルカは飛び上がり上空から槍を振り回し始めた。

 黒い雨が降り注いでいく。勢いも粒の大きさもあるので、油断していたらぶつかってしまう。


 俺は前にばかり注意を払っていたが故に、崖まで辿り着いていたことに気がつかなかった。急ブレーキをかけて、落ちる寸前の所で止まった。

 振り向くと、敵は墨がない場所へ降りて歩いていた。すでに、勝利を確信した表情をしている。


「自ら死に際に追いやるとは、哀れだ。追い詰められていると、まだ自覚していなかったんだな」

「……なんで避けるんだ?」

「何?」

「地面に落ちている墨を、何で踏まないんだ?」と、俺は奴の足元を指して質問した。


 手足が八本もあるくせに、器用に避け続けているのだ。そして、今は槍を持たずに浮かばせている。


 やはり、スタンさんの言う通りだったのだ。


 ずっと、騙されるところだった。手元ばかりに注目していたから。マルカは、一度も墨に触っていなかった。

 そう言うと、本人は肩を小刻みに揺らし始める。それから、大声で天に向かって笑い出した。


「何を言っているんだ? ほら、持っているだろ! さっきも、墨の雨を降らせるために振り回した! この手が見えないのか、もう失明しているのか?!」

「そうだな。俺も言い方が悪かった。さっきまで、で振り回していたんだろ? の可能性があるってことを、すっかり失念していたよ。本当の手がどこに隠れているのかは、分からない。もしも自分の手で持てたら、俺はテレスコメモリーを置いて、ここから飛び降り自殺してやる」


俺は返事を待たずに歪な望遠鏡を置き、靴と靴下を脱ぎ始めた。敵は目を見開いて、その一部始終を見るだけだった。

 唯一の武器が無くなった俺は、両手を広げて後ろに下がる。右足のかかとが地面からはみ出しても、青ざめないように強情を張る。


「貴様、自分が何をやっているのか分かるのか?」

「うん。お前が証明出来たら、俺はもう勝てない。さぁやってくれよ。自分の手で、その立派な槍を持って……俺の身体を貫いてくれよ」と言い切った俺は、目の前の動きに注目する。


 自分でも驚くほどに、内側から落ち着いていた。明らかに劣勢なのに、遠くからこの状況を眺めている気分だったのだ。


 対してシニミは、少しずつ冷や汗をかいている。それでも目つきを鋭くし、槍を持ち上げた。

 その瞬間、俺はしゃがみ込んだ。地面に落ちている石を拾い、怪物の腕に向かって投げた。命中した部分から、黒い液体がボタボタと垂れていく。


「二度も騙せると思うなよ。またもや見せかけを作るだなんて、本当に舐められたモノだな」

「クソ野郎が!!」


 墨のソウル――― 黒点弾丸スポッツ・スプラッシュ


 怒り心頭のマルカから、無数の墨の玉が投げられた。このまま、崖へ突き落とすつもりなのだろう。そうならないように、テレスコメモリーを持って突進し始める。


 黒い球が全身に当たり、皮膚が焼け始める。喉にも当たり、息が上手く吸えなくなった。


 脳裏に、パペ住宅街の住民を思い起こす。彼らはこんなのよりも、痛くて辛くて苦しい経験を積み重ねている。


 今さら泣き言を吐き、途中下車するのは論外だ。


 俺と同じように墨だらけになった、歪な望遠鏡を投げた。喉から手が出るほど欲しがっていながら、バケモノは取らずに避けた。その表情は、恐怖映像でも見たように青ざめていた。

 武器が手元に戻って来たので、そのまま突進し続ける。後退りしかしない奴の脚を、真っ黒の手で掴んだ。皮膚が溶け始め、怪物は悶え苦しみ始めた。


「これが、お前のソウルの威力だ! シニミになったからか? 自分の魂を制御出来ねーなんざ、情けねぇぞ!!」

「黙れ! 魔力が無いお前は、名前が無いのと同然だ!」と抵抗するマルカは、他の脚で俺を殴り、空中に出した墨をぶつけた。


 ぶたれ続ける俺は、次第に意識が遠くなってくる。足を掴む力が弱まったと同時に、特大の黒い球体を腹に食らった。血を吐き出しながら、再び崖際まで吹っ飛ばされた。


 仰向けに倒れ、朦朧とする俺の視界に映ったのは、爛々と光り続ける二つの星。この地獄を見下ろすように、遠くの天頂にて煌めく。


 その瞬間、俺はとある言葉を思い出した。



 ある所に、二人の旅人がいた。


 一人は南へ進み、もう一人は北へ進む。


 南へ進んだ者は【過去】と言うにすがり、


 北へ進んだ者は【未来】と言うを目指す。



 不運にも未知の世界へ降り立った少年が、いつまでも星へ手を伸ばす。右手の中に二つの希望を入れて、握りしめた。甲から赤い液体が垂れ、眉間へ落ちた。


 傍らに投げ出されたテレスコメモリーが、独りでに動き始めていた。

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