0-36 根気勝負

 俺は生まれてこの方、一度も魔法を攻撃として使ったことがない。パペ住宅街での戦闘は、いつだって殴り合いだった。傷を浅くするためか、膜を張るしかなかった。


 つまり俺は、今から未知の体験をするのだ。


 末成さんがオンニさんを負ぶって、走り張って行くのを確認した。目の前にいる男が、墨を出す。ジャンプして避け、注意を引き付けるために煽り始めた。


「お前は今さっき、俺が投げた石に当たった。つまり、俺でも攻撃ができるってことだよなぁ!? どの口が『ド底辺』って言えるんだ、マヌケ!」

「……良いだろう。そこまで八つ裂きにして欲しければ、望みどおりにしてやる!」


 予想通り、シニミのこめかみに怒りの血管が浮き出た。この様子だと、今まで楽をして生きて来たから、煽りに慣れていないのだろう。耳を傾けずに無視するのが、真の強者に違いない。


 墨のソウル――― 楼煙炭スモッグ・アウト


 また墨を出してきたが、液状ではなかった。気体にして辺りに充満させ、視界を塞いでくる。目に当たると染みるが、閉じると前が見えなくなる。


 煙の中で目を凝らしていると、マルカは背後から脇腹を刺してきた。


 同じ『墨』なのに、硬度が全然違う。できる限り『肉体強化魔法』をしているのに、容易く貫通してしまった。背後から「終わりだ」と声が聞こえた。


 あの二人はずっと、これを食らい続けていた。俺には想像もできない苦痛を、味わい続けている。もしもここで倒れたら、飛び出した意味がなくなる。


 決死の覚悟で、脇腹の墨の槍を掴んだ。


 これはマルカの腕と同化しているので、引き抜けなくしたのだ。油断して近付き過ぎたのが、この男の運の尽きだった。

 両手の皮膚が焼け、剝がれ落ちる。だがここで手離したら、奴は恩人たちを仕留めに行くだろう。それは、依頼人である俺が許せなかった。


「引き抜いてみやがれ、もっと刺してみやがれッ! 心臓をブッ刺されても、二度と逃げねぇぞ!」

「一突きにしてやろうと思ったが、止めよう。原型を留めれないほどに、全身を串刺しにしてやる!」


 墨のソウル――― 黒点弾丸スポッツ・スプラッシュ


 マルカは槍を切断し、俺から距離を取った。両腕と五本の足を前に伸ばし、無数の墨を撃ち放つ。その瞬間、俺は前転して煙幕から脱出した。底辺ですらハチの巣にできなかったのだから、敵は驚愕しているに違いない。

 荒くれ者しかいない貧乏街に、何十年も住み続けている。のらりくらりと騙し、言い逃れるために鍛えた口先と身体能力が、こんな窮地で役に立つとは思っていなかったが。


 俺は魔力が少ないから、普通に戦っても勝てない。それくらいは、分かってしまう。だから、手段を選んでいる暇は無かった。

 奴の魔法を利用しようと、脇腹の槍を無理矢理引き抜く。洋服は破れ、皮膚がボロボロと崩れ落ちる。筋肉と脂が見えて、赤い液体が噴き出す。


「これしきの痛みなんざ、パペ住宅街に蔓延している病気に苦しんでいる奴らに比べたら、屁の河童って奴よ! 食らいやがれ、クソ野郎!」と叫んだ俺は、槍投げの選手のように、敵の顔面を目掛けて投げた。


 自分の魔法に当たって怪我するのは、子供でもマヌケ扱いされる。俺の行動を何一つとして予測してない奴は、このまま丸焦げになるだろう。


 息を整え、両手で脇腹を抑える。晴れていく煙幕の向こうに、奴がいる。『やったか!?』と思いながら先を見据えていると、露呈した光景に絶句した。


 届いていなかったのだ。


 確実に射程距離に入っていたのに、シニミは無傷な顔で憎たらしい笑みを浮かべている。


「まさか、この俺のソウルを使って攻撃するとはな。だがな、この墨は俺に当たらないんだよ」と言った敵は、墨矢を作った。


 そのまま自分自身に向けて、突き刺そうとした。しかし、黒い武器は勝手に小さくなり、最終的には綺麗さっぱり消滅してしまった。


「これで分かっただろう? この墨は俺に近づくと、自動的に溶けて消えるんだ」


 奴に墨をぶつければ、勝てる。だが、ここでも現実を突きつけて来るのが、シニミだ。啞然とした俺は、右脚の太腿を貫通させられた。

 走るのはもちろん、歩くのにも苦労するようになってしまった。だが目の前の凶悪は、一歩だけでも踏み出すことを許さない。


「足りん魔力量の癖に、小賢しい事を思いついたのは褒めてやろう。だが、それもここまでだ。言っただろう、全身を串刺しにすると。死ね、愚かな人間が」と言った敵は、俺にトドメを刺そうとした。


 だが先に、どこからか飛んできた歪な望遠鏡が、奴の頭に当たった。そのままブーメランのように、持ち主の手元へ戻る。 


「―――末成さん!!」

「ありがとうございます、スタンさん。俺だって、もう絶対に逃げません!」と言った彼の右目はアネモネが消え、血が垂れ流しになっている。


 テレスコメモリーが淡く光っているので、魔力が入っていると理解した。それはオンニさんのだと、新星が教えてくれた。


「ここに来てから、ずっと助けられっぱなしだ。だから今度こそ、俺が助ける!!」

「ほざくなよド底辺。何度挑戦しても無駄だ。貴様は俺に勝てない」と言った怪物が脚を何本か持ち上げて、墨を噴出した。


 末成さんは俺の手首を掴んで立たせ、一緒に逃げ始める。


「スタンさん。俺のお願いを、聞いてもらっても良いですか?」

「もちろんだ! 俺に出来ることなら、何でも言ってくれ!」

「魔力をください。アイツを倒すためには、スタンさんの想いが必要なんです。必ず勝ちます」

「末成さん……なにをそんな改まって、畏まってんだ? そんなの、答えは一つしかねぇよ」と言った俺は、迷うことなく彼の武器を握り締める。


 魔力を吸われるというのは、身体中の力が入らなくなる。だが魔力を渡し切るまで、離さないと決めている。パペ住宅街への想いを乗せた、俺の全てを引き継がせる。


 俺は末成さんに、マルカの情報を伝える。息が切れて上手く話せないが、言葉を紡ぎ続ける。奴を倒すには、墨をぶつけるのが一番だ。

 だが奴に近づくと、墨は自動的に消滅する。どうにかして、墨をぶつけさせる方法を考える。それが、解決策と直結するのだと。


 叫んだと同時に、テレスコメモリーが魔力を吸収し終える。同時に、シニミの攻撃がすぐそこまで迫ってきている。


「これで俺は、実況者に逆戻りだ! あの墨と一緒に、ブッ飛ばされてやる! 脇腹を刺されたんだ、一個や二個も変わらねぇぜ!」と言った俺は末成さんに、歯がむき出しになるくらいの笑顔を見せた。


 そのまま後ろを振り向き、両腕を広げる。墨の矢が飛んできた瞬間、後ろへジャンプした。その勢いのまま、後方へ飛ばされた。


 俺は、自分の道を歩けたのだ。逃げる選択肢を捨てて、彼らと共に戦う。全身が痛くて意識が飛びそうだが、不思議と心は清らかだった。

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