0-25 ゲボ味クッキー

 スタンさんの後ろをついて行く。住宅街を出てルージャ山へ近付いて行くが、やはり俺には障壁が見えない。本当に張っているのか、疑いたくなった。焚火の煙が見えた。

 さらに近付くと、黄土色のテントが一つあった。大きさから見るに、一人用だろう。スタンさんはノックもせずに捲り上げ、中に入っている人に声をかける。


「張り込み休憩中に悪いが、アンタと話がしたい人がいるみたいだぜ。おーおー、黄色と黒色が混ざった汁なんざ、どこからどう見ても不味そうなインスタントラーメンだな。何味?」

「世にも珍しい、ハナクソ味じゃ」

「それ美味しいのか?」

「まぁまぁじゃ。食べてみるか?」

「遠慮しておくぜ。ほら、入りな。末成さん」と、スタンさんに招かれた。


 すごく嫌な味の話をしたが、気のせいだと信じて頭を下げる。中には、胡坐をかきながらインスタントラーメンを啜っている男性がいる。

 青緑色の髪をしている彼は、とても若く見える。しかし麺を啜るために下を向いているので、俺が入って来たことに気づいていない。


「お邪魔します」と一言伝えたのと同時に――啜り終わったらしい――彼はようやく前を向く。最初は怪訝そうな顔をし、次の瞬間には飛び上がるくらいに驚いた。インスタントラーメンは零れなかったので、安心だ。


「お前さん、魔力が無いのかえ?」

「はい」

「世の中には、こう言った人もいるのだな。この歳になっても、新しい発見があるものだわな」

「違うぜオンニさん。末成さんは、ここの世界の人じゃないんだ」

「何じゃとぉ?」


 この世界に来てから、同じ説明を繰り返しているなと思ったが、今回はスタンさんが代弁してくれた。この方も疑わず、立ち上がって俺に手を差し出した。握手をすると、微笑んでくれた。


「それはまた、不思議な出来事だ。末成 千道君と言うんじゃな。わたしはエギュネス・オンニ・ユーフォリーと言う。長い名前だから、好きに呼んで良いぞい。わたしは君を、末成くんと呼ぶよ」と、親し気な声で接してくれたので、心の中で安堵する。


 俺は彼を――スタンさんと同じく――オンニさんと呼ぶことにした。


「して、末成くん。テレスコメモリーを、見せて貰っても良いかな?」

「どうぞ」

「ありがとう」と言ったオンニさんは当然のように、テレスコメモリーを鷲掴みにした。


 驚いたスタンさんは慌てて彼を止めようとするが、ひらりひらりと躱されてしまっている。彼は持ちながら望遠鏡を観察し、自分の横に置いた。


「大欠損しているからか、吸われる魔力量も少ないな。末成くん、君は魔力を見てみたいかね?」と言って来たので、正直に頷いた。


「あいわかった」と言ったオンニさんは、そばにあったリュックサックを開き、おもむろに手を突っ込んで何かを探し始めた。


「お、あったあった。これだな。ほれ」と、投げて寄越した。


 それはクッキーだった。赤、黄、白、黒が入り乱れている表面を見て、普通ではないと悟った。

 味を聞いたら、笑顔で「世にも珍しい、ゲボ味のクッキーじゃ」と言われた。俺とスタンさんが驚愕する一方で、オンニさんはまたインスタントラーメンを啜り始める。


 これを食べたら、一時的に魔力を細かい部分まで見れる。言わばである。オンニさんはこれを食べて、テントの中からシニミを察知し、追っ払っている。


「まぁ、胃酸の匂いがキツイが。慣れれば、こっちのモノだよ」とケラケラ笑う彼は、貧乏舌なのだろうか。

 ハナクソやゲボなんて聞いたら、スタンさんみたいに、食べる前からしかめっ面するのが、正しい反応だろう。


 目を固く閉じて鼻を摘まんでから、食べる。そうしないと、効果が出ないらしい。テレスコメモリーが、本当に魔力を吸い取っているのかを見るため。俺は、この恐怖のお菓子を食べなければ。


 地球にいる時に比べたら、こんなのへっちゃらだと。ゲボ味だろうが、食べる量はたったの一個だけだと。決心を高めた俺は、視界を真っ暗にしクッキーを口の中に放り込んだ。

 すぐに嗅覚を阻止し、咀嚼しても味が届かないようにした。だがこれは、予想以上に強烈だ。少しでも摘まむ力を抜いたら、ダイレクトに来てしまう。


 スタンさんは「試されるかもしれない」と、注意喚起をしてくれた。俺はそれを乗り越える覚悟を決め、ここに来た。しかし、その試し方があまりにもと思いながら、不味いクッキーを嚙み砕いた。


 強烈な異臭にやられ、ふらつく。だが、なんとか踏ん張って咀嚼したクッキーを、飲み込むことに成功した。鼻から手を離した瞬間、激臭が後頭部まで貫いた。


 反動で座り込んだ俺の背中を、スタンさんが擦ってくれる。啜る音がするので、オンニさんは、またインスタントラーメンを食べているのだろう。本当は、今すぐにでも吐き出したい。


「ハナクソ味よりも珍味だったんじゃが、口に合ったようで何よりじゃ」

「どこをどう見たら、その感想が出て来るんだ?」

「むむ? 完食したなら『お気に召した』ということじゃろう?」

「どう見てもスゲェ無理してんだろ」と、スタンさんが少々呆れた。やはり、オンニさんは味覚がぶっ壊れているようだ。


 意識が飛びそうになりながらも、頭を押さえてよろよろと立ち上がる。深呼吸をするたびに後遺症が出て来るが、ピークは乗り越えた。五、六回くらい深呼吸をし、ようやく目を開けてオンニさんの方を見る。


 彼から、光のようなもやが出て来ている。思わず目を見開くと、大爆笑された。これぞ正しく、魔力そのものらしい。靄が見えているなら、体内を巡回している証拠となる。


 スタンさんも輝いているが、オンニさんより薄くて淡い。それは魔力量の差であり、多いほど強烈に輝く。魔力の圧とは、ここから来ている。強力なシニミだと、解き放っている魔力も凄まじいのだろう。


「よーし、末成くん。魔力を見れるようになったから、テレスコメモリーに注目するんじゃ」と言ったオンニさんは、もう一度望遠鏡を鷲掴みにする。


 すると、彼の靄の一部が細い線を作り、そのまま中へ入って行く。吸い取っては蓄積しているらしい。今は欠損しているから、微量でしかない。


「それにしても、これは誰からもらったのかね?」

「総団長さんからです」

「そうか。だいぶ雰囲気が変わったのぉ。前は、もっと明るかったんじゃがな」


 首を傾げた。茶寓さんは、とても明るい人だ。オンニさんは、昔の彼を知っているのだろうか。

 俺はまだ出会ったばかりなので、彼の内部を知らない。もしかしたら、暗い部分もあるのかもしれない。


「よく全壊せずに保管ができてたのぉ」とオンニさんは微笑んだ。「だがこんなに欠損してたら、他の機能が使えなくなったじゃろうな」


 どう見てもシャッタースイッチが無い、おんぼろ望遠鏡だと思われるが。これで写真を撮ることもできていたらしい。噓のように思えるが、オンニさんは真面目に話す。


「というか、総団長さんの武器なのにのぉ。どうして授けたんじゃろ」

「オンニさんよォ、いつまで握っているんだ? どんなに量が少なくても、吸い取られている事には変わりが無いんだぜ?」

「スタンくんは心配症じゃな~。まぁ、そうじゃな。あんまりベタベタ触るのも失礼か。返すよ、末成くん」


 オンニさんから、テレスコメモリーを受け取る。スタンさんの依頼を解決すべく、ルージャ山の情報を紙に書き留めてもらった。


 彼は二週間ほど前からここで張り込みをし、障壁から出て来るシニミを撃退していたようだ。ここ最近は敵の量も増え、住宅街の人々も倒れていく。

 そこでスタンさんが、一か八かを賭けてソフィスタへ依頼をした。という経緯らしい。


「『障壁魔法』を解除してもらうために、一度帰らないといけないのか。『転移魔法』で送ってあげよう。また会おう、末成くん」

「オンニさん、アンタそんなことまでできるのか!?」と、スタンさんが驚いた。老人はにこりと笑い、「ジジイにもなると、経験豊富になるんだよ」と言った。


 気づいたら、俺はDVCの目の前にいた。 

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