大掃除編

0-8 誰も使わなくなった家

 茶寓さんから、手紙を返してもらった。彼はにこやかに「難しい言語を習得していますねぇ」と言った。

 やはりあの手紙は、日本語で書かれているらしい。なぜこの惑星には無い言語で書かれているのか、俺も彼も分からずじまいだった。


「そうだ、聞き忘れていました。君、名前はなんて言うのですか?」

「末成 千道です」

「なるほど、良い名前ですねぇ」と、茶寓さんは笑顔を深めて褒めた。


 もしかしたら、両親のネーミングセンスが良いという意味を込めたのかもしれない。裏切る形となるが、この名前は彼らからもらっていない。


「相談内容は『居場所がない』ですね。もしもここから立ち去ったら、今度こそシニミにブッ殺されてしまう。それは嫌ですよねぇ。それで、質問なのですが。千道くんは、掃除好きですか?」

「まぁ、やろうと思えば」

「決まりですね!」と茶寓さんは手を叩き、乾いた音を出した。


 俺は少し驚き、うつむきがちだった顔を上げた。彼は仮面越しからでも分かるくらいの、大きな笑顔をしている。この部屋に来てから、ずっと笑みを崩していない。


「ここから少し離れた場所に、誰も使っていない家があるのです。とりあえず今日は、そこに泊まって下さい」と、仮面の大男が平然と話を進める。


 急な棚から牡丹餅が過ぎる提案に、目と口が自然に開いてしまった。野宿を覚悟していたのに、屋根がある場所で寝られる。

 何か裏があるんじゃないかと、疑うのは当然だろう。しかしその疑念も、一瞬ですっかり晴れてしまった。


「このままあても無く彷徨い、野宿している最中に君が死んだら。せっかく助けた彼と、こうして何かの縁で会えた私が可哀想でしょう? それに、あの家はおもむきがあって、良い所なんです」


 そう言う彼は、どこから見ても誠実だ。俺も思わず笑顔になり、それ以上は質問をせず、彼について行くことにした。

 突然居場所を与えてくれたのは、確実にあの手紙が原因なのだと、理解していたから。


 茶寓さんと辿り着いた場所が整備されていないのは、明白だった。ここも一応、DVCの一部らしい。だが、先ほどまでいた豪華な建物とは打って変わって、外見からでも分かるくらい、荒れ果てている。

 周りの植物はほとんど枯れており、鉄クズと化している柵には、蜘蛛の巣がいくつもある。趣があり過ぎるのも、決して良いとは言えない。


「とても久しぶりに来ました。ちょっと待っててくださいね」と、茶寓さんはポケットから鍵の束を取り出した。


 すでにミシミシと鳴いている、木製の扉に付いている鍵穴へ、乱暴にガチャガチャと差し込んだ。

 中々開かない。鍵は合っているらしいので、鍵穴の中に埃とか糞とかが入っているのだろう。


 制止するのも遅く、ついには鍵穴の周りにある木ごと、文字通り『取れて』しまった。これでは、誰でも入れてしまう。泥棒し放題だ。


「すみません、乱暴な開け方をして。どうぞお入りください」

「お邪魔しま……ウゲェッ! 尋常じゃない悪臭が!」と、俺は思わず鼻の穴を腕で塞いだ。


 便器の中に、顔を突っ込んでいる気分になった。


 家の日当たりが悪く、電気配線も壊れている。夜のように暗い廊下を一歩進むだけで、床がギシギシきしむ音がする。

 目を凝らして見ると、壁や床に穴が開いている。ピチョン、ピチョンと、どこからともなく雨音もする。


 無意識に、茶寓さんのマントを握りしめていた。実際、玄関からの距離はそんなにないのだが。

 無事に奥の部屋に辿り着けたことにすら、心の底からホッとしてしまった。別に怪物なんていないのに、あの廊下が恐ろしくなった。


「暗いですねぇ。明かりを付けましょう」と呟いた仮面の男が、手のひらに光の玉を出し、部屋中に配置させた。これで、部屋の全体が見れる。


 ここも、至る所に穴が開いていた。誰かが癇癪を起こし、暴れまわった跡のように家具はほとんどが壊れていた。

 カーテンの布は猛獣がひっかいたかの如く破れていて、すべての窓が割れていた。


「誰かが住んでいたんですか?」

「えぇ。今はいませんけれど」と答えた茶寓さんは、鼻を手でつまみながら、えたハエを追い払っている。


 埃が鼻を刺激したので、大きなクシャミを三連発した。天井の角にも、巨大な蜘蛛の巣があった。長年放棄されていた分、馬の糞に匹敵するほどの悪臭を漂わせてしまったようだ。


「どうして解体しなかったんですか?」

「ここは『DVC』の中にあるとは言え、一般人は立ち入り禁止です。それに、ここら辺に用がある人はいませんから。放っておいて良いかなと」


 魔法があるなら、解体するのにも時間はかからなさそうだ。とはいえ、茶寓さんたちにも事情があるのだろう。


 今日まで解体されなかったから、俺の宿泊場所となった。


「さぁ、掃除をしましょうか! しかしこの家、結構広いのです。なので、今日はこの部屋を綺麗にしましょう!」と言った茶寓さんは、虚空に手を伸ばした。


 瞬きの間に、教室掃除で使うような箒を二本出現させた。驚いている俺に、その内の一本を持たせ、さっさと掃除を始めた。


「手伝ってくれるんですか?」

「もちろんです。これは、年末の大掃除よりも忙しいでしょう。断捨離は任せてくださいね!」と、笑顔を向けられた。


 気分が高揚した俺は、遅れを取ってしまったが掃除を開始した。まずは換気しようと思い、破れたカーテンを開けて窓も全開にした。元々割れているので、違いはないかもしれない。


 改めて、この部屋を見渡した。ここだけで、勉強部屋の三倍は広い。この家は、俺の想像以上に豪邸だったのかもしれない。

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