0-9 断捨離
茶寓さんがいなければ、部屋の掃除は何日もかかるに違いなかった。彼のおかげで、次々と整理されていく。
「仕事は大丈夫なのですか」と聞くと、「こっちが優先ですよ」と微笑まれた。
なんだか、申し訳ない気持ちになった。彼は組織の頂点に君臨している立場だが、こうして異邦人の面倒を見てくれている。
あれもダメこれもダメと言いながら、茶寓さんは魔法でガラクタを一気に片付けていく。対して俺は、地道に箒と塵取りを使ってゴミをまとめた。
未知の力が使えたら、どんなに楽なのだろうか。腰をひん曲がらせなくとも、整理整頓ができるのは羨ましい。
ファンタジー漫画に惹かれる理由も、実物を見ると納得がいく。自分の意のままに物事を動かせるのは、非常に幸福感を満たすだろう。
ふと、床に落ちている大きな額縁が視界に入った。紐が千切れて、落ちてしまったのだろう。
すでにフレームは歪んでおり、硝子の破片が飛び散っている。中身は入っていないが、近くにあるかもしれない。箒を置いて、しゃがんで探してみる。
割とすぐそばに、紙切れが落ちていた。ザラザラとした手触りがする。だが既に、ネズミにでも食いちぎられたような、残骸でしかなかった。
てっきり写真だと思ったが、額縁の大きさと紙質から絵画でもおかしくない。
「気になりますか?」と、茶寓さんがいつの間にか、俺の背後にいた。
変な声を出し、肩をビクつかせながら勢い良く振り向いた。だが彼は俺ではなく、額縁を見ていた。
総団長は仮面を付けているし、部屋が薄暗いことには変わりない。表情は上手く読み取れないが、今は笑ってない気がした。
「千道くん。これは、取っておいても良いですか? この額縁、とても高いんですよ。冗談抜きで、ウン百万するのです。そんな高級品も、こんなボロッボロに。修理に出しておきますよ。たしか、このタンスの上に飾ってあって……うわっ」
説明しながら、茶寓さんはタンスを開けた。その瞬間、特大サイズのレッドローチが、十匹ほど一気に出てきた。
俺は非常に情けない悲鳴を上げ、箒と塵取りを投げ捨て壁際まで遠ざかった。高音に反応した何匹かが羽音を立てて、部屋を飛び回り始めた。
俺は恐怖のあまり、床にしゃがんで両手で頭を抱え、震えあがった。とても小さな存在なのに、ここまで不快感を与える生き物は中々いないだろう。
少しだけ顔を上げると、冷静に対処している茶寓さんが映った。
「多いですねぇ、キリがない。まとめて外に逃がしましょう。あ、でも窓が割れているので、結局戻って来ちゃいますか」
「が、ガムテープッ! ガムテープで、窓を塞げればぁぁぁぁああああ」
「それは妙案! とりあえず、ボロ板で仮止めをしましょう」
茶寓さんは――レッドローチも含め――この部屋に潜んでいたすべての虫を、魔法で引きずり出してまとめ上げた。
あっという間に、モザイク確定ボールの出来上がりだ。ようやく立ち上がった俺は、両手で口元を抑えながら見た。
腐った
すべての窓にそうやったので、日光は完全に入らなくなってしまった。しかし、これで良い。あの虫共が帰って来ないと言うのなら、それで良い。『二度と戻って来るな』と、呪いじみた憎悪を込めて祈った。
「さ、掃除を続けましょうか」と、すでに気を取り直した仮面の大男に背中を押され、再び箒と塵取りを手に取った。
それから何時間も掃除し、やっと一通り終わった。だが悲しいことに、最初とあまり状況が変わっていない。
ほとんどの家具は処分し、壁や床の穴は塞がってない。つまり、ずっと殺風景なのだ。部屋自体は広いので、さらに寂しさが増した。
「ほほう、今は夜の八時ですか」と、茶寓さんはスマホを取り出して、時間を確認した。ユーサネイコーにも、スマホはあるらしい。やはり、生活自体に違いはあまりなさそうだ。
この部屋には時計が無いので、茶寓さんが指を振った。すると空中に、砂の時計が出現した。
ひとまずは、これが時刻を教えてくれる。一秒ごとに数字が正確に進むので、狂ってはいないだろう。
ちなみに、今日は三月八日だと伝えられた。「春先にしては寒いですね」と言ったら、「ゼントム国は南半球に位置しているから、季節は秋ですよ。加えて緯度も高いので、年中通して涼しいのです」と、懇切丁寧に説明してくれた。
茶寓さんはさっきまで、魔法を使って掃除していた。だが、汗一つ垂らしていない。俺は、大欠伸をするくらいには疲れてしまった。
至近距離にいる彼に聞こえてしまうほどに、腹の虫が大声を出した。
「働いたらお腹が空きましたねぇ。何か作って来ますよ」
「良いんですか?」
「もちろん! 空腹を満たさなければ。待っててください!」と言った茶寓さんは、一瞬で姿を消した。
驚いて周りを見渡すが、彼の気配はもうどこにも感じない。しばらくして『瞬間移動魔法』を使ったと、理解した。
彼がいなくなった瞬間、糸がぷつりと切れた感覚がした。
そのまま、猛烈な睡魔が襲ってきた。
一応スプレーをかけたので、ダニが湧かないと信じている。俺は気絶するようにして、眠りについた。
この日、俺はなんとも不思議な夢を見た。虚空に立たされていた。どこまで歩いても、砂粒一つすら見つからない、無の世界に。
姿は見えないのに、どこからか声が聞こえるのだ。
「千道。良いか、忘れるな。どんな災難がその身に起きたとしても、決意を捨てるな。決意を抱いた人間は、魂が成長する。立ち止まるな、すべてを行動力に変えるのだ」
少し固めで、弾力がある感触がした。足の先から胸辺りまでは、布団が一枚覆っている。待っている間、眠りについてしまったと理解した。
頭を起こそうとすると、茶寓さんと目が合った。
「おはようございます、千道くん。とはいえ、夜中の一時十四分ですが」と、上から声が降ってきた。
これを聴いて、これは枕じゃないと徐々に確信した。俺は今、茶寓さんに膝枕をしてもらっている。しばしの硬直の後、飛び上がった。
何度も平謝りしながら、布団を高速で綺麗に折り畳んで隣に座り直した。
「おやおや、そんなに焦らなくても」と、茶寓さんはさらに笑った。
てっきり怒られるかと身構えたが、まったく気にしていないらしい。彼はヒビが入っている机の上に、おぼんを二つ置いた。
人差し指で指し、そのまま上にあげた。すると、おぼんの上に野菜スープが出てきた。
「お口に合うかどうか、知りたいですねぇ」
「ありがとうございます、いただきます!」と、言った俺は両手を合わせて軽く頭を下げてから、スプーンでかき混ぜ始めた。
中にはハクサイ、ニンジン、タマネギ、ダイコンがあり、白米が沈殿していた。口に運ぶと、柔らかい野菜と温かい汁が身体に染み渡った。
決して、豪華な食事ではないだろう。そう理解しているけれど、今の俺からするとどんな高級フルコースよりも、美味しいと心の底から感想を抱いた。
今まで、水一滴すら飲んでいなかったからなのか、あっという間に食べ終わってしまった。
「これ、いつ作ったんですか?」
「ついさっきなんです」と、同じく完食して一息ついた茶寓さんは、真面目な表情で俺を見た。
彼の笑顔は、すでに消えていた。とても深刻な状況に置かれていると、一瞬で理解できるほど険しい表情をしているのだ。
「大変なことが起きたので、作るのが遅くなってしまったのですよ」
「大変なこと、ですか?」
「『精神災害警報』が出たので、緊急全体集会をしていたのです」
俺は無事に、寝処を見つけることができた。だが、安心から遠い場所にいることには、変わりなかったのだ。
むしろ、ここからが不気味な
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