0-23 パペ住宅街

 ペンを壊してしまったので、メモは取っていない。だが、頭の中に依頼内容を叩き込んである。

 依頼人の顔と名前も覚えているが、見渡す限りだとそれらしき人物がいない。聞き込むしかなさそうだ。


 歩いていると、人影が視界に入った。声を掛けようとしたが、腕を伸ばすのを止めてしまった。

 彼らは飢えていた。寒さを凌ぐように寄り添い、暗い夜を乗り越えようとしている。ここは小さな住宅街だが、家が無い人はたくさんいる。


 身分関係無しに、誰もが幸せになれる国を作るという戯言を、偉い人は毎日言う。それはどうせ、口先任せでしかないのだ。

 本当は目もくれておらず、自分の財産がいかにして貯蓄されていくかを、最優先にしている。詳しく知らない癖に、夢物語を演説する奴らに耳を貸す時間ほど、無駄になるモノは無いだろう。


「辞めちまえ」


 そう呟いた所で、また自分の悪い癖に嫌気が差した。こうして一人で歩いていると、すぐに変な考え事をしてしまうのだ。

 直そうと思っているのに、放浪癖と同じように繰り返してしまう。


 額に手を当てながら息を整えていると、「オイ、逃げんなよ」と、背後から怒鳴り声が聞こえた。

 振り向くと、大男が少年をとっ捕まえて耳元で叫んでいた。こんな真夜中なのに、少年は買い物をしに行っていたのだろうか、紙袋を両手で抱えている。


「テメー、その野菜を寄越せって言っているだろ!!」

「こ、これは……ぼくが、ちゃんと買った、ので……」

「アァ!? 最近のガキは聞き分けもできねーのか!?」

「ギャッ」と、少年は一発殴られた。


 手に持っていた紙袋が地面に落ち、ゴロゴロと野菜が出て来た。大男はそれらを鷲掴みにしながら、下品な笑い声をあげ始めた。

 少年はよろよろと立ち上がり、何度も返してくださいと懇願している。


「良いぜ、返してやるよ」と言った大男は、空になった紙袋だけ投げて寄越した。


 少年は歯軋りをして、大きな手の中にある野菜を指した。家族の分も入っていると伝えても、また蹴り飛ばされるだけだった。


「うるせぇぞバカガキ! この俺の体格を見ろ! 俺はこの住宅街で、一番逞しい身体をしている、ギテ・ヘスロだぞ!!」と、大男は怒鳴りつけた。


 周りの人は見て見ぬふりをし、早歩きになって遠ざかっていく。誰も少年を助けようとしない。いや、ヘスロに目を付けられないように逃げている、と言った方が正しい。


 あの男には、言いようがない威圧感がある。この住宅街を恐怖で支配している、邪悪なオーラが滲み出ている。

 少年はついに、泣きじゃくってしまった。彼を見たヘスロは、更に高笑いをして両腕を天に掲げる。


「泣いたら返してもらえる、とか思ってんの? これだから甘ちゃんは、何も分かってねぇな! この世の序列は魔力で決まるんだよ! 俺はこの住宅街で、一番魔力を持っている。つまり、一番偉いんだよ!! バカガキごときが、俺に逆らうんじゃねぇぞ!!」

「ぅ、ぅ……うわぁぁぁぁん……っ!」

「うるっせぇ野郎だな……俺が、泣き止ましてやるよ」と言ったヘスロは口角を上げ、泣きじゃくっている少年に右手を向けた。


 その光景を見た瞬間、『攻撃しようとしている』と脳裏で理解した。周りの人たちは顔を逸らし、これから起こる悲劇から逃れようとしている。


 中々帰って来ない少年を探しに来た家族が、血を流してブッ倒れている彼を見つけたら。血の気が引いて、二度とヘスロに逆らわないだろう。


 その時――どうしてかは分からないが――俺の内部で、何かが裂けた。


 少年は両腕で頭を覆い、硬く目を閉じて身体を縮こませている。ヘスロはお構いなしに、手を伸ばした。二人に近づく足音は、幸福の扉を叩く音に酷く似ていた。


『お前が不幸になれば良い』という声を背に、俺は一瞬でヘスロの背後にまわった。


 奴が気がつき振り向く前に、高くジャンプした。そしてテレスコメモリーを右手で握り締め、傲慢な大男の脳天をブッ叩いた。

 もしも斧だったら、確実に頭蓋骨まで達していた勢いだった。思い切り殴ったのに、望遠鏡は壊れなかった。


 自分に痛みが来ないのを不思議に思い、顔を上げた少年と目が合った。


 ヘスロは頭から血を流し、痙攣している。息はあるが、白目を向いている。そんなことを気にせず、俺はしゃがんで全ての野菜を拾い始めた。

 少年が手放してしまった紙袋の中に入れ直し、もう一度手渡して微笑んだ。


「これ、君のなんだろう? 家族と美味しいご飯を食べるんだよ」

「お兄ちゃん、凄い……! ありがとう!」

「気をつけて帰ってね」

「うんっ!」


 少年に鬱蒼とした気配は無くなった。満面の笑みになり、早歩きで家へ帰って行く。

 怪我をしているのに走れるとは、子供の特権だろう。彼の姿が見えなくなるまで、手を振りながら見送った。


 後ろを振り向くと、隠れていた人たちが出て来ていた。俺を見ながら、ざわついている。魔力が一切感じられないのに、一撃で仕留めたのが信じられないといった表情だ。


 それくらい、ヘスロは日ごろから恐れられていた存在である。今は地面に這い蹲っているので、無様だなと思った。

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