0-22 引き受ける覚悟

 ルージャ山は、ゼントム国の南に位置する。ソフィスタの本部はど真ん中である。ちなみに、俺が降り立った崖やマキミム博物館は、東側にある。

 襲いかかって来たシニミたちは、山の障壁を越えた可能性が高い。


 危険な山のすぐ傍には、パペという住宅街がある。だが、そこに近づく人は滅多にいないらしい。

 その理由は、魔力量に関係する。偉い人はほとんどの場合、魔力量が多い。逆に言えば、魔力が少ない人は虐げられる。パペ住宅街の人たちは、弱者であるのだ。


「いくら私たちが人助けをしても、全てを解決するのは不可能です」と、茶寓さんは目を伏せた。


 エリート職業の人だけで万事が上手く行ったら、どれほど楽なものか。地球にもここにも、階級がある。

 惑星が違えど、同じなのだ。この地獄の連鎖なんぞ無い場所なんて、どこにも存在しない。


 貧困層には食料の供給をしているので、辛うじて生活はできている。だが、それは表面上の話だ。実際は、少しでも長生きするために熾烈な争いをしているだろう。

 彼らからの依頼には、誰も手を付けていない。労働と報酬が見合っておらず、元々人手不足というのも、一つの理由になる。


 本当の真理は、関わりに違いない。優先順位をつけてしまうのが、人間の特徴である。

 ここの人たちよりも、価値がある方へ歩いていく。それは当然であり、なんらおかしいことではない。


 茶寓さんの言う通り、全員を助けるなんてできる訳が無い。だがもしも、このまま誰にも、見つけてもらえなかったら。彼らはどうなってしまうのか。その答えは、小学一年生の算数よりも簡単である。


 画面を見つめ続けている。再び過去の自分を思い出した。何故俺は孤独だったのか、逃げるように放浪していたのか、その理由が重なった気がした。

 その場所、治安が悪くなる一方のパペ住宅街の中でも、空の瓶に希望を入れようとする。何人も、何があろうとも、勝手に星々を散らすのは許されない。


 俺は初めて、この世界の心情を理解した気がした。裕福な方を助けるのは、すでに誰かがやっているのだろう。

 なら、誰も触れない場所に行って、自分と近いものだと感じよう。彼らが悪の道へ進む前に。


『魂に宿っている仁義を、自ら永眠させてしまう前に』


「千道くん。この依頼は危険地帯が関わっているので、止めてお……え?」


 パソコンの画面には、『承諾完了』という文字が出ている。視線を下に向けると、俺の右人差し指が『Enterキー』を押していた。


「な、な、な……何をしてるんですかぁぁぁぁああ!?」と言った茶寓さんは、仮面から汗を拭き出して俺の肩を揺さぶった。

 一度承諾した依頼は、取り消し不可能である。だから慎重にやれと、釘を刺してくれたのだろう。


 確かに実績が大事だと言ったが、それは初歩的な部分から踏み出していくという意味です。

 いきなり難しい依頼を引き受けるなんて、無謀にもほどがあります。君は分かっているのですか? どうしてこんな……


 隣から聞こえる茶寓さんの説教は、耳に入って来なかった。俺は無視しているのではなく、自分の左手に驚愕していたのだ。


 何度も言うように、俺は愛情が無い人生を送って来ている。都合よく、二度も幻聴が聞こえてもおかしくないだろう。

 今回は、それだけではなかった。買ったペンは安物だったが、木製でも極細でもない。元からヒビが入っていた訳でもなく。さらに付け足すと、俺の利き手は右である。当然、握力は左の方が弱い。


 目に映っている光景は、噓では無かった。自分で握り潰したと、認めざるを得ない。ペンは砕け散り、俺のはインクまみれになっていた。


 茶寓さんもそれに気づき、説教を早急に終わらせてしまった。俺が苛立ったと勘違いしたらしく、彼は心なしかションボリとした。

 慌てて弁解すると、彼も首を傾げた。金属ペンを粉々にするのは、リンゴを潰すよりも難しいだろう。


 総団長は、俺の左手を優しく包み込んだ。『洗濯魔法』という魔法を使い、すっかり綺麗に拭き取ってもらった。

 もう一度画面を見ると、やはり同じ文字が浮かんでいる。もう後には引けないので、勇気と覚悟を補充する。


 やる気が充分である俺を見た茶寓さんは微笑し、空中から地図を出して手渡す。そこには、パペ住宅街の構造が描かれている。

 もちろん彼は一緒に行かないが、近場まで『転移魔法』で送ってくれるようだ。第四項目は、人々から聞き取りをすることである。


 俺はテレスコメモリーを握り締め、茶寓さんの前に立つ。笑顔で見送る彼の手が、頭に触れる。

 少しの間だけ、目を閉じた。額のぬくもりが無くなり、代わりに冷たい風が肌に触れた。


 目を開けると、落書きされた壁や枯れたつたが絡まっている家が、薄暗い明りで寂しく照らされている。

 さっきまで良い場所にいたからか、同じゼントム国にあるとは思えない。心なしか空気も悪い気がするが、あの部屋の悪臭に比べたら屁でもないと言い聞かせ、足を踏み出す。


 地図を見ながら住宅街を歩く。顔を上げると、暗い山が見えた。あれがルージャ山だろう。俺には見えていないが、障壁が張ってあるらしい。

 中に、シニミがたくさんいる。それを念頭に置いて近くで暮らしているなら、毎日怯えているに違いない。


 解決させるためには、立ち止まってる暇はなさそうだ。

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