0-19 レットゥーギャザー③

 カートに追いつくため、瓶を左脇に抱えるように持ち直す。スピードを限界まで上げるが、カートには到底追いつけない。

 下り坂を滑る赤ん坊を乗せたベビーカーのように勢いがあり、左右にも揺れ始めている。タイヤが浮いては、レールの上に戻るのを、ひたすら繰り返している。


 この瞬間、俺は解ってしまった。カートは、そのまま重力に逆らわずに横転する。どれだけ走っても、絶対に間に合わないと。


 同時に、色んな方向から声が聞こえ始める。複数人が喋っており、周りに反響している。「オトス」や「イカセナイ」、「カエナイ」と繰り返している。

 驚いた俺は立ち止まり、後ろを振り向いた。「誰かいるんですか!?」と叫んでも、返事がない。どこにも誰かがいる気配が、全くしないのだ。


『失敗した』と気づいたのは、カートが急カーブし、右に傾いたのを見た瞬間だった。俺はのだ。元から開いていた距離が、更に開いてしまった。

 再び走り出そうとしたが、カゴの中身が出て来て床に落ちた。カート自体が空中に浮かび、完全にレールからはみ出してしまった。


「シッパイ、シタナ」と、今度は耳元で地の果てからうごめくような声が囁かれた。

 そのまま、首元をゆっくりと絞められ始めた。だが実際に、俺の首を触っている人はいない。幽霊なのか、俺には見えていない。


 段々強く絞められていく。空気を吸うことすらも、困難になっていく。加えて首だけではなく、足首や脇腹も強く掴まれ、後ろへ引っ張られる。

 背中に悪寒が走ったが、物理的に振り向けない。確実に、生きる人がいない場所へ引きずり込まれているとは、脳内で理解できた。


 ここで身を委ねてしまったら、もう茶寓さんに会えなくなる。ソフィスタに入団できない。理想郷を探せない。ユーサネイコーを放浪できない。


 そうなる未来は、まだ早すぎる。


 持っていたアロマキャンドルの瓶を、床に着地してないカートにぶつける。右に傾いているので左に行かせ、レールに近づけるように。利き手じゃないのでコントロールが下手だったが、なんとかカゴ受けにぶつけれた。

 再びレールにタイヤが近づいたのと同時に、足首が動かせるようになった。恐らくだが、カートとレールの距離で力が変化するのだろう。


 このチャンスを逃したら、また足止めを食らってしまうだろう。俺はまだ、夢へ歩く権利すらもらっていない。この地獄を生き抜く道具を、ここで買わなければいけない。

 走りながら、パソコンの瓶も投げた。今度はに行くようにぶつかったので、カートがさらにレールへ近づいた。完全に邪悪な手から解放され、手ぶらになった俺は全力疾走を開始した。


 ガッシャァンと騒音を響かせるくらいに、取っ手を勢い良く掴む。ギリギリだったが、カートは地面に着地していなかった。安心と緊張のほぐれから、頭を取っ手に押し付けて長い息を出す。


 瓶はほとんど床に落ちてしまったので、拾ってカゴの中に戻す。あんなに引っ張られたのに、お札はしっかりと三枚あった。

 ポケットの奥深くにしまっておいたのが、幸を運んだのかもしれない。商品の個数が合っているのを確認し、先に進む。


 棚を眺めながら歩いていると、扉が見えた。勝手に開いた先を見ると、レジがあった。押すスピードを速くし、勢いに乗って突っ込んで行った。


「おめでとうございます! 第二項目、クリアーですよ!」


 目の前の茶寓さんが、祝福の拍手を盛大に送ってくれていた。目をぱちくりさせながら見渡すと、最初の部屋に戻っていた。


 右手に目を向けると、縦長の白い紙をクシャクシャにして握りしめていた。開いてみると、カゴに入れていたモノが全部記入されていた。

 三万マニゾン、ピッタリ徴収されている。そして左手には、大きめのレジ袋を握り締めていた。


 会計した覚えがまったくないと話すと、「この店には、お会計の時間をがかかっているのです」と言われた。他にも、カートをレール外にしようとする、野蛮な魔法とかもあるようだ。


 これからは一人で行かない方が良いくらいに、途轍もなく恐ろしい店である。だが、品ぞろえは本当に良いので、もう一度挑戦するのもアリかもしれない。


 実際、ずいぶんと買い物を楽しんでいたらしい。現在の時刻は、朝の六時である。誰かが来てもおかしくないので、一度家に戻ることにした。


「思ったんですけれどね。割れた窓とか、穴だらけの部分は『修繕魔法』を使えば、一発だなって」と、部屋にたどり着いた瞬間に衝撃の事実を言われた。


 茶寓さんはあっという間に、窓と壁と床を綺麗にした。決して、大掃除が無駄になった訳ではない。この魔法は破損部分を直すだけで、埃は取れないという、優しいフォローが身に染みた。


 買った家具を設置する。リニューアルしたら、多少は居心地が良くなるだろう。瓶を開けて逆さまにすると、ボトッとで商品が出て来た。

 無事に買い物が完了したという、証拠になるらしい。やはりあの店には謎しかないが、ここにいる人たちは慣れているのだろう。


 机の上にアロマキャンドルとパソコンを置くだけで、作業空間が完成した。壁紙と絨毯で、部屋の印象がガラリと変わると学んだ。

 無地の灰色だけど、俺からすれば心地が良い。悪臭も収まったし、絶対にマシになっただろう。


 ちなみに、しまう時には瓶の中に入れられるので、持ち運びが楽である。模様替えの時に、役に立つに違いない。

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