0-14 精神災害
資格のテキストを今買うか、買わないか。という選択肢があるとしよう。
前者を選ぶと、その数日後に最新版が発売されてしまった。そっちの方が出題傾向を網羅しているのは、言うまでもない。
俺はいつだって、二択問題を外してきた。今では、この世で一番嫌いな存在にまでなっている。ついさっき、追いかけ回されている時だって間違えた。
さっきの分かれ道で左を選んだのは、俺だけだった。その結果ターゲットにされて、殺されそうになった。
何をやっても、選択を間違える。もう片方を選んでいたら、違う未来があったんだろうと後悔する。
地球にいる時は、毎日が苦痛だった。右目と髪のせいだろうか。マトモに相手をしてくれた人なんて、誰一人として思い当たらない。
罵声、暴力、苦痛、虐げに囲まれていた。踏切の前で電車を待った回数なんて、もう覚えていない。
ここに来た瞬間、怪物に追いかけ回された。俺の人生には安寧なんてどこにもないと、割と本気で考えていた。いきなり襲って来る化け物がいるなんて、世も末だ。
けれど、骨の彼は俺を二度も助けてくれた。一回目は、怪物を殺してくれたこと。二回目は、俺の話を笑わずに聞いてくれて、背中を押してくれたこと。茶寓さんも、真正面から信じてくれた。
あの分かれ道で『右』を選んでいたら、俺はここにいなかっただろう。オッサンたちと一緒にいたとしても、生き延びたかは分からない。
『左』を選んだから、まだ生きている。この
「聞かせて下さい。知りたいんです、この世界の危機を」と、俺は茶寓さんと視線を合わせて、ハッキリと答えた。
ただ存在するのではなく、生きていかねばならない。
彼は少し驚いたが「ありがとうございます」と笑顔になり、新しい人間を描いた。
「この世界の生物は、心臓から魔力と血液が循環しています。魔力は時間が経てば復活するので、消費することを恐れなくて大丈夫です。ですが、無くなると疲労が押し寄せて、動けなくなります」と、総団長室で教えてもらったことを、もう一度繰り返した。
血液を戻すには、食べたり輸血パックが必要になる。対して魔力は、寝ていれば勝手に戻ってくる。
彼らはガス欠にならないように、配慮しないといけない。威力が強かったり、複雑な条件の下で発動する魔法を使うと、すぐに消費してしまうらしい。
「精神災害とは、精神的弱体を加速させて絶望しか考えられなくなる、最悪な病気です。患うと、魔力が勝手に消耗していきます」と、唇まで青ざめながら茶寓さんは説明した。
そこにシニミが来てしまったら、死を加速させるだけだ。本当は抵抗をしたいのに、何もできずに終わる。
茶寓さんは、絵の人間の矢印を少しずつ乱れさせた。それはグチャグチャに歪みながらも、辛うじて巡回していく。
「魔力と精神力は一心同体。精神が
つまり、精神力に魔法の効果が影響するらしい。確かに何でも出来る気がする時は、作業がどんどん進む。
何のやる気も無かったら、普段はできることすら完了しない。それは勉強や仕事、何にでも当てはまるだろう。
「ここまでは、想像しやすいでしょう。問題なのは、この次からです。理解ができなくて、当然のこと。しかしこれこそが、精神災害における真の恐怖!」
前置きを言った茶寓さんは、絵の人間の心臓から黒くて汚い線を出し、今度はそれを身体中に巡らせ始めた。
その絵は身体が魔力によって、がんじがらめになっている状態となった。
「精神災害を一定時間患うと、魔力量が桁違いに飛躍します。魔力が無いはずなのに、動き回っては強力な魔法を出せるのです」
説明した茶寓さんに、思わず眉を顰めた。ついさっきの説明と、矛盾している。一度すべてを失ってから、再び魔力が流れて来るらしい。
もちろん、無事な状態ではない。むしろ、シニミにとっては格好の餌食となる。奴らの主食は、生物の血肉である。
肉体を食い散らかし、魂を取り込んで来る。骨の彼が来ていなかったら、俺もそうなっていただろう。
至る所に出現しては、追いかけ回す。奴らは狩りをしている気分なのだろう。俺たちからしたら、良い迷惑でしかない。
どうせなら、野菜とか果物とかだったら良かったのに。ますます奴らに対して、嫌悪感が出てくる。
「一定時間患ったら、シニミに食われなかろうが、死ぬんですか?」
「いえ、少し違います。魂が勝手に、肉体から飛び出します。そこから、新しい姿になるのです」
茶寓さんの回答に、さらに首を捻らせた。「生まれ変わる」という意味だと考えたが、どうやら違うらしい。
天に昇る訳ではなく、その魂を中心に絶望や憎悪といった、負のエネルギーから創り出された姿。だが、それはとても人間とは思えないらしい。
「精神災害の成れの果ての姿。これを『マイドリー・ブローゾン・ハーツソウル』と言います。略称は『MBH』ですね。ゼントム語で『最も残酷な死に方』と言います」
魂は存在するので、生きている。だが自我は失っているので、死んだのと同然だ。いわゆる、ゾンビ状態だということか。そこら辺のホラー映画よりも、断然と凶悪な容貌であろう。
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