0-15 その魂に宿るのは

 人が絶望に染まる理由は、様々だろう。お気に入りのぬいぐるみが壊された。愛する人に振られた。突然の死別。

 それぞれの要因が絶望へと導き、自我を崩壊させていく。人間社会で生きていく上で、不満や不平は溜まっていくだろう。

 どこかで発散させなければ、いつか爆発してしまう。それが、取り返しのつかない行動へと導いてしまう可能性だってある。


 俺自身、地球での出来事を思い返す度に、絶望感が滲み出て来る。それでも自我を保てているのは、放浪癖のおかげだろう。もしもこの趣味が無かったら、すでに命を絶つ決断をしていたに違いない。


 しかしこのユーサネイコーでは、絶望したら終わりなのだ。精神災害を患い、MBHとなってしまったら、もう治らない。

 とはいえ、実はこの状態になること自体が珍しいと、茶寓さんは話す。


「真っ先に気絶させ、魔力を補充させますからね。精神災害の時点で治すのです。だからなのか、MBHから元通りになったケースは、一度もありません。逆に、解明されてない部分が多々あります」


 ユーサネイコーにまつわる、最大の謎の一つとなっている。


 もしも治ったケースが見つかったら、医療も飛躍的に向上するに違いない。だが、さすがに人体実験をする訳にもいかない。そんなことをしたら、一瞬で大犯罪者となる。


「現時点で分かっていることは?」

「見た目が人間離れしているので、シニミを従えると言われております。そして、永遠にこの世を彷徨い続けるとも。つまり、ずっと前から存在している可能性があります」


 実際に発見された訳ではないが、ヤジカ国にはMBHがいたと推測されている。他の可能性として考えられるのは『5』以上のシニミ。だが、それは一体も目撃されなかったので、前者が有力らしい。

 集団行動の話から、シニミたちはMBHの人を母体として見ているのかもしれない。


 もしも本当に、ヤジカ国にMBHがいたなら。


 その人はまだ、当てもなく彷徨い続けているということだ。どこに行ってしまったのだろうか。

 絶望と共存すると、とても苦しくて辛いことしか起きない。これ以上苦しむ前に、見つかって欲しい。


「シニミは肉体と魂を取り込むことで、知能を発達させる。強い奴であるほど、たくさん食べているでしょう」

「つまり……食べられた魂はシニミに囚われている、ということですか?」

「そうです。肉体は死んでいるというのに、魂自体は生殺し。私たちは魂を解放するために、シニミを殺すのです」


 シニミに囚われてしまった、魂たちの天命。誰かが倒さない限り、半永久的に生き続ける。人々は、常日頃から警戒している。自分が、そうならないように。


 これが精神災害の、真の恐怖。こうならないために、精神災害警報が出た。しかしそれは、この先ずっと脅かされ続けるという意味でもある。

 得体の知れない恐怖に、いつ魂が尽きるかも分からない。何かをしたいのに、させてくれない。そんな歯がゆさだけがある。


「……茶寓さん」

「どうしましたか?」

「俺に、できることはありますか?」と、服を握り締め、意を決して言った。


 彼は一瞬だけ目を見開いた。俺がこんなことを言うとは、予測していなかったのだろう。しかしすぐに笑顔に戻り、首を横に振った。


「大丈夫ですよ、千道くん。君にとって、この世界は危険です。ここは、比較的安全な場所です。一緒にチキュウへ帰る方法を、探していきましょう」


 茶寓さんはきっと、俺を気遣ってこの発言をしてくれたに違いない。彼の心の底からの優しさが、身に染みていく。

 だが、俺はこの言葉に頷かなかった。何を隠そう、この時点で地球のことなんか、考えていなかったのだから。


 どうして、俺はここに来たのか。


 この惑星に来た意味を、もう一度考える。どうやって来たのかは、まだ思い出せない。それでも来た意味はあるはずだと、確信し始めている。


 何のために、この世界の常識を聞いたのか。ユーサネイコーはこれから、困難を目の当たりにする。

 毎日シニミとの死闘が繰り広げられ、精神災害を患ってしまう人も増える。いつかはそれを制御できると、部外者の俺が言える筋合いは、どこにも無い。


 このままだと、ナイトメアの勝ちになる。今も世界のどこかに存在しているであろう、悪の原点によって世界は支配される。

 その光景は、壁にも床にも死体が転がっていて、海の色は青ではなく赤で、どこに行っても澱んだ空気が流れているのだろう。


 その間、俺は何しているのか。


 地球へ帰る方法を、探しているだけか。そんな馬鹿な行動をするくらいなら、別のことをしていた方が良いに決まっている。それは何か、もう分かっている。


 このユーサネイコーも、地獄であることには変わりない。だが、ここにいるだけだと、地球にいた時と何一つ変わらない。

 探したい。どこまでも、自由に駆けて行きたい。生きることを好きになるために。居場所を、理想郷を見つけ出すために、俺はここに来た。


 「言い直します、茶寓さん」と言って立ち上がり、右手で拳を作った。


 座って見上げている総団長に、今感じている本当の想いを、意思を。この魂の中で躍動する決意を、ぶちまけて宣言した。


「ユーサネイコーを放浪するために、地獄へ落ちてソフィスタに入団します」


 一言一句聞き逃さなかった茶寓さんの笑顔が、ついに壊れた。

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