0-4 状況整理
大混乱の最中に放り出され、心臓を鈍器で殴られた感覚がした。俺の体温は、手先からじわじわと抜け落ちた。
酷く髪の毛を搔きむしった俺は拳を作り、床を思いっ切り叩き始めた。コンクリート製なので、手が痛むだけである。
それでも俺は、右手を振り下ろすのを止めなかった。血が滲んできても、涙で視界が悪くなっても。
あまりにも狂乱する俺を見た骨の彼は――かわいそうだと思ったのか――止めずに見続けるだけだった。どっちにしろ、声をかけられても暴れ続けていただろう。
「嫌だああああああああ!!」と俺は叫び出した。
「嫌に決まっているだろ、こんな所で死ぬなんて! まだ、理想郷を見つけてないのに! どうしても見つけたい、それだけが願いだった。せっかく誰も知らない場所まで、親切な誰かが連れて来てくれたのに。ここなら叶うかもしれないって、ちょっと期待したんだ。なのに、訳が分からない怪物と力だと!? 見つける前に死ぬなんて、絶対に嫌だよ!! 俺の放浪旅が、こんな所で終わる訳が無い!!」
「放浪? なぁに、それ」と、彼は首を傾げて質問した。
ちょうど両手足をバタつかせるのに疲れたので、休憩がてらに起き上がった。美少年がティッシュをくれたので、簡潔に涙と血を拭き取った。
「面白い話じゃないぞ」と、前置きを言った俺は空を見上げ、右手を上に伸ばしながら淡々と語り始めた。
「俺って、放浪癖に取り憑かれているんだ。この癖で理想郷を見つけたいって、いつの日からか思い始めた。とはいえ、これまでは夜な夜な徘徊してたくらいだけど」
「……理想郷って、なに?」
「俺自身、まだ漠然としか想像してない。まぁ、退屈とは無縁で良い人間関係を保てて、世界を見ることが許される。そんな幸福がある場所、かな」
どこに行っても、夢を見ている。暗くて寂しい場所ではなく、陽だまりのような暖かさがある、明るい未来を。
どこに行っても、宿命という絶対的な支配者がいる。これは人生の色が暗いほど、力を増すのだ。俺にとって、失った右目と灰色の髪と放浪癖は、絶対に断ち切れない鎖のような存在。
「へぇ」と、美少年は言った。馬鹿にした素振りはなく、素直に「良い夢だねぇ。壮大で、本当に世界一周しそう」と感想を述べた。
まだお互いに名乗っていないのに、俺の話を聞いてくれた。くだらないとか、後悔するとか、一度も言わなかった。歓喜が芽生えた俺は、感謝を述べた。
もしも家族と仲良かったら、彼と同じ反応をしてくれたかもしれない。残念ながら、それは実現しなかった。
この国は、結構な田舎らしい。俺たちがいる場所から、全体を見渡せるくらいに面積が小さい。どこの方角を向いても、澄んだ海が必ず見えた。
ここより高そうな建物は――先ほどもちらりと見えた――ひときわ目立っている場所だけである。
隣国が無いと言っても良いほど、辺鄙な場所に浮かんでいるらしい。住民以外がこの土地に踏み込む方法は、タクシーだと言われた。
「あそこの『モセント駐車場』に、タクシーが動いてんじゃん」と、美少年が指さした。
灰色のタクシーが二台停まっている、狭い駐車場があった。崖際に設置されているので、これ以上は広げられないだろう。
しばらくすると、一台のタクシーが崖に向かって、走り始めた。だが墜落するのではなく、宙に浮いたまま走行を続け、そのまま空の果てへ消えて行った。
口をあんぐり開けて驚く俺は、「空に道はないよね!?」と彼に聞いた。にこやかな笑顔を向けられて、「飛行機みたいに、ルートが決まっているんだよ。この国って貧乏だからさァ、交通機関があれしかねーの」と返された。
バスや電車すら、一本も無いらしい。しかしこの国は、一周する距離が約八百キロメートル――面積は約三千平方キロメートル――しかない。
一週間もあれば、徒歩でも回り切れるほどの広さだ。交通機関に頼る必要は、元から無さそうだ。
こうして見ると、俺の地元と似たような雰囲気があると思った。変な怪物やよく分からない力のせいで、地球ではないと思い知らされるが。
ここはユーサネイコーという惑星で、俺はゼントム国に撃ち落とされた。星すら違う俺たちが意思疎通できるのは、『通訳魔法』のおかげである。
そして、骨の彼――恐らく、他の人たちも――は、地球の存在すら知らない。そもそも、この世界には『に』と『じ』から始まる国が一つもないと言われた。
試しに「俺は日本人だ」と言ったら、彼は「ハールン人だよォ」と返した。お互いに知らない人種である。
やはり異世界転移したのだと、認めざるを得ない。
もしも『転生』だったら、ちゃんと魔力もあるし、わざわざ魔法に頼らなくとも、言葉を交わせただろう。
俺は今、誰がどう見ても絶望的な状況に陥っているのだ。漂流したその日の内に、死にかけた。せっかく助けてもらったのに、ここからは生きられそうにない。
風呂にも入れないし、ご飯を食べることもできない。このままだと、シニミに殺されるか餓死するかだ。
いつもなら、適当な野草を拾ってやり過ごしてた。この国に生えている雑草は、害が無いとは言い切れない。得体の知れない存在を、口に含むのは自殺に等しいだろう。
「ねぇ、もう一個聞いてもいい?」と、骨の彼が言った。了承を得る前に、「アンタって、その惑星に帰りたいって、思ってないの?」と本題を出された。
「まさか!」と俺は、両腕を軽く広げて、なかば冷ややかになって答えた。「思わない。あそこに理想郷はないって、分かったから」
骨の彼は、目を見開いた。反応から察するに、俺が「地球に帰りたい」と言うと思っていたのだろう。実際は真逆のことを言ったから、さらに質問をした。
「なんでそう言い切れるのさァ? 世界一周もしてないんでしょ?」
「してない。でも分かる。ここに来た、それが答えだ。『ユーサネイコーに理想郷がある』。俺が転移した理由は、それしかない。だったら、歩き始めてやる。見つけ出してやる、絶対に」
どうして決めつけたのか、自分でもよく分からなかった。俺は導かれるようにして、ここに来たのかもしれない。それとも本当に、ただ運が悪く飛ばされたのかもしれない。
どっちにしろ、地球に帰る気はすでに
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