0-2 不思議な出来事②

 モゾモゾと身体を動かして、なんとか正面を向く。腰を抜かした故に、立ち上がれなかった。喉を上にあげて、もう一度目の前にいる人間を凝視する。


 彼はクリーム色の髪の毛で、右側のこめかみからは黒いメッシュが飛び出ている。白いスーツを着こなしており、脚が長い。俺よりも引き締まった腰をしているので、普通に街を歩いていたら、モデルだと勘違いされそうだ。まさに、美少年という言葉が当てはまる。

 美少年は怪物の半身を、蹴り飛ばした。転がった先で消滅するのを確認したら、俺ともう一度目を合わせた。その瞳に吸い込まれるようにして、見つめ返す。


 お互いに、何も言わなかった。観察し合っていたのだ。気まずい空気が漂い始めた所で、俺はようやく我に返った。助けてくれたので、感謝をしなければいけない。


「助けてくれて、ありがとうございます」と、俺は頭を下げて言った。だが、返事はなかった。疑問に思い、頭を上げる。美少年は、首を傾げていた。ちゃんと聞こえていなかったのかもしれない。


 緊張して小さく言ってしまったと考えた俺は、大きな声で二度目のお礼を言う。しかし依然として、彼の態度は変わらない。

 無言のままに加えて、眉をひそめて始めている。この反応からすると、さきほどの集団と同じく、異国の人という可能性が高い。

 ならばと考え、地球で一番話されている言語で、三回目の感謝を伝える。俺自身、リスニングが苦手であるにも関わらず。スピーキングが得意だったことを思い出した。


 だが、この自信も塵と化すように、現状は何一つとして変わらなかった。流石に肩を落とした。どうすれば伝わるのか、必死に試行錯誤する。

 頭を捻っていたら、足音がした。顔を上げると、水色の模様が入ったローファーが見えた。彼が少し開いていた距離を詰めたのだ。目線を合わせるようにして、俺の前にしゃがみ込む。そして、左手を前に差し出した。


 何をするのだろうかと思っていたら、突然、眩しい光が入って来た。肩を震わせ、思わず手で顔を覆う。だが痛みは襲って来なかったし、身体にも異常はなかった。

 もう一度顔を上げると、彼はゆっくりと左手を降ろしていた。それを見た俺は、普通に問いかけてしまった。


「何かしたのですか?」

「おぉ、話せるねぇ」と、美少年は初めて微笑んだ。彼の言う通り、会話が成立したのだ。お互いに言葉の意味を、理解することができた。

 何故急にそうなったのか、頭を悩ませる。クスクス笑っている彼は「あのねェ」と話しかける。


「『』をかけたんだよォ。アンタ、知らない言語を話すからさァ」


 ホンヤクマホウという、まったく聞きなれない言葉が出てきた。更に頭を捻らせ、大混乱し始める。そんな俺を見た彼は、不思議そうにまた首を傾げた。


「いつまで座ってんのさァ。もう家に帰りなよ」と、彼は親切な言葉を投げかけてくれた。だが困ったことに今の俺は十中八九、迷子という存在になっている。

 歩いていたら、知らない場所にいた。この言葉に噓も誇張も一切ないのだが、信頼度はとても低いだろう。


「ちょ、ちょっとぉぉぉぉ!!?」と、突然大声を出してしまった。間近で聞いた美少年は、目を見開いて「なぁに?」と無垢な子供のような声を出した。

 せめてなにか言わないといけない、と思っていたのは本当である。だが、こんなに大声を出す予定は無かった。


 俺は必死に後退りしながら、腕を震わせ始める。恐怖映像でも見ている怖がりのような姿をし始めたので、美少年からしたら意味不明な行動としか、思っていないだろう。

 彼は本当に、気付いていないのだろうか。それとも俺を驚かそうとして、わざとやっているのか。あの反応から察するに、恐らく前者だろう。


「ほ、ほほほ、ほ、ほほ!!」と、俺はブッ壊れたテレビみたいに、何度も噛みまくる。言い直そうと、深呼吸を何度もする。それでも、顔から体温が冷えていく。

 やっとのことで、首を傾げ続けている美少年の左腕を、震えた人差し指で指した。


「骨ェェェェッッ!!」と、ようやく正式に叫ぶことができた。脊椎動物において骨格を構成し、リン酸カルシウムやコラーゲンなどに富んだ、硬い組織である、白い物体。それが彼の左腕から、何故か飛び出ているのだ。

 当の本人は、自身の腕を見て「あ、しまい忘れてた」と冷静に伝える。彼の飄々とした態度からして、無害であると理解できたはず。

 だが現実の俺は、「大丈夫だよォ」とか「そういうモンだからねェ」と宥める彼の言葉など、一切届かずに質問混じりの感想を、一方的にぶつけ始める。


「そんな、どうしてっ!? もしかして、あの怪物にやられたの!? え、でも血は出ていない? って、あれ!? よく見ると、服も破れてない!? でもこれ、模型なんかじゃないよね?!」


 美少年は、勝手に深刻に考え出している俺から、少し顔を上げた。次の瞬間、彼から表情が抜け落ちた。本来ならば体内に戻そうとしていた、その骨を右手で引きずり出した。

 既に仰天しそうになった俺は、また後退ろうとした。だが、彼の手元にある骨が形を変える瞬間に、気を取られてしまった。一瞬にして、骨で作られた弓矢が誕生した。水牛を殺すような視線をし、弓矢を俺に向ける。


「え、ちょ」

「動くな」と、彼は殺気だった声を出す。しんかんするほどの威圧を放っている。俺は文字通り、一歩も動けなくなってしまった。

 もしやさきほどの怪物も、あぁやって骨で何かをして殺したのかもしれない。次の標的は、俺のようだ。散々喚いたので、口封じに息の根を止めるつもりだろうか。


 美少年は迷いもせずに、弓を引いて手を離した。俺は慌てて、両腕で顔を覆って目を閉じる。こんなことをしても無事ではいられないと、脳内では理解しているのにも、関わらず。


 骨のソウル――― 骨矢刺串シューター・アロー


「俺は怪しい人なんかじゃ……えっ?」

「グルャ、ァァ」と、後ろから地を這う声が聞こえた。振り向くと、泥で出来た犬のような怪物の脳天に、骨がブッ刺さっている。この怪物には、手も足もある。いつから、俺の後ろにいたんだろうか。全然気が付かなかった。

 美少年は俺ではなく、後ろにいた怪物を殺すつもりだったのだ。倒れて、消滅していく。そいつから出て来る血の色は、緑色だった。


「危なかったねぇ」と、彼は怯えた羊をあやす様な笑みを向けた。さっきまでは、水牛さえも殺せるような目つきだったのに。

 彼の左腕を見ると、骨らしきモノはもう飛び出ていない。依然として、スーツには穴が開いていないし、怪我もしていない。


「……人外、だ」


 ほぼ無意識に零れた一言を最後に、俺の意識は暗黒へ投げ出された。

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