第25話 【最終話】また、断れない……。

 □□□

 恭司に連絡を終えた芹葉は、胃の中のもの全部戻した。

 夕市を失ってしまうかも、そんな恐怖が芹葉を押し潰そうとしていた。

(行かなきゃ、ユウちゃんの傍に行かなきゃ……私がいないと何にも出来ないんだから……)


 吐瀉物で汚れてしまった制服のまま、芹葉は壁伝いに進んだ。支えがなければ、立ってさえいられない。顔色は青というより、土色に近い。

(なんでなの、なんで私はこんなに弱いの! ただ、歩いてユウちゃんの傍に行きたいだけなのに! ちゃんと動いてよ、私の足‼)


 私の……私の軟弱者‼ 歩け、私……待っててユウちゃん……


 □□□

 稽古量なら夕市は誰にも負けない。その優位せいが最も顕著に表れるのがスタミナだ。だから躱せるだけ躱し、白石のスタミナを削り動かなくするのが夕市の狙いだ。


 そして概ねその狙いはうまく行った。稽古熱心とは言えない白石はやがて肩で息をするように、その動きは明らかに鈍くなり、木刀は大振りになった。


 放っておいても、追いかけてくる体力はない。幸い波浜中の生徒も多数見ている。お咎めなしとはならないだろう。


(もう、この辺でいいだろ)


 背を向けてその場を去ろうとしたその時。視界の端にひょこひょこと動く影が入った。


「なに、勝手に帰ろうとしてんだよ、‼」


 大振りで振り回した木刀の軌道に、ひょこひょこと歩み寄る3歳くらいの女の子が入り込んだ‼


(マズい‼ このままじゃ……)


 躊躇……なんかしてる場合じゃない。無責任に振り回された木刀の先が女の子の体に迫る。選択肢はない、女の子を抱きかかえ体を張る。それ以外ない。


 だけど、間に合う保証はない。恐怖を感じたら、動きが鈍る。少しの出遅れが女の子の命を奪い取る。抱きかかえようとして、突き飛ばしてしまっても、木刀の半径から逃れることは出来ない。


 一か八か。

 夕市は体に残る有りっ丈の力で、スピードで、女の子を掻っ攫った。抱き上げ全身で抱え込んだ瞬間、白石の木刀の切っ先が夕市の腕の骨を砕いた。


 砕かれた鈍い音が全身を駆け巡った。焼き付くような痛みと、あらぬ方向にねじ曲がった左の手首。だけど、白石の木刀が女の子に届くことはなかった。


 守りきったのか……?

 砕かれた骨の痛みで、額から滝のような油汗が流れ落ちた。夕市の腕の中では急に抱きかかえられた女の子が、ようやく大声を出して泣き出した。


 道の向かいの家から女の子の母親が飛び出してきた。真っ青な顔した母親に夕市は女の子を引き渡した。母親は何度も頭を下げ、女の子を抱きかかえ家に戻った。


(よかった……やり遂げた)

 そう思った瞬間だ。夕市の体は前のめりに転がった。砕けた腕がアスファルトに投げ出され激しい痛みと共に、夕市は悲鳴を上げた。白石の仕業だ。


 白石はうずくまる夕市の背中に、容赦ない蹴りを入れたのだ。そして道路に横たわる夕市の砕けた左手首を踏もうと足を延ばした時、叫び声が飛んだ。


「白石‼ お前なにやってんだ‼」


「ん……? 飯田か。何って、トドメ刺すんだよ、なぁ、


 波浜中男子剣道部副部長の飯田が止めようとするが、聞く耳を持たない。


「白石、いいからその木刀渡せ、まだ謝ったらギリなんとかなるって!」


 白石の動きが止まった。顔が歪み、不器用に笑った。


「な? 俺も一緒に謝るから、やめようぜ、な?」


「飯田。お前いいヤツだよなぁ……わかった、お前の言う通りに――」


 一瞬のことだった。飯田は白石の軟化した表情や言葉に油断した。


 ガッ……!


「な、白石……おまっ…」


 白石は木刀を下段から、飯田のアゴ目掛けて振り上げた。不意を突かれた飯田は、膝からその場に崩れた。


 集まってきた波浜中の生徒がざわめく。


「何これ……酷くない?」


「先生呼んでんのか……」


「っていうか、これもう警察だろ……」


「おい、それより誰か救急車呼べよ、こんなの普通じゃない……」


「あれ、3年の白石だろ……やっぱしこんな事やるヤツなんだ」


 集まって来た生徒たち相手に白石は喚く。生徒に気を取られた隙を突いたワケじゃないが、ひとりの女生徒が転がる夕市の頬撫でた。


「ハーイ。、なに? ボロボロじゃん。見えたよ、山家くんの活躍。頑張ったね。流石だよ。うん、惚れ直した、もう……逆に惚れるなって無理だよ。あとはさ、みんなで何とかするから安心して」


「なに、アンタ。センパイの女? なんでこんな弱っちいヤツの周りに女が湧くの? 見る目ないの、アンタ。よく見たら、アンタもいい女だなぁ、瀬戸藍華程じゃないけど、俺に乗り換えなよ(笑)」


 倒れ込む夕市の髪を撫で、白石の声を聞き流し、星奈は粛々と準備に取り掛かっていた。


「なにそれ、なんでそんなもん持ってんの、ねぇ、教えてよ〜〜お姉さん!」


 星奈は黒いチューブを手に持ち、肩越しに構えた。準備万端、整った。


「瀬戸藍華ほどじゃない? 見る目ないのは君じゃない、坊や!」


「うわっ、てめぇ!」


「ウケる〜〜!『てめぇ』なんてガチで言うんだ、そんな節穴なくてよくない?」


 星奈は白石の顔めがけ、持参した消化器を噴射した。辺りは煙に包まれる。星奈はドサクサに紛れて、視界を失った白石にローキックを見舞った。


 きれいに決まった星奈のローキック。うまく時間を作り出せた。


(ねぇ、山家くん……私の肩に摑まって、いい? 少しだけ我慢してね)


 星奈は夕市を安全な場所迄連れて行く。路上だし、消化器の噴霧で視界が悪い。いつまでも、道路の上にいるのは危険だ。


(こちらに来てください!)


 星奈は声を掛けられた。女の人の声。女の子を抱っこしているところを見ると、さっきの女の子の母親のようだ。


(すみません、助かります)


 星奈は夕市を女の子の家の前まで逃がして振り返った。そこには全速力で白石に近づくイケメンが。


「戸ヶ崎‼ ぶっ飛ばせ〜〜!」


「おまかせ!」


 恭司だった。恭司は星奈の掛け声と共に白石にフライングボディアタックを食らわせた。視界を失った白石はまともに受け、転がった。ガッツポーズを取ろうとする恭司だったが、眼前に迫る危機に悲鳴をあげた。


「ちょ‼ ちょっ、待って‼ 何それ、瀬戸ちゃん!」


 一足遅れて現れた瀬戸藍華。彼女も消化器を持参していた。星奈ほど腕力がないため、遅れて参上になったが、既に攻撃態勢に入っていた。


 恭司の悲鳴もどこ吹く風。消化器を両手で振りかぶって虚空の彼方に放り投げた。


「クラッシュしちゃえば♡」


 消化器はきれいなスロープを描きながら、道路に転がる白石目掛け飛んでいった。


「瀬戸ちゃん、それいくらなんでも死んじゃうよ?」


 がっん!


 激しい音と共に放り投げられた消化器は白石の顔の真横に落下した。白石はその恐怖で気を失い、失禁した。


 □□□

 後日談。

 事件後、白石は警官に連れられて行った。それ以降学校に顔を出さなかった。保護者説明会が開かれたが、芹葉はその後の白石のことは知らない。興味が心底なかったので、その情報は自ら遮断した。


 夕市は左手首のケガが元で、剣道を辞めた。いい機会だった。今は芹葉の受験勉強を見ていた。芹葉もこの期に竹刀を置いた。少し剣道から距離を取りたかった。だから、推薦ではなく自力で受験しないと。


 藍華と星奈は相変わらず、なぜか夕市に纏わりついた。気が気じゃない芹葉は無謀にも超進学校の岬沢学園を目指すことになった。


 岬沢学園屋上。

 まだギブスが痛々しい夕市と恭司が肩を並べて雑談していた。


「それがさ、夕市。お前のおかげで『恋文』バイトが盛況でさ、陰キャが瀬戸ちゃん落とせるんだから、俺も俺もって大変よ(笑)」


「陰キャって……僕、だよね。ははっ、でも盛況でよかった」


「で、どうすんだ? 来年運よく芹葉が入学出来たら、更なる修羅場に向かうわけだが、そろそろ誰かに絞るとかないのか? ちなみに俺の精神衛生上、芹葉を選んでもらえれば……」


「なに? 戸ヶ崎。精神衛生上でいいんだ? へぇ~~強いんだ?」


「あぁ、降旗さん……いや、何気にボディー殴ろうとしないで」


「そうよ、降旗さん。ボディーだなんて。鏡見るたび思い出させてあげた方が?」


「ははっ、おふたりさんお揃いとは……」


 口は災いの元だなぁ。夕市はどこ吹く風で恭司を見ていた。しかしそこにひとりの女子が現れた。スカーフの色からして2年生だ。


「あの、山家君! 手紙ありがとう、私で良ければお願いします」


「手紙?」


「あ……っ」


「戸ヶ崎君、いま『あっ』って言ったわね『あっ』って、知ってること話さないと、

 クラッシュしちゃうぞ♡」


「あっ、これはですね話せば長くなるのですが、代筆ビジネスをですね」


「代筆ビジネス? 恋文の?」


「はい、いや意外に好評で……それでどうも瀬戸さんの時に使った封筒が」


「封筒がどうした?」


「夕市が書き損じたの使っちゃったのかな? 差出人、夕市の名前書いてたのが……」


「「はぁ⁉」」


「山家君! 英断だよ、勇気ある行動だよ! こんなギスギスした同級生女子より、包容力溢れる年上の私を選んで正解! さぁ、お姉さんと行きましょ!」


「えっ、あっ、ちょっと」


「瀬戸さん、山家君引っぱられて行きましたが」


「腕組んで連れて行かれたわね、降旗さん……」


「嫌な予感しない?」


「ははっ、イヤね! 無いわよ、無い無い! そんな断れなくてずるずるなんて……はっ⁉ 私の時だ‼」


 そんな訳で断れないまま、またひとり女子が増えそうな夕市だった。













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自己肯定感低めの男子を、放って置けない女子たち。 アサガキタ @sazanami023

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