第13話 月がきれいだから。

「お疲れ様でした」


「お疲れ様」


「失礼します」


 20時を過ぎ、集まった門下生は次々と恭司の家を後にした。恭司の祖父が自宅で剣道の道場を開いていた。小さい頃から虚弱体質だった夕市は、小学校低学年から通っていた。


 高校生になっても続けているのは、強いからとか、好きだからとかではない。

 ただ、単に両親や恭司の妹芹葉に辞めると言い出せなかったから。


 彼の母親はいい意味で干渉しないタイプ。だけど、言い方を変えれば子供に対しての関心が薄かった。


 冷たいとか興味がないではなく、ただ子供に対して興味が持てなかった。


 丁寧な無関心。この言葉が一番近い。決して目に見えた虐待があったとかではないが、夕市の性格形成に影響を及ぼしたことは間違いない。


 無関心な親の興味を引くためには、どうしても子供は親の顔色を見て生活をするようになるし、親好みになろうとして、自分のやりたいことは二の次になってしまい、何がやりたいのか、興味があるのかわからなくなる。


 今の夕市は何にも染まらない無色透明な存在。凪のように、まるで風のない世界を生きていた。何にも染まらないが何も染めない、無害な存在。


浜辺に転がる石ころのような存在。誰も気に留めない。


 だけど、中にはそういう達観したような目をする、夕市の存在にイラつく人間も存在した。


 げし! げし! げし!


 誰もいなくなった剣道場。胴以外の防具を外し、頭に手ぬぐいをし正座している夕市の周りを足高にイラ立ちをまき散らし歩く女子。


 白の剣道着に黒袴、青色の髪を後ろで束ね、全国大会常連者とは思えない小柄で華奢なその体格からメラメラとした負のオーラを放っていた。


「あの……芹葉ちゃん?」


でお願いします‼ ここ道場ですよ、山家!」


「あぁ……ごめんな……すみません、芹……戸ヶ崎さん」


「別にいいです! いいですけど‼」


 口では「いいです」と言っておきながら、全然よくない空気が漂う。


「いいんですか、こんなんで?」


 夕市はもう慣れていたが、この子戸ヶ崎芹葉は怒ると主語が無くなる。だから自然「何が?」となる。だけど、その質問が更に芹葉を苛立たせる。


 残念ながら今回もこの一連の流れを繰り返し、夕市は芹葉を怒らせた。

 いや、元々怒っていたけど。


 夕市みたいに自己肯定感低めな男子にとって、たぶんこういう意味なんだろう、だからこう答えよう、なんてことは無理な注文だ。


 夕市だって、芹葉とは長い付き合いで何が言いたいかわかっていた。でも、質問の意図を確認するまで、勝手な憶測で解釈し、言葉にするなんて夕市には出来なかった。


 相手の考えてることを決めつけるのが、苦手だった。


 ある意味手のかかる男子だけど、実害はない。彼に関わろうとする人間はとても少ない。少ない中で、芹葉は貴重なひとりだ。


「あの場面、打てましたよね? 面」


「うん、いえ……はい」


「どうして打たなかったんです?」


「それは……」


「私が女子だからですか? 剣道に女子とか関係ないです。第一、山家君は私より弱い」


「はい」


「言い返さないんですね、そんなんで大丈夫ですか、そんなんで昇段審査受かりますか? 稽古足りてますか? なんで剣道部がない岬沢学園なんて選んだんですか? 軟弱者の影響ですか?」


「恭司は……その、軟弱者とかじゃないよ。僕はそうかもだけど」


「自覚あるんですね。稽古増やしますか、昇段審査まで。私付き合いますが」


「いや、芹……いや、戸ヶ崎さん。今年受験だからいいよ」


「遠慮は無用です。それに私は推薦狙いですから、勉強はそこそこで大丈夫です。週にあと2日追加しましょう、他の門下生との兼ね合いもありますので、詳しい日程は『まいん』でご連絡します、あと……」


「あと?」


「その……あの、そう! 手ぬぐい! 面タオル新しいの‼ だ、だらしないですよ、山家君、そんなよれった面タオル! 下級生に示しがつきません‼ だから、その買いに行きませんか? その、にち、日曜日とか‼」


「日曜日ですか、すみません。その日曜は母の買い物に……」


「ま、間違えました! ど、土曜って言うつもりでした! 土曜ならどうです?」


「土曜は……たぶん大丈夫です。母さんは……母は午前中歯科に行くんで」


「では、土曜に! あっ、私忙しい中予定空けましたので、ドタキャンとか……」


「はい、それは……はい」


 その後、ふたりは道場の清掃を終え着替えし外に出た。芹葉より一足先に道場を出た夕市は下弦の月を見ていた。


 フツメンではあるが、引き締まった顔立ち。清潔感はある。だから目立たない。


(今日も怒らせてしまった、やっぱ向いてないんだろうな、剣道)


 いつものように、建設的ではない負の自己反省を繰り返す。彼は油断するといつもそうだ。こういう日は恭司に会わずに帰る。


 勘がいい恭司に悟られたくなかった。物思いにふけていると、物音がした。芹葉の足音だ。


「お疲れ様です、戸ヶ崎さん」


「うぅ~~もう、稽古終わりました! ここはもう道場じゃないです!」


「あっ、ごめん。芹葉ちゃん」


「気を付けてくださいよ、ユウちゃん。そういうの……呼び方、道場以外で苗字とか傷つく」


「ごめん」


「ほら、すぐ謝る! ここは道場じゃないの! そういうの余所余所しいから! 言っときますけど、ユウちゃん。私がいなかったら、ユウちゃんに話しかける女子なんていないんだから!」


「ははっ、そう…だね」


「はい! 何してたんです?」


「月を見ていたんだ」


「月を?」


「うん、月がきれいなんで。それじゃ、帰ります。付いたら『まいん』しますね、じゃあ」


(月がきれい……)


 ぷぅ~~~~っ‼


 芹葉は顔を真っ赤に染め、腰を抜かしたようにその場にしゃがみ込んだ。


(こ、これって……アイラブユーの隠語⁉)












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