第6話 ウチの人。

「どうした、寝不足? 顔色悪いけど」


 地に足がつかない感じで教室に辿り着いた「1年2組」の校庭側後ろから2番目が夕市の席で、その隣が星奈の席。


 話しかけてきたのは隣の星奈だった。思えば隣の席なのだから、恋文なんか使わずに直接告白すれば藍華を巻き込むこともなかったし、髪を切ることもなかった。


 星奈の方からクラスメイトに話し掛けるのは珍しい。


 その逆もだけど。口数が少ないのと不良っぽいということで、敬遠されがちだ。


 夕市は星奈の方から話し掛ける数少ないクラスメイトだ。


 いや唯一と言っていい。だけどコミュ障とかとは少し違う。めんどくさいというか、ダルい。そんな感情からだ。


「うんと、ちょっと。なんて言うか色々やらかしちゃって」


「色々? そんな顔色変える程のやらかし?」


「うん」


「そうなんだ。大丈夫? 相談乗るけど?」


「あぁ……ありがと。でも、なんて言うかは越えてて」


「その域って?」


「うん、もう謝るしかない感じで。ごめん、行ってくる」


「ちょ、山家くん?」


 教室の入り口から今朝の女子グループと共に、入って来た藍華を見つけた。


 自席から立ち上がった夕市は、数歩歩いて立ち止まって星奈にお礼を言った。


「ありがと。少し話せて勇気が湧いた――気がする」


 その後夕市は振り向くことなく、藍華の席に一直線に向かった。


(誤解させて髪まで切らせてしまった。謝ってどうこうなることじゃないかもだけど)


「あの、瀬戸さん。ちょっといい?」


 教室でいきなり声を掛けられた藍華は驚き夕市を見た。


 子供の頃から芸能界で生きて来た彼女だが、夕市の気迫に押された。


「えっと、何かな? その山家君あとででも大丈夫じゃない? ほら、まだ……」


「ごめん、迷惑だよね。でも謝らないといけないことがあって」


「謝る? そうなの?……でも、山家君が私に謝らないとなんてある? みんな見てるし、ね?」


 状況も事情も分からない。だけど、藍華は藍華なりに本能的に夕市に恥をかかせたくないと感じた。


 だけど残念ながら夕市の思いがまさった。謝らないとという気持ちが、思いが藍華の次の言葉を遮った。


 ホームルームまでまだ時間はある。だけど、教室にはそこそこ生徒がいてこの奇行とも取れる夕市の行動。


 普段は目立たない存在の彼の行動がクラスを、教室中をまるで水を打ったようにした。


 土下座。


「ちょ、ちょっと……山家君どうしたのそんな……」


 突然の土下座に藍華は言葉を失う。意味が分からない。付き合い始めたばかり。


 本当なら楽しくて仕方ない時期に、彼氏になったばかりの男子がクラスメイトの前で自分に土下座している。


 ざわつくクラスメイトに動揺してしまう。


 クラスメイトも藍華も言葉を失った。まるで時間が止まってしまったように音さえ失った教室で夕市が口を開いた。


「ごめん。その言い出せなくて」


「えっと……何をかなぁ。そんな秘密にするような事、まだなくない? あっ、もし元カノとかの問題があるなら大丈夫だから、待つよ?」


 察しのいいクラスメイトは、今の藍華の言葉と夕市の土下座でふたりがただならぬ関係になったことを感じたが、当の藍華には何がなんだかわからない。


 そう、わからない。付き合い始めたばかりの彼氏が教室で土下座に至る経緯が、まるでわからない。


 だから聞いた。勇気を振り絞って聞いた。


「あの、どうしたのかなぁ。ごめん、私バカなのかな……わかんないよ。山家君教えて、お願い」


 懇願するように震えた声を夕市に投げかる。


「あの、ごめん。瀬戸さん…きのう言うべきだったんだけど」


「うん、なに? 聞くよ、言って」


「その……ごめん。手違いがあって」


「手違い?」


「その、違うんだ」


「違うってなにがどう違うの?」


 ここで夕市は言葉を詰まらせた。本題を前に口が、心が躊躇した。


 もしかしたら頭のどこかでわが身かわいさがあったのかも知れない。


 だけど、夕市はそんな気持ちを振り切った。


 わが身より自分の恋文が原因で髪を切らせてしまった女子に謝りたかった。謝って済む問題じゃなくても謝りたかった。


「間違いなんだ、恋文は瀬戸さんにじゃない」


「えっ? どういう……」


「降旗さんに出そうとしたんだ、その……恋文は。間違えて瀬戸さんのくつ箱に。きのう言えばよかったんだけど言えなくて」


「そ……そうなんだ、降旗さん、なんだ。えっと……なんで?」


「ごめん。なんか勇気がなくて、その瀬戸さんに伝えれなかった。伝えれないまま今日になっちゃって、その……」


「髪、切っちゃったからか……言いにくいよね。そっか、なんだ。私の早とちりか、そっか、そっか。なんだ」


「僕が悪いんだ、あの時ちゃんと言えばこんなことに」


 その時だ。すっと夕市の隣に同じように正座する影が。


「ごめんね、実は俺なんだ。その、瀬戸さんのくつ箱と降旗さんの間違えたの。だから、きっかけは俺が作ったワケで夕市はなんて言うか、優柔不断なだけで悪気はないんだ。いや、勇気もなかったんだと思うけど、こんな事態想定してないだろ? 普通」


「戸ヶ崎君……」


 教室では学園のトップカーストの頂点と噂される藍華の足元で、男子ふたりが床に頭を擦り付けるように土下座した。


 自分たちの不注意と勇気がなかったことで、誤解を与え藍華は夕市好みの髪型になろうと、長年伸ばした髪を切った。


「えっと、顔上げない? その……大丈夫だよ? ちょうどほら、イメチェンしたいなぁって思ってたし、逆にチャンスをくれてありがとうっていうか……だから」


 気にしないでと、藍華は夕市の擦り付けるように下げた頭に触れようとした。


 声がした、凛とした透き通った声、そして揺るぐことのない言葉。


「立って。あとは私が何とかするから立って、ほら、立つ!」


 そう言ってその人物は無理やりに夕市を立たせた。


 立たされた夕市はなされるがままに、情けなく中腰になりその人物に汚れた制服の膝を叩かれ、その人物はズボンの汚れを落としてあげた。


 その人物は溜息と共に立ち上がり、まるで藍華に対峙するかのように前に進んで止まった。


「ごめんなさいね、なんかがご迷惑かけたみたいで」


「う、ウチの人って⁉」


 藍華の眼前に歩み出たのは降旗星奈だった「ごめんなさいね」なんて口では言ったが彼女はバチバチの視線で藍華を見た。














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