第5話 はじめての朝。
翌朝。
昨晩はよく寝れなかった。星奈への恋文を間違えて藍華に届けてしまったことや、咄嗟の事で藍華に場当たり的な嘘をついてしまい、結果藍華と付き合うことになった。
恋愛初心者の夕市にとって、この状況は手のつけられない状態に思えた。
(これ以上続けて瀬戸さんを傷つけてしまう前に平謝りに謝ろう。少なくとも瀬戸さんは全然悪くないんだし)
そんな事を考えていたら、あまり眠れなかった。寝不足だけど、あくびが出るような気の抜けた感じではない。
なんとか誠意を見せたいと夕市なりに必死に考えて来た。
(話すなら早いほうがいいかな、放課後を待つより、瀬戸さんにお昼休み時間を少し貰って話そうか、いや何ならホームルームが始まる前にでも話せないかなぁ)
そんな思いを持っての登校だった。だけど、彼の思いを粉々にする出来事がすぐ待っていた。
それは彼らが通う、岬沢学園の道路沿いにある公園に差し掛かった時、事件は起きた。
「山家君。おはよ、早いね〜〜」
公園から小走りで出てきた人影に夕市は足を止めた。
その人影は岬沢学園の夏服でグレーの襟のセーラ服。濃紺のスカーフの前で小さく手を振っていた。
夕市は混乱した。彼の脳内データベースにこの女子のデータがないのだ。
いや、正確にはないのではなくて、マッチしないのだ。スカーフの前で手を振る仕草。背格好やキレイな立ち姿。
間違いなく藍華なのだけど、記憶にマッチしない。彼の記憶にある彼女とは、どこか何かが違っていた。
小走りで近寄ってくる藍華を寝不足の目で見ていた。彼の視線に藍華は照れ臭そうに、肩に掛かるかどうかの髪先を弄びながら言った。
「ど、どうかな? きのうアレから美容室に行ったの。手紙に書いてくれてたでしょ『風に揺れる君の肩までの髪が』って。事務所からもね、イメチェンにOK出たから切っちゃった!」
「き、切っちゃった!?」
「うん、ミディアムっていうの。ここまで短くするのって、いつ振りだろ、たぶん小学校低学年以来~~めちゃくちゃ軽いよ」
藍華は小首を傾げながら「どうかな?」みたいな顔したので「すごく似合ってるよ」と咄嗟に答えた。その言葉に嘘はない。腰までのロングヘアの藍華は同じ歳とは思えない大人びた雰囲気だった。大学生みたいな感じ。
髪を切ってミディアムになった今、クールビューティと活発さという相反した空気を併せ持っていたが、少しも変ではなくむしろ魅力を増して直視出来ないくらいに夕市を緊張させた。
「よかった~~実は自信なかったんだぁ、変じゃないかなぁって。昨日さ、山家君に聞いてからにしようかなぁとか思ったんだけど、私うっかりしてて山家君と『まいん』のID交換してなかったでしょ? 一瞬迷ったんだけど『ここは女は度胸でしょ!』になって。でも、美容室終わって家帰ってから若干不安になりまして……『まいん』のID交換しとけば昨日の内に自撮りで報告出来たのにって。そんなワケでID交換しよ?」
夕市は求められるままに、ズボンのポケットからスマホを取り出したが、誰かと『まいん』のID交換をしたのは思い出せないくらい前のことだった。
ちなみに『まいん』はメッセージアプリで、文字や写真やスタンプなどを送り合うアプリだ。もたついてる夕市を見た藍華はクスリと笑った。
「?」
「こういうの慣れてないのって悪くないよ」
「そうなの?」
「うん。山家君らしくていい」
「どんくさいだけだよ」
「そんなことないって。こういうの手慣れた感じの人って私はチョット苦手かも」
「買いかぶりだよ、瀬戸さんの」
「それは、アレよ。その……彼女ですし?」
そんな会話をぽつりぽつりと交わしながら校門に向かう。にこやかな横顔の藍華と心ここにナシの夕市。夕市の心の中は罪悪感でいっぱいになっていた。
(瀬戸さんが髪を切った理由って僕のせいだ)
星奈に送るつもりで恭司に書いて貰ったラブレターに『風に揺れる君の肩までの髪が』のくだり。この事にきのう藍華が触れた時「髪短くても似合いそうだから」とその場を取り繕うためについた嘘。
(僕があんなこと言ったから瀬戸さんは髪を……)
異性と交際経験のない夕市でもわかる。男子が髪を切るのと女子が髪を切る重みがまるで違う。女子は失恋した時、過去と決別するときとか気分を変えたい時に切ったりすることは知っていた。
もちろん、オシャレで切ることもあるだろう。だけど、今回みたいに間違って届けられた恋文が原因で、しかも夕市は取り繕う嘘までついてしまっていた。
恋文が原因で、小学校から伸ばしていた髪を切ったとなると、その罪は計り知れない。
(黙ってていい問題じゃないよな)
「瀬戸さん、実は――」
「ん?」
振り向いた藍華に事の経緯を話そうと決めたその時、彼らの背後から声がした。
「おはよ、瀬戸さん! 髪どうしたの! すごく切ったね?」
「あっ、うん。その……イメチェンしたの」
「そうなんだ、事務所的にはいいの?」
「えっとね、いいって。だから」
(ごめん、山家君。長くなりそうだからまた教室で)
藍華は話しかけてきた女子のグループに気付かれないように、小声でささやき、バレないように指先だけで手を振った。
女子グループの会話から「事務所」つまり藍華の芸能活動にまで、影響を与えてしまったことを夕市は知った。
(これって謝って済むことなのか)
気の弱い夕市の口の中に酸っぱいものが込み上げてきた。
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