22話 もう縛るものはない。
怒りと憎しみはなぜ俺の心を、これほどまでに蝕むのか。
いくら振りほどこうとも、その記憶は鮮明に蘇る。自身の情けなさも、納得のいかない理不尽さも。
生きてきた間、ずっとだ。納得のいかない事象が、俺の中で日々積み重ねっていく。一方で他人は忘れる。楽しいことや嬉しいことで上書きをして、ネガティブなメモリが削除されてていく。それは必然なのだろう。そして上書きする内容が更新されない俺のメモリが、消されないのも必然。
いつしか積もりに積もった怒りと憎しみは俺のアイデンティティとなった。尖りすぎた負の特徴が、唯一の俺の象徴となった。
ふとした瞬間、思いがけないある日、日常のあらゆる行動が引き金となり、一気呵成に、これまで浴びせられた罵詈雑言が、フラッシュバックする。
死ね。辞めろ。クズ。ブス。デブ。チビ。クソ。何でできないの? 無能。目障り。有給取れるわけねーだろ。結果出してから言え。おまえ何歳だ。どれだけ迷惑かければ気が済むんだ。口答えするな。親に感謝しろよ(笑)。おまえを信じた、俺がバカだった。もう辞めたら? 使えない。ダメ人間。ちゃんと考えたのか? まじめにやってる? これ常識だから。仕事できなくてもメシはちゃんと食うのか。さぼるな。どこまで教えないといけないの? 何時間かかってるんだ。おまえ病気か? 言われたことだけやれ、余計なことするな。頭、大丈夫か? このままだと仕事まかせられないぞ。おまえ社内で評判悪いぞ。レベルが低い。もう帰るのか?
生まれるべきじゃなかった。
……なぜそこまで言われなきゃいけないんだ。
記憶の時系列も、言われた場所もバラバラなのに、あの時感じた負の感情は、一瞬で蘇る。
そう。負の感情は、時を超越する。
—―—―—―……
「—―なっ……何が起きてる!?」
映像画面越しに声を上げるミラク。困惑する処刑人。処刑場に奴の姿はない。俺が労働に比重を置くあまり、肥えたその身体を拾い上げたからだ。
「待たせたなタジル」
「お、おい、な、なんで……う」
「助けに来たぜ」
「うわあああああああああああああああ!!!」
自身を抱き上げる、俺の存在を視認して絶叫するタジル。
異常事態を感知し、斧を振り下ろす処刑人。その全てが鮮明に、鈍重に見えた。処刑人の姿が見えた瞬間、俺は上空へと発ち、迎撃の準備を詰めていたからだ。
そして振り抜く。処刑人の首の頸動脈を狙って、重力で加速した蹴りを。イメージは大槌。処刑人の首は切れることなく、メキメキと足がめり込み、骨が折れていくのがわかる。斬るというより、潰すイメージ。それは何より屈辱的な痛みであろう。すんなりと死ぬことを許さない、処刑人の美学に最も反した攻撃だ。
「死ぬな! 俺がぶっ飛ばしてやるから!」
一発、二発。拳が助けたタジルの頬の骨を捉え響いたのがわかる。確かな拳への痛み。殴った方も痛い。だが、タジルはもっと痛い。いい大人が涙目になって泣き叫ぶ。
「や、やめ、やめて……! お願い! お願いだから!」
子供は感情を隠さない。こいつは感情を隠せない。これ以上、痛い思いをしないように必死だから。
「憎きお前らがいる限り俺は無敵だ! 俺は全てを失った時、お前を必ず殺す! 俺は絶対にお前らに迷惑をかけて死ぬ! お前らがくれた魔力を活かして、死ぬほどつまらない人生送らせてやるよ! 受け取ってくれよ! 俺の恩返しを!」
タジルの顔は原型をとどめてない。こいつは醜悪な容姿であと何十年も生きていくだろう。人望も失われるだろう。スカッとする。
「お前に罪はないのか! 罰はないのか! おかしいだろ! じゃあ俺がぶっ殺すしかないだろ! 死んだように生きろよ! 死んだように! 俯いて何もせず! 俺に怯えて! 絶望して! 死にたい想いまで追い詰められて! お前も! お前も生きてみろよおお!」
足の関節が折れた。タジルはしばらく歩けない。
腕の関節が折れた。しばらくこいつは満足に物も取れない。
勝手に死んで楽になろうと、まるで自分が被害者のような面で、善人のような面で死のうとしたことが、堪らなく苛立たしい。過剰なまでの暴力に、さらに拍車をかけていた。
「—―精が出るわね。ブレイ」
無我夢中で周りが見えなくなった俺の芯を冷ます落ち着いたトーンの声。その聞き覚えのある声だ。
「……」
そこに居たのはマリアだった。
「どうしたの? 最早あなたの憎しみに敵は居ない。度を越した怒りと憎しみは、時間すらも超越できる圧倒的な魔力量に達したわ」
「……」
「原因はコイツらであり、社会。いま彼らはそのしっぺ返しを喰らっているに過ぎない。どうしたの? 続きをどうぞ? 怒りはまだあるでしょ?」
「……マリア。お前いま、必死に笑いを堪えてるって顔だぜ」
マリアはピクピクと頬が上がるのを必死に抑えている。眉間に寄せた眉は今にも離れたがっている。そしてやがて、それは限界に達し、腹を抱えて笑い出した。
「……ふふふ、あははははは! そりゃ笑うでしょ。弱者を蔑ろにした人間が、今しっぺがえしに遭ってる! 何で自分はやられないって思ってたのかしら。こんな痛快なことないでしょ!」
マリアはカメラをウェンディから取り上げ、回し始めた。
「見せてあげましょうよ。他の人にも」
楽しそうな様子のマリアとは対照的に、俺は疑念が拭えず、素直に微笑むことはできない。
「……マリア」
……なぜ友も恋人もおらず、人間社会から嫌われ、これ以上苦しい思いをしないように、人々との関係を隔絶してきた俺が、マリアとウェンディと多少の行動を共にしたのか。
「嘘つくなよ」
それは、コイツらだけは平等な視線で俺に接してくれていたからだ。
「お前のその嘲けりは、アキーノだけに向けてるんじゃない。俺に対してもだ」
「……」
「憎しみの連鎖の中に、いつまでも囚われている、いまの俺に対しての嘲りだ」
「……そう思う?」
マリアは否定も肯定もしない。
「お前の目的はわからなかった。なぜ俺に手帳を渡したのか。なぜわざわざ俺と行動を共にするのか。だが、この場にわざわざ見にきた時の表情で合点がいった」
—―お前、俺を見て楽しんでいるな?
「……」
マリアは答えを返さない。ただ俺を見て笑うだけだ。そこにどんな感情があるのかはわからない。
「い……命だけは……」
その時、マリアと話している間に放置していたタジルが、息も絶え絶えながら話しかけてきた。
「い、いのちだけは……やっ、ぱり勘弁、してください」
「言ってるわよ?」
「……」
「あ、ありがとうございます。ブレイさん。このご恩は、一生忘れません。あなたに」
「うるせえ」
その瞬間、魔力の増加を感じたマリアの、眉間に皺が寄った。
圧死。命は消そうと思えば、一瞬で潰えてしまう。魔力は大幅に消失した。タジルに対する憎しみは相当だったようだ。
「......終わりね。残念」
「……」
「タジルとアキーノを殺したら、あなたの魔力は六割方削れる。これなら国家憲兵の力でも、何とかなるでしょうね」
「……違う」
終わり? 笑わせてくれる。
もうコイツに縛られることもない。
「始まったんだよ、俺は」
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