第6話 上司への提案と相談は意味ない。
鞄に仕事道具をいれ、靴を履く。いつもの行為。ただ、手帳は置いていくことにした。こんな得体の知れないものを、持って行く気にはなれなかった。
ブラック企業に休みはない。あんな事件が起きた次の日でさえ、他の仕事は動いている。動かさなければならない。
……しかし、今回ばかりは、出社を命じた会社側の事情も理解できる。今日は緊急集会が開くという。一旦集まって状況を共有という算段だろう。その際に、今後のことについても語るだろう。なんにせよ、考えていても今後のことははっきりしない。行くしかない。
・・・
会社まで行く最中、いつもの通りにいる人が、普段より多いことに気がつく。魔法通信録画機器を持っている人間が多いことにも。
嫌な予感がした。そしてそれは的中した。会社の前に着くと、入口を報道陣が待ちかまえている。
……この間をかき分けて中に入っていくのは気まずい。正面入口を避け、裏口からはいることにする。しかしそこには、さらなる数の報道陣が待ち構えていた。
その内の一人が俺の存在に気がつく。それを皮切りに、波のように報道陣が押し寄せてきた。
「ブレイさん! ブレイ・アンダーガードさんですよね!?」
「は、はい」
声の圧に押され、思わず返事をしてしまった。こういう時は何も話さない方がいいのかどうなのか。考えがこんがらかる最中、俺の名前を聞いて、場の雰囲気が一段階、冷えた気がした。
「今回の事故についての弁明はございますか」
「……弁明?」
言葉の意味するところがよくわからなかった。
「あ、安全管理の配慮不足による、英雄フェリルの死について、良心は傷みませんか!?」
一人の女性記者が、涙声で俺にそう問いかける。
「……は?」
・・・
「ど、どうなっているんですか!」
バンッと社長室の机を叩く。今回ばかりは、普段抵抗のできない自分でも流石に声を荒げらざるをえなかった。
「なにが?」
「なにがって……!」
魔法通信機器を見ながら、社長は上の空だった。
「報道の内容ですよ! なんで俺の過失扱いになっているんですか!」
報道陣をかきわけ社内に入った後、トイレで今回の報道記事について調べた。そのとき、いま置かれている状況がわかった。
ロケーション不足。普段の勤務態度。仕事内容。社内外での評判。
今回の事件の全てに関して、俺の悪評が書かれていた。
“普段から仕事の段取りも悪く、依頼人からの評判も悪かった”
“プライドが高く、失敗を指摘すると睨みつけられた”
“何かやりそうな気がしていた”
そしてその報道に対して、論証となっているのは、社長を筆頭に、匿名社員からの言葉だった。
“無能は働くだけで有害。社会に出すな”
“フェリルの代わりにコイツが死ねよ”
“ブレイ・アンダーガード。こいつに殺害予告が出ても、俺は許す”
世間の声はこの内容を受けて、容赦ない批判を浴びせてきた。
「……はあっ、はあっ」
吐き気がこみ上げてくる。ここまでの悪意と怨みを、一気に受け止めた経験がなかったから。実名と配信で移り込んだ俺の画像がさらしあげられ、瞬く間に世に広まった。
まるで全てが俺のせいだと言わんばかりの報道が。
「…………っつ!」
「俺は自分が感じたことを話したまでだ。それをマスコミはああやって解釈した。ただそれだけだ」
時は進み、納得の出来ない俺は、社長室に乗り込んでいた。社長は高級そうな椅子にふんぞり返り、ギラリと俺の方をにらみ込む。
「あんたの言い方は、明らかに俺に責任をなすりつける言い方だったろう!」
「思い上がるな! ただの事実だろう!」
俺とクソ野郎が互いに声を荒げる。痛みには慣れたつもりだった。不感になったつもりだった。何も感じなければ、感情が揺れ動くこともない、と。それがブラック企業で生きていくための処世術だった。
だがいまはそんなことは忘れて、ただただ全身が怒りで震えて、止まらない。
「俺はダンジョンの受付嬢にも聞いていたんだ! ロケハンの時から! このダンジョンの傾向、安全性とレベル基準。俺は社内の安全チェックリストに従って、記入もして動いた! なのになんであんな報道がでる!」
「以前の
「……は?」
「四十年前にも、
クソ野郎は真っ直ぐと俺を睨みつけ、視線を逸らさない。
「そ、そんな昔の事件のこと調べるわけないだろ! 受付嬢もそんなこと言っていなかった! 大体、あの
そこまで言いかけて口が止まった。俺の番だと言わんばかりに、クソ野郎は大声の主張と共に唾を飛ばす。
「受付嬢は聞かれたこと以外に答える義務はねえんだよ! これはチェックリスト内の『ダンジョンの安全性を関係者に徹底的に聞き込み、十分な安全性を確保できたか』の不十分に該当する! つまり、お前の管理不足にあたる!」
クソ野郎が鼻息荒く俺の記入したチェックリストを叩き出す。視線をそこにやると、やつの置いていた魔法通信機器が鳴った。「ダイナー弁護士」。そんな表示が見えた。そして、それをすぐに俺に見えないように隠し、背後を向いた。
……ッ! このゴミ野郎ッ……! 責任逃れのために、もう手を回してやがる!
「そんな曖昧なチェックリスト機能してねえし、誰もまともにやってねえんだよ! それにこんだけ長時間で働かせといて、そんな細かい部分まで仕事できるわけねえだろ!」
「……いまなんて?」
俺が感情のままにゴミ野郎にキレ散らかすと、ゴミ野郎はぴたりと止まり、冷静に問うてきた。
「ふ、ふふ」
小刻みに身体を震わして、大声で笑いはじめた。
「あは、あははははははははははは!」
「……頭がおかしくなったか」
「言ったよなあ、お前」
必死に笑いを抑えながらゴミ野郎は切り出す。
「まともにやってねえ、そんな細かい仕事できるわけねえ。あははあは。やっぱお前、何にも頭まわんねえなあ」
ゴミ野郎が胸ポケットからつまみ出したのは、魔法録音機器だった。
「……っ!」
「はい終わり終わり。今日の仕事おわりー。あっ、ダイナーさん、もしもしー? ええ。念押しの証拠もばっちりとれましたよー」
「お、おい!」
「あっ! 助けて助けてー! 犯人に襲われてますー! ひいいいい」
俺がクソ野郎に近づくと、わざとらしく声を上げて魔法通信機器をこちらに向ける。
「怖い、怖いですー! 何も持っていないやつは無敵ですからねー! 失うもんがないから殴りますか? 別に捕まっても変わりませんもんねー? 殴る? 殴る?」
「……」
おちょくるクソ野郎。それを見て、拳はますます強く握られた。
いまコイツをブン殴って、捕まるか?
俺は雑用から何までやらされていたから、腕っ節はこいつよりあるだろう。確実にぶっ飛ばせる。なんなら、殺せる。
どうする?
とことん殴って捕まって、一生を牢屋で過ごすか?
……別にいいのかもしれない。俺に身よりはないし、別に捕まったところで誰も困らない。俺のほんの少しばかりの矜持も保たれるだろう。
本当にブン殴ってやりたかった。
だから俺は、
――ブンッ
「あああああああああああああああああああああああああ!!」
……俺は殴った。思いっきり社長の机を。
……ここでコイツを殴れば気は済むのだろう。俺も自身を許してやるだろう。
だが、俺はもっと執拗に、なぶり殺したかった。
コイツがすべてを失うほどに、すべて。
「あ、あは、……あははははは!」
一瞬身じろいでいた社長は机を殴った俺を見て、拳に血が混じって自滅している俺を見て、また嘲笑しはじめた。
「だよなだよなあ。そうだよなあ! でもいいのか? お前これからどうすんだ? 状況は不利! しかもお前弁護士を雇う金もないだろ? ついでに教えてやるよ! お前の給料はナイルの三分の二だ」
「……」
「お前いつまでも動画編集下手だったな。こう見えて俺も動画編集上がりでな。今回の動画は綺麗に編集しちゃうぞ~。裁判所で放映だ! 楽しみにな!」
「……」
「……あばよ! 無能! 二度と俺の脚を引っ張るなゴミ!」
何にも反応することなく。奴の目を見ることもなく、感情を乱さないようにその場を後にした。
……拳の痛みで少し血の気が引いた。やつはなぜあそこまで必死に挑発するのか。
怖いからだ。もっと確固たる証拠が欲しいからだ。俺があいつを殴るという画が欲しいからだ。それが誰の監視の眼を通してもオッケーがでる、自分にとって安心安全な映像だからな。
でもそんなの俺は……。俺が見たくねえんだよ。
最低で下劣で陳腐で 罵声や酷評が飛んでも、俺は俺が許せる、自己満足の画が撮りてえんだよ。
「あっ、ブレイさん! もうお帰りですか!? お話を」
「……」
報道陣を無視して帰路に着く。裏路地で誰も見えないところで拳を、脚を壁に打ち付ける。怒りでこれ以上、どうにかなってしまわないように。痛みを刻みつづけて、怒りを絶やさないように。
そして気がついたときには家に着いていた。結果的に自傷的なこの行動が、追っ手を巻く手段となった。マスコミも家には来ない。さすがに個人情報は会社の人間も晒せないか。
音のしないように部屋の扉を開ける。薄汚れた部屋に明かりを灯す。近隣住民は俺の存在に気づいているかもしれない。だから居留守のためにも、机に蝋燭を点ける程度だ。
……机にはいつも何もない。いつも飯を食って寝るだけだ。搾取され続けた。時間も、生き甲斐も、将来への希望も。
「……なあ」
「……はい」
朝、置いていった机の手帳に手をつけると、自然とまだウェンディが近くにいることを感じ取れた。
「なぜ俺に手帳を渡したんだ」
「……以前も話しましたが」
手帳をぱらぱらと開いてみる。汚い字で、筆圧は強めに、恨み辛みが書き込まれている。時折ページには涙が染み込んでいる。
「……あなたの怨瑳の想いが単純に強いからです」
手帳の序盤のページには「俺が悪い」「まだやれる!」「頑張っていくぞ!」という言葉が目立つ。
「……逆恨みかもしれないのに?」
「……関係ありません。憎悪は、自分が感じるかどうかです」
手帳の中盤のページには「なんで」「理不尽」「ムカつく」という言葉が目立つ。
「俺が間違ってるのか?」
後半には「殺す」。その文字が圧倒的に多い。
「……わかりません」
「ふっ」
意志を決めると、手帳は俺の胸に溶け込んでいく。憎悪の記憶がより鮮明に刻まれる。
俺は会社から貸与されていた魔法録画機材、魔法通信機器、そして手帳を持って家を出る。
「だよな」
どこから嗅ぎつけたのか、数人の報道陣が来ていた。
「あっ、やっぱり家にいたんですね! 今回の件につ、いて……」
カメラとリポーターと作業員、三人の意識が落ちる。というより落とした。
首の動脈に向けて見えた翡翠色の線、それに向けて、赫色を流し込むイメージをしたら、三人はあっけなく倒れた。
「ブレイさま」
魔力の使い勝手が少しわかったところで、ウェンディに声をかけられた。
「これを、マリアさまが」
そういってウェンディが手を伸ばすと、俺のくたくたの服は、上等な黒革で出来た、漆黒のマントに変質した。
「……いいじゃん、最高に厨二で」
「……ちゅうに?」
「気にするな」
「……わかった」
「
移動魔法を唱え、ダンジョンへと向かう。初めて魔法を使ったが、移動魔法中にはこんな空間を見るのか。それは、血脈をわたっていくように、ひたすらに赤色が続く景色だった。
そのあとはダンジョンにたどり着くまでの間に、この言葉だけつぶやいたのを覚えている。
「殺す」
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