第5話 ご近所付き合いする余裕もない。

 なぜあそこに居たのか、今回の配信に至った経緯、黒蜘蛛エメリの襲来、フェリルの死。


 今日起きた全てを国家憲兵の事情聴取で話し、ようやく帰路へ着く。


 死者計22名。うちギルモア社員16名、フェリル含むその関係者3名、武器メーカー関係3名。それが今回の事故の内訳らしい。


 自分が携わった現場で初めて事故が起きた。ただただ強大なモンスターの恐ろしさに打ちひしがれ、己の無力さを知った。


 ――殺せよ。

 ――思い通りにいかない現実なんて、全部殺せよ。 


 事故の後、いつまでも頭を離れないのが、窮地に聞こえたあの声だった。


 鞄から手帳を取り出す。しかしそこにあるのは、いまは黒光りもせず、何の変哲もない手帳。不気味なのでその場に捨ててしまおうと思ったが、国家憲兵に詮索されても厄介なので持ってきた。


 ……この事実を理解しようとしても、いまの自分では限界があった。


 そんなことを考えながら歩いていると、家に着き、鍵を開けようとした時だった。


「えっ」


 背後にお隣さんが立っていた。足音もせずそこにいたお隣さんに、ただただ恐怖を覚えた。


「こ、こんにちわ」


 どうすればいいかわからず、すぐに家の中に入ろうとした。すると、ぐっと袖を掴まれ、指をさされた。


「……それ」


 お隣さんが指さした先にはノートだった。


「……なぜ力をふるわなかったの?」


「!?」


 ……今日のことを言っている? いやそんなはずはない。彼女が知るわけがない。


「なんの話?」


「あそこであなたが力を振るえば、黒蜘蛛エメリとの戦況は変わっていたはず。それに……」


 黒蜘蛛エメリ――。それは勘違いではなかった。彼女は、確実に今日の出来事について知っている。


黒蜘蛛エメリの狙いはあなただった」


「……あんた、何者だ?」


 ・・・


「……」

「……」

 

 お隣さんがずずっとお茶をすする。「知りたいのなら、来て」と言われ茶の間を通されたが、女性の部屋に二人っきりという状況は初めてだったので、落ち着かなかった。


「どこから話せばいい?」


「えっ、ええとそうだな……」


「……緊張してるの?」


「し、してないよ」


「そう」


 彼女はあくまで冷静だ。特に急かすわけでもなく、俺の反応を伺っている。彼女を見習い、俺も深呼吸をした。……そうして頭の中を整理して切り出した。


黒蜘蛛エメリの狙いが俺って言ってたな。どういうことだ?」


 彼女は眉一つ動かさず、当然のように話し始めた。


「……そのままの意味。黒蜘蛛エメリがわざわざダンジョンの浅いところまで出てきたのは、あなたの強大な力の可能性を感知したから。あの騎士の魔力じゃ、とても腹も満ち足りないから」


 ……あの騎士とはフェリルのことか。


「俺にそんな力はない」


「……昨日まではね」


 彼女が指さしたのは、机に置いたノートだった。


「それは魔本。怨みを力に変える魔本。力を失っていたけど、あなたが力を充足させた」


 彼女は続けた。


「あなたはただ想えば良かった。殺したい。苛立つ。邪魔だ。そうすればあの場は即座に血の海になっていた」


「信じられるか」


 というより、信じたくなかった。俺が行動を起こせば、何かが変わったなのだという事実を。


 自分の行動次第で、運命が変わったなどと。


「……あなたが信じようと信じまいと事実だから」


 それ以上、彼女は何も語らなかった。


「そもそもお前、何者だ?」


「……ウェンディ。従者のウェンディ」


「従者?」


「狂熱の魔女、マリア様に仕えるもの。それ以下でもそれ以上でもない存在」


 彼女は闇に包まれ、姿を変える。

 ゴシック調のメイド服に袖を通したウェンディがいた。


「……安定した、莫大な怨嗟」


「それを供給し続けられる存在だと、マリア様はあの夜に確信した。あなたは成しえた。私はそれを見届けた」


「あの夜?」

「マリア様が手帳をあなたに渡した、あの夜」


 —―その眼、いいね。

 ――世界の全てに絶望している眼。

 —―不満や憤りは、全部これに書き込んだらいいよ。


 その言葉で合点がいった。


「あのときの女がマリアか」


「……だけど、力を得ても、あなたはこれまで通り、何も成し遂げなかった。ただそれだけのこと」


「勝手に選んでおいて、勝手に失望して、ずいぶんな言い草だな」


「……別に失望などしていない。ただ、そういう事実が残っただけ」


 ぽつりと言い、ウェンディは何もない天井を凝視した。


「……いま、マリア様から言伝を預かった」


「おい話せるのかそいつと」


「……貴方にその権限はない。聞いて」


 そう言われて大人しく黙っているわけにもいかない。色々と言いたいことも聞きたいこともある。だが俺の言葉をすべて無視し、ウェンディは、今日初めてしっかりと俺のことを見据えて話し始めた。


「……ブレイ・アンダーガード。あの夜からよくもここまで人を、世間を、環境をそこまで強く恨み続けた。愚かしくも人間らしい美しい感情に敬意を表するわ」


「無力が故に何もかもうまく行かず、やつ当たりで周囲を恨み、自分の力不足とどこかで理解していて、だから自己嫌悪に陥る。そしてまた苛つく」


 ウェンディは依然言葉を紡いだ。


「でも、別にそれは正しい感情」


「他人を貶める権利を、他人は持たない」


「明日になれば全部答え合わせが出る」


「最終的に、あなたは力を振るいたくなる」


「そうじゃなきゃ、この世界、おかしいもの」


「世界って、所詮あなただから」

 

 それがマリアからの言伝の全てだった。

 その言葉の真意は全く理解できなかった。


 しかし、次の日、嫌というほどわからされた。

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