第4話 放送事故しか起きない。

「カンペ、準備しといてな」

「はい」


 後輩にカンペを用意させて最後の仕上げ。商品情報を告知して終了する段階まで配信は進んでいた。


 当たり障りのない台本に従うように、配信自体も当たり障りなく終わった。このまま特に話題になることもなく、フェリルのファンの一時の憩いとなって、この番組は終了するだろう。


 そして、お金をもらう。生活のための給与が入る。それでいい。

 ……だが、何だろうこの、やるせない気持ちは。



「くだらぬ」



 フェリルのカンペ読みを聞きながら、ぼーっと考えていたその時だった。


 重く、低く響くような声がダンジョンを揺らす。



「くだらぬくだらぬ。こんな無為の時を過ごして、お前達は死んでいくのか?」



 何者かによって放たれた問いは、俺たちに答える猶予を与えない。

 尋常ならざる速さで動くその存在は、周りの人間の逃亡への一歩目を踏みとどまらせた。逃げたところで、追いつかれるとわからされたからだ。


 俊敏に動く化け物の残像を追うように、崩れ落ちる洞窟の岩肌。直感的に逃げていくモンスター達。人々はまだ動けない。


「……だから嫌いだ」


 言葉の放たれた方向へと、閃光のように、真っ直ぐ剣と共に突進していくフェリル。その手には、初心者用の剣ではなく、フェリルしか振るえない聖剣エクスカリバーが握られていた。フェリルが本気を出さなければいけない。その事実が、この現状の不味さを物語っていた。


「理性という鳥籠に囚われる事を選び、思いのままに動かない」


 悪を滅するフェリルの聖剣エクスカリバー。剣身から放たれるその光で化け物の姿を認識することができた。


 山のようにでかい黒蜘蛛エメリ


 逃げ惑う人間が、ゴブリンが、糸に囚われた蝿のように見えた。口元から漏れ出る黒蜘蛛エメリの黒炎が、舌舐めずりする獣のようにゆらゆらと揺れる。


「愚図どもがっ」


「……ここは任せて! 逃げろっ!」


 フェリルが叫ぶ。


“えっなにこれ”

“ドッキリ?”

“マジでやばくない?”


 コメント欄がざわついている。こんな時でも炎上や視聴者の反応を気にしてしまう。だがこれはドッキリでも何でもない。それは何より、いつも余裕綽々だったフェリルの険しい表情が物語っていた。


 言葉に、語気の強さに、本能的に、元来たダンジョンの入口へと逃げていく技術工作員達。俺もその例に漏れない。


「……勇者、お前も逃げたいのだろ?」


 ただひとり、フェリルをのぞいて。


「……」

「会話する余裕もないか」


 黒蜘蛛から次々と吐かれる黒炎を、フェリルは必死に受け流す。


 俺たちはフェリルが必死に稼いでくれる時間を無駄にしまいと走った。


 走る。走る。脚が悲鳴を上げても、息が切れて口に血の味を覚えようとも、後ろに戻ることを決してやめず。


 ただ、死にたくない。生きたいからだ。


 必死に走っていくと、ついに光が射す、ダンジョンの入口が見えてきた。希望の光だ。何とか生き延びれた。希望に満ちた技術工作員たちの叫び声が聞こえてくる。


「お、おい! 出して、出してくれえええ!!」


 ……そう思ったのは自分の都合のよすぎる解釈だった。

 そこにこだましていたのは、絶望の声だった。


「はははっ!」


 愉悦に浸る黒蜘蛛の笑い声が響く。


「獲物を簡単に逃す訳ないだろ」


 入口には黒炎の糸で編まれた蜘蛛の巣。パニックに陥り、邪悪な炎に触れたであろう技術工作員の死体は、未だ黒い炎に包まれている。


「子供に下賎な肉を食わせるのは躊躇うが、ジャンクなものは、たまに食うと美味いからなあ」


 至るところ、壁から、ダンジョンに空いた穴から、続々と小さな黒蜘蛛が出てくる。


「気をつけたほうがいい。ガキどもは冬眠明けで腹をすかしているからな。まだ理性もクソも育ってないぞ」


 襲われる人々の声、無惨にも喰いちぎられ、血しぶきをあげ、人の姿を失っていく周囲。その中には後輩ナイルの姿もあった。


「ブ、ブレイさん――!!」


 ――助けなければ。本能でそう思った。常にタメ口なことや、なめた態度を取られ、仕事中の恨みはあれど、それは死を願うものではない。あくまでぶん殴りたいという程度のものだ。


 しかし、同時に黒蜘蛛と目が合い、本能は瞬時に『逃げろ』と告げた。畏怖が、助けたいという良心を、いともたやすく打ち砕いた。


 どうせ助けたところで返り討ちに合うだけだ。自分の中で言い訳を作って、蜘蛛に存在を気づかれないように、必死に逃げた。


「……すまんっ!」


 謝罪の言葉を、投げ捨てて。


 罪悪感と共に再び足を踏み出した。

 その瞬間――異変を感じる。

 何かを感じる。圧を、存在感を。


 ――全てを殺せ。という何かの意志を。


「……は?」


 その意思をはっきり感じた後に、必死に振っていた手の中にあったのは、怨みを綴り続けただった。そしてそれは、黒光りしている。


 —―なんか、めちゃくちゃ黒く光ってて、みんな怯えてたよ。なんか見てると、寒気がするって


「……なんなんだよこれ」


 ドォオオオオオオン 


 轟音がダンジョンの入口に響く。


 それは、光の如く疾く過ぎ去り、入口の黒炎を吹き飛ばす。


「……っ」

「……ははは、あははははっ!」


 黒炎を蹴散らしたのは、聖剣エクスカリバー。それは、同時に力を使い果たし消滅していく。


 フェリルはボロボロになりながら、弱々しく黒蜘蛛エメリに向かって微笑む。何かに、満足したように。


「面白い! 死に際にもまだ他人に囚われるか! そんなに格好良く死にたいか!」


「……勇者だからな」


「ほざけっ!」


 断頭台を思わせる、鋭い黒蜘蛛の脚。横たわるフェリルの首めがけて、大きく振りかぶられる。


 フェリルの最期。


 その瞬間を、現実を直視できず思わず目を瞑る。

 だが、残酷な音は響かない。まるで時が止まったような、静寂が訪れた。

 いや、 。たった一瞬だが。


 ――殺せよ。


 また……声が。


 ――思い通りにいかない現実なんて、全部殺せよ。


 時が止まった世界で、存在を確かに感じ取れたのは、手帳のみだった。

 確信した。呪詛を撒き散らした手帳。それ自体か、あるいはそれを通して、誰かが脳内に問いかけた。


「……ははっ」


 ……なるほど。『殺す』。耽美な響きだ。この状況を全部吹き飛ばせたら、どんなにいいことだろう。


 揺らいだ。俺にそんな選択肢があれば。


「そんなことができる人間だったら、どんなに楽だったろうな」


 だが、俺は選べなかった。


 俺はなりたいと思っても、結局ダンジョン配信者にはなれなかった。

 底辺配信者でもいいのに、一歩目すら踏み出せなかった。

 それは、自分が何かを成し遂げられる人間だとは、とても思えなかったから。

 そんな好機が訪れる人間だと思っていないから。


 時は戻り、振りかざされる黒蜘蛛のギロチン。フェリルが最後の力を振り絞って開けた穴をめがけて、なだれ込む生き残りの人々。俺もそこに混じって、逃げた。情けなく、背中を見せて。


 ダンジョンを抜けた時の空は陽が落ちている。


 ――殺せよ。


 ……結局何が正しかったのか。


 ――思い通りにいかない現実なんて、全部殺せよ。


 ……これで良かったのか。


 何も答えを得られないまま、力が抜け、ただがっくりと膝を落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る