第弐拾弐話 生活環境ヨシ
熱湯に漬けられた食器を木製のトングで挟んで取り出し、綺麗な布で拭く。
アッツアツな湯の中を潜らせてるもんだから、軽く撫でるだけですぐ乾くからけっこー楽。
凄い大きな釜一つ使って食器を水に漬けて一気に『洗浄』したのを、熱湯に潜らせて消毒と乾燥を一気にしちゃうという、手抜きなんだか面倒なんだかわからない手順での皿拭き。
束子もあるっちゃああるけど、『洗浄』に特化した衛生士いるんだったら、そりゃそーするよねー。
この布切れだって、高温で煮て『洗浄』してものだし。この世界に
初等科のオレ達二人は、当然ながらこの教習所では一番下の立場。所謂、低学年な訳だ。だからこういった雑用もあるの。
そんでも普通に考えたら大分楽だけどね。
地元にいた時よりもずっと楽ちんというね。ホント……。
つーかさ――今更だけど、オレってば結構すんなりとこの世界に順応してんのな。
記憶が無いのが
今の人生が辛かったのは間違いないけど、不幸だったとは思えないんだもん。
おまけに辛かった部分は、今のオレにとっては記憶というよりは記録的なモノとして残ってるだけなんで、
偶に変な夢見るけど、内容思い出せんから後を引かないし。
何か……こうなる前の自分には申し訳なさが半端ない。
「ほら、追加の器だよ」
「了解」
今も料理作ってくれるおばちゃんズと一緒に和気あいあいだしさー。
あ、もちろんオレらから話しかけたりはしてないぞ?
こういった方達の前では黙々と作業続けてって、真面目にやってたら向こうから話振ってくれるもの。
それに対して手を止めずに言葉を返すのがコツ。絶対、その態度も採点してると思うし。
ザジ嬢も手を止めずに会話をしてるが、雑用そのものが楽しいらしく、黙々と続けてる。うむ良き哉良き哉。
ずっと一緒にいるから分かったんだけど、彼女って所謂ロリ婆口調だと思ってたんだけど、違うのな。ロリ爺口調だったわ。
ありゃあ多分、師匠兼祖父ちゃんといる時間が長かった所為だろーね。
何で差異に気付いたかって? いや、ここの
料理長してる方なんか、けっこうお年を召した方もいらっしゃられるんで……。
それにしても、ザジ嬢は溶け込むの早いなぁ。
どーもオレと違って元々
いいなぁ~。
オレは口数が少ない…というか、表情筋が動かし辛いから伝達が……その、ね?
いやこれは多分今までの環境の所為だろーから、今更文句言ってもしゃーないんだけどさぁ。
ホント、生活環境って子供の成長の深く関わるのな。
それに言葉を伝えようとしても、前世の概念というか、こっちで使われてない言語というか表現が湧くから、言葉が度々つっかえちゃうんだよ。
だから、常時『なんちゃって寡黙』になっちゃうの。
いや、マジ前世の記憶が足引っ張ってるな。勘弁してよ(泣)。
「器はこれで終わりですか?」
割り当てられた分が拭き終わったから、一番偉そうなオバ…お姉様にお聞きした。
「ああ、ご苦労様だね。
ついでに机拭いといとくれよ」
「了解です」
硬く絞った拭き布を洗浄担当の人に渡して、台拭きを借りて食堂に入る。
背中にザジ嬢らの楽し気な会話がコンコン当たる。ホントによく溶け込んでるのな。
食堂は、調理台と配膳台、そして配膳台の向こう側には皆が食事をする為の机がでれんと並んでる。
一斉に五十人は食事ができる広さだ。前世でいうところの学食が近いか?
……地味だけど、『学食』という単語使えるな。つまり、あるんだ学校食堂。
学者さんには何度も会った事あるけど、学生って見た事無いんだよなぁ……。
まぁ、自分のホームは砂漠の真ん中だったし、そんなトコにわざわざやって来る学生はおらんだろうけど。
あ、
そう言えば、話にだけ聞いたけど、貴族様が通う学園とやらがあるらしいんだけど、ひょっとして異世界の
ひょっとして
何か立ち位置とか面倒臭そー……。
まぁ、兎も角、今は台拭きだ。
まず最初に調理台を丁寧に拭く。
大人数分の調理を作る台なのでえらく広い。
拭き逃しがないか確認して、無ければ桶の水で布巾を洗う。
これ、『浄化』が掛かってる水なのよね。ずっと手を入れてるとピリピリする。強い洗剤みたいな感じなのかなぁ。
次に配膳台。こっちは更に広い。
大体は
こちらも丁寧に、台の縁とかの拭き逃しがないように拭く。
調理台から配膳台。そして食卓の順なのが大事だ。
一番清潔さが問われるのが世に知られているからこそだよな。
しかし……食事の机は多い。
そりゃ五十人くらい受け入れられるんだから当然だけどさ。
二十五台だよ。まぁ、任されたからやるんだけど。
丁寧に拭くだけ、だからそんな手間でもない。
鍛錬後に、身体が食い物受け入れられなくて戻してしまう人もいないでもないけど、そういうのは本人がきっちりと片付けさせられるし、更に清掃担当の人が水魔法とか使ってキレイキレイしてくれるから、床の方は大丈夫なのだよ。
……ホントは椅子の方も綺麗にしてほしいんだけどね……。
丸太に尻置き据えただけの簡素な奴だから仕方ないけどさぁ。
「ほ? まだ続けておったか」
と、色々考え事しながら作業していたオレに、そう声が掛けられた。
「いや、今丁度終わったところだ」
なら良かった、とザジ嬢はオレが布巾を絞っていた桶をひょいと持って促す。
ああ、御一緒しろと。へいへい。
「予定より早めに終わったので、今日はゆっくりと汗を流せそうだの」
「……終わり湯だからあまり気持ちよくはないぞ」
「なぁんの。気の持ちようじゃよ」
この施設にはなんと浴場があるのだよ。
それも露天風呂って感じのやつ。
週一回だけ入浴できるようになってる。あ、他の日は湯をもらって身体を拭くか、流し場で水浴びをするか、になるけど。
結構いたせり尽くせりだ、と思うだろ? でもな、実際にこの環境に居たら分かるぞ。
何しろ教習所は座学は勿論だが身体を鍛える事も多い。
そーゆー輩が男女交じって着の身着のままでずっといたらどうなると思う?
鼻的にすっげーキッツイ事になる訳よ。
集団生活する訳だから、下手に不潔な環境に置いて妙な病気が蔓延したら堪ったもんじゃないの。
だから、そういった意味で清潔にするよう教えられてるのさ。
衛生の意味で、っていうのに気付いてない人多いみたいだけどな……。
桶と布巾を担当の人に返して、部屋に着替えを取りに行く。
おかしいな。ザジ嬢が隣にいるのが当たり前のように感じてきているぞ。
考えてみたら汗落としに行くのも一緒になってる気が……。
いや、正確に言うと、出会ってからこっち、ほぼ一緒にいるのが当たり前と化してるんだ。
偶に彼女が所用で離れていると、教官の人に「あれ? 片割れは?」とか聞かれるし。
あれれ~? ひょっとしなくとも、ザジ嬢と
***
***
***
外湯――所謂、露天風呂だが、ここの施設は他の教習機関のそれよりもずっと上等なものになっている。
十数人が一斉に入っても肩まで浸かれるほどの広さと深さがあり、実は何気に水質も良く、微細ながらも疲労回復の効果があるほど。
湯船の中は角、というか隅の部分が無い、緩いすり鉢型になっており、円形の風呂底の中心部分と、湯船の縁に排水溝が設けられている。
これは清掃をし易くするための工夫だ。
因みに男女別に板の仕切りはあるが、一つの浴槽である。
周囲は当然のように壁に塞がれてはいるが、余りにも見栄えが悪い為に、自然岩や木々が配置されており、景観的にもかなり上等の部類だ。
教習施設としては行き過ぎでは? という意見も多いのだが、これは職人が、
「興が乗った。ついウッカリやっちゃった☆」
という理由で、要はノリでやらかした訳である。
予算を大幅に超えて出資者らを呆れさせた事は言うまでもない。
それはさておき、
ザジは髪をまとめ上げて手ぬぐいを撒き、湯船にゆっくりと浸かってゆく。
ほんの少し熱く感じる程度の、良い湯加減だ。
じわりと身体の芯に熱が伝わってくる感があり、彼女の頬も緩む。
風呂場に灯りはなく、月の灯りと脱衣所のランプの灯くらいしか光源が無い。
しかしそれもまた風情があって良いと感じている。
浮かぶ月は三つ。
そして三つとも三日月に欠けている。
地球のそれと違って、この世界の月は神々から生まれたものだ。
ザジは名前までは知らないが、三姉妹だか三兄弟だったと記憶している。
そんな月と共に、空いっぱいに瞬いている星々の景色がまた良い。
こんな環境を何年も続けられるというのだから、機会をくれた祖父にあらためて感謝の念を送った。
左程凝っている訳でもないのだが、背筋を伸ばして筋をほぐす。
それだけで一日の疲れが散ってゆく気がする。
ダインが言っていたほど湯に汚れが浮いていない事もその思いを手伝っていた。
実のところ、彼が知らなかっただけでここの湯はかけ流しなのである。
溢れ出した湯は縁の排水溝に流れ込んで、敷地の地下の合併式浄化槽内で『浄化』をされて排水される仕組みだ。
その機構こそ単純なものであるが、地味に地球のものより優れていたりする。
そんな場違いなほど優れた湯船の中、ザジは手を握ったり開いたり、身体を捻ったりしてほぐし続ける。
そしてふと思い立ち、
「おぅい、そっちの塩梅はどうかのぅ?」
と、壁の向こうの相方に声を掛けた。
バシャ、と水が跳ねた様な音がし、直後に、
「……はしたないぞ」
と声が帰ってきた。
「はは…すまんのぅ」
彼女は謝罪の言葉を口にするが、その口元はにやけている。
ザジは正真正銘の田舎者で、師匠でもある祖父と共に山の中で隠遁生活をしていた。
偶に買い出しに里に下りる事はあったが、こういった施設での共同生活は初めてであり、何もかもが物珍しくまた楽しいものである。
何より、学べるという環境が堪らなかった。
田舎のそれも山に引っ込んでいれば知識の元など高が知れる。里に下りた際に学本を探しても大したものは得られず、祖父から教わる読み書きと、二三年ほど前に商人から手に入れられた算術の本一冊くらい。
学習意欲はあっても、知識の元が無ければどうしようもないし、何より祖父は武を教えるのは得意であるが、それ以外の学問は門外漢であった。
その事を彼は内心気に留めていたのだろう。
ここの初等科の話を伝手で聞いた時、即座にザジに勧めたくらいなのだから。
彼女にとっても見聞を広められるのは有難かったし、何よりそのお陰で得難い相手と出会い、こうして共に鍛錬を続けられるのは僥倖と言えた。
少なくともザジが、何とも恵まれたものよ…と、小さく吐息を零すくらいには。
――ふと、
そんな彼女の視界の端に、チラチラと何かを感じた。
何だろうと顔を向けるがそこは仕切りの板があるのみ。
流石に湯の中までは一枚板ではないが、それでも格子戸が二枚重なっていて向こうが見えないよう工夫がなされている。
だから向こう側の光景が見えるはずも無いのだが……。
「や?」
湯を掻いて寄ってみると分かった。
よく見れば湯の上側の木の節に、小さな穴が開いているではないか。
先ほどチラチラとしていたのは、月光が揺れる湯に反射したものがこの節穴越しに見えていたのだろう。
何となく、
本当に何となく、ザジはその穴を覗き込んだ。
湯船の向こうでダインが垢を落としているのが見えた。
自分と同年代であるはずだが、明らかに年齢相応のそれではなく鍛え抜かれた逞しい背中。
湯気越しでも月光により浮き上がって見えるその肉体。
首筋、胸筋、上腕……。全て削り出した岩のようにごつごつとしていて、それでいて無駄が無い筋肉が目に映る。
出会ってからずっと共にいるのだが、素肌を真面に目にするのはこれが初めてだ。
あれだけできている肉体だというのに、実はまだまだ搾り上げられる余地が残っているのがまた堪らない。
偶に彼を小太り扱いする声が聞こえる事があるが、彼奴等には目玉の代わりに泥でも詰まっているのだろう。
どこか小太りだ。引き締まっているではないか。
魅せる為の筋肉ではない、実戦向けに組み上げられた最良の身体だ。
彼は折に触れ、家族が親身になって鍛えてくれたと語っているが、実際に目にすれば成程と腑に落ちた。
親身に、懇切丁寧に育てなければこうはなるまい。
正に、納得の肉体だ。
得物を自在に振り回す、鍛えた男が、そこにいる。
我知らず、ザジはごくりと喉を鳴らしてしまった。
「……どうかしたのか?」
声を掛けられ、今度はこちらが慌てて水音を立ててしまった。
それはあれだけ注視していれば気付きもするだろう。
「い、いやの、実はこの仕切り板に穴が開いておるなぁと」
「は?」
呆れた様な声がし、ザジもばつが悪くなった。
しばし無言が続いたが、ずっと上半身を湯から出していた所為か彼女が小さくクシャミをする。
「風邪を……ナギラが引くかどうか知らんが身体を冷やすから温まり直せ。
穴の件は、後で誰かに伝えよう」
「……了解じゃ」
少々気不味くはなったが、それでも再度湯に浸かって温まり、風呂を出た時には何時もの空気に戻っていた。
「月景色が良かったのぅ。
酒が無いのが残念じゃったわ」
「持ち込むなよ?」
「あはは……まず、外出をせんと手に入らぬよ」
今日も気分よく床に着けそうだ。
ほど良く温まった身体は、溶けるように眠りに引き込んでくれるだろう。
ザジは、今日もまた、楽しい一日を終えるのだった。
因みに――
部屋に戻る途中で二人は、偶然ニケとばったり出会い、例の板の穴の事を告げられた。
それにより速やかに穴は塞がれている。
一応、女性職員らが念の為に他にも無いか調査してみると、他にも何か所か穴が開いており、尚且つそれと知られぬように隠されていた事が発覚。
つまりは、それが目的に故意に設けられた穴が、そこそこ昔から伝統的に守られていたという事であった。
言うまでも速やかに同様の処置が施され、もうこれで不届きな覗きが行われる事は無くなった。
男性教習者の何名かが大きく肩を落としていたのは気の所為としておこう。
あと極一部の男性職員も。
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