第弐拾話 鍛錬鍛錬
鍛錬というものは続けるからこそ意味がある。
根性以外を鍛えられないものなら兎も角、体力づくりはするに越した事はない。
腕立て伏せや腹筋、背筋を鍛えるのは当然として、早駆けや持久走も大事だ。
勿論、とっさの時に踏み込むのも逃げるのにも関わる瞬発力も必要だろう。
肉体作りは、できる内にやっておかねばその後の成長にも関わってくるのだから。
ナギラの民は、見た目に反して筋肉も骨も密度が高く、重い。
それでも鍛えなければ凡百の身体能力となってしまう。尤も、それでも他の種族よりは高いのだが。
ザジはかなり鍛えている方である為、当然ながら身体の密度が高く重い。大柄の成人並みの体重である。
そんな彼女を背に乗せて、ダインは腕立てを行い続けていた。
ぱっと見、太って腹が出ているようにもに見てしまう彼だが、その身体の筋肉はなかなかのもので、当然ながら腕立て伏せもスムーズに進む。
「九十九……百と、おしまいじゃよ」
数は彼女が数えていたらしく、終了を告げてからするりと彼の背から降りた。
教習開始日からずっと、基礎運動の最後は腕立て伏せにしており、二人とも同じことをするのは当然であるが、昨日はダインで今日はザジ…といった風に、日替わりで最後の重りになる番を変えている。
というのも、どちらかは相手の背で錘になるために座ったままとなるからで、その間は先に一休みする形になるからだ。
尤も、人の背に乗り座ったままバランスをとり続けなければならないので、世間一般的には何一つ休憩にならないのであるが。
特にザジに乗る時は大変だ。
華奢な体格である為、揺れる踏み台に座り続けるようなものとなる。
それに、見た目的にもあまりよろしくない。
何しろ実際年齢も体格も十歳程度の少女だ。その背に腰を下ろすのである。
事情を知らぬ者が見れば、度が過ぎる体罰に見えてしまいだろう。
無論、当人からすれば丁度良い負荷に過ぎず、むしろ自分の背に乗せる際、体格的に座りが悪くなっている事を申し訳なく思ってさえいる。
まぁ、ダインはダインで、少女を尻に敷くという行為に未だ慣れず、何時も良心が痛んでいるのだから、お互い気にしなければ良いだけの話であるのだが。
それは兎も角、二人はそうやって軽い運動で身体をほぐした後、教官から様々な事を学ぶ訳であるが、この日の担当はネルガス。主に武器の使い方等を学ぶ事となる。
彼は特に対人に特化している事もあって、二人の生徒と相性がいい。
何しろネルガスは賞金稼ぎという顔も持っているのだから。
***
***
***
演武、というものは一括りにする事が出来ない。
何しろ今まで学んできた型を披露するのだから、流派や武具によって大きく変わってくる。
ここランボルト教習所には演武鍛錬というものがある。
それはお互いがお互いで学んできた型を使って、打ち側と受け側に回って繰り返す鍛錬法を指す。
間に中休みを置いた午後の鍛錬。
ネルガスが教官に着いてから、二人に課せられているのが、件の演武鍛錬であった。
幸いというか何というか、初等部の二人は一通りの武器を扱う事ができるように鍛えられており、あえてその中から得意とするなら、ダインが長剣、ザジが二剣流となる。
が、仮にも鍛錬であり、実戦ではないのだから、二人とも長剣の長さの木剣に揃え、それで打ち合っていた。
「はぁ…っっ」
「ふん…っっ」
一撃一撃はかなり遅い。
一手十拍ほどの速度でゆっくりと、だが本気で打ち込み、受け流し、躱す。
足の運びや身体の軸をぶれさせず、無駄な動きを削り、最小の動きで一手一手を真剣に合わせる事に意味がある。
それは見守っているネルガスも同様で、何時もの様にどこか気だるげではあるものの、二人を見守る目は真剣そのものだ。
尤も、この演武鍛錬をさせ始めて直ぐ、目を離しても特に問題はないという事に気付いてはいる。
何しろこの二人、切迫したものが無いにもかかわらず、教習を真面目に取り掛かるのだから。
この演武鍛錬にしても、傍から見れば退屈さを感じてしまう程遅く、それこそ演舞に見えてしまうかもしれない。
そこらの若者なら、やってられるかと木剣を放り出して行きかねない。
しかし、直接的な現場に出る事が増えれば、何時かは基本を疎かにしていた事を思い知らされる。
実戦ではない特訓期間だからこそ、どう思われようとも身体に叩き込む必要があるのだ。
――尤も、この二人は実戦経験済みなのであるのだけど。
「ふぅ…っっ」
「シ…ッ」
ゆっくり、しかして空気を裂かんばかりに掬い上げられる少年の木剣を、足を引いて躱す少女。
躱したその身で、踏み込みつつ横薙ぎに払う。
迫る木剣に対してダインは、あえて大きく踏み込み、立ち位置を変えて無効化させた。
無論、黙って接触距離にまで踏み入られるザジではなく、器用に木剣を捻って片手正眼に構えて牽制するのだが、それだと少年の振り下ろしの間合いになる。
振り下ろされる木剣。
ザジはこれを受け流す。
ダインは身体の軸の捻じりのまま、器用に踏み込みつつ間合いを取る。
――ああ、駄目だ。これは放っておけば何時までも続く。
傍目には他愛のないじゃれ合いにしか見えないだろうが、とんでもない。
迂闊にあの二人の間に入ろうものなら、どちらのゆるりとした振りにも対応できまい。
ゆっくりとしているだけで、決して鈍い訳ではないのだ。
「はい、残り一本! 一手一拍!」
そう声を上げると、ぴたりと二人の動きが止まり構えに入った。
ザジは下段。
ダインは正眼。
脱力残心なのは変われないが、ザジはまるで鉄棒でも握らされているかのようにだらりと腕を下げて握り、
ダインは、正眼のまま僅かに左足を引いた。
ぎちぎちに引き絞られた様な空気の中、
「かっ!!」
ザジの気合声と共に、ガツっと重い物体がかち合った音が響く。
一瞬の間に二人の位置が入れ替わり、彼女はダインに背を向ける形となっていた。
代わりに少年の方はやや斜めに崩した中段構えに。
いや、それ以外にも変化はあった。
「うん。右腕持って行かれてしもうたの」
彼女の二の腕の外側に、赤い痕がついている。
打たれたものではない。素早く擦られた事により軽い擦り傷だ。
「……こっちは得物がいかれた。二の手が続かん」
対したダインの木剣は、中ほどが抉られている。
何をどうしたらこうもなるのか想像もつかない。
「しかし、初見で見破られるとは思わなんだぞ」
えらく嬉しそうに彼の下に行くが、ダインはやはりため息が吐いていた。
彼からすればありがたくない話であろうが、ザジからすれば腕の痕なんぞ、寧ろ誉のようなもの。
正面から本気で打ち込んで、綺麗に対応してもらえたのであるから嬉しさも一入なのだろう。
尤も、当たれば頭が爆ぜるような一撃を与えられた方からすれば堪ったものではない。
「死ぬかと思ったぞ」
ダインはそう迷惑げに言うが、そう愚痴りつつも何だかんだで付き合ってくれるので、ザジは本当に出会った時から感謝し続けている。
何しろ同年代で同等の腕、尚且つ同期なのだ。そんな出会いなど確率的に奇跡としか言えないのだ。
何しろ、彼女がとっておきの一つを引き出したというのに対応してくれたのだから。
「入りが分かり易かったのかの?」
凄い笑顔でそう問いかけてくる彼女に対し、諦めの境地でダインは、「体感的に分かった」と答えた。
「オレの育った所は毒蛇が多い。
避け慣れもする」
少女は、まだ
ダインはそんな彼女を眺めながら、また溜息を吐いた。
とはいえ、諦めのそれではなく、ただの気疲れでによるものだ。
彼はこの程度ではへこたれたりしないのだから。
どちらかというと、見ている側の方が大変であった。
二人と距離があった事、そしてネルガスの目が鋭かった事と、積まれた経験があった事によってそれを認識できていた。
あの時ザジは、踏み込みつつ両の腕を振り上げ、上段から振り下ろしたのだ。
一瞬自分の頭を疑ったほど、その動きはしなやかで鋭かった。
何しろ彼女の腕が鞭のようにぐにゃりと撓って見えたほど。
傍目でこれなのだから相対した側の方は堪ったものではないはずだ。
余人ならば何も分からない内に、ただ頭を叩きつぶされていただけであろう。
だが、少年は反応した。
あの一瞬の間に踏み込み、右に受け流しつつ彼女の腕部に木剣を滑らせたのだ。
確かに、これが真剣であるのなら、少女が言うように右腕は持って行かれただろうし、彼の得物も半壊しているだろう。
しかし、
しかしだ。
そんな二人に何と言えばよいのだろう。
称賛なのか? 注意か?
叱咤……は、いらない。この二人は余裕こそあるがずっと熱心だ。
甚だ贅沢な悩みではあるが、ネルガスは二人が彼のように気付くまでずっと唸り続けていた。
***
***
***
詰め所に戻ると、先に教習を終えたのだろう、カッツェが既に戻っていた。
しかし、部屋には彼だけではない。もう一人別の教官がいた。
「お疲れ様。
随分と熱心だね。お前さんにしては珍しい」
濃い紫色の髪を蓄えた壮年の女性教官。
専門は植物全般の知識。主に薬草や毒草の取り扱いを教えているミルティアである。
野外実習の前には彼女も座学の教官に加わる事となるので、事前にカッツェと打ち合わせをしているのだ。
「ああ、例の二人だからな。
集中してたんだろ? あの二人」
何やら楽しそうに聞いてくる老人だが、何がそんなに楽しげなのか今一つ理由が思い浮かばない。
どうにもこの御老人、あの二人をやたら買っているのだ。
「演舞鍛錬だけのつもりだったんだけどね……。
最後に思わず一手一拍やらせてしまったんだよ」
おいおい勝ち負けの鍛錬じゃないだろうと老人は笑う。
人の気も知らないで…と恨めし気な眼差しを向けるが、無論それほど悩んでいる訳でもない。
現にこの二人に対して事の次第を語れたくらいなのだから。
流石にミルティアは呆気にとられ、カッツェは顔に手をやっていたが。
しかも、見応えがあったものだから性質が悪い。
二人とも軸がしっかりしているし、何より得物を腕で振っていない。胸筋で振っている。
ザジはやや腕で振りがちであるが、ダインは見事に胸だけで振っているのだから面白い。
「木剣がね、打ち合わせる時に重い音がするんだ。
二人とも真剣だから、軽い音が一切しない。一手十拍なのにね」
それが、見ているだけでネルガスをわくわくさせていた。
今ですらああなのに、ここを巣立つ時にはどうなっているのか楽しみで仕方がない。
「やれやれ、こりゃ聞いてたより難物そうだね。
私も手は抜けないよ」
そう溜息を吐くミルティアであるが、言葉とは裏腹にそう嫌そうにも見えない。
いや、ある意味楽しみにしている感がある。
カッツェは勿論、今は別棟で教えに出ているニケからも聞いているが、非常に真面目に取り組んでくれるので教え甲斐があるらしいのだ。
ただ資格の為に話半分に受ける者や、合格点の為に適当に受ける者。ただ点を取りたいだけの者を相手にし続けていると、教育とは何なんだと思ってしまう。
無論、他の生徒が悪いという訳ではないが、教えている側からすれば、ちゃんと血肉にしてれているのか疑問に思う事が多々ある。
そんな中で血肉にするべく向き合ってくれる生徒がいるとなれば、それはしたいしない方がおかしい。
それに、ミルティアと件の二人ではでは孫ほども年齢差があるのだから、それは余計に気になるというもの。
「まぁ、ニケからも聞いているだろうけど、良い意味で好奇心あるからね。
多分あの二人だったら本当に真剣に聞いてくれると思うよ」
そう話し終えると、ネルガスは自分の席の灯りを点けて手元を照らし、今日行った教習内容とその進ませ具合を採点し、細々としたものも書き留めてゆく。
近年、目にした事のないそんな彼の熱心さに、年上の二人は笑みを浮かべていた。
カッツェも談話を辞め、汗を流しに行き、ミルティアも手元のお茶を飲み終わると、空になった容器を食堂に返しに行った。
ネルガスは二人が出て行った事も気にもせず、ただ今後の鍛錬予定を考え続ける。
良い意味で自分の事で精一杯なのだから。
他の教官にたいする二人の姿勢など考える必要はない。
ミルティアの授業だってどうせあの二人の事だ。熱心に耳を貸して学んでゆくに違いない。
それに薬草やらの座学となれば、
「おお、薬を作れるようになれば急な怪我人が出ても役に立つのぅ」
「薬学を疎かにする傭兵なんぞ長生きできないんだが……。」
等と答える事は、実際にその場におらずとも分かるのだ。
そしてその想像は見事に的中する事になるのだが――
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