第拾漆話 鍛錬云々


 ニケが書類を纏めていると、コンコンと抑えめなノックの音が聞こえた。

 ハッとして頭を上げれば見知った顔。

 彼女にしては珍しく、人が近寄ってくる気配に気付いていなかったらしい。

 それだけ集中していたという事であるが。


「えらく真面目にやってるじゃないか」


 やや目じりが垂れた眼差しは相変わらず愛想がいい。

 短めに刈られた橙色に近い茶色の髪した四十がらみの男で、携わっている仕事の割に身綺麗な格好をしている。

 あまり高身長とは言えないが、無駄な筋肉が無いからだろうがっしりとした印象を持たせるものがあった。


「悪い?」

「いや。前よりかえらくマシになったと思ってな」


 ふと窓に目を向けると外はもう暗い。

 ランプの灯り頼りに集中していた所為か、日暮れにも気付けていなかったようだ。

 道理で眼が痛むと思った。


 目頭を軽くほぐしつつ溜息を吐く。


「教え子が優秀過ぎてね……。」

「へぇ? 嬉しい悲鳴って訳か」


 そんなに良いもんじゃないわよ。と思わず吐露してしまう。


 まぁ、確かに受け入れる直前までは荒れていた。

 狩猟人バンカーになるにせよ、魔法や学問に集中して教職員ヴィーマーを目指すにせよ、世間に通用する資格を取らせるという指針が基本にあるのだが、そこらの子供らにそんなしっかりとした骨太の精神があるのかどうかは疑問だ。


 いや、確かに孤児院出身とかであれば、そういった根性はあろうし、幼い時から強い反骨精神を持つ者だって間違いなく存在している。

 自分らとてかなり子供の頃から鍛えてきた身だ。教育しろと言われればそれに異議を唱えるつもりはない。


 だが開設に当たって、から一つの課題を課せられていた。


 それは、を作らない事。


 開設一期から何かしら悪い見本を示してしまえば、後に続く者が出てこない。

 何より出資者らからも反感を買ってしまう。

 別に資金を値切られている訳ではないが、だからと言って悪い印象持たれても良い事なぞない。


 ならば焦って初等部なんぞを開設しなければ良かったのだが、ここのところ狩猟人バンカーの質の低下が目立ってきている。

 護衛や、調査。何より名前の由来になる狩猟の成功率が横ばいになっているのだ。


 毎年のように資格を得て巣立って行った者達はいるのだが、その大半は等級下位の仕事を請け負って燻り続けるか、身の丈に合わない仕事を請け負って痛い目に遭っている者が多い。

 その上、素行もあまり良くないと耳に入ってきている。


 どうやら上の方々は、教育期間が短い故の倫理不理解――要は一般常識やら礼儀やらを身に着ける前に、腕っぷしだけで資格を得た者ばかりになっていると考えたらしい。

 確かに、そう間違ってはいないのであるが……実はそれ以外からくる問題の方も大きかった。


 昨今、狩猟不足からあちこちで魔獣の数が増加の傾向を見せている。

 それは被害の数という形で表れており、辺境防衛隊やら都市防衛組織やらも人手が足りずに自由契約フリーのバンカーに声を駆け回っているくらいだ。

 先日も港町で、間接的な大災害として大海魔襲来という事件が起こっているが、その時に射出機に就いてくれたのは、仕事で港町に赴いていた中級バンカーの魔法使いである。


 現在、人々はこの世界の広さをどこまで理解できているかと言うと、学者によると大陸の三割にも至れていないらしい。

 何しろ土地の形すら、漠然とした広さくらいしか分かっていないのだ。


 当然、依然として存在すら知られていない獣や魔獣も多数存在しているだろう。


 だというのに、どこの馬鹿が気を抜いたのか知らないが、監視を怠り間引きを怠り、安定していた奴らの支配区を大きく動かせてしまった。


 結果、下級では手に負えない案件が増えてしまい、中級は元より上級バンカーまであちこち飛び回る羽目になっている。

 お陰で慢性的な人手不足だ。


 その現状を打開すべく、幼い時から教育を施し、尚且つ経験も積ませて叩き上げた選りすぐりの狩猟人バンカーを生み出そうという案が出され、その試みが取られる事となったのである。


 なったまでは良かったのだが……余りに開設までの期限が短過ぎた。


 何を言ってるだと思われるだろうが、何しろ施設の受け入れ開始時期は決まっている。

 その時期に合わせて態勢を整える必要があったのだ。

 では時期受け入れる時期をずらせば良いだけでは? と思われるかもしれないが、そうなると現在進行形で行われている教官の誰かの割り当てをいきなり加増させねばならなくなる。それも担当教育中に。

 ただでさえ詰め込み式に資格を取らせる構造であるというのに、そんな無理をさせれば教官の負担が増えるだけではなく、教えられる側にも経験のができかねない。


 ただでさえ教育期間に問題があると言われているのに、この上で任務達成率を下げかねない行動は避けるべきである。


 それに、此の度開設される初等部は、みっちりと余裕をもって教え込む計画となっていた。

 どこで活動させても危なげなく任務をこなす事ができるよう十一から十五の四年もの時間を掛けて、だ。


 支度金こそ必要だが、それでも孤児院などでも出そうと思えば出せる程度の額であり、任務達成時の報酬から少しづつ天引きされた分が出身元に返るようになっている。

 つまりバンカー、あるいはヴィーマーとして成功すればするほど送り出した側は元がとれるのである。


 ……尤も、周囲に納得してもらえるようのだが。


 ともあれ、下地は何とか整えはしたが問題は山積みのままだった。

 与えられた少ない間に教室やら何やらを用意し、幼子を鍛えられる人格を持っていて尚且つ時間が取れるような教官を選別し、更に全くの手探りで教習課程等を見繕う羽目になってしまったのだ。


 無論、機関で教育を行っている者は本職プロである。先述の通り教える事に異存はない。


 が、十五歳程度の相手なら兎も角、十歳程度の子供に教えるには手順やらなにやらノウハウが全くない。

 常識的に十五歳になると成人扱いである為、痛みを伴うそれなりの実戦教育を行えるのであるが、成人前にそこまでの育成を行うと簡単に潰れかねないのだ。

 体力も知力も精神力も成人に劣るであろう年少者に同じ事をしろと言って、そう簡単にできる筈がないのだから。


 だから皆で知恵を絞って、精神治療士などにも相談もし、年少の者にでもぎりぎりくぐれるであろう線を見極め、何とか初等部たちの集団的な教育課程カリキュラムを組み上げたのである。

 完成した時には皆で脱力しつつ涙が滲んだものだ。


 そこまでランボルトを搔きまわされる苦労をさせられた訳であるが、蓋を開けてみれば入って来るのはたった二人。

 自分らをあれだけ振り回しておいて、ここランボルトに任せられた年少者はたったの二人だけだったのだ。


 いや、上にも慈悲が無かったとは言わない。

 教育機関が苦労しているならと様々な伝手を使って、教育し易い、成功という前例を生み出せるだけの人間を選んだのだとは思う。

 が、流石にはないだろう。


 それは荒れもする。



 書類を整えて、挟みで留め、ランプを消した。

 そのまま廊下に出ると、待っていてくれた彼と共に食堂へと歩いてゆく。


「それで、そんなに優秀なのかい?」


 歩きながら彼がそう問いかけてきた。


「うん、まぁ、何ていうか……指示が楽?」


 少々、曖昧な答えだが、そうとしか言えない。

 案の定、彼は首を傾げている。


「指示したらね、その意味を直ぐに理解されるのよ」

「指示の意味?」

「そ」


 木剣を振れと言えば、芯を整える為に振り、

 走れと言えば、鍛える為に走る。

 休めと言えば、全力で休み、

 聞けと言えば集中して聞く。

 教え甲斐があるような無いような、そんな生徒なのだ。


 彼は今一つ掴み切れていないような顔をしていたが、


「どうせすぐに分かるわよ」


 というニケの言葉に、


「それもそうか」


 直ぐに納得した。



 何故なら、明日から彼も教官として関わってくれるのだから。




***

***

***



 その男を見た時、ザジは素直に感心した。

 同室の少年ダインもかなりのものだが、この男も中々に凄いと。


 次の朝、裏庭の鍛錬場に現れたのは、ぱっと見はそこら辺りで見かけられるような中年の狩猟人バンカーだ。

 濃い茶色の眼差しからも人の好さげな印象を持てる、よくいる場慣れした男性の狩猟人。

 そう、


 ザジの経験からも、こうまで隙のない男はそう見た事が無い。

 しかし、その所作こそありきたりな男性のそれだが、何より気配がぼやけていて掴みにくいのが性質が悪い。

 その上、ザジは何か不思議な違和感を彼に感じている。

 違和感の正体が分からない上でこんな気配を放ち、それを分かっている上で普通を装っているのだとすれば、相当なタマであろう。


「……ああ、そうか」


 そんなザジの横から、ぽつりと言葉がもれた。


「縮尺が違う感じか」


 言われてはたと気が付いた。


 そうなのだ。

 言われて見直せば、この男は意外にも小顔で、その顔の大きさに対してよい塩梅の体格をしている。

 要は彼を全体として見た体格のつり合いと実際の身長との差異によって、が狂っていたのだ。


 ダインの言葉に、「あちゃあ…ばれちゃったか」とおどけて見せている事からして、それを武器の一つにしている事が窺い知れた。


 この男――

 今日から肉体鍛錬の教習をしてれる事となった、ランボルト就きの教官であり尚且つ中級狩猟人の一人。

 名をネルガス・アクバルという。


「とりあえず体力の底を見せてほしいから、走ってくれるかな?」


 彼は軽く挨拶した次にそんな言葉を口にした。






 流石に昼まで全力疾走を続ければ息が切れた。


 いや単に走るだけなら兎も角、間にちょくちょく指示が飛んでくるのだ。

 そこで右、続いて左、俺の方に向かって急げ、等と丁度呼吸が難しい場面を見計らってそう指示が飛び出す。

 その絶妙具合に舌を巻く暇もない。


「はいお疲れさん。息整えて」


 言われて直ぐにできるはずもない事だが、出来てしまうのも考え物だ。

 種族的に潜在力ポテンシャルがあるザジは分からぬでもないが、ダインも意外なほど早く息が整っている。


 身体強化をしていいと言わなかったが、使って良いとも言っていない。

 だからそういったを行えば、軽く指摘する意地悪をするつもりだったのだが、当てが外れてしまったようだ。


 その事をネタバレすると、


「性根が悪いのぅ」


 ザジはそう苦笑したが、


「……だろうな」


 とダインは零していた。

 どうやら想定の範囲内だったようだ。


「だったら次に何させられるか予想できる?」


 ネルガスがそれはそれは良い笑顔でそう問うた。


「受け身…ですか?」


 片眉を器用に上げつつそう返してくる少年に、


「当たり」


 とやはり良い笑顔が帰ってくる。


 残り時間、黙々と色んな投げ方をやらされ受け身をとらせ、また投げてもらって受け身をとるの繰り返しがずっと続くのであった。







「どうだった?」


 汗を拭きつつ職員室に戻ってきたネルガスを見つけると、ニケは直ぐにそう問いかけた。


 彼は真っすぐ室内に置かれている水差しのところに行き、カップに水を注いで一気に飲み干す。

 まるで自分を落ち着かせる為の様に二杯目を飲み干した後、彼はようやく口を開いた。


「何だよ、あれは?」


 彼女は、ああやっぱりと言葉が浮かんだ。


「教えた事をただ淡々と続ける奴はいたし、教えてもいる。

 何を教えられてるか理解できないで愚痴る奴も沢山いた。

 だけど俺は、何がどう足りてないのか自覚して、自分で不足を補いつつ反復練習し続ける奴なんか見た事が無いぞ」


 投げ方にしろ、如何に相手に対して受け身をとり辛く投げるか等の重要な事もちゃんと理解していて、その上であえて最初の方は受け身をとり易く投げている。

 その反復をずっと続けて、段々と受け身をとり辛く投げ始めた。


 しかしその投げ方に逆らわずに受け身をとる方法や、自分から投げられたにいって受け身をとりにいったりと様々な確認をしつつ繰り返すのだ。

 投げる方も投げる方で、如何に相手の重心をずらして投げるかが大事な事を理解していて、何とか相手の軸を崩そうとしていた。

 尤も双方ともそれを巧みに回避していたのだが。


「指示が楽……。

 ああ、確かにな。直接会って分かったよ。

 何だよあの二人。前期の受け持ちだった奴らの講師やらせたかったぞ」

「ありゃ。そこまで?」


 ああ、と三杯目を飲み干しつつそう返す。


「ナギラの子の方はやっぱり直感的みたいだから少々向かないかもしれないが……。

 あの相方が酷い。年齢査証を疑ったぞ?

 言葉にし辛い事を上手く言葉にして伝えるんだ。だからあのもすぐに理解できてた。

 いや、直ぐに理解できる方もどうかしてるんだけど……。」


 どうやら予想以上だったらしい。

 同時にニケは、この男があの二人が気に入った事は理解した。


 何しろネルガスは、個人の話をする時に表現に言葉を多用しないのだ。

 要は、気に入らなければアイツとかソイツといった最低限の言葉でしか評しないのである。

 それは生徒に対してあまり褒め言葉を使わないように心掛けている癖で、褒めるべき点が大きければ、手放しで褒めたりしない分言葉数が増えるのである。


「ああ、くそっ!

 教え子達を差別しないようにしてるのに、あいつらの教育手順を練りたい。

 叩き込めば叩き込むほど、潰れたとしても吸い込むぞ? あれらは。

 そうだ、カッツェの爺はどこだ? 連絡付くか?」

「ちょっと、落ち着いて……。」

「確かあのボウズの方は魔法が一切使えないんだったな? 難儀だが、どうとでもなる。下地ができてるしな。

 嬢ちゃんの方も、戦いは力業だけじゃない事は理解しているみたいだし、戦術や戦略も飲み込めるか? 譜面見せて考えさせてみようか」


 駄目だこれは……。

 夕食も摂らずに何やら書類を書き始めるネルガスに、彼女は早々に諦めて食堂に向かった。

 無論、彼の夜食をもらいに向かったのである。


 どうせ昨晩の自分の様に時間を忘れて教育計画を練るに決まっているのだから。


 資格を取りに来た教習者――生徒らを差別する気はないし、そのつもりもない。


 が、学ぶという気構えを持ち、やる気に満ちた子供を前にすると、どうしても教えたいという気持ちがせり上がってくる。

 それが痛いほど理解できてしまうが為、彼を止める術を持たないのだ。


「……カッツェの爺さん、通心器に出るかなぁ」


 よぼよぼの年齢に達しているというのに矍鑠とし過ぎている老教官を思い浮べつつ、彼女は食堂に入って行った。



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