第拾弐話 陸路の旅・肆
草木も眠る丑三つ時――
という言い回しは
しかし、幾ら王都まで僅か一日の距離であろうと警戒しないはずもなく、宿場の外回り…周囲を囲む板塀の脇には焚火が灯りをともしているし、見張り番も立っている。
無論、焚火の灯りなんぞ広範囲に届く筈もないが、それでも無いよりはマシという認識だろう。
何しろ王都に近い分、賊の類が来ないとは限らないのだから。
しかし、その焚火の灯りは弱々しく下火になっており、何より夜番が壁に背を預けて鼾を掻いていた。
その見張りの交代人員すらも深く眠り込んでいるではないか。
この宿場にいる全員が、眠り込んでいるように思われる。
――いや?
突如、ヒュイ…と何か笛に似た高い音がした。
しばらくして、今度は外塀の陰からヒュイ…という音がする。
するとその音に合わせて宿場の出入り口から、何人かの影が塀の中に入って来た。
その影の者達は慎重で、見張り番が全員深く眠り込んでいるのを知ってはいるが、それでも尚足音に気を付けているようだ。
先に建物に着いた者が壁に張り付き、入り口の扉を軽く二回軽く叩いた。
それに合わせるかのように、一つ影が荷物を抱えてするりと出てくる。
後から敷地に入って来た影にその荷を渡すと、影はもはや種火同然の灯りの下で中を確認していた。
鉱物のそれではない鈍く輝く、独特の朱。
血潮よりも血を思わせる不気味な朱色の塊。
それを確認できると、影の者はほくそ笑んだ。
組織は壊滅的な被害を受けてしまったが、この男たちにとっては損益はそう多くない。
確かに見返りが消えはしたが、代わりに途轍もない益を齎せてくれていたのだから。
後は撤退をするだけである。
だけなのだが――
建物内の闇の中、未だ怪しげな行動をとる者が残っていた。
今回の大騒動では予想外の大出血があったものの、何とか取り分を残す事には成功している。
が、それなり以上に苦労をした訳だが、その割に個人の取り分は増えたりしないし、何より元々そう多くはない。
だから、欲目を出していた。
行き掛けの駄賃にとばかりに、ついでに一人かっ攫おうという気を起してしまったのだ。
何しろ珍しい民族な上、かなりの上玉である。
この年齢の娘ならどこに売り飛ばすにしろ良い値になるだろうと踏んでの事であった。
だから、相方が中に戻ってきて、
「何やってんだ急げ」
と小声で急かしても、小娘一人を抱えて行こうと手古摺っていた。
「わ、分かってるんだけど……こいつ予想以上に重い」
「……酷い言われ様じゃのう」
眠っているはずの少女の口が動き、流石に戸惑いを見せてしまう。
次の瞬間、身体が一転して寝台の上に巻き込まれた。
正に一瞬の出来事。
かどわかそうとしていた者は、苦悶の声すら漏らせず意識を失った。
少女は、そんな風に無様に伸びて転がる女に目もくれず、闇の中にいるはずの男の目を真っすぐ見据えている。
「て、てめぇ、散々あれを飲んで食ってたはず…」
慌てつつも得物を構える男に対し、彼女――ザジはぬたりと嗤った。
案の定、賊どもは彼女らの民の事を知らずに事に及んだらしい。
実に、愚かである。
「まぁ、儂を売ろう等と考えるほどの阿呆じゃから知らぬのも道理かの。
儂らはな、自分に害のある薬物が効かぬのよ」
ナギラという民の知識に欠ける男にその言葉が理解できたかどうか。
使用した薬の効能をよく知っている分、全く効き目が無かった事が信じられなかった。
しかし、立ち尽くす暇はない。
いや正確に述べるなら詰んでいた。
「ごぼっ!」
「うぐっ」
外から聞こえた鈍い短い叫び。
襲撃していた筈のこちら側の声であると認識できたかどうか。
「っ!?」
その一瞬の間に、胸下にとてつもなく重い一撃が入り、意識が持って行かれてしまった。
吐しゃ物で汚されたらかなわないので、なるべく吐かない様に平手で打っただけなのであるが、鞭のような速さとしなやかさで打ち込まれたそれの衝撃度は尋常ではない。
それでも、利き腕ではない右手を使っての一撃であるが。
年齢にそぐわない妙技を見せた彼女であったが、その意識は転がった賊の一味―クラックとナジー夫婦にはもはや欠片も向けられていない。
「…や、いかぬ。
遊びが過ぎたか」
何しろ、外で始まっていた狩りに出遅れた事を悔やんでいたのだから。
***
***
***
夜中、所謂NIGHT。
さっさと不貞寝したオレであったが、突如として襲い掛かってきた尿意に気付き、目を覚ましていた。
いや、お年寄り的な意味でのトイレの近さじゃなくてですね。
さっきザジ嬢に酒飲まされた時に臓器に魔力注いだやん?
あれは新陳代謝を活性化させる訳よ。
特に酒みたく、あんまり自分にとって益になんない奴はとっとと分解されて排出されそーになるの。
てな訳で、便所へGOだ。
つってもここは宿場の二階の、寝台が並ぶ部屋。
こういうトコは二階建てベットが並んでるのが普通。まぁ、数入れるんだったら、建物増やすか寝台増やすかのの二択だしね。
当然、オレらもここで寝てた。
幸いにもオレが寝てるのは下の段。因みにザジ嬢は隣……。
流石に上の段から降りたりしてたら、隣のザジ嬢起こしたりしかねないが、下段なら何とか音殺せる。
あの酒宴の後だからか、皆ごっ機嫌にグースカピーしてるのに、起しちゃうのはアレだしね。
フフフ…自慢じゃないが、魔法以外の事なら大体できるんだぜ。
木の葉の上を足音立てずに移動出来ちゃうぞ。
まぁ、
でも、こんなん魔法でも何でもない技術だけだから、兄ちゃんズの足元程度には何とかできるんだ。
そして階段を軋ませずに移動し、おトイレに直行――
――しようとしたところで、ふと這い寄ってくるような気配に気が付いた。
何なんこの怪しさ大爆発な
いや、気配の消し方が中途半端だから、微妙にチラついて分かり易いんだよね。
灯りかて点きっぱなしとか、消えたまんまよりチカチカしてる方が目立つやん。あんな感じ。
せめて豹くらいのレベルで気配消しとくれよ。いや、この世界に豹おるかどうか知らんけど。
ん~考えられるのは盗人、所謂ドロボーの類。
となると……
いや、盗賊とか野盗とかは狩れば金になる外付けの財布みたいなもんって教育がされててだな……。
あ、今はどうでもいいっスね。はい。
とりあえず剣は使わないでおこう。
万が一、億が一、単なる勘違いでした~とかだったりしたら困るし。
いや言うまでもなく、殺る気で来られたら殺るよ?
何か自分、その辺の心積もりは出来上がってるみたいだし。
目を瞑り、軽く、ぴんっと全周囲に魔力を放つ。
すると周囲の景色がはっきりした。
魔法使えないから、こーゆーのばっか得意になっちゃってさー。使えるからいいけど。
塀の中に入って来たのは四人か。
裏口からコソーリ出て、まず壁に張り付く不審者……多分、賊の見張りを発見。
身を屈めてくれてたからコレ幸いに首を絞めた。
もちろん殺ってない。
隙だらけだったからね。得物にも手を伸ばさせないし、十数えるも前に意識飛ばせるよ。
持ち物は…ナイフと棍棒か。
手触りからしてナイフは研ぎが荒過ぎる。こりゃ使えない。
いや荒いので切ったらすげぇ痛いから騒がれるのよ。時と場合によってはそれでもいいけど、今回は×だ。
じゃあ棍棒借りるね~(返すとは言ってない)。
焚火の近くでごそごそする輩が二人。
ありゃ? 中に一人入ってった。
つか、よく見てないけど、引き込みがいたのかな?
ま、やる事変わんないんだけど。
ここで先にやるのは塀の外のヤツ。
え? 中に入ってったのに心配しないのかって?
いやぁ、心配ないんじゃないかな。
最悪でも
と、今はボーナス回収に勤しもう。
塀の外は……何だ三人か。
***
***
***
外の見張りといっても塀の外なのだから、そんなに周囲に気を回す必要は無い。
それに今回は何時もの物の回収手順と変わらず、行えばよいだけである。
この宿場は、王都に近いという安心感によって気が緩みやすい。
港町からここまで無事に移動して来たのなら尚更だ。
その油断もあるだろうが、何より内側から食い破られるとは思ってもいないだろう。
無論、こういった類のやり方は穴が多く、そう多用はできないのだが、今回は仕方がない。
流石に大海魔の襲来なんぞ予想できるはずもなかった。
そんな天災の所為で、折角
しかし、底の方からごっそり攫われたお陰で、こんな上澄みでしかない自分らは生き残れたし、何よりまとめて運ぶ予定だった物も自分らのものに出来る。
旨い汁を吸えていた者達がまとめて消えた分、残りを全て得られるというのは、ある意味ありがたい出来事であったとも言えた。
そう思っていたのだが……。
何かが後ろで動いた気がした。
獣か? と、後ろを振り返った瞬間、首に太い丸太の様な腕が絡まり、何が起こったのか考える前に意識が飛んだ。
地面に倒れる物音はしなかったが、様子がおかしいという事に気付いたか、傍にいた二人は身構える。
しかし、地を這うように迫っていた者には、そんな遅い動きでは対応できない。
下から掬い上げるように棍棒が迫っていた。
無論、反応できるはずもなく、先頭にいた男は「ごぼっ!」と奇妙な声を出し、前のめりになる。
後方の者も油断をしていたとはいえ、流石に何かの襲撃だとは理解できてはいた。
理解はできてはいたが、
「うぐっ」
くぐもった声を出せたのが精一杯だ。
首筋を強打されて反応できただけ大したものだと言えなくもない。
「誰だっ?!」
こうやって不埒者が対応できるようになったのだから。
陰に潜む襲撃者が、呼ばれて出てきてくれるのなら世話が無い。
首魁と思われる男も別に期待して叫んだ訳ではないのだ。
組織の末端だったとはいえ、それでも賊の頭を担っているだけはあって胆力はある方だろう。
夜の闇の中、仕掛けた相手に逆襲を受けるという異常事態に、慌てて取り乱していないだけかなりマシだ。
四十になる男の身体には、殺しを含めた凶行で刻まれた多くの疵がある。鉄火場でそれなりにくぐり、それなりに人の命を奪ってきているのだから肝も太くなるだろう。
――が、残念ながら相手はもっと濃密な鉄火場を好きでもないのにくぐらされている者なのだ。
首魁には、影から染み出すように湧いたように見えた。
実際には陰から自然体でただ進み出ただけ。
なのに気配が読めない。
認識しているのに、認識しきれない。
小柄な人物であるとしか見えない。
仄かな灯りの傍で目的のブツを凝視してしまっていた事も手伝い、闇の暗さに目が負けていたのだ。
ただ、一人いる。それだけしか分からなかった。
「何だガキか?」
隣に立つ、配下の者がそう安堵したように呟く。
もう一人も方から力が抜けたように感じる。
相手が子供だと理解してしまえば、それは油断もするだろう。
しかし首魁の男には混乱すら浮かべていた。
焚火の火の粉の向こう側にいる、あの人影。
人の影という表現しかできない。
あまりに気配が無さ過ぎるのだ。
あれが、子供だと?
出来の悪い冗談は止せ。
視線を外さなかったのは見事であるが、そう声を掛けようとしたその時、
「何じゃ?
もう三人しか居らぬではないか」
あまりに場違いな少女の声に、驚愕して思わず振り返ってしまった。
――そして、それが限界。それ以上の行動がとれない。
上の階から灯りをもった何かが下りて来ていた。
何時の間にか。
本当に何時の間にか入り口に立っていたのだ。
体つきは華奢そのもの。
滑らかな身体の線は、声から考えられる年齢相応にしなやかなものだ。
だが、ただ一つ分かるものがあった。
僅かに白い魔光によって反射している闇の中で尚目立つ瞳。
光彩が暗緑色に輝いて見えるその忌まわしい瞳の色。
「な、何で、ナギラがいやがんだ……」
自分らの様な者達が下手に出会えば最期、問答無用で狩りに来る恐るべき民族。
例え子供に見えようと、全く油断ができない種族。
何しろ、こんなところに一人でのこのこと出てきているという事は、とうに一端の戦士になっていると明かしている様なものなのだから。
「はは……。
儂に気を掛けている余裕があるのかの?」
そう言われ、慌てて振り返るがもう遅い。
背を向けてしまった一瞬の間、子供だと侮られた者が焚火すりぬけ、隙だらけになった右に立つ部下の胴を下から振り抜いていた。
肉を打つ音ぐらいは感じられたやもしれない。
無論、出来たとしても無意味ではあるが。
何しろその一撃によって意識を刈り取られてしまったのだから。
そして左側にいた部下は、
「成る丈、殺すなよ?」
という声により、ナギラの首狩りから免れたが、代わりに左の膝を割られていた。
打つ音はしなかった。
切られたのだ。
否、ぶった切られた。
力任せに、斧の様な小剣で。
「ぎ、いぃやぁああっっ!!」
魂消るような悲鳴が上がった。
当然だ。痛くなるように打たれたのだから。
「いかぬのか?」
「死体運びは嫌だろう?」
「ああ、確かにのぅ」
一瞬で一人になってしまった。
視界の端に、宿に張り付いて様子を窺っている奴が倒れているのが見えた気がする。
最初に聞こえた無様な手下の悲鳴は塀の外からだ。
そしてナギラの娘は建物の中から出てきた。
つまり、ほんの僅かな間に手下が全員やられてしまったという事を、否が応でも理解させられてしまう。
震えがきた。
怖さを覚え、紛らわせる方法を知ってから遠ざかっていたものだ。
怖い。得体のしれない小僧が怖い。
怖い。見た目と内包する力が釣り合わないナギラの小娘が怖い。
しかし何より、このあり得なさ過ぎる今の状況が怖過ぎる。
「こ奴をもらってもよいかの?」
首を狩る、と言われた気がした。
「殺さないならな」
死ななければ何をしてもいいと宣言された気がした。
「やはり、駄目かの?」
傍目には、小首をかしげる仕草は愛らしく見えてしまうだろうが、口にしている言葉は生殺与奪だ。
男の全身が冷や汗で濡れた。
「……色々と話を聞きたい人がいるようだしな」
と、少年が首をしゃくるような仕草をするのを感じ、反射的にその方向に目を向けてしまう。
尤も、これを責められはすまい。
このような状況で、これ以上周囲に気を配れれば世話はないのだ。
「仕様もないのぅ」
全身を使った凄まじい踏み込み。
そして軸足から捻じりこまれた左手での掌打。
剥き出しの男の腹部に、ぱぁんと大きい音が響いた。
「……うわぁ」
憐みの様な声が少年の口から零れたが、首魁の男には聞こえていない。
直接臓器に響いたその掌の打撃。
その痛みを感じる暇もなく、意識を奪われたのは男にとって幸いだったと言えよう。
例え、この後々まで鈍痛が残り続けるとしても――だ。
「いやぁ、すまないね。
気を使わせて」
全くこの場にそぐわない、朗らかな口調で出て来たのは初老の男だった。
それも手を軽く叩くくらいの気軽さで、だ。
「全く……儂らを品定めに使うたのか?」
転がっている首魁のズボンで、刃に着いた血を拭いつつザジがそうぼやいたが、初老の男――マーカスは手を振って否定する。尤も、笑ってはいるが。
「本当に偶然だったんだよ。
本当にね。
乗り合わせた時に臭うとは思ったけど、雑魚過ぎて…ね」
そう視線をチラリと建物に向けた。
あの夫婦――を装った一味の者は、本当に使い走り程度の小物でしかなかった。
そこまでの小物ならば放っておいても良いとすら思えたほど。
紬物の新しい伝手を求めて夫婦で王都に向かう……というのにも無理があったし、何よりあれだけアーパスが新技術、新技術を喚いていたのに全く気にもかけていない。
わざわざ王都まで商売の繋を求めて向かっているのに、だ。
それに紬物の様な
最低でも荷運びの足くらい用意できなければ商売相手に舐められるのだから。
設定からして粗末であったし、特に女房の演技が酷かった。
酒宴の際の配膳にしても色街のそれであったし、意識はしていなかったであろうが、視線を送る所作が商家の女房のそれではない。
品物を品定めしてするそれではなく、人に値段をつける輩の目だ。
まぁ、それでも雑魚は雑魚。
放っておいても王都まで行けば関で捕えられるのが落ちであるし、下手に旅の途中で騒げば移動の足も乱れると思い、あえて監視する程度にとどめていた訳であるが……。
まさかこんな物を運んでいるとは想像の端にも無かった。
「竜樹の血晶塊…だな」
「ほぅ、これが」
明度を揚げた灯りの元で、改められた彼らが運んでいた荷物の中身。
それは、鞄の内部にびっしりと描かれる呪印により、放つ魔力を封じられていた少年にとって因縁の代物。
毒々しい強い魔力を秘めた樹液の塊。
《ダイカの血晶》が二つも入っていた。
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