第漆話 邂逅・上


 ……遠くでカーンカーンと鐘を叩く音が聞こえている。


 それに伴う様に人の気配が増えてゆくのが分かった。

 ああ、港の朝の市始め時間の鐘か……。


 寝ぼけていた頭もゆっくり覚めてゆき、それに気付く程には戻って来ていた。


 むくりと身体を起すと、誰かが掛けてくれたものだろう掛け布が滑り落ちる。


 周囲を見回すと、これは酷いと思う惨憺たる状態。

 つっても、惨状じゃなくて単に泥酔者の山だけどな。


 いやぁ……やっぱ皆のスゲぇ飲むのなぁ……。


 明日、定期便…乗合馬車で王都に向かう事を告げたら、送迎会じゃあぁっと大宴会の態となってしまった。

 いや、おっさん達、ここんトコ何だかんだで飲んでるやん。

 飲む口実欲しいだけなんじゃね?


 ともあれ、例の船の副長=サン含む船員ズが音頭をとって、港の修繕祝いも兼ねて行われたそれは、早々に趣旨を見失って単なる飲み祭りと化していた。


 最早、オレは飲む口実に使われてんじゃね? とは思ったけども、一応は関わってるし、せっかくだからと混ざった訳よ。楽しそうだし。


 しかし…何で隊長=サン達まで混じってるんスかねぇ?

 後始末に疲れた? 書類作業終えて、膿出し切ったのは良いけど人手不足になって、新しい交易契約商人のルート指示したり、割り振り調整が何時まで経っても終わらない?


 ……ウッス。お疲れッス。まま、飲んでくだせぇ。



 ――てな感じに、飲んで食って騒いだ結果がコレである。

 

 死屍累々だけど、皆幸せそーにグースカぴーと寝てるわ。

 いや良いんだけどさ。好きよこういうの。


 鬱味のある不味い酒盛りなんぞノーセンキューなのさ。


 だけど、酒場の一階で皆して雑魚寝ってあまりよろしい光景じゃないなぁ。


 いや女性もいらっしゃるけどね。気の強そうな船乗りの女性。


 店長=サンも気風の良いおばさまだったし。

 大盤振る舞いにも程があったけどさ。オレはフードファイターじゃねぇっての。


 色っぽい人も何人もいたなぁ。ご機嫌にバカスカ飲んでたけど……。


 ま、こうやって騒ぐ事で、生きてるって事を実感してるってのもあんだろーね。

 下手したら、今も通夜っぽくなってた可能性すらあったんだ……。


 そう考えると自分のやった事も無駄じゃなかったって思えて、今更ながら嬉しくなってきた。


 皆寝てるから、丁度いいや。

 まだちょいと時間あるけど待合所に行くとすっか。


 見つかるとまた盛り上がりかねんし……。いやホントもう勘弁。


 さて、それじゃあ準備を――






 ムニ…。






 ……あれれ~? おかしいぞぉ~?


 こんなありきたりなお約束展開ってありえるのかな~?


 確かに物語の中だったら、酔っぱらってた致した、とかあるよ? 所謂、朝チュン案件てやつ。


 だけど自分、飲んでねーよ? 果実水飲んだだけよ?


 場の空気に酔ってたのは認めるけど、酒は口にしてねーし、酔っぱらって寝た記憶はない……はず!


 いや待てよ?

 途中で何か場違いな可愛い声で勧められたのを飲んだような。


 そこから何か曖昧で……あっれぇ~? 自信なくなってきたゾ。



 こ、ここはおちつくように、ヒッヒッフッフッヒーフッフッ……よし。切迫呼吸だ。落ちちゅいたじょ。

 

 覚悟を決め、ギギギ…と油が切れた機械仕掛けの様にぎこちなく掛け布をめくってみると。


「Oh……。」


 袖なしの半襦袢みたいなエラい服着た女の子がお眠りになられてるやないかい。


 まいごっど ! いっつ ふる おぶ すたーず。


 いかん。自分でも何言ってんのか分かんなくなってきた!

 つかはよ落ちケツ…もとい、落ち着けっ。


 そ、そうだ、古人のように素数を数えるんだ。


 ……素数って何だっけ? おぅ、しっとっ!!



 あわあわしたまま思い切り息を吐き、吸いこんで、また全部息を吐く。


 よし深呼吸はできたな。ちょいマシになったか。


 再度息を吸いつつ上を見上げる。天井だな。

 蝋燭照明があるが燃え尽きてる模様。


 息を吐きつつ前を見る。ふむ。店の出入り口だな。

 観音開きのよくある奴。上部と下部が無いから外の様子もよく分かるぞ。

 天気は良さげだな。ヨカッタヨカッタ



 ふぅ~……。



 息を吐き切り、諦めて下を見る。

 ふむ。オレと眠る少女。二人仲良く掛け布が掛けられているな。


 つまり……。


 ど ゆ こ と っ ? !


 説明ぷりーずっ!!!



「ンむ……?」


 脳内で絶賛大絶叫して神にヘルプを求めていた矢先、その女の子がぴくりと動き、目を覚ました。


「ん~……。」


 コキコキと首を捻らせつつ身を起し、ぐいっと背を伸ばしつつ、こちらに向き、


「おお、おはよう」


 とニっと笑顔を見せた。

 その顔も何とも可愛らしい。


「あ、ああ、おはよう」


 だがしかーし、おマヌケな事にオレは平々凡々な返事しか返せない。


 それにしても本当に美人さんだなぁ。

 まだ眠気が完全に去っていないのか、むにゃむにゃと口を動かしている様も愛嬌がある。


 笑顔だと八重歯…いや、が覗く真っ白い歯。


 年の頃はオレと同じくらい…か?


 年齢相応のスレンダーな体つき……いや、ガン見した訳ではないぞ? 襦袢みたいな服言うたやん。それで分かっちまうんだよ。


 下は股引レギンス…か? 生地が何か知らんが、黒いぴっちりとしたの穿いてる。

 こっちを見つめていたから分かったけど、瞳の色は暗緑色。

 腰まで届いてる長い髪の色は、黒……いや、濃紺か? 不思議な色相をしてる。

 ほんの少し癖があるけど、所謂ストレートロングだ。


 全体を見直しても分かる、やっぱり美少女さんだ。


 そんな娘が朝起きていきなり横に居たらそりゃビビるて。


 しかし件の女の子は、こっちのドギマギなんぞ気付かぬようで、小さく欠伸を噛み殺しつつまたオレに顔を向けて、


「良い朝じゃの。昨夜は楽しい夕餉じゃったわ」


 と微笑んだ。




 さ、更にロリババ口調……だと?!




***

***

***



 南部に比べると、流石にガライラの気温は比較的過ごしやすく感じられる。

 しかし生まれ故郷に比べて湿度がずっと高い為、いっそ暑く思えた。


 国を出て半月余りとなるが、別段苦労する事も無く港に着いたのは昼を大分過ぎてから。

 予定より二日と半の遅れでガライラの波止場に船が寄せられた。


 意外に船足が遅い、と感じたのは錯覚ではなかったらしい。


 何でも近海に現れるはずもない海の魔獣が港に襲撃を掛けてきたらしく、その事態の大きさに情報が錯綜し、船が入れられるかどうか検討されていたとか。


 尤も、襲撃後すぐに撃退されて外海へと逃走したという事で、二日遅れではあるものの無事に港に接岸できたという事だ。


――大海魔……できれば儂も目にしたかったのぉ……。


 等ととんでもない想いを浮かべつつ、彼女は船から降り立った。


 傍目にはか弱き少女にしか見えぬその姿。


 袖のない半襦袢の様な形状の着物を身にまとっており、下半身は黒い股引レギンスを着用している。


 肌に張り付いている様に着こなしに、見た目以上に露出を感じさせ、儚さやか弱さを感じてしまうだろう。


 その彼女の背には背負子に乗せた荷袋があり、頭は日よけの笠を被っている。

 

 確かに、ぱっと見ならば、心細い一人旅の少女だと感じるてしまうだろう。

 何しろ年齢も数えで十一である。そう心配してしまうのも当然だ。


 だが、見る者が見れば多少違った印象を受けるはずである。


 まず肌の色が、南の地方から来たのだと主張するかのように小麦色をしている。


 その時点で分かる人は分かるが、髪の色が濃い藍色で、瞳が濃緑色であると確認できれば、『ああ、か』と納得する事だろう。


 それに身に纏っている着物にしても、見た目こそ頼りなさげであるが、その実丈夫な合成布を使用した逸品で、なめした革に劣らぬ強度がある。


 確かに下に穿いている股引も足のラインにびったとしており、上半身の衣装も相まって頼りなく感じるだろう。

 しかし足元は脚絆でがっちり固めているし、ひざ下に細いベルトで血止め(うっ血防止)まで施している。


 そして左右の腰には剣が一本づつ携えられていた。

 その剣の拵えを見れば相当使い込んでいるものと分かる。


 体つきも細く、一見して華奢に見えてしまうが、揺れる船から降りる際も、渡り板の上を身体を一度もぶれさせず、するすると歩いていた。


 物珍し気に周囲を見回している様は、所謂のそれであるが、背後から続いて下りてくる乗客を振り返る事も無くするすると避けているではないか。


 南部に連なるギルガイヤ巨竜の背骨山脈の向こう、


 南方未開地に置いて最前線の国、《ザギ・ナギラ》。


 そこの住人ナギラの民ならば然も有りなん、と納得できるというもの。


 こんな年頃の娘が平然と一人旅をしているのだ。




 尤も、彼女はただふらりと旅している訳ではない。

 きちんとした目的があるのだ。


 そしてその目的の地に進むには、ここから乗合馬車に乗り変えねばならない。


 だが、その乗合馬車の日時表も、下手をすると先日の騒動とやらによって変更されているかもしれない。

 まぁ、こればかりは時の運なのでどうしようもないのであるが。



 とりあえずを港街の店でも冷やかしつつ調べようと彼女は考えた。


 何しろ船の中では干し肉やら固い包み焼パン、塩漬けの野菜ぐらいしか口に出来ないでいたのだ。

 新鮮なものに飢えてしまうのも道理。


 焼いた魚やら、生の果実があれば尚良いな、とばかりにふらりと散策に赴いた。


 ――と、

 そんな彼女の進む方向に、何やら人垣ができているのが目に入る。


 つい興味が出て、そちらに向かって行けば、それは一件の酒場があった。

 《飲みや》という、余りにもド直球な名前の店に人が集まっていたのだ。


 客は、店舗内からはみ出て、その店の周りにまで及んでおり、テーブル代わりの樽が置かれて、銘銘が飲んで食って騒いでいる。


 しかし、乱痴気騒ぎのそれではない、何やら祝いの様な明るさがそこにあった。


 その空気も何やら楽しげであったが、海産物の焼き物や、特性のタレを使った肉を焙ったものの香ばしい匂いにも彼女の心と胃袋は惹かれる。


「すまぬが。儂も混ざっても構わぬかの?」


 食い気に負け、そう切り出すのにも左程時間はかからなかった。



 漁師らは何とも親し気に機嫌良く席を空けてくれ、更におごりだと器に肉やら魚やら盛って出してくれた。


 保存食ほど塩気はないが、それでもこれは喉が渇く。

 ふと考え、女将らしい女性に、濃いめの酒はあるかの? と声を掛けた。


 流石に年齢を問われてしまったが、


「いや、儂はなんじゃよ」


 笠を降ろしつつそう答えると、一瞬目を大きくされはしたものの、


「なんでぇ。珍しいじゃないか。

 だったら何でもいけるわよね」


 と、女将は気前よく素焼きのビアマグに果実酒を並々と入れて出してくれた。

 結構強めの酒精が感じられるが、ぐびりぐびりと喉を鳴らしつつ一気に飲み干す。


 酔っぱらっている漁師らもやんやと声援を送ったり、続けとばかりに飲みだし、或いは飲み比べを行っていた。


 皆が皆、笑顔で飲んで食って楽しくしている。


 流石に品はないが、これはこれで心地良い光景だと感じられた。


 そして彼女はこういった空気の中で飲み食いをする事を好んでいるのだ。



 暫し焼いた貝柱やオイル漬けの魚等を摘みに酒を楽しんでいたが、ふと祝いの内容を知らずにいた事を思い出し、周りの飲兵衛に話を聞いてみた。


 どうやら例の大海魔の事件の際に、船乗り達を全員脱出させる為に囮を買って出て、防衛隊の用意が整うまでずっと引き付け続けてくれた人間が、明日ここを立つそうな。


 だからこれは波止場の一通りの修繕が終わった事と、歓送会を兼ねての宴であったらしい。


 事件を耳にはしていたが、詳しい内容までは知らなかった彼女は大いに興味を持った。


「して、その御仁は?」


 聞きたくなるのも当然の流れだっただろう。


 その問いかけに、人の良さそうな赤ら顔の船乗りヨッパライが、指してくれた先に――彼は、いた。


「!?」


 何故だか、視線が固まってしまった。


 小柄な……いや? ひょっとしなくとも自分と同年代の少年。

 少年? あので?


 思わずふらりと足が動き、彼の元に向かってしまう。

 間には酔っぱらい達が邪魔をしていたが、目にも入っていないようであるのに、その身体が掠る事も無く、彼の傍に辿り着く。


 少年はあちこちから勧められる料理やら飲み物やらを受け取ったり遠慮したりしつつ、親しげに捌いていた。

 少年の真後ろの席に陣取り、荷物も床に降ろして背面に意識を集中させる。


 その背中を見ても分かる。感じる。


 削り出した岩を思わせる頑強そうな身体。

 ただ頑強なだけではない。こういった酒宴の只中にいるというのに、身体の芯がぴんとして少しも狂っていないではないか。


 いや、それだけではなく、飲食を勧められる際にも僅かに早く気付いて応対できている。


 そして彼の側には剣があった。

 直ぐに手を伸ばせる位置に置かれているそれ。

 おそらく無意識にだろう、客たちに料理の器を勧められた際にも、剣を取れない体勢には決してならないでいる。


 何気なく他の客に話を聞くが、少年の活躍は知られているが、名前までは知らないらしい。

 しかし、年齢は聞く事が出来た。


 十一歳。

 正しく自分と同じ歳だ。


 

 そうか、。この世にもこういった者が。


 そして、目的地が同じだという事も衝撃だった。


 つまり、同期となる率が高い。


 学べるのか。


 彼女はビアマグをぐびりと空け、強い酒の息を吐いた。


 旨い! そして美味い! 何もかも良い!!


 の為、めったに乱れぬ少女であったが、相当に機嫌が良くなったか、給女が如く皆に酒を回し、


 杯を交わし、飲み、飲み比べ、乾杯し、祝い、


 こっそり少年の果実水に酒を混ぜたりしつつ、どんちゃん騒ぎを盛り上げていった。



 気晴らしに来た防衛隊の面々まで飲ませ潰したのは、流石にすまんかったと後に反省するのだが……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る