第肆話 襲来一過
送られてきた書類を受け取り、書かれている内容…調書をざっと見る。
別に手を抜いている訳ではない。
これは仕上げなのだから。
手が届く限り調べ尽くし、上に報告を提出し、その返事をもらっただけに過ぎない。
辞令は殴りたくなるほど短いくせに、こういう確認書は無駄に捏ね繰られて長ったらしく書いてあり面倒臭い。まぁ、要するに……。
――ご苦労さん。あとはこっちで締め上げとくよ――
という事。
確認のサインをし、責任者の
「あ゛~……やっと終わった」
男――グレッグはサインをした書類を副官に提出したと同時に脱力した。
濃い灰色の髪を短めに刈った頭を掻きつつ、首をコキリとひねって肩をほぐす。
どうにも所作が年寄気味だが、まだ彼の歳は三十丁度と若い。
港町ガライラ防衛隊、その守備隊長という肩書が乗っている故の貫禄なのだろう。
「ご苦労様で」
どこか気の毒そうに労わる副官――マイスも、彼の気苦労を知る者の一人だ。
何しろ
黒髪を肩でキッチリ切り揃えられていて、風貌もどこか優男っぽく見えてしまう。
が、実際にはマイスは気が短く、よく諍いを起してはグレッグが仲裁に回っていた側である。
しかし今は、逆にグレッグを諫める側なのだから、世の中何があるか分かったものではない。
「大騒動だったわりに、原因がクソ過ぎて笑うに笑えませんねぇ」
そう零しつつ水差しから水を注いで
言うなよ…と眼差しで返しつつカップを受け取り、喉を湿らせる。
気分的には酒を煽りたいところだが、職務中である上、この回の件に酒が絡んでいてどうにも気が引けてしまう。
「カーテル会頭は財産没収の上、鉱山送りだとさ」
「でしょうね。当然です」
水のお代わりをもらい、一気に飲み下し、
「あいつら……本っっ当に、馬ぁ~鹿じゃねぇの?」
溜息と共に愚痴を吐いた。
真正の馬鹿なんでしょうと、マイスは返す。
彼も、怒りより呆れの方が大きかったからだ。
今回の件は、大きく報じられた。
何しろ遠洋の大海魔リグドがわざわざ近海に現れて船を襲ったのだ。
討ち逃した事は残念であるが、あそこまで痛めつけられるとそうそう復帰もままなるまい。
それに、だいたいあの手合いの魔物は図体こそでかいが、復讐という行動は行わない。
手痛い目に遭えば巣に引っ込み、慎重に憶病に、息をひそめて腹を満たし傷が癒えるまで縮こまっているのが常だ。
念の為に外洋調査船は出すだろうが、それに反応して更に外海に逃げてくれる可能性が高いだろう。
少なくとも、定期便のルートには近づくまい。
それはいい。その逃げた大海魔の方は別働隊に任せるからもう話は終わりだ。
問題は内地での事。
何しろこの一件、結果的には最小の被害で済んではいるが、前代未聞の大事件なのだから。
普段、外洋に深海に潜み、気まぐれに船を襲っていた大海魔がいきなり内海に現れて船を襲ったのだ。
そんな異常事態の報告を受けて、港を持つ国々が反応しない訳がない。
その上、出現したのはガライラという西の大陸の玄関口。
こんな身近でこんな災害があれば、最悪、今後の輸出入の事も絡んでくる。
追い払った直後から、近隣の国々も調査に乗り出し、ガライラの護りを担っている防衛団と連携し、何一つ逃すまいぞという気の張り様で調べに調べてゆく。
船乗り達も襲撃を受けた事に対する怒りからか、積極的に調査に協力し、しっかりと情報共有も行って素早く調査が進められた。
尤も、奮起する彼らが肩透かしを食らう程、呆気なく事件の詳細は見つけ出されたのだが……。
人海戦術が功を奏した、というのも間違いではないのだが、証拠そのものがしっかりと残っていた事が何より大きかった。
それは運ばれていた荷の中にあった。
襲撃された巨大な輸送船、狼鯨号――この世界の言語で称すと《ババルマグマ号》――だが、人を乗せる事は当然として、数多くの荷物も積まれている。
そして中にはできるだけ冷やしておく必要がある品があった。
本来であれば、そういった類のものは保冷用の印が刻まれた魔道具等を使用しての運搬となるものだ。
しかし、保冷の道具は魔力を消費する物が一般的であるし、何より維持費という点で足枷となる。
お貴族御用達の運搬業務なら兎も角、人と荷物を共に乗せて行き来する定期便に、運賃や手数料等の負担はこれ以上掛けられない。
何しろこれだけ大きな船だから船員も多いのだ。
その中には船の動力を維持管理する専門の技術師(起動させる魔力も兼任)だっている。
この上、荷物の保冷管理術師等を雇う事になってしまうと流石にコストがかかり過ぎるのだ。
そうすると、この世界の船にはそれなりにある仕掛け、船底に設けられた穴に吊るして海水に着けて置く、という原始的な手段をとらざるを得ない。
無論、船底の内側には極端に浮力が高い特殊な木材が使用されている為、船底に穴が開いていても圧力で浸水する事はないし、そういった荷物には荷主の許可の下で防水をしっかり掛けて沈めている。
地球の大航海時代の船ほどの不潔さも無いので、船底で汚水を被るような心配はいらないのだ。
だから、使用上の問題は何も無かったと言える。
あるとすれば、その荷として記載されている物に余計な物が紛れ込んでいた事だろう。
荷物の中身は《ビラ酒》――と書かれていた。
ビラ酒とは薬酒の一つで、ビラ鳥と呼ばれる山鳥の肝汁によって発酵を促す、酒精の強い濁り酒である。
酒精が強いので、完全密封は当然であるが、それでもわざと高温の場所に置いたりしなければ品質が落ちるようなものではない。
とはいえ、適当に運ぶ事が許されているほど安い酒でもない。
確かに品質が良いものなら、保冷にすら気を使ったりする事もある。だから別段おかしな点があった訳ではなかった。
しかし、今回の方法はちょいと気を使わされい過ぎていた。
何しろ、それが入った樽の全体を油紙で包んで、更に樹脂で固めて完全に密閉した上で、緩衝材に縄を樽の形が見えなくなるほどぐるぐる巻きにしてあったのだ。
それだけでも扱い辛そうなのに、一定以下の温度で保ってほしいというご要望まで付いていた。
確かに高品質のそれならばそこまで気を使って運ばせる事だろう。
ちょっと厳重過ぎるが、今まで
まぁ、言われてみれば東大陸の特産の一つであるし、ここまで厳重ではないにせよ、同じように運んだ例も無くはない。
それにいちいち気にするほど怪しい点も見当たらないし、何より荷主はそこそこ知られた商会の会頭なのだから。
最近、色々と躓き続けていると聞いていたので、倉庫番も『何かしらに使って一発逆転を狙ってんじゃね?――という程度にしか思っていなかった。
だからそれなりに気を使って、何時ものように運べば問題無いだろうと、運送を引き受けてた訳であるが……。
実際は、大問題であった。
この荷主、実は密輸を企んでいたのである。
中身は間違いなくビラ酒であったが、その濁り酒の中にあるものを仕込んでいたのだ。
その名は、《ダイカの血晶》。
地球で言うところの竜血樹に酷似した、ダイカという木の樹液を固めたものだ。
その樹液も、やはり竜血樹のそれと同様に血のように赤く、固めた物は大変貴重なものであるのだが……。
実はこれは御禁制の代物で、中毒性の高い薬の原料として知られている。
太古の祭祀に使われていたという謂れもあり、元の樹すら高い魔力を秘めたそれは、手を加えずとも何かに呪われているように毒々しい色を放つ物だ。
しかし、単体でも厄介事を感じさせる代物であるのに、この血晶の放つ《匂い》には大型の魔獣を引き寄せてしまうという難点まで付いているのである。
取り扱いはかなり難しいが、上手く使用できれば大型魔獣の討伐に利用できるのではと長年研究を続けられているものの、例の薬以上の成果が見られず、樹が生えている一帯を立ち入り禁止区域とする他なかった。
だからこそ手に入りにくく、高い値で取引がなされている訳で……。
欲に目が眩んだある男によって、船主を騙して酒として運ばせるという、密輸が謀られたのである。
しかし、男は余りに浅はかであった。
これの匂いを好むものは魔獣である。
単なる獣ではなく、《魔》に属する獣なのだ。
物理的な匂いに惹かれている訳ではなく、血晶の放つ魔力に惹かれている事を男は知らなかった。
確かに酒に浸してできるだけ低い温度を保てば、血晶の魔力も漏れ難い。
それは間違いない。
間違ってはいないが、飽く迄も漏れ『難い』であって、漏れ『ない』ではないのだ。
確かに上手くいけば莫大な利益が得られたであろう。
確かに大金にはなった筈だ。
しかし、海に吊るされてた樽は十。
合計十個もの血晶が運ばれていた。
つまり、放たれている魔力も、樽十個分あったのだ。
たまたま海底を漂っていたリグドがその魔力の匂いを感じとり、船を追って近海にやって来て、当然の様に襲い掛かったのである。
その時に荷物だけが奪われていればここまでの被害は出なかったかもしれない。
しかし、寄ってくる異様な気配に船足を上げざるを得ず、
速度を上げる事によって荷に掛かる負担を無くそうと、荷に対する配慮によって海中より引き上げた事が裏目に出た。
相手は海魔であり、海の中だからこそその魔力の波動に気が付いた訳だ。
そして海中から引き上げられてしまった事は、リグドにとっては目の前から獲物を搔っ攫われた事に他ならない。
そして怒りに我を忘れて……先日の災害が起こったという訳だ。
「……何という傍迷惑」
というのは、この一件で減災の立役者となった少年の弁。
御尤もであり、甚だ同感である。
さて、当然ながらそんな馬鹿事件を引き起こした荷主は勿論、
直接襲撃を受けた大型輸送船一艘が大破、他の船は小~中破程度。
湾岸がリグドの活動の余波で小規模ながら被害を受けてはいるが、幸いにも使用可能。
魔法射出機三機が固定し切れていないにも拘らず使用して小破してはいるが、修理で賄える程度。
そして人間の被害は…怪我人こそあれ、何と死亡者はゼロであった。
魔獣襲撃という災害でここまで被害が小さい事はかなり珍しい。無論、喜ばしいことに変わりはないが。
何しろ報告を聞いたグレッグが、『マジか?!』と人目も憚らず声を上げたくらいなのだ。
しかし、皮肉というか何というか、それは笑える事に一部の人間にとっては最悪の結果となっている。
輸送船は大破こそしてはいたが、荷の大半は無事で済んでいた。
お陰で輸送を任せていた多く商人が喜んだ訳で、実にありがたい話であるのだが……件の樽もほぼ無事で済んでしまっていた。
引き上げ調査の真っ只中、多くの調査員の見守る中、荷揚げされてきた樽から大きな竜血晶がゴロリと転がり出てきたのである。
ビラ酒の
そして洗い流されてみれば、
そこらの一般人ならば気味悪い石とか、置物? 位にしか思わないかもしれないが、残念な事に事件の調査に関わっているのは一般人ではなく
すぐに正体に思い当たり、泡食って他の厳重過ぎる樽を調べると、全部の樽から同じブツが出てきてしまう。
調査員、もれなく大騒ぎであった。
無論、真っ先に船員が疑われたのだが、船主が無事だった書類を突き出して無実を主張。
そして荷主の名前と受取人が判明し、速攻で捕縛に走ろうとするも、例の騒動の中で怪我をして入院中だっので呆気なく御用。
芋づる式に運搬を指示していたカーテルも捕らえられ、彼の部屋から押収された資料によって、東大陸に根を張りつつあった隠れ家も露見し、めでたく発足直後の密輸組織&薬物組織が壊滅するという運びとなった。
めでたしめでたしである。
――いや、それ自体は良いのだ。
悪人どもが一斉に取り押さえられたのだから、世の中が多少は綺麗になったのだから。
沈められた船も保険が掛けられていたし、何よりカーテル商会に損害賠償ができる。というか、した。
お陰で新しい船+保冷室付きの新しい船が手に入れられる事となってホックホクだ。
が、巻き込まれて側からすれば迷惑千万な話である事に変わりはない。
「船は元より、重傷者も出たし、港への被害もそれなりに出た。
まぁ、そのお陰で捕縛できたのは皮肉な話だが。
しかし、死亡者はゼロだ。奇跡だよ」
「不幸中の幸い…と言ったところですか」
「
大魔獣の襲撃で死亡者がゼロなどという話など聞いた事が無い。
確かに重傷者は出たものの、その一人の船長は全治にして一月程度。
他の重傷者も後遺症を残すような怪我ではなかった。
唯一酷い後遺症を受けていたのが件の捕えられた一味なのだから、神の采配を感じざるを得ないほど本当に上手く収まっている。
ただ一人、最前線で囮役を(知らぬ間に)請け負っていた少年、ダインだけが一番死ぬ思いをしていたのだが。
「となると問題は、だ」
「はい」
「彼に対する恩賞はどうするか、という事なんだ」
「ですよねー」
彼の恩にどう報いれば良いのか見当もつかないのだ。
「ダイン=シー・ザイン。十一歳……十一歳かぁ」
「落ち着きというか、所作というか……子供に見えませんでした」
ダインは名前であり、そうすると後半は苗字となるのが一般的だが、少年の家は《
東大陸の傭兵――特に《砂長虫》のように家族として結束している組織の場合は、苗字ではな出自等を付ける場合があると聞く。
だから彼の場合は
とはいえ、変わった出自だなと思う程度で、そこに対して大した感想は無い。
生まれどうあれ、あれだけ身体張らせて何も返さず、という道理はあり得ないし、納得も出来ない。
というか、船乗り達がキれる。
何しろ、乗客は元より船員達が小舟に乗って脱出し、上陸するまでずっと囮となって怪物を引き付け続けていたのだ。
特にババルマグマ号の副長が感謝し切りで、ダインが無事だと確認すると船員達と共においおい泣いて喜び、船長が復活するや否や、自腹で港の仲間たちに酒代を切って、皆が生きている事に感謝し、そして彼の活躍に乾杯っと三日間も飲で食って騒いでいたくらいである。
――いや、まぁ、気持ちは分かるが。
それに船を再建できるほど補償も出るので痛くもかゆくもないし、足も出ないらしい。
因みに、ダインが目覚めた際に、真っ先に皆の無事を確認したという話まで聞きつけ、益々酒量が上がっているらしい。
命の大事さを理解している少年の事を感心すべきか、看護師の口が軽いのを気にすべきか悩みどころだ。
「船は沈没こそしてませんが、彼の荷は海の藻屑となってますしね」
「よりにもよって、数少ない行方不明の荷物の一つが彼の私物とは……」
皮肉極まれり、であろうか。
「鎧は着用する間もなかったようで、残った私服もボロボロ。
ブーツは…まぁ、修繕すれば何とか、といったところです。
海水を吸いまくってますんで、ここは一つ新しいブーツを」
「装備一式と服代ぐらい余裕で出せるだろ? それでも釣が出まくるわ」
何しろ破綻しかけていたとはいえ
それに犯罪者の
だったら、彼に何か希望はないだろうかとマイスに問うと、やはりよく気が利く副官は既にダインに聞いていたらしい。
「それが、
「何というか……そういえば、新設された初等部に入るんだったか」
「はい。資格も取れていない
当人は覚えていないとの事だが、意識を取り戻した際に、避難した人間の安否を確認し、無事だと知るとまた意識を失った、と看護に当たった者から聞いている。
後日、調書をとった際に無茶をした事を軽く意見したところ、
「犠牲になる、とかそんなつもりは一切ない。
一番生き延びる確率の高い道があれしかなかっただけだ。
向こうが飽きるのが早いか、こっちの体力が尽きるのが早いか根競べだった」
と返してきている。
よくある子供の、向う見ずな行動という訳ではないらしい。
あの猛攻を掻い潜る技量と、一般人の安否を気遣う気持ちと、死んでたまるかという心構えを持っている少年――ダイン。
自分らが修練学校で学んだものを既に彼は持っている。
「……あいつ、何の為に行くんだ?」
と、それなり以上の
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