3-3

そう、私を犯した男。


人の人生をぶち壊した悪魔は偶然を装い、SNSで私の居場所を突き止めていた。


もう会わない約束したはずなのに、この男にはそんな約束意味をなさなかった。


「久しぶり。ショートカットも似合ってんじゃん」


顔を見るだけで、声を聞くだけで虫唾むしずが走る。


シカトしてエントランスへ向かおうとしたけれど、腕をぐっと強く掴まれた。


その瞬間あの日の出来事が走馬灯のように蘇ってきて、恐怖の再来と同時に何かのスイッチが入った。


「会いたかったです」


目は合わさず感情を無にして言った。


「あのときは無理矢理襲って悪かったよ。こうして最初から向き合っていれば良かった」


この男はどこまで身勝手で阿呆なのだろう。


ナルシストすぎて反吐へどが出そうだった。


人生の1ページを鹵掠ろりゃくしたこの男はに復讐しないと気が済まない。


彼が報われない。


そう思った。


きっと黙っていてもいずれ捕まるだろうけれど私自身の手でやりたかった。


「今日ここに泊まってるんです」


「神法、やっぱりあの日のことが相当刺激的だったんだね」


何も応えずそのまま部屋に入った。


「先にシャワー浴びてきてください」


「そうさせてもらうよ」


髪をかきあげながらシャワーを浴びにいっている隙に部屋に常備されていたスティック状のコーヒーをカップに入れ、温めたお湯で溶かす。


バスローブ姿で出てきた先輩をソファを座らせ、コーヒーを差し出す。


「気が利くね」


ニコニコしながらそう言う先輩の言葉を無視して向かい側に座る。


「2人きりなんだから隣においでよ」


脚を組み、左手でソファをトントンと軽く叩きながら座って欲しそうにしている。


「ちょっと緊張してて」


斜め下を向きながら口角だけ上げた。


「そうだよね。まぁ時間はあるんだし、楽しもう」


そう言って一口、ゆっくりとコーヒーを飲む。


喉を通ったことを確認すると私は確信を持ちながら立ち上がった。


程なくして先輩はその場に倒れ込んだ。


そう、あの日以来バッグに常備していた睡眠薬をコーヒーの中に大量に投与していた。


復讐は成功した。


**


古くてボロい部屋。


小さな机の上には小さなテレビが置かれている。


畳の匂いがする雑居房。


私はここで何年過ごすのだろう。


早めにチェックアウトをして向かった先は警察署。


コーヒーの中に大量の睡眠薬を投与した後、あの男が苦しむ姿を想像しながら自首をした。


後悔はしていない。


むしろ清々しい気持ちだった。


刑務所での生活は思っていたものとは少し違った。


「やばっ!めっちゃ美人!」


雑居房に入っていきなり声をかけられた。


同じ部屋にいたちょっと気の強そうなギャル風の人。


「あ、ありがとうございます」


動揺してぎこちない応え方をしてしまった。


こういう世界では友情や愛といった概念はなく、心を開くこともなく、一定の距離を保ったままの関係だと思っていたから驚いた。


ピアスの痕や首元のタトゥーなど、昔ヤンチャしていたのかなと思わせるその人は私と相部屋。


見た感じ同世代くらいかな?


「そのメモ帳って“Narrative Landナラティヴ・ランド”だよね?しかも限定ものの」


ナラランはたまに期間限定でノベルティーを出していた。


このメモ帳はそのときのもの。


同じノベルティーで化粧ポーチやリップクリームとかもあったけれど、ここに持ってくることは許されず、ポケットサイズの小さなメモ帳だけ許可された。


このメモ帳には彼との思い出が詰まっている。


彼と行ったお店や彼と行く予定だった場所。


デートのときに撮ったプリクラをいくつも貼っていたので、肌身離さず持っていた。


「えっ?ナララン知っとーと?」


「もちろん知ってるよ。美羽さんのカリスマ性や毒舌も好き。ってか博多弁?」


若い世代で名の知れたブランドだけれど、やはり自分の好きなものや憧れている人を褒めてもらえるのは嬉しい。


「こんな美人で博多弁話すとかウチが男だったらすぐ告っちゃうかも笑」


初対面とは思えないほどグイグイくる。


いままで出会った人の中にはいなかったタイプだ。


「ねぇねぇ、福岡出身ってことは『おっとっと』の早口言葉のやつ言える?」


おっとっとの早口言葉とは、

『おっとっと取っておいてって言ったのになんで取っておいてくれなかったの?』

というのを博多弁で言った場合、

「『おっとっと取っとってって言っとったのになんで取っとってくれんかったと?』」


私たちからするとなんてことのない会話なのだけれも、こっちの人からすると早口言葉に聞こえるらしい。


私は力むことなくすらすらと言ってみせた。


「本物だ〜、かわいい!あっ、初対面なのにごめんね。私、綺麗な人や可愛い人見るとテンション上がって話しかけちゃうんだよね。イヤだった?」


「あ、いえ、そんなことないです。全然悪い癖やないと思うし」


「良かった。あなた名前は?」


「神法 紫苑って言います」


「何その神々しい苗字」


そう言いながら彼女は部屋にあった鉛筆と紙切れを取り、自分の名前を書いて見せてきた。


「うち、鬼灯 朱花ほおずき しゅかって言うの」


いやいや、人のこと言えないと思いますが。


ってか明るい。テンション高い。本当に受刑者?


「赤い花って書いて朱花って読むんですね、良い名前」


「そうかな?母親が赤い花が好きだからって理由でつけたらしいよ。安易すぎない?」


「ちなみに誕生日っていつですか?」


唐突すぎる質問に目をパチパチをさせながら、


「8月2日だけど」


「ってことは多分ノコギリソウと関係してるかもしれないですね」


「ノコギリソウって、そのなに怖い名前」


ノコギリソウ、お花を知らない人からしたらたしかに恐ろしい名前。


「名前はインパクトありますけど、花弁は赤く綺麗ですごく可愛いんですよ。もしかしたらお母さんの好きな赤い花と何かシンパシーみたいなものを感じたのかもしれないですよ」


「紫苑ってロマンチストなんだね」


「そ、そうですか?」


「あと敬語使わなくていいよ。この部屋では年齢とかそういうの関係ないから」


「うん、わかった」


朱花はこの刑務所でできたはじめての友達。友達という表現は正しいかどうかわからないけれど、まいっか。


「ちなみに紫苑は何したの?」


「殺人未遂」


「そんな可愛い顔してすっごいことしたのね」


ちょっと引いている?


「朱花は何したの?」


「私はドラッグ」


お互いなかなかの罪だ。


「こんなこと聞いて良いのかわかんないけど、紫苑はなんで殺人を?」


私はあの日、バイト先の先輩に強姦されたこと。庇ってくれたあの人を刺してしまったことを話した。


「それって悪いのその先輩じゃん。冤罪えんざいだよ」


「でもその後に未遂を犯したのは事実だから」


そこからの私の人生は転落していった。


まだ人生の半分も過ごしてないのに、大切な人を失って人生がめちゃくちゃになった。


身も蓋もないことをネットで言われ、たくさん傷ついた。


他人の方が圧倒的に多いから無理もないかもしれないけれど、それでも言葉や文字というものは人の心を簡単に傷つけてしまう。


「そっか……紫苑、この部屋で良かったね」


「えっ?」


「他の部屋だと新人へのいじめとかもすごいらしいよ。布団や食事を取り上げられたり、強制的にマッサージさせられたり。すぐ隣の部屋にはおつぼねみたいな人がいてさ、彼女に逆らうと服役期間が延びるって噂もあるの」


朱花の話し声に反応したのか、奥で寝ていた人が起きてきた。


「楓、起きたね。おっはー」


楓と呼ばれるその人は長い睫毛まつげに細い目、口元に黒子ほくろがあり楚々そそとしている。


「おはよう。この子新入り?」


少し眠たそうな顔のまま静かに話す。


「神法 紫苑です。よろしくお願いします」


挨拶をすると、人見知りなのか目も合わさず軽く会釈をするのみだった。


「この子は楪 楓ゆずりは かえで。詐欺で捕まったの」


こんな清楚な人が詐欺?


「朱花、昔キックボクシングやってたから気をつけた方がいいよ」


「ちょっと楓、脅かすようなこと言わないでよ。ダイエットしようと思って手遊びてすさび程度にやってただけだから」


クスッと笑うとかえではまたすぐ眠ってしまった。


ほんの少しの時間だったけれど、2人の仲の良さをうかがえる。


哀しくも刑務所での生活も慣れてきてしまった。


でもあの日の記憶は鮮明に覚えている。


私がアイツを殺めようとしたせいで彼と離れ離れになってしまった。


いっそのこと彼のもとへと行こうかなとも思ったけれど、そんなことしたら怒られそう。


『命は時間と同じくらい大切だから雑に扱っちゃいけない。自分と自分の大切な人との時間はとくに大事にしないと』

っていつも言っていたよね。


たまに小説家のようなことをさらっと言うんだから。



ここ最近、なんだか左胸の辺りがキリキリと痛む。


針とか串なんかじゃ比にならない。

薙刀くらい鋭利なもので心臓の奥まで突き刺してくるようなそんな痛み。


それが立て続けにやってくる。


「ちょっと紫苑、大丈夫?」


胸を押さえながら急に項垂うなだれた私を見た朱花が心配してくれる。


切羽詰まったようなその声に起きた楓が私のもとにやってきて、


「ちょっと見せて」


私も朱花も驚いたが、その真剣な眼差しが何かを訴えかけているかのように感じ、言われるがまま服を脱いで胸を見せると左の胸にしこりができていた。


こんなのあったっけ?


楓がその痼を軽く押す。


「痛っ!」


「これいつから?」


真剣な表情で聞いてくる楓。


「覚えてないけど、ここに来るまでにはなかったと思う」


「もしかしたら乳癌の初期症状かもね」


嘘でしょ?


いままでずっと健康的だったのに。


「乳癌は日本人女性の中でもトップの罹患率りかんりつ。だいたい10人に1人の割合くらいで、乳癌になった人の約30%が亡くなってしまうって言われてるの。その数字は年々増加しているわ」


「ちょっと楓、物騒なこと言わないでよ」


朱花の口調が少し荒い気がした。


「まだ確証はないし私も専門家じゃないからわからないけど、もしこのまま痛むなら医療刑務所に行って診てもらった方がいいわ」


「ってか楓、何でそんなに詳しいの?」


「私ね、捕まるまで医療を学んでたの。医師に

なりたくてね。家庭の事情で学費は自分で稼がないといけなかったんだけど、どうしても払えなくて……」


経済面や家庭の事情で夢を諦めなきゃいけない人は大勢いる。


楓も本当は勉強だけに集中したかったのだと思う。


でも自分で稼がなきゃやっていられないくらい厳しい環境だったのだと思うと、私はすごく恵まれていたことに気づかされた。


私も夢に向かって早く刑務所ここを出なきゃ。


その気持ちとは裏腹に痛みが激しさを増した。


待って、どうしよう。


まさか私、癌で死ぬの?

しかもここで?


「紫苑を早く病院に……」


朱花の言葉をさえぎるように楓が言う。


「この刑務所、医療の管理が杜撰ずさんで有名なの。ちゃんとした医療を受けられる可能性は極めて低いからあまり期待しない方がいいわ」


「でも、病気かもしれないんだよ?」


朱花がまたも感情的になっている。すごい剣幕だ。


気持ちは嬉しいけれど、楓に言っても仕方ないよ。


後日、看守に言って医療刑務所で診てもらうことができた。


「ステージ4ね」


冷静に無感情に言う女性医師。


医師によると、ステージ4は末期の状態で生存率は低いそうだ。


「とりあえずこれを飲んでおいて。また何かあったら看守経由で教えてちょうだい」


作業のように淡々と話す。


痛み止めってそれだけ?日に日に痛みが増しているんですが。


発熱とか倦怠感とかもあるのにそんな簡易的な。


「あの、入院とかはできないんですか?治療は?」


こちらの態度に反するように、面倒くさそうな顔で冷たい視線を浴びせながら、


「残念だけど、いま病室がいっぱいなの」


何よそれ。


私まだ21歳だよ?

もし神様がいるのならひどすぎない?


そう思いながらも痛みはさらに増していく。


(痛い、痛い……)


それから数日間、痛み止めのおかげで少しは和らいだがそれでもただの気休め程度。


痛みが消えることはなかった。


ーある日、看守に呼び出された。


病室に空きが出たという理由で医療刑務所に移ることが決まった。


「お別れだね」


「短い間だったけど一緒に過ごせて良かった」


朱花と楓に見送られながら刑務所を後にする。


2人とは不思議なくらい仲良くなれた気がする。


上手く表現できないけれど、まるで昔から知っていたかのように心を開けた。


「ありがとう。またね」


そう言って別れた。


医療刑務所に移ってしばらくは痛みもなく完治できるかと期待していた矢先、私の身体は言うことを聞いてくれずにそのまま意識を失った。
































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