2-6 違和感

🍦


11月


付き合ってちょうど1年が経った今日、彼はわざわざ有給を使って仕事を休んでくれた。


何か特別なことをするわけではないけれど、彼曰く、昼は学生のようなデート、夜は大人風デートというプランみたい。


折角の1周年記念なので、東狐姐さんに相談して髪型を変えてみようと試みたけれど、全然うまくいかない。


何でこういうときに限って納得のいかない感じになるんだろう。


そうこうしているうちに時間が迫ってきた。


やばい。


待ち合わせに遅れちゃう。


急いで靴を履いて家を出る。


約束の時間には15分遅れてしまった。


結局髪型もそのままだし、出鼻を挫かれた感じがした。


しかも彼のLINEは割と素っ気ないから感情が読み取りにくいときが多々ある。


きっと怒っているだろうな。


駅に着くと彼が腕を組んで待っていた。


「遅くなってごめん」


「大丈夫。ご飯食べた?」


「ううん。何も食べとらん」


「お腹空いたから何か食べよう」


彼の横を歩きながらカフェに向かう。


まるでパリにいるかのような外観に感嘆しつつテラス席に座ってコーヒーを飲む。


隣に座る外国人の人たちが足を組みながら英語か何かで楽しそうに話し、その向かいにはベビーカーの中で気持ちよさそうに眠る赤ちゃんの姿に癒される。


そんな平和な景色の中での彼との時間はあっという間に過ぎていった。


1年経ったいまでも彼は変わらない熱量でいてくれる。


付き合う前からそうなのだけれど、同じ話を何回してもはじめて聞いたかのようなリアクションを取ってくれる。


そんな変わらない優しさが好き。


夕方、バッティングセンターにやってきた。


上着を脱いだ彼はストレッチをして気合いを入れている。


時計を外し、腕まくりをして打席に立つ。


二の腕から垣間見えるタトゥーは妙に色っぽく、バットを振った手には血管が浮き出ていてそっちに目がいってしまう。


マシーンから120km近くの球がビュンビュンと飛んでくるが、それを当たり前のように打ち返す彼。


元野球部ということもあり表情は真剣そのものだ。


普段なかなか見ることのできない貴重な姿を撮っておくことにした。


「あっちぃー、ちょっと休憩」


打席から出てきた彼がシャツの首元をぱたぱたとさせながら空気を送り込んでいる。


私はマネージャーのようにタオルとスポーツドリンクを渡し、彼はサンキューと言って汗を拭いてドリンクをがぶ飲みする。


ベンチに座ろうとすると、あることに気がついた。


「あれ?ない」


さっきまであったものがなくなっている。


ー数時間前、私たちはゲームセンターにいた。


ゲーセンなんていつぶりだろう?


最後に行ったときの記憶がないくらい久しぶり。


ここに来たのには理由がある。


別にゲームをしたいわけではなく、トイレを我慢できなくなった彼に付き合っただけ。


相当美味しかったのか、ランチのときにコーヒーを2杯もおかわりして、お店を出た直後にお腹を下したのだ。


杖をついて歩くおじいちゃんのように猫背のままずっとトイレを探し歩く彼の姿にちょっとだけ引いた。


すぐカフェに戻れば解決する話だったのに、それは恥ずかしいって言って聞かなかった。


私からしたら街中を猫背で歩く姿の方がよっぽど恥ずかしいんですが。


コンビニがいくつかあったけれどどこも貸し出していなかった。


途中、公園にある公衆トイレを見つけた。


「公衆トイレは汚いから使いたくない」


そう言って素通りしていく。


背に腹は変えられないはずなのに、変なところで頑固な彼。


よくわからないところでよくわからないプライドが出るきらいがある。


近くにあったゲームセンターを見つけると、お腹を抑えながらエスカレーターを牛歩のようにゆっくりと登っていく。


トイレに駆け込んだ数分後、背筋を伸ばしながら「内臓全部なくなったかと思った」という理解不能なことを言って戻ってきた彼。


「体調は良くなったと?」


「おかげさまで。ありがとう。そうだ、せっかくだしなんかやる?」


店内を見渡すと人気アニメのキャラクターグッズやお菓子がたくさん置いてある。


大好きなアイスよりも先に目に留まったのは丸みを帯びたクマのぬいぐるみ。


片手で持てるほどの小さなぬいぐるみだが、目が合った瞬間何か惹かれるものがあった。


すると彼は、「こういうのはコツがいるんだよ」と言いながらおもむろに財布からお金を取り出してクレーンゲームをはじめた。


音が鳴った後にクレーンが動き出す。


1回目、2回目とつかむことができない。


3回目、コツをつかんだのかアームがその子の胴体をつかむとゆっくりと持ち上がった。


そのまま行けって思ったそのとき、景品落下口の近くでその子はクレーンから離れ、他の子と合流してしまった。


「もう1回だけやっていい?」


彼が顔の前で人差し指を立ててお願いしてくる。


その姿に私は首を縦に振る。


動き出したクレーンのアームが開くと、今度はその子の脇をガッチリとつかみ持ち上がった。


そのまま景品落下口に落ちる。


「よし!」


全力でガッツポーズをする彼は誰よりもはしゃいでいたように見えた。


「すごい!」


「はい、これ欲しかったんでしょ?」


「いいと?」


「もちろん」


せっかく取ってきてくれた大事なもの。それを失くすなんて……大失態。


彼のバッティング姿に夢中でどこに置いたのか完全に忘れた。


「ここに来た時はあったよね?」


たしかに持っていた。


「思い返してみよう。ここに来た時はたしかにあった。俺も紫苑が腕に抱えてたのを見た」


彼がバッティングをする際、脱いだ上着を預かったときにはもう持っていなかったことを説明した。


「ってことはこの辺かな」


汗をかいているのにスマホのライトを点けながら四つん這いになってベンチの下や自動販売機の下を覗き込んでいる。


必死になって探してくれている彼の姿になんだか申し訳ない気持ちになっていった。


「もうよかよ」


「いや、盗まれてない限りあるはずだから」


「でも……」


「絶対見つかるから」


思い当たるところを一緒に探したが見つからない。


こういうときってなんで見つからないんだろう?


諦めかけていたそのとき、


「あの〜、これお姉さんのですか?」


若い男の子が手にしていたのは例のクマのぬいぐるみだった。


「どこにあったんですか?」


「あのゲーム機の奥に落ちてましたよ」


彼の上着を預かるときに落としたことに気がつかず、それが何かの拍子で後ろにあったゲーム機の方まで転がっていったようだ。


たまたま近くにいた青年がぬいぐるみを見つけ、必死に探している私たちの姿を見て声をかけてくれた。


「良かった〜。ありがとうございます」


深くお辞儀をしたらと同時に心が凪いだ。


「見つかって良かったね」


「うん。探してくれてありがと」


そのぬいぐるみを失くさないようバッグに入れてバッティングセンターを後にした。


空が少し暗くなってきたころ、少し大人なお店に行くため移動する。


六本木駅に着いてナビアプリを開く彼と一緒に方角を確認しながら予約していた高級焼肉店に向かう。


『瀬里奈』お呼ばれるそれは年間で4000頭ほどしか出荷されない高級神戸牛を使用している日本料理店で、1年に1度行ければ十分なくらいのお店。


入口には大きな黒人のガードマンが立っている。


スーツ越しにもわかる筋肉質な肉体にちょっと萎縮いしゅくしながらも高級ホテルのような店内と、口の中で一瞬で溶ける柔らかなお肉に舌鼓したづつみした後、お酒の力も相まってそのまま朝まで抱き合った。


いろいろあったけれど1周年記念のデートは楽しかった……はずなのに、何だろうこの気持ち。


私の中で何か違和感を感じた気がした。


☕️


大晦日、稲荷神社は来年以上に混んでいる。


この神社には『王子の狐火』という大晦日になると関東全域の狐たちが一本の大きな榎の下に集まり、官位を求めて参殿するという民話がある。


付き合ってはじめての年末、彼女の家にはご両親が遊びに来ている関係で1月4日まで会えない。


毎年福岡の実家で家族と年を越すのが決まりらしいのだが、今年に限っては違った。


すでに家族のいない俺にとっては地元の友達や親友と会うくらいしか選択肢がない。


でもみんな家族との時間があるので忌憚きたんして誘わないようにしている。


夜中に待ち合わせるのははじめてなので新鮮な気分だが、時間になっても彼女の姿が見えない。


連絡もなく遅刻するなんて珍しい。


場所を伝え間違えたのかと不安になり送った内容を確認するが、たしかに駅前の改札前で合っている。


既読はついているが、返事はてんでない。


眠ってしまったのか、それともなにか事故にでも巻き込まれたのではないかと不安になっていると、息を切らしながら猛ダッシュしてくる人の姿があった。


「本当ごめん」


両手を顔の前で合わせて申し訳なさそうか顔をしている。


「気にしないで。水とか飲む?」


「ううん、大丈夫」


少し遅れたくらいで怒らない。


それよりも気になるのは彼女のファッションだ。


キャスケットを目深まぶかに被り、ワンピース、チェスターコートにミニブーツというハイセンスなコーデだ。


それに比べて俺はその辺にあったものを取って着たかのような無地のパーカーにデニム姿というシンプルな恰好。


「じゃあ行こっか」


いつもどおり手をつないでゆっくり神社に向かう。


「寒いなか会ってくれてありがとね」


「私、けいくんの彼女やもん」


なんだこのどうしようもなく可愛い反応は。


キャスケット越しに笑う口元に魅了されつつ、なかなか目を合わせようとしないことに少しだけ違和感を覚えた。


「今日やけに目深に被ってるね」


たまに帽子を被ってくる彼女を見るたびにドキッとするが、今日は芸能人くらい目深に被っている。


誰かにバレたらまずいことでもあるのだろうか。


「うん……」


ものすごく反応が薄い。


「どうした?」


「……察して」


機嫌を損ねてしまったようだが原因がさっぱりわからない。


こういうときの女心はいつになっても謎だ。


「ごめん、理由がわからない」


「今日メイク薄いけん顔見られるの恥ずかしいだけ」


「なんだ、そんなことか」


大した理由じゃなかったと思って安心したのも束の間、


「そんなことって何?こっちは毎回服装が被らないようにどんなファッションで行こうかすっごく迷って、飽きられないようにって思いながら工夫しとるんよ?男の人って小さな変化には気づかない生きものやけん、そこは期待しないようにしとるのに、それでもけいくんはいつもファッションとか髪型とかネイルとか褒めてくれるけんもっと可愛くなろうって、もっと綺麗になろうって頑張っとるのにそんなことって何?

今日だって本当は朝から一緒におりたかったんよ?三ヶ日も一緒におりたかったけどさ、わざわざ親が来てくれとるけんそうもいかんし、それでもけいくんが少しでも一緒にいたいって言ってくれたことがばり嬉しくて。

でも起きたらもう待ち合わせの時間で、頑張って来たけどメイク全然間に合わんくて……」


涙目になりながら訴えるように怒っている姿にデリカシーのないことを言ってしまったと反省した。


夜とはいえ女性にとってメイクやファッションは自身を飾る上で重要なもの。


そんな初歩的なことをわかってあげられない自分に腹が立った。


現に、首元には誕プレであげたハーデンベルギアのネックレスをしてくれている。


「ごめん、気がつかなくて。でもありがとう。こんなに想ってくれてる人が彼女なんて俺は幸せだよ」


「ずるいよ」


「えっ?」


「そんなこと言いよったらさっきまで怒ってた私バカみたいやん」


「俺はどんな紫苑も好きだから」


彼女の泪を指で拭き取り、そのまま顔を近づける。


しかし、右手で口元を抑えられてこばまれた。


神社のすぐ近くまで来ていたのだ。


「もうすぐ神様の前やし、バチ当たるよ」


恋人同士のキスはバチが当たるのか?と疑問に思ったが、彼女の機嫌が戻った様子だったのでそのまま行列に並んだ。


思ったよりも人は多くなかなか前に進まない。


夜風が身にみる。


左側を見ると彼女も寒そうだ。

念のため持ってきていたホッカイロを右ポケットから取り出す。


「ありがとう。でもこうした方があったかいけん、大丈夫」


そう言って彼女は俺の左ポケットの中にある指に自分の指をからめてきた。

指先から全身に体温が伝わってくる。


他愛ない話で盛り上がっていると、拝殿の前に着いた。


二礼二拍手し、願いごとをして一礼する。


(紫苑がずっと健康で笑顔でいられますように)


願いごとを心の中で言い終えて、彼女に質問する。


「紫苑は何をお願いしたの?」


「言ったら神様にお願いした意味ないやん」


笑いながら言われたがたしかにそうだ。気にはなるけど心の奥に閉まっておこう。


御神籤おみくじを引いた。


「末吉か」


「私は吉だった」


お互い微妙な運勢だった。


「けいくん、いま何時?」


石段の近くで彼女が慌てながら聞いてきた。


つないだままの左手を顔の近くまで持ってきて腕時計で時間を確認すると、年を越していた。


つないでいた手を離して向かい合う。


「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」


「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」


お互いお辞儀をしてツーショットを撮った。


そろそろタイムリミットだ。


これ以上時間が経ったら彼女のご家族に申し訳ないので駅に向かった。


駅に着くといつも見ている音無親水公園が少し儚げに見えた。


「今日はありがとな」


「うん」


「送ってくよ」


「ここで大丈夫」


「危ないから近くまで送る」


「でも、お家から遠くなっちゃうよ」


気遣ってくれているのは嬉しいけれど、こんな夜中に彼女を1人で放置させるわけにはいかない。

過保護と言われたとしても当分会えなくなるからギリギリまで一緒にいたいと思った。


「いや、送ってく」


年末年始とはいえ都電は特別運行をしていないので地下鉄で帰ることにした。


飯田橋で乗り換え、東池袋で降りる。


いつもながら駅の周りは静かだった。


彼女の家が見えたところで足が止まった。


「送ってくれてありがとう。気をつけて帰るんよ」


「おう」


「お家着いたらちゃんと連絡してね」


「おう」


別れ際はいつも寂しいが、こういうときは彼女の方が大人だなといつも思う」


「じゃあそろそろ行くよ」


「うん、また」


お互い小さく手を振り、きびすを返そうとする。


「……なぁ紫苑」


「ん?なに?」


我慢できずに抱きしめた。


「ちょ、ちょっと、けいくん」


彼女は急なことで驚いた様子だったが、その反応が愛おしくてさらにギュッと抱きしめると、それに呼応するように抱きしめて返してくれた。


冷たい夜風に靡く長い髪が俺の理性をあおるかのように全身を刺激していく。


どうしても間近で顔が見たくなって、目深に被っていたキャスケットのつばを上げると、恥ずかしそうに、


「ダメ」


と言いながら目を逸らす。


半ば強引に唇を運ぶと優しく受け入れてくれた。


元旦のキスは甘い味がした。


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