2-7

🍦


もうすぐ2月


彼の会社の誕生日休暇制度を利用して1泊2日で旅行に行くことになった。


地元福岡に連れて行ってあげたいと思ったけれど、さすがに直接誘うのは恥ずかしかったのでLINEを通じて軽い感じで言ってみた。


こういうときに限って返信が遅いから心臓に悪い。


しばらくして返事が帰ってきた。

OKだった。


福岡へは時短の飛行機で行くかのんびり新幹線で行くかちょっと揉めたけれど、今回は彼が主役だから新幹線で行くことにした。


「さむっ!」


博多駅に着くと、厚手のダウンを着ている彼が身体を一瞬ぶるっと震わせながら眉間に皺を寄せていた。


「ここ常夏やと思っとったん?」


「もっと暖かいと思ってた」


九州に来たことない彼の中でのイメージはだいぶずれていた。


夏は暑いし冬は寒い。


この時期が寒いことは事前に伝えていたからまだ良かったけれど、下手したらパーカー1枚とかで来ていたかもしれない。


今日はどこに連れて行こう。


数日前から色々とプランを練っていたけれど、いざとなると優柔不断になる。


天神はマストとして他はどうしようか。


薬院とか赤坂とか六本松とか?


車をレンタルして太宰府まで行くっていうのもあり。


美味しいお店が多すぎて迷っちゃう。


彼はごまさばが食べたい。屋台も行ってみたいし、海も行きたいと言っていた。


全部叶えてあげたい気持ちはやまやまだけれど、さすがに真冬の海はちょっと。


散策好きの彼の希望通り天神には歩いていくことになった。


キャナルシティを越え、中洲を横切り、大丸をすぎたあたりで頭上にポトンと何かが落ちてきた。


「雨?」


小雨だと思っていたら一瞬にして大雨になった。


ちょうど天神地下街への入り口が見えたので階段を降りていく。


『てんちか』を通ったのなんて何年ぶりだろう。


てんちかとはこの天神地下街の略語で全長約600mの九州最大級の地下街。


「この地下街すげー広いな」


はじめてディズニーに来た子供のようにテンションが高い。


私もはじめて来たときは同じ感じだったから気持ちはわかるけれど、キョロキョロしながら歩く彼の横はちょっぴり恥ずかしかった。


「ってかさっき地下街の入り口にあったロゴって牛だよね?なんで牛なんだろう?」


てんちかの入り口には“Life Quality”と書かれた文字の上に牛のツノのデザインがあるのは知っていた。でもなぜなのかなんて考えたこともなかった。


「昔大阪にあったプロ野球チームのロゴに似てる気もするけど、ここ福岡だしな。鷹ならわかるけどなんで牛なんだ?」


彼はぶつぶつ独り言を言いながらスマホを取り出し調べ始めた。


どうやらこの人は気になったら調べないと気が済まない気質みたい。


スマホを見ながらさぞ私に聞いてほしいかのようなボリュームでぶつぶつと言う。


「へぇ〜、そうなんだ。知らなかった」


これら聞いてあげないと終わらなそうな雰囲気だったので、仕方ないから付き合ってあげよう。


「なに?気になるけん教えて」


彼は右手に持っていたスマホを見せながら身体を寄せてきた。


がっちりとした彼の左肩と私の右肩が触れる。


やばっ、顔近い。


横目で彼の方を見ると、瑞々しい唇がすぐそこにある。

真剣な眼差しでスマホと向き合う彼は私の視線には気づいていない。


人混みのなか理性が飛びそうになるのをぐっと堪えて耳を傾ける。


「天神の由来にもなっている菅原 道真すがわらのみちざね(天神様)の御神牛らしいよ」


楽しそうに話す彼には申し訳ないけれど、口元ばかりに意識がいって説明が全く耳に入らなかった。


気がつくと見知らぬ場所に立っていた。


どうやら向かう方向を間違えていたみたい。


「ごめん、スマホに集中しすぎて迷った」


「ううん、大丈夫」


ちょっと良い思いできたし。


地上に出て大名だいみょうに向かう。


外はすっかり晴れていた。


大名とは天神駅のすぐ近くにある九州随一の繁華街で、東京でいう原宿や渋谷のようなエリア。


安くて美味しいお店がたくさんある。


彼の要望に応えるべく海鮮系のお店に行くことにした。


まだお昼だというのに店内はほぼ満席。

早速お刺身とごまさばを注文する。


「昼から酒飲めるなんて最高なんだけど」

嬉しそうな顔でお酒片手に乾杯し、お通しのポテトサラダを食べながら料理を待つ。


出てきたお刺身を彼が食べた瞬間、

「醤油あまっ!」


大きな声でそう言うからちょっと恥ずかしかった。


九州醤油は甘い。

いや、関東醤油が辛いというべきかも。


私もお姉ちゃんもいまだに辛い醤油に慣れないので、わざわざ九州から取り寄せている。


「東京の醤油が甘いだけったい。はじめて口にしたときせそうになったし」


その後は明太子の入った餃子などを食べ、腹八分目ほどにしてお店を出た。


「めっちゃ美味しかった」


「ね、美味しかった」


大名や天神周辺を少し歩き、ホテルにチェックインした後、博多に戻る。


歩いても行ける距離なのだけれど、少し歩き疲れたので地下鉄に乗って行くことにした。


「いらっしゃいませ」


「予約していた神法です」


「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


そのレストランはオシャレというワード以外当てはまらないのではないかというくらい素敵なアンビエンス。


「何このレストラン、真ん中にプールがあるんだけど」


高級ラウンジのようなエントランスに感動し、店内の広さに感嘆し、子供のようにはしゃぎながら珍しく写真を撮っている。


横にいて恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちが同時にやってきた。


私はレモンサワー、彼はビールで乾杯。


コース料理が出てくるとあっという間に平らげた。


誕生日だからなのかいつもより飲むペースが早い。


ホットワインを注文したので便乗するように私も続いた。


「知ってる?ホットワインって和製英語なんだよ」


「そうなん?知らんかった」


「英語圏ではモルドワイン、ドイツではグリューワイン、オランダではビショップワイン、フランスではヴァン・ショーって言うらしいよ」


彼は本当に色々なことを知っている。


伶俐れいり碩学せきがくなのは本をたくさん読んでいるからなのかな?


それとも地頭が良いとか?


いずれにしてもおごらないところはすごく良いなって思う。


「けいくん、ワインとか好きやったっけ?」


「普段はそんなに飲まないけど、こういうオシャレなところに来たり、特別な日には飲みたくなる。今日の紫苑は一段と綺麗だし」


この人は恥ずかしくなるようなことをさらっと言ってのける。


〆のデザートのところでお店の人にお願いしてバースデーケーキを出してもらった。


店内に突如流れてきたバースデーソングに彼が驚いている。


周りからの祝福もあり、いままで見たことのないくらいの笑顔でいる。


「ちょっと早いけど、お誕生日おめでとう」


そのタイミングで紙袋を渡す。


「開けていい?」


「うん」


中には牛革素材の黒いケースがあり、そのケースを開けるとステンレススチールのシルバーウォッチが入っていた。


「これ、俺が欲しかった限定もののスマートウォッチじゃん」


彼はSNSを全くしていないから情報を集めるのは大変だった。


サプライズがバレないようさり気なく聞き出した。


「この前の吉祥寺デートのときボソッと言ってたの覚えてて」


「嬉しすぎる。ありがとう」


時計をつけ替え、彼の行きたがっていた屋台へと向かう。


屋台は博多にも天神にもあるけれど、1番有名なのが中州の屋台。


川沿いということもあって景色が良いから観光地としても有名。


個人的にはちょっとだけ複雑な気持ちもあるけれど。


中洲の屋台に向かう途中、空から何かが降ってきた。


「雪?」


みぞれっぽいね」


溝を見てなぜかテンションが高い彼。


というより今日は1日通してテンションが高い。


滅多に見られない一面に私は無意識のうちに相好そうごうを崩していた。


那珂川なかがわから見えるキャナルシティやグランドハイアットの光。


何度見てもこの景色は綺麗。


右に曲がると屋台が数軒並んでいる。


カップルや野球観戦後の人たち、観光客らしき人たちで溢れている。


その奥にはあまり見ないでほしい『オトナのお店』が連なっている。


これがあるから天神の屋台の方にしたかったんだけれど。


案の定、奥のお店を見ている彼。


やっぱり男の人って興味あるんだろうな。


色々と思料していると、つないでいた右手の指先に力が入っていた。


「いてっ!何?」


無意識のうちに彼の手の甲を爪で刺すかたちになってしまった。


「ああいうお店気になると?」


「いや、そういうわけじゃ」


何その曖昧な返事。ちゃんと言い切ってよ。


「べつに行ってもいいですよ。私は何も思いませんので」


「そんな低いトーンで急に敬語とかめっちゃ怖いんですけど」


半分嘘で半分本当。


そういうお店に行くのは最悪我慢できるけれど、私がいるのに他の女の子に意識が行くのがイヤなだけ。


「安心して。俺、紫苑以外興味ないから」


まただ。

この人はドキドキさせるようなことを外でも平気で言うからたまに反応に困る。


「信用してないっしょ?」


信用はしている。


でも態度で示してほしいと思ってしまった。


いつも示してくれているのに強欲な自分に嫌悪感を抱いた。


それを察したのか、彼が急に顔を近づけてきた。


左手で瞬時に彼の顔を押さえる。


「こんなんで証明にはなりません」


こんな人混みの中でできるわけないでしょ。


「もう、早くお店入ろう。このお店は?」


「いいね。おでん食べよう」


席を詰めてもらって中で乾杯する。お昼から飲んでいたこともあってすでに高揚している自分がいた。


「ーありがとうございました」


屋台を出てホテルに戻る。


「さむっ」


「ホント寒いね」


雪風が火照った身体を冷ましにかかる。


それでもいつもの何倍もアルコールを摂取しているせいでまだポカポカしている。


「ってか紫苑、顔真っ赤じゃん」


「ちょっと飲み過ぎちゃったかも」


フワフワした感覚が思考を緩くさせる。


すると、彼が手のひらを私の頬に当ててきた。


突然のことに早鐘はやがねを打つと、同時に触れられた頬の部分だけ冷たくなった。


「けいくん、手冷たい」


ニットのタートルネックの上にボアデニムジャケットを着て、保温素材のスキニーデニムにムートンブーツで対策してきたからちょっとは緩和されているけれど、それでも雪を乗せた風が刺さるように痛い。


重ねるように手を添えると、お互いの冷えた身体を温め合うように温度が上昇していく。


時計はすでに24:00前だった。


ホテルに戻り明かりを点ける。


夜のライトアップされた福岡の街よりも、この部屋の光は幻想的で蠱惑的こわくてきだった。


その雰囲気に胸の高鳴りは最高潮まで達し、彼からの愛をたくさん受け取った。


「ーなぁ、……お……ん。……おん」


肩を強く揺すられながら急いたような声が耳元に木霊こだまする。


「紫苑、起きて」


短く強い声が眠たい身体を強制的に起こさせる。


「ん〜眠いよ〜」


ベッドから出たくなくて布団で身体をくるむ姿は、母親に起こされる子供のように見えたのかもしれないけれど、昨日は夜更かししすぎて眠たい。


「急いで。時間がない」


時間がないってどういうこと?


まだ頭が回ってないから言葉の意味を理解できないでいた。


「チェックアウトが間に合わない」


2人とも目覚ましに気づかず、時刻はチェックアウトの10分前だった。


急いで服を着てフロントに走った。

髪もボサボサだしすっぴんだし喉カラカラで水飲みたいし。


帽子とかサングラスとか持ってくれば良かった。


時間にはギリギリ間に合った。


彼がチェックアウトを済ませている間にトイレを借りた。


(うわっ、ばりブス)


朝からこんな顔見られていたなんて。軽く髪を整えファンデだけ塗って出る。


すると彼が、すっぴんでも良かったのにという恐ろしいことを言ってきた。


ムリ。絶対ムリ。ただでさえ好きな人にすっぴん見られてしんどいのに、これで外に出るなんて公開処刑でしかない。


「……幻滅したでしょ?」


「えっ?何で?」


びっくりするくらい真っ直ぐな瞳でそう言ってきた。


彼が嘘をつくような人ではないのは知っているけれど、それにしても予想外の返しにちょっとびっくりした。


「何でって、すっぴんが可愛いのなんて芸能人くらいやし」


「いや、全くしてないよ。紫苑もともとナチュラルメイクだし、もし本当に幻滅してたら昨日の夜あんなにキスしなくない?」


昨日の夜を思い出してしまった。


自分でもわかるくらい急激に耳が熱くなってきたけれど、実はあのときはすっぴんではなかった。


先に彼が寝た後にこっそりメイクを落として寝た。


でもまさか寝起きを見られるなんて恥ずかしすぎる。


「朝から何言っとーと?そんな恥ずかしいこと堂々と言わんでよ」


ロビーで恥ずかしい言葉をさらっと言う彼。


胸がドキドキしてさらに喉が渇いてきた。


そういえば起きてから何も口にしていない。


「もう、喉乾いた。カフェ行こうや」


恥ずかしさを誤魔化すように強引に手をつないで駅前にあるカフェに入った。


「ちょっとトイレ行ってくる」


今度はがっつりメイクをして席に戻った。


ホットコーヒーを飲んだ後、この後どうしよっか?と私が聞くと、

ウユニ塩湖でも行くかと言い出した。


はい?

ウユニ塩湖って南米のボリビアってところじゃなかったっけ?


いつものようなとんだ冗談かと思った。


「福津市ってところにあるんでしょ?日本のウユニ塩湖」


そっちのことね。


福津市には『かがみの海』と言われる場所がある。


福間ふくま海岸」「宮地浜みやじはま」「津屋崎つやざき海岸」の3つからなり、天候や風の強さ、干潮かんちょうのタイミングが合えば見ることができるものすごく映える絶景スポット。


香川県の父母ヶ浜ちちぶがはまにも劣らない美しい場所。


急遽車をレンタルして海に向かう。


40分ほど走ると目的地近くに着いた。


海岸付近の駐車場はどこも満車のため公園内の駐車場に止めた。


車から降りた瞬間、まるで雲海の上に立っているかのような不思議な感覚におちいった。


浜辺にはカップルや女子たちがスマホ片手にベスポジを探している。


海と空が反射して青と白のコントラストが綺麗すぎて、見れば見るほど水平線に吸い込まれそうになる。


「本当にウユニ塩湖みたいだな」


彼が目をキラキラさせながら感動している。


私もここまで綺麗な状態ははじめてかも。


彼の誕生日を祝うかのようにかがみの海が光り輝いている。


海をバックに2人で写真を撮った。


ここにはもう1つ絶景スポットがある。


夕方になると、宮地浜から宮地嶽みやじだけ神社をつなぐ道に陽が差し込み、『光の道』という2月と10月の一定の時期にしか見られない美しい光景が見られる。


これを見るために多くの人たちが集まるから、この時期でも駐車場が埋まってしまう。


彼と一緒に見たかった気持ちはあるけれど、新幹線に間に合わないので次回にすることにした。


駅でお土産を買い、新幹線に乗る。


席に座った途端、彼は疲れて寝てしまった。


この2日間タイトスケジュールだったもんね。


だらしなく口を開けたまま眠る表情も可愛く見えてしまうのは惚気のろけなのかな。

起こさないよう彼の横顔を撮った。

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