2-5
☕️
夜の
『火の用心』の掛け声とともに
今では騒音問題からやらなくなったところが多いが、この辺はシニア層が多いこともあり令和になったいまでも不定期で行われている。
ここ数日、放火殺人のニュースをよく見る。
ーそんなときだ。
彼女の家が放火された。
手を伸ばしながら「た…す…け…て…」
炎の中焼け焦げていく彼女。助けを求める声は誰にも届かない。
徐々に燃えていく彼女の姿はあまりにリアルで恐怖感から思わず目が覚めた。
なんだがものすごく嫌な予感がした。
すぐさまLINEを送ったが既読がつかない。
いつもならすぐに既読がつくはずなのに。
何度電話しても出ない。
不安に掻き立てられた俺は居ても立ってもいられずそのままロードバイクで彼女の家へ向かった。
家に行ったことは一度もないが住所は知っている。
デート中に近くを通ったときに教えてくれたのだ。
外は
ノーブレーキで坂道を駆け上る。
久しぶりに全力で
それでも一刻も早く安否を確認したかったから漕ぐことを止めなかった。
強烈な風で喉の水分を奪われ、全身から汗が
肩で息をしながら彼女の住む家の前に着く。
良かった。
どこも燃えていないようだ。
でも、だとしたら何で連絡がつかないんだろう。
警察に電話しておくべきだろうか?
喉の渇きや体温の上昇などいまはどうでも良い。
彼女に何かあったら……
「あの~」
伺うように声をかけてきたのはどこかで見たことのある人だ。
「雪落さんですか?」
長い髪に整った顔をしたモデルのようなこの人はたしか、
「荒川さん?」
「はい、はじめまして。紫苑と同じ学校の荒川 優梨と申します。紫苑からお話は聞いてます」
丁寧にお辞儀されたのでこちらも息を整えてお辞儀をした。
そうだ、この人は彼女との間で良く話に出てくる友達だ。
前に写真を見させてもらったことがある。
「どうしてここに?」
「実はさっき恐ろしい夢を見て……」
「夢?」
「紫苑の家が燃えてる夢を見たんです。それで無性に不安になって……連絡したけど全然出ないし」
「俺も同じ夢を見たんだ。何度連絡しても音沙汰なくて」
「すごい偶然ですね!」
でも家は燃えていない。
ってことは失踪?
それとも誘拐?
最悪のパターンを想像してしまう。
何度電話してもつながらない。
(紫苑、頼む!出てくれ!)
そう思えば思うほど不安が募っていく。
すると、
「けいくんに優梨。2人ともどうしたと?」
オートロックが開き、驚いた様子の彼女がエントランスから出てきた。
「紫苑、いままで何してたの?」
荒川さんの口調は荒く表情は険しかった。
「ねぇ聞いてよ~。さっきトイレにスマホ落として動かなくなっちゃってさ、マジ最悪。まだ営業しとるけん、これから携帯ショップに行かなきゃって思って」
こちらの心配を
安堵感と同時にどっと疲れが溜まった。
「もう何それ。連絡しても全然つながらないから心配してたんだよ」
いまにも肩から崩れ落ちそうな勢いの荒川さんが呆れた様子でいる。
「でも何で2人がここに?」
「紫苑の家が燃える夢を見たんだ」
「なにそのこわい夢?」
彼女はまるで他人事のように笑っている。
「あまりにリアルだっから心配したんだよ?」
荒川さんは能天気な様子の彼女に少し怒っている。
「でも無事で良かった」
安堵感からか、足がパンパンなことも喉がカラカラなことも忘れて彼女を抱きしめた。
「ちょ、ちょっとけいくん。優梨の前で恥ずかしいよ」
その姿を見て荒川さんも
ー彼女を携帯ショップに送った帰り道。荒川さんを途中まで見送り、音楽を聴きながらペダルを漕ぐ。
久々に昭和の曲を聴きたい気分だったので昭和の曲を流す。
チャリに乗りながら浴びる夜風は気持ちが良い。
ふと空を見上げると、暁色の空を無数の雲が悠々自適に泳いでいる。
まるで広大な海を泳ぐ魚の群れのように。
仕事をしていないときは彼女のことばかり考えてしまう。
彼女と付き合えたことは本当に幸せだが、たまに不安になる。
あれだけ
ちゃんと楽しませてあげられているだろうか?
俺と付き合ったことで
ただでさえ緊張しやすいし、男らしい一面出し続けられるほど女慣れしていない。
気持ちの良い夜風を浴びていることすら忘れてしまいそうなくらいの憂いを感じた。
そんなとき、
「信じることをやめてしまえば楽になるってわかってるけど」という歌詞が耳が入った。
そうだ、こういうときこそ相手を信じなきゃ。
信じ続けることは根気と勇気が必要だが、彼女の笑っている姿をたくさん見たい。少しでも笑顔の瞬間を増やしたい。
そう思った。
**
「けいくん、ごめん」
「よかよ~」
「イントネーションそんなんやないし」
結構似せたつもりだったんだが。
ハニカミながら腕をからめてきた彼女から良い匂いがする。
この瞬間が幸せすぎて時間を止めたい。
この日は彼女の誕生日。
以前から連れて行きたいと思っていた南青山のカフェでランチをし、赤坂のレストランでディナーをすることになった。
1年に一度の誕生日にチェーン店ばかり行くのは気が引けるので奮発することにした。
ただネックなのが誕プレだ。
世代の違う女子が好むものなどわからない。サプライズのため欲しいものを直接聞くわけにもいかずデートや会話の中から探るようにしたが、高級ブランドに興味のない彼女からははじめて聞くブランド名の連打でさっぱりだ。
相場もわからず前日まで変えずにいた。
こういうときモテる人は相手のサインを見逃さないのだろうが、残念ながら俺はそっち側ではない。
歳の離れた博多美人が彼女であることがたまにプレッシャーになるなんて言ったら恨まれるだろう。
世間からしたら美女と野獣と思われるかもしれないが、それでも彼女はテスト前の忙しいときでも会いに来てくれたり、ときたま嫉妬してくれるのは嬉しく思う。
だから彼女をとびきり喜ばせてあげたいと思って選んだ。
南青山のカフェでランチをしたあと表参道まで歩き、そこで信号待ちをしている間、斜め後ろにいたJKたちの話し声が聞こえてきた。
「ねぇ、あの人怖くない?」
「彼氏かな?」
「腕組んでるしそうじゃない?」
「マジ?ないっしょ」
「もしかしてパパ活とか?」
「だったらウケる!キャハハ!」
聞こえないように小さな声で話しているつもりらしいが、声が大きく筒抜けだ。
彼女の方を見るとちょっと怒っているようにも見えたが、誕生日に空気を壊すわけにもいかないので聞こえないフリをした。
日中の暖かさとは打って変わり、夕方になると少し痛みのある冷たい風が吹く。
「紫苑、お腹空いてない?」
「アイス食べたい」
近くのコンビニに寄る。
予約したレストランまではまだ時間があるが、この肌寒さでもアイスを求める彼女のアイス愛には脱帽する。
もはやどこかにスポンサーがいるのでは?とさえ思える。
以前、
お互い胃下垂とはいえ、彼女の食欲は俺よりもすごい。
寿司屋では1人で30皿くらい食べていたし、焼肉屋でも2人前をあっという間に平らげていた。
そんな彼女もはじめてデートした日はご飯を少ししか食べなかった。
いま思うとすごく可愛いらしいなと思う。
コンビニのアイスコーナーを覗く彼女が質問してくる。
「そういえばさ、東京って全然ブラックモンブラン置いとらんよね」
「ブラックモンブラン?何それ?」
ブラックモンブランとは佐賀県の会社が作っている九州発のアイスで、バニラアイスにカリカリ食感のクランチとチョコレートがコーティングされているアイスのことで、九州で知らない人はいないくらい人気のアイスらしい。
「食べたことない」
「じゃあ今度福岡帰ったときに買ってきてあげる」
「ありがとう。でも東京に着くころには溶けてるんじゃない?」
「たしかにそやね」
冗談混じりのなか、アイスを真剣に探す彼女。
「紫苑って本当アイス好きだよね」
「ばり好き。福岡におるときもしょっちゅう食べとった」
こんなに綺麗なのに人目を気にせず道端でアイスを頬張る姿が愛らしい。
いつも美味しそうに食べる彼女の横顔に見惚れてしまう。
彼女は髪が長いので、食事をするときは必ずと言っていいほど髪を束ねる。
座れる場所を探し、彼女がアイスを食べ終わるのを待って赤坂へと向かった。
ーポツポツと雨が降ってきた。
個人的に散歩するのは好きだが、この肌寒さで彼女を歩かせるのは申し訳ないのでタクシーを呼んだ。
多少の距離はあるが、お互い一度行ってみたいところだったので夜はここでディナーを楽しむ予定だ。
この日の彼女はハイネックのタイトニットワンピースにブーツ姿。
露出は少ないものの、スタイルの良さがいつも以上に際立ちものすごく色っぽかった。
ドレスコードはなかったが、今日は彼女の特別な日なのでいつもの服ではなく黒のセットアップカジュアルスーツで臨んだ。
日枝神社の近くの通りでタクシーを降りて店へと向かう。
向かった先は高級しゃぶしゃぶ店。
成功者しかいないんじゃないかという敷居が高そうな外観はあまりに豪華すぎて入口で少し
「予約していた雪落です」
「雪落様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
育ちの良さそうな店員さんに個室に案内され、とろけるような豚しゃぶのコース料理を堪能した後、バッグに閉まっていま紙袋を渡す。
「はい、これ」
頭ではわかっていたが、実際渡すとなると本当に喜んでもらえるのか不安になる。
「開けていい?」
「いいよ」
彼女が紙袋から箱を取り出し封を開けると、そこには紫のハーデンベルギアの花がデザインされたネックレスが入っていた。
「これって」
「みなとみらいでデートしたときに紫苑が気になってたみたいだったから欲しかったのかなって思って」
「覚えててくれとったん?」
「覚えてたよ」
「嬉しい!」
彼女曰く、好きなシルバーアクセのブランドが出している『
「つけてもいい?」
そう言って首につけて写真を撮った。
「誕生日おめでとう!」
「ありがとう!」
満面の笑みを浮かべた彼女は太陽のように輝いていた。
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