第36話 漆黒
一度、夢に見たことがあった。
大好きなバンドのベーシストが死んだ。朝起きて、いつものようにリビングに降りると、母がいつになく暗い表情でそっと新聞を手渡してきた。なんだ急に。眠気まなこで新聞を見やると、一面に大きく、ライブでベースをかき鳴らしている時の彼と、「人気バンドベーシスト急死」「早すぎる死」「なぜ」といった見出しがでかでかと並んでいた。
私は新聞を握りしめて泣き崩れた。嘘だ、嘘だと、彼の名前をなんども叫んだ。同じバンドが好きだったNと身を寄せ合い、子供のように泣いた。
目が覚めてからも、私は泣いて母に縋り付いた。
現実は、もっと静かであっけなくて、優しくなかった。
こんなにも日常で、ただ生活をしていただけ。ぽつんとLINEが来て、いつもは読み飛ばしてしまっていたそのバンドの公式LINE。最近ライブにも行けていないのでふてくされていた。そんな中、今日はなぜだか素直にそれを開いた。
そこには彼の大きな写真も、紙一枚もなく、ただ小さな文字でつらつらと現実が記されていた。読んで、泣き崩れもしなかった。ただわけがわからなくて、自分の情けない「え?」という独り言が、他に誰もいない家に響いた。
とりあえず落ち着こう。何かの間違いかもしれないし。ココアとポテチで一服しよう。うそうそ。んなわけない。
わざと大音量でお笑いのYouTubeを流しながら口を動かしたが、なんの味もせず、ただ胃に流れ着いただけのそれらは私の中の不安や戸惑いをこれっぽっちも消さなかった。
SNSを徘徊して、じわじわと暗がりが大きくなってきた。蝕まれるように現実が体を、脳を侵食していくのは、大きな紙面が叩きつけるよりも痛い。
お子がもう少し大きくなったらライブへ連れて行こう。もう少しお金が貯まったら。体調が整ったら。なんてたらればを言っているあいだに、いなくなってしまった。彼は本当に素晴らしいロックスターだけど、私にとっては年に数回会える親戚の兄のような存在だ。私はただのいちファンに過ぎないので、彼と話したり会ったりなどはもちろんできるはずもないのだが、ライブでその熱い姿を目にすると、自分も明日からもまた頑張るぞ、兄ちゃんがあんなに頑張っているのだから! と勇気付けられていた。特殊なファンですまない。それを許してくれているような彼の温かい人間性が、大好きだ。もう会えないだなんて、もうあの場所に彼がいないだなんて、俄かに信じがたい。
なんで、どうしてと、何度考えてもわからない。さもありなん、私は彼ではない。彼以外、知る由もない。
しょうがないのだ。いなくなってしまったものは。そう言い聞かせるが、頭ではわかっているが、心につっかえされる。ブブー、通れません。ここには入れません。
心は置いてけぼりだが、それでも彼の幸せを願う。彼の優しい瞳が、綺麗な星になって輝きますように。
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